ほしふるよるに。

えりぃ

プロローグ


 少し、昔の夢を見ていた。



「まってよ...ど、どこいくのさ」


「いいから!ほら!こっちだよ!」


  幼い彼女の手が、ぼくの手を引く。異性の幼馴染に連れられ、二人街を歩き回る...。これだけ聞くと、多くの男子が羨むようなシチュエーションだろう。でも、当時の僕たちはまだ10歳も行かないような子供で、しかも時間帯は午後11時前。そんな年齢の子供が出歩くには似つかわしくないような時間帯に、さらに加えて親に無断で子供だけで歩き回っている......。ここまで聞くと、こんな物騒なご時世においては大体の人がいい顔をするとは言いがたいんじゃないだろうか。


 僕たちの住む町は決して都会とは言えないので、あたりはすっかり闇に包まれていて、人通りもまばらだった。少なくとも、幼い子供二人が出歩いていいような環境ではないだろう。


「もう夜だよ、おかあさんとおとうさんに見つかったら......ど、どうしよう」


「もんくいわない。ついてきたのはすばるでしょ?」


「そ、そんなぁ...だってそらちゃん、すぐ終わるからだいじょうぶって言ってたじゃん」






 ちょっと見せたい物がある。すぐ済むからなんとかして家から出てくれ...。そう頼んできたのは、幼馴染の志津宮しづみや そらだ。彼女とは家が隣であり、年齢も同じだったのでごく自然な成り行きで仲良くなった。彼女は快活な少女だったけど、僕は屋内にこもって遊ぶのが好きな内気な少年だった。ただ、時たま彼女は僕を無理やり連れ回して外で遊ぶ事があった。当時は今より周囲に自然があふれていて、小学生が探検する場所のネタもちょっとやそっとでは尽きない位には存在していて。


 楽しかった。家と学校とその周辺くらいが知覚できる全てだった僕にとっての、未知の世界。それらは、僕の感覚をくすぐるのには十分過ぎる物だったと思う。だから僕は、そんな彼女に連れ回されるのを心の底では気に入っていた。......ただ、たまに帰りが遅くなって志津宮家の父母や両親に怒られるのだけはそんなに気持ちのいいものでもなかったけれど。




 でも今回ばかりは、ドキドキもワクワクもしなかった。...いや、正確には「両親にバレたらどうしよう」という意味でこれまでない以上にドキドキしていたんだが。ただ、少なくとも普段感じるような未知の存在に対する期待、みたいなものはなくて。僕の心は完全に、夜の闇や両親に見つかる事、街の人気のなさに対する恐怖心でいっぱいだった。というかそもそも、僕はこんな夜に外を出歩く気なんてなかったのだが、開いていた自室の窓から顔だけ覗かせて空が「少しだけで終わるから一緒に外に行こう」と執拗に誘ってきたため、それに折れた形で外に出た(梯子が用意してあり、それを利用して窓から外に出た。空は恐らくそれを使って自室を出て僕の部屋の窓まで辿り着いたのだろう)のに......。まさかその「少しだけ」という約束を反故にしてここまで長時間連れ回されるとは思っていなかった。そういう事もあってか、僕は完全に弱気になってしまっていた。


「というかそもそも、どこにいって何をするのさ...こんな、くらいのに...」


 少し不満混じりの口調で言葉を漏らす。


「ほしだよ」


 それを聞いた空は、いったん立ち止まって僕にその質問の答えを明かした。顔には、満面の笑顔。


「え?」


「ほし!みにいこうよ!」


「いや、だってほしって...今もほら、きょうは晴れてたからちゃんとほし、見えるじゃん」


 星空を指差し、彼女に言う。確かに別段綺麗と言うわけでもないが、都会に比べればここは空気も澄んでいる。別に僕の家からだって、ちゃんとある程度は星を観測する事は可能なはずだ。


「ふふーん、あまいあまい!そんないつでも見れるのはね、ほんとうのほしじゃないんだよ!」


 自慢げに、彼女が言う。


「ほんとうのほしじゃ、ない...?」


 本当の星じゃない。どうせ、いい加減に言った言葉だろう。でもその言葉は、何故か不思議と僕を惹きつけるものがあった。




 今見てるものが本物じゃないなら。


 本当の星って、どんなものなんだろうか...?


