きっかけは、小春さん

『妥協した応対をしたくないからお茶菓子を買いに行く』という、よくわからない理由で外出した兄貴を見送った後、私と小春さんは、兄貴の部屋へと戻ってきた。


「小春さん、ホントごめん……」

「いいんです。雄二さん、いつも一生懸命だから……」


 あとで兄貴が茶を淹れ直すであろうことはわかっているのだが……それでも、なにもないよりはマシであろう。取り急ぎお茶は私が準備した。小春さんは今、私のお茶を実に美味しそうに飲んでくれている。


 ひとしきり落ち着いたところで……


「……さて小春さん、色々と質問してもいいですか?」

「はい。やはりお兄さんの彼女ってなると、色々と気になりますもんね」

「そういうわけではないですけど……」


 ここから兄貴が戻ってくるまでは、小春さんの人となりを知るための、質問タイムだ。兄貴が帰ってきたら、大した質問は出来ない。今のうちに、できるだけたくさん質問をしておかねば……


「では……」

「はい」


 軽く咳払いをした後、私は小春さんの顔を真っ直ぐに見つめた。だが……


「……」

「……」

「えーと……」

「?」


 困った……いざ質問しようとすると、何も思い浮かばない……はじめのうちは、とりあえず、ごくありきたりな質問からしていこうか……


「えーと、小春さん」

「はい」

「と、歳は?」

「雄二さんの一個下です。ですから、今年大学を卒業します」

「もう進路って決めたんですか?」

「一応、雄二さんと同じ会社で働きたいと思っているのですが……まだ内定はいただけてません。両親は『そろそろ花嫁修業を始めてはどうか』と言っていますけど、私は社会に出て頑張りたいので」

「好きな食べ物って、あります?」

「果物が好きです。この季節は特に桃が美味しいですよね」


 うーん……ここまでは普通の……というより、ガチお嬢様。ひょっとしたらこの人は、ホントにどこかの社長令嬢とかかもしれないなぁ……


「ご、ご趣味は?」

「クラシック音楽です。聴くのも好きですが、演奏もします」

「音楽やってるんですか?」

「はい。アマオケの『太陽の戦士フィルハーモニー管弦楽団』に、ビオラで参加してます」

「あ、あまおけ?」

「アマチュアのオーケストラのことです。私のような学生からお年寄りまで、幅広い団員で構成されてるんです」

「ほ、ほぇ〜……」


 や、やばい……ビオラが何かわかんない……なんてしどろもどろになっていたら……


「ぁあ、ビオラはバイオリンが一回り大きくなったものですよ」


 と、まるで桜の花のような、可憐な笑顔で小春さんは答えてくれた。薄ピンク色のふんわりした服に、桜のような小春さんの笑顔が、よく似合う……。


「よかったら、今度演奏会がありますから、真琴さんもお聞きにいらしてください」

「はいっ。でも、私にクラシックなんてわかるかなー……」

「大丈夫です。クラシックだけではなく、映画音楽やメジャーなポップスなんかも演奏しますから」

「そうなんですか? だったら大丈夫そう! ……ちなみに兄貴は?」

「はい。毎回欠かさず聴きに来てくれます」


 信じられん……あの、おっぱい一直線の兄貴が……


「ちなみに兄貴、何て言ってます?」

「えーと……この前の演奏会に来てくれた時は……」


――クラシックに馴染みはないが、

  小春たちの演奏は、小春のおっぱいの次ぐらいに美しい


「そう言ってくれました……」

「……」


 ちょっと恥ずかしいのか、小春さんはそう言ってほっぺたを淡紅色に染めていた。


 そしてそれを聞いた私は、気持ちがどんどん沈んでいった。なんだその最低の感想は……クラシックが美しいと思ったのなら、もっと他に言い方、伝え方があるだろう。なんだよその『おっぱいの次に美しい』って。小春さんは懐が深すぎる神様みたいな人だからいいのかもしれないが……それ、ただただキモいだけだぞ。聞かされてる私は又聞きなのにドン引きだし……


