第20話 暴走。
サニアは走っていた。
可能な限り、《カナリア》たちをライアーから離すため。海岸線までの最短距離を計算し、とにかく走らせた。
息切れするのも構わず、全力で。
「お、おい、あのクレイジージャックって、大丈夫なのか? 瞬殺されて終わりとかじゃないよな?」
「大丈夫だと思います。あの人は、なんの勝算もなく挑むような人じゃないですから。確かに色々とぶっ飛んでますけど」
海岸線のボートに辿り着いて、サニアは肩で息をしながら答える。
ワニ男たちもほとんど倒れこむ勢いだ。意外だったのは、《カナリア》が多少息が上がっている程度ということだ。かなり鍛えている証拠だ。
思わず見つめると、《カナリア》は少し気まずそうに顔を背けた。
「ボーカルって……体力、資本なんで……」
「あ、そうなんですね」
「それより、早くここから逃げないと」
何かを感じているのか、《カナリア》は警戒している様子だった。
サニアはそれに従い、すぐにボートのスイッチを入れる。
その、刹那だった。
幾重もの打撃音が重なって爆裂したかのような、耳と腹に残る轟音。
なんだ、と思うより早く、バウンドしながらこちらに迫って来る影が一つ。言うまでもなく、クレイジージャックだった。
まるで力ない人形のように、手足をだらんと伸ばしながら地面を何度もバウンドし、最後はもんどり打ってようやく止まった。白いスーツは、すっかりと汚れてしまっていた。
「クレイジージャック!?」
関節が外れたか、折れたか、手足が割と危険な角度で曲がっている。
サニアは慌てて駆け寄る。
「っ……あは、あっははははははははは――――っ!」
が、サニアが辿り着くより早く、クレイジージャックは哄笑を上げて飛び上がった。空中で手足を修復し――やはり関節が外れていたらしい――て見事に着地する。
だが、荒々しい息遣いと、上下する肩から、相応のダメージは見えた。足取りも重い。
にも関わらず、クレイジージャックのテンションは凄まじく高かった。
見えるはずもないのに、赤黒いオーラが見えた。
その凄まじい威圧に、サニアは後ずさった。これ以上近寄れば窒息する気がした。
「まったく……しつこいな」
森の影から、ライアーが姿を見せる。彼もまた、肩口が真っ赤に染まっていたり、全身が汚れていたり、ダメージが大きい。
サニアどころか、ワニ男たち、《カナリア》までもがその姿に目を見張った。
特に《カナリア》の驚きは大きかった。初めて見るからだ。
あのライアーが傷ついている姿など。
それだけに、クレイジージャックの背中を、畏怖の視線を持って見ていた。
「私……あのライアーと保護されてから、そこまで日にち経ってるワケじゃあないけど……アイツがあんなに必死なの、初めて見た」
「っていうか、世界最強に傷をつけるとか、意味分かんねぇ……」
「アイツに狙われたら最後、意味も分からず死ぬって話なのに……」
《カナリア》の言葉を皮切りに、ワニ男たちも口々に言う。
「そりゃそうよ。アイツの能力は《空使い》。全てを嘘に出来るトンデモ能力。相手をバラバラにすることも、能力を使えなくさせることも出来る。一瞬で八つ裂きにすることだって」
「それだってぇのに、なんでアイツは生きてられるんだ……? っていうか嗤ってるし」
ワニ男は愕然としながら声を漏らす。
そこはサニアも同意するところだ。
「サイッコーだ、サイッコーだぜ、ライアー!」
「こっちからすれば最悪だけどね。何度八つ裂きにしようとしても爆裂しないし、なんど空気の拳で全身の骨が粉々になる勢いで殴りつけても無事だし。二十回くらいは殺してるはずなんだけどね」
「はっはっは――――っ! そりゃそうだ。俺は一回死んでるからな」
クレイジージャックは自分の首をトントンと手刀で当てる。
「そんな生ぬるい方法じゃあ、俺は殺せねぇぞ」
「……なるほど、あの人が言っていた通りだ。どうやら君は僕にとって脅威らしい」
「そいつぁ光栄。けどさぁ、そろそろしんどいんだわ。何回戦も出来るほど、俺、元気じゃないのよね。一回一回が濃厚だから」
「何の話をしてるのかな?」
「あぁ? 決まってるだろ」
クレイジージャックはハンドガンを抜き構えながら、嘲笑う。
「殺し合いだよ」
瞬間、クレイジージャックは全身から稲妻を放って地面を爆裂させ、特攻する。
「さぁ、楽しもうやっ!」
「断るっ!」
ライアーが腕の一振りで、土塊の煙をかき消す。
更にもう一振りでクレイジージャックに干渉を仕掛けた