おじょうさま? それともかみさま? あるいは……

「はじめまして。雄二さんとお付き合いさせていただいてます。桜沢小春と申します」


 兄貴が連れてきた彼女さん……桜沢小春さんは、白とパステルピンクが基調のワンピースを着た、ふわっとしたガーリーな出で立ちがよくお似合いの、とても清楚で女の子らしい人だった。


「真琴。彼女が小春だ。小春。こいつは俺の妹で真琴という」

「真琴さん……ですか。はじめまして」

「は、はじめまして真琴です。あ、兄がいつもお世話になっております」

「いえいえ。真琴さんは高校生ですか?」

「は、はいっ。今年は大学受験が控えてまして」

「あら。大変な時期ですね」

「そうなんです……」

「でも大丈夫。こんなに優秀で優しいお兄さんがいるんだから」


 自己紹介でぺこりと下げた顔を上げ、そう言った小春さんは、柔らかくふんわりと微笑む。その様子に、変態の兄貴を飼いならす懐の深さや、変態性の凄みなどは感じられない。兄貴の彼女にしては清楚すぎる。予想以上の清楚さだ。


「真琴は男勝りな格好をしてはいるが、一応女だ。小春とも話が合うだろう」


 そして兄貴は相変わらず一言が多く、私の神経を逆なでしてくる。うるさい兄貴。男勝りって言うな。私はボーイッシュなんだボーイッシュ。そら今も短パンTシャツで、男の子みたいな格好してるけど。


「……でもよくお似合いですよ? そのボーイッシュな格好」

「そ、そうですか?」

「ええ。元気で楽しそうで、真琴さんの人柄がよく現れてます。私はこういう女の子っぽい服しか着られないので、少し、羨ましくもあります」


 そしてそんな兄貴の暴言を、小春さんは自然にフォローする。うふふとお上品な微笑みで、少しほっぺたを赤く染めながら。そして。


「雄二さんもそう思ってますよね?」


 と、兄貴に対して同意を求めていく。やばいぞこのヒト。これだけ清楚でおしとやかな感じなのに、すでに兄貴の操縦技術を身に着けているというのか? 兄貴が私のことを褒めるのか!? 


「たしかによく似合っている。タイトなシャツなら、おっぱいの曲線美も美しく映えるしな」


 兄貴……妹にそんな言葉はないだろう……いや、変態に期待した私がバカだったということか……


 その後『俺は茶の準備をしてくる』と台所へと消えていった兄貴を残し、私と小春さんは、二人で一緒に二階へと上がる。


「兄貴の部屋は二階でして。私の部屋の隣なんです」

「あら。ご兄妹、仲がいいんですね」

「そんなことないですよ。今日は小春さんが来るから部屋を片付けてたんじゃないかな。今朝は居間に来るのが私より遅かったですし」


 そんな会話をしながら、二人で並んで階段を登っていく。


「……」

「……」


 階段を登る最中、私は無意識のうちに、小春さんの胸へと視線を移した。


「……」

「……?」


 ……おかしい。小さい。私は、あのおっぱい大好き変態の兄貴のことだから、その彼女さんである小春さんは、さぞやおっぱいが大きいのだろうと思っていた。


 ところが、実際はどうかと言うと……


「……あの」

「……」

「なにか?」

「……い、いえ。なんでもないです」


 着ている服がふわっとしているせいもあるのかもしれないが……小春さんの胸は、どちらかというとぺったんこ……いや、ほんのり緩やかなカーブを描いているのはわかるのだが、少なくとも、私よりは小さい。ひょっとすると、うちのお母さんと同じぐらい……いやあるいは、お母さんよりも小さいのかもしれない。


「真琴さん?」

「あ、いや……」


 まぁ小春さんは私よりも背が小さいし、どちらかというと、いまぐらいの方がバランスが取れているのかもしれないなぁ……しかし予想外だ。おっぱい星人の兄貴の彼女さんが、実は控えめな方だったとは……


 と私が小春さんのおっぱいに関して色々と考えを巡らせているうちに、兄貴の部屋の入口前に到着した。したのだが……


「……うがッ!?」

「?」

「兄貴……これは……外しておけよ……ッ!?」


 私はもう見慣れたはずなのに……意味不明なプレッシャーを感じる『おっぱい教極東支部』の立て看板が、今日もこれみよがしに己の存在をアピールしていた。


 なんということだ……兄貴は私よりも後に居間に降りてきたから、きっとこの看板は片付けているものだと思っていたのに……!?


 ……まずい。まずいぞ……この立て看板、こんな清楚な小春さんが見たらドン引き間違いなしだ。この後の憎しみのドラマが目に浮かぶ。


――雄二さんがこんな変態だとは思いませんでした!! キモい! キモい!!


