ヤタガラスとクシナダヒメ


 ――此処に来てからどれくらい経っただろう。

 長い間、メンテナンスされず、ボロボロになったビルの屋上。端の柵にもたれかかり月に照らされながら、夜空を見上げる少年――八咫やた・ダミアン・クレーエ。

 癖っ毛の太陽じみた金髪/寂し気な黒い瞳/青地に白で漢字キャラクターが描かれたTシャツ/まだ使い古されてはいない紺のジーンズ/ブランド物の白いスニーカー/無骨な軍の制服を無視して行った少年のテキトーでラフな服装チョイス

 オーストリア軍より、此処「日本」に派遣された兵士。本来ならば、戦災で荒廃し、核汚染に見舞われ、挙句の果てに国土放棄にまで至り〝東アジアの死体〟とまで呼ばれるこの場所に軍が派遣される事など無いはずだった。しかし、が発表されると、国連の平和維持軍、除染作業などを行っていたその復興支援部隊を、の武装集団が襲撃する事態が発生。さらに、それに使用された兵器に『PRINCIP INC.』の刻印、つまり「プリンチップ社」――存在しない幽霊ダミー会社、テロ支援組織――製だと分かり、改めて対テロを担当する部隊の派遣が決定、オーストリア軍がその任務を受ける事に。

「やっぱりここにいた」

 屋上の扉を開けて踏み込んでくる少女――串灘姫乃くしなだひめの

 漆を塗ったように黒い髪/ダークブラウンの瞳/袖と裾を捲った上下の作業服/部隊から支給プレゼントされたバッグ/地味というよりは、機能性を重視した結果、見た目などどうでもいいという結論に達した形。

 八咫をサポートしている現地協力者、彼に日本語を教えたのも彼女である。

「……下から見えてたんだろ? こっちからも見えてた」

「そりゃね、キラキラしてたよ髪の毛」

 実は彼女に見つけてもらうため必要以上にそうなるよう髪を染めていた。

 ――他人に知られたら子供っぽいなどと思われてしまうのだろうか。

 八咫は、時折こうして、誰にも行き先を告げずに、近くをうろつくという事を、既に何回も繰り返していた。そして、その度に彼女に探し出されては、連れ戻されている。最初はそんな意図はなかった。軍のベースが居心地悪く、飛び出したのが最初で、その時、八咫を連れ戻しに来たのが現地協力者である姫乃だった。それ以来、続くこのやりとり。

 もう互いにルーチンワークになりつつあるこの行為が、八咫にとっての精神安定剤となっていた。

「はい、コーヒー」

 姫乃はバッグから水筒を取り出すと、黒い液体を一緒に取り出した紙コップにそそぐ、八咫に手渡す。

「ダンケ……じゃなくてありがとう、でも、できれば前作ってくれた……なんだっけア……アオ?」

「青汁のこと? とびっきり苦いのが飲みたいっていうから作ったけど、本当はお茶かなにかにしようと思ってたのに、あれそんなに良かった?」

 八咫はゴーヤーという野菜などを入れたとびっきりの苦み重視のブレンドドリンクを思い出す。

「ああ、旨かった」

 なんかおかしいか? といった身振りで返す。姫乃は。別にそんなことはないと、手振りで示す。渡されたコーヒーを飲みつつ、話題は変わる。

「最近、仕事も減ってきたね」

 姫乃が八咫の横に付き、同じように柵にもたれかかる。

「『なかま』のおかげだろうな」

 『朋』とは最近、日本に運び込まれた代物で、それは海外にも多くの拠点を持つ日本企業が中心となりの下で作られ、復興の一環として戦災で壊れた都市の再設計のシミュレーションなどを行うための運用が演算装置である。だが、この『朋』が日本に直接、運び込まれる計画が明らかとなった時から、それを阻止するかのように武装集団が蜂起、つまり、予定されていたというのは、『朋』が、本来の用途とは違う武装集団への対処に使われてしまったということだった。敵兵器を電子的支配により無力化することは、皮肉にもそれが復興目的で送られてきたはずの『朋』の性能試験のような状態に。