 好奇心が、少しだけ顔を覗かせる。




「そ!だからね、見にいくの!ほんとうのほし!」


 と、思慮に耽る僕の手を掴み、そのまま空が走り出す。


「ま、まって...」


 ただ、いくら好奇心の湧くものとは言え怖いものは怖い。早く目的を終わらせてくれ......。それだけを思いながら、僕は空の後ろを付いていった。




 そこからまたしばらく走ると、小高い丘に到着した。丘の頂上には、見たことの無い縦長の建物がある。もう少し後になって知ることだが、どうやらその建物は町外れにある展望台だったようだ。もっとも、当時の僕は展望台がどんなものかも知らなかったし、そもそも夜の闇で建物の外観も朧げにしかわかっていなかったのだが。


「ここだよっ!」


 走るのをやめ、ゆっくりと空が歩きだす。正直ここまでほとんど走り通しで結構疲労が溜まっていたため、そうしてもらえるのはありがたかった。


「ここ...ど、どこ?」


 息を切らしながら、空に聞く。おそらく初めて来たであろう場所と建物だったので、単純にここで何をするのか気になったのだ。


「ほんとうのほしを見れるところだよ」


「...いみ、わからないよ...」


「いいからいいから!はやくいこっ!いけばわかるよ!」


 そう言いながら、丘を登って建物の方向へと歩みを進める。近付くと、入り口らしきドアが見つかった。


「かってにあけていいの...?」


「だいじょうぶだよ、だって」


 そう言って、何の躊躇いもなくドアを開ける。どうやら鍵はかかってないらしい。そして、ドアの向こうにはひたすら上へと登っていく木製の螺旋階段がただ一本だけ存在している。見たことのない光景に、息を飲む。


「こんなところに、人がすんでいるわけないじゃん!」


 そしてそのまま、空は階段を上っていった。僕も、暗いので転ばないようにと手すりを掴んで足元に気を付けながら空に続く。




 この先で。


 空の言っていた、「ほんとうのほし」が見れるんだろう。一体どんなものなんだろうか。


 心が、ドキドキしてくる。さっきまで抱いていた恐怖や疲労もすっかり忘れて、僕はそのまんまただひたすらに階段を上っていった。




「ついた!」


 ふと上から、空の声が聞こえた。声量からして、もうすぐ目的地なんだろう。あと少しだ。そう思うと、自然と気持ちが逸っていくのを感じた。


 階段を上りきると、一気に視界が開ける。どうやら小さい広場のような作りになってるらしく、落下防止のためだろうか、それなりの高さの手すりが広場の周囲を覆っていた。周囲に目を凝らすと、空は手すりを両手で掴み、食い入るように夜空を見上げている。彼女の隣まで歩いていき、


「ねぇ、ほんとうのほしってどういう――」


 さっきの言葉の意味を聞こうとしたけど。


 僕は思わず、言葉を失ってしまった。


 だってそれほどまでに、その場所からの景色は......美しかった、からだ。


「ね?見えたでしょ?ほんとうのほし」


 どうだ!と言わんばかりの顔をしながら、僕に向かって空が言う。


「これが、ほんとうのほし......」




 綺麗だった。


 いつも見る星の何倍も、何倍も。


 頭上にきらめく星は、いつもなんとなく見上げる夜空にある星よりもっとたくさんあって、もっと色とりどりで、もっといろんな明るさがあって。眼下に見下ろす、僕たちの住んでる町はすっかり真っ暗になっていて、暗闇の中で煌めく星々は、本当に一つ一つが宝石のようで。


 生まれてきて見た景色の中で、1番綺麗だった。誇張抜きに、そう思える素晴らしい景色だった。


 だから今でも僕は、この景色だけは。色褪せることなく、鮮明に覚えている――。

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