 鬼のように醜く歪んだ形相でそう叫んだ小春さんは、この家から走り去り、SNSで我が家の悪評を有る事無い事拡散し……あげく私達家族はネット上に身バレして、親父は失職……お母さんはストレスで心身ともに疲れ切り、両親は熟年離婚……私は傷心といじめで高校を中退した後、ズルズルと人生のどツボへと真っ逆さま……


 こ、ここは、なんとか言い訳を考えないと……正直、兄貴の将来なぞどうでもいい。だが自分と家族の人生は、私が守らなければならない……


 私が冷や汗混じりで必死に言い訳を考えていたら……


「ふふっ……」

「……?」

「……雄二さんらしいですね」

「!?」


 私の隣で静かに佇む小春さんは、ふんわりと優しい、まるで春風のような優しい笑顔を浮かべ、クスクスと笑っていた。


「こ、小春さん!?」

「はい?」

「こ、この看板見ても、何とも思わないんですか!?」

「確かにちょっと驚きましたけど、雄二さんが無類のおっぱい好きだということは、存じ上げておりますから。なんだかかわいいなぁって思っちゃって」


 驚愕した私の問いに対し、小春さんはくすくすと微笑みながら、優しくそう答えてくれた。


 信じられない……こんな清楚な女の人が、兄貴のこの看板を見てもドン引きするどころか、むしろ肯定的に捉えるだと……!?


「あ、あなた神様ですか!?」

「へ?」


 小春さん……なんという懐の広さ……思わず『あなたが神か』と聞いてしまうほどだ。やばい。私はこの人を見誤っていたのかもしれない。


 ……だが、まだ結論を出すには早すぎる。


「と、とにかく中に入りましょうか!」

「そうですね」


 看板を微笑ましく見つめる小春さんを促し、私たちは、ついに兄貴の部屋へと足を踏み入れた。


 久々に侵入する兄貴の部屋は、意外とキレイに片付いている。小春さんが来るからと、慌てて掃除した形跡はない。常日頃から部屋の中をキレイに片付けている感じが見て取れる。一見して、目立った落ち度というものは見当たらない。


 だが。


「う……!?」

「……?」

「なんだこれは……なんだこの意味不明な人生哲学は……!?」


 兄貴の部屋の中で、困惑する私と、期待に身を委ねる小春さんを待ち受けていたもの。それは……


――騎士なら受け入れ、愛し、そして守護せよ


 おそらくは兄貴自身の手によるものと思われる、見事な筆運びでしたためられた、一枚の書だった。非常に不快だが……私には、兄貴が何を受け入れ、愛し、そして守ろうとしているのか、即座に理解が出来た。


 もし、この意味を小春さんが理解できず、私にこの人生哲学の解釈を尋ねてきたら……どうすればいい……一体私は、どう誤魔化せばいいのだ……いやだ……こんな変態の妹だと思われるのも嫌だし、そんな変態の兄貴をかばわなくてはならないこの状況もいやだ……ッ!!


「……あのー」

「ひ、ひゃい!?」

「これは……どういう意味ですか?」

「い、いやあの……ッ!?」


 最悪の想像というものは、なぜか必ず実現してしまう。私が冷や汗をかき困惑していたら、私の隣の小春さんは、きょとんとした顔で件の書を指さしながら、不思議そうに私に問いかけた。


 私も必死に言い訳を考え、なんとかこの場を取り繕おうとがんばるのだが……所詮私は、極めてノーマルな一般人。変態の兄貴の人並み外れたフリークスな面をうまい具合に擁護出来る嘘など、そうそう思いつくはずがない。


「えっと……その……」

「……」

「……えーと、ですね……」


 そうしてしばらく、私と小春さんの間に、私しか感じることのない気まずさが蔓延し始めた頃である。


「……」

「……あ、なるほど」


 小春さんが、右手で作った拳を左手の平の上にポンと置いた。そして……


「ふふ……」

「……」

「もう……雄二さんったら……」

「……!?」

「素敵なひと……」

「!!??」


 小春さんは、ほっぺたを淡桃色に染め、うっとりとした眼差しで、兄貴作の意味不明な書を見つめた。目はうるうると輝き、胸のときめきを抑えきれないといった感じだ。


「小春さん!?」

「は、はい?」

「あなた大丈夫ですか!?」

「な、なぜ?」

「だって……!」


 『あんな意味不明な人生の標語、素敵じゃなくてただキモいだけでしょー!!??』という私の心の叫びは、ついぞ口に出せず……


 やばい。この小春さんという女性、私が思っている以上に一筋縄ではいかない人物だ。まさか兄貴の変態アイテムに対し、ドン引きするどころか『素敵』と言い切り、さらにうっとりと見つめ、感動すら覚えるとは……


 この人は一筋縄ではいかない……必要以上に懐が深い仏のような人物か、もしくは兄貴と同等……いやそれ以上の変態……前者ならばいいのだが、後者の場合、私はこの脅威にどう立ち向かえばいい……


 ここに来て、私はトシくんとのデートをキャンセルしたことを後悔していた。こんな得体のしれない人の相手をするぐらいなら、デートをキャンセルしなきゃよかった……黙って『用事があるから』と言って、小春さんとの会合を断っていればよかった。


 しかし、始まってしまったものはもうキャンセルは出来ない。私には、心の中で憧れのトシくんにヘルプを訴えつつ、しどろもどろになりながら小春さんの相手を続けることしか、出来ることはなかった。


「……助けてトシくん……ッ!!」

「どうしました?」

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