 そして、自らの能力を発揮し敵兵器のハッキングに成功した『朋』は、そのデータから。敵の潜伏拠点の一つを見つけ出すという功績までもを挙げ、その性能が十分であることを知らしめた。つまり、それゆえに八咫の仕事も落ち着いてきたという事だった。

「そういえば、今まで聞いたことなかったけど、八咫ってどうして八咫って言うの? 日系でもないんでしょ?」

 純粋な疑問、オーストリアでは当たり前でも、こっちではあまり知られてないのか。

「文化委託だよ、保てなくなった日本の文化を、こっちで維持してる、それで国連から保全予算が入って、キャラクター……漢字名を名乗れば毎月の保全金と社会保障が支払われる……というか、俺のほうがずっと疑問だったよ、なんで純日本人が生き残ってるのかって」

 ちなみに余談だが、その漢字名は二十五歳の準成人時にミドルネームに、三十五歳の成人時にセカンドネームになる。

「別に、国がなくなったからって、日本人が絶滅したわけじゃないよ……っていっても私も純日本人ではないかな、お祖父ちゃんはドイツの人だし、それでさ、これも前から思ってたんだけどさ、その八咫って自分で付けたの?」

 どこかワクワクとした感情をちらつかせながら疑問を放つ姫乃。

「いや、文化委託局がランダムに決めたけど……それが?」

 八咫の言葉を聞いた瞬間、なぜかパッっと姫乃の顔が明るくなった。

「じゃあ偶然? 偶然、八咫で、クレーエなのね⁉」

 なぜか人の名前を嬉しそうに言う姫乃。

「いや、ダミアンはどこにいった、成人したらそっちが名前だ」

「ごめんごめん、でもさ、知ってた? 八咫の烏 八咫烏って神様のお使いのなの、偉い人を導いたのよ。そんな名前に、しかも偶然なったなんて素敵だと思わない?」

 その笑顔は、とても眩しくて、見つけやすいようにとキラキラにした自分の金髪のよりも圧倒的に眩しくて。

――ああ、きっと彼女が素敵だというならば間違いなくそれは素敵なことなのだ。

 、八咫は思った。

「俺が導けるものなんて、何もないけどな」

 あくまで言葉では、反発して返す、しかしこの返し方なら素敵だという部分の否定にはならないだろうという思考。

「ううん、そんなことない、八咫は私たちの希望だよ、八咫がいなかったら今頃……」

「そろそろ戻るか」

 姫乃の言葉を遮り、柵から離れ、屋上の出入口を目指し歩く。それ以上先を聞いてしまったら、。黙ってついてくる姫乃、しかし、その時だった。軍の活動拠点ベースから無線通信が入る――顎骨に移植された通信機――お上からのお告げ。

《急いで戻れ太陽ゾーネ! 敵性の大型兵器の起動を確認!》

了解ヤー

 仕事が減っただのなんだの言った矢先からこれである。残りのコーヒーを一気に飲み干し、嚥下、空になった紙コップを潰して放り投げた。姫乃は、それを器用にキャッチした。

「もう、ポイ捨てはダメだってば」

「悪い、じゃ行ってくる」

 八咫が空に手を伸ばす。

《転送を開封》

 手足がエメラルド色の幾何学的な輝きに包まれる――機甲に一瞬で置換された。

 オーストリアでは超少子高齢化による人材不足のため、児童に労働の権利を与え障害を持つ児童を無償で機械化する政策が発表された。

 そして優秀な機械化児童には〈特殊転送式強襲機甲義肢〉通称〈特甲トッコー〉。を与えた。

 男児は軍属となることが多く、紛争地域などに派遣されている。

 まさしく今の八咫のように。

 全身を包む漆黒の機甲、頭はフルフェイスのヘルメットで覆われている。

 その背中には漆黒のカラスアゲハのフェデール

 右腕と一体化したプラズマライフル。

 姫乃を一瞥した後、一陣の風だけを残し、八咫は闇夜を飛んでいった。

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