 ……しかし、この小春さんという人。なんかホントにお嬢様だな……それも、完全無欠のお嬢様だ。少女漫画から出てきたみたいな、正真正銘のお嬢様だ。


 今、小春さんは湯呑に手を伸ばし、静かにお茶を飲んでいるが……


「……ずず」

「……」


 湯呑の底に左手を添え、静かにお茶をのむその姿は、気品に溢れ、美しい。


「……くすっ」

「……どうかしました?」

「いや、なんだか、お見合いみたいだなーって思いまして」

「お見合い?」

「はい。真琴さん、なんだか真剣な面持ちで私に質問してきますし、その内容もね……なんだか、私と真琴さんがお見合いをしているみたいで……」


 そう言って柔らかく微笑む小春さんも美しい。微笑み方も美しく、ジョークもどこか気品が感じられる。


 この小春さんという人、まさに完全無欠のお嬢様……こんな人が、兄貴の彼女さんだなんて……


 ……さて、心のエンジンも温まってきたところだし、質問したいことも整理がついてきた。そろそろ本題に入ろうか。


「……小春さん?」

「はい?」

「兄貴とは、どこで知り合ったんですか?」

「大学です。学食でお昼を食べている時に、私の後ろの席で、数人のご学友の方と一緒に、雄二さんがお昼を食べていたんですけど……」


 ほうほう。そこで兄貴は小春さんを見つけ、一目惚れ……といった具合か。おっぱい大好き変態の分際で、ガチお嬢様の小春さんに一目惚れするなぞおこがましい。身の程を知れ兄貴よ。


 などと私が心の中で、恐れ多くもガチお嬢様の小春さんと結ばれるという、分不相応な暴虐をしでかした兄貴を断罪していたら……小春さんの口から、驚愕の真実が語られた。


「……そこで、私が雄二さんに興味を持ったと言うか……」

「は!? あの変態に!?」


 驚愕の事実をつきつけられ、私は思わず素っ頓狂な声をあげた。兄貴ではなく、小春さんから声をかけただと!? あの変態に!? 小春さんみたいな清楚なお嬢様が!?


 一体どんな天変地異が起こったんだ? 私は混乱する頭をフル回転させて、ここ数年の大災害の記憶をたどるが……駄目だ。どう思い出しても、数年前の震度3の地震しか思い出せない。あの時はちょうど親父が風呂に入ってて、恐れおののいた親父が大慌てですっぽんぽんで風呂場から走って出てきたという、苦味しかない思い出だが……


 だがよく考えれば、兄貴は顔と声だけはイケメンの部類だ。端正でシュッとしてるし、声だって中低音のイケメンボイス……私のクラスの女子たちの中でも語り草になるほどのイケメンな兄貴だから、小春さんが一目惚れしないとは言い切れない……そう思い直したのだが。


「私と雄二さんはちょうど背中を向けあって座っていたのですが……」

「なんですと!? 顔を見てないとな!?」

「ご学友の方との言い争いが私の耳に入ってきまして……」

「!!??」

「その哲学に触れて、『なんて素敵な考え方をする人なんだろう……』て、胸がときめいたんです」

「!!!???」


 困惑する私を置いてけぼりにし、小春さんは真っ赤な顔でうつむいて、両手の人差し指をつんつんと突き合わせていた。恥ずかしそうだが、目はしっかりうるうるしているので、今、二人の出会いを反芻し、幸せに浸っているのかもしれない。


 そんな様子を見ながら、私は思う。


 こんなお嬢様のハートを一発で射抜くようなことを、兄貴は口走ったという。それは一体何だ? 兄貴は、一体何を口走った?


「こ、小春さんッ!」

「はい?」


 私は小春さんの両肩を掴み、ガクガクと小春さんを前後に揺らして、彼女に事の真相を追求した。


「その時、兄貴は何て言ったんですか!?」

「へ……へ!?」

「兄貴はどんな言葉で、小春さんみたいな素敵な人のハートを射抜いたんですか!?」

「ぇえ!? ぇぇえ!?」


 この、兄貴にはもったいなさすぎるお嬢様、桜沢小春さんのハートを見事撃ち抜いたという、兄貴の言葉が気になって仕方ない。一体兄貴は、どんなセリフを口走ったのか。


 それが本当に素敵な言葉なのだとしたら……私は兄貴を見誤っていたということになる。だがもし……兄貴のセリフが、どこからどうみても変態的なセリフなのだとしたら……今私の目の前で、真っ赤な顔で目にちょっと涙を浮かべて、私の質問に困惑している小春さんは、兄貴並みのクリーチャー的存在ということになる……


 いわば、これは試金石。果たして、小春さんは本当に素敵なお嬢様なのか……それとも、兄貴に呼応し、ともすれば兄貴以上の変態性を発揮できる、いわゆるフリーク的存在なのか……


 しばしの沈黙の後……


「え、えっと……」

「……」

「……そのぉ……」

「……」

「ゆ、雄二さんには、内緒にしてくださいね?」

「もちろんですっ」


 観念したのか……それとも、私の無慈悲なプレッシャーに負けたのか……小春さんは恥ずかしそうに、ポツリポツリと、兄貴と初めて出会った学食での出来事について、語り始めた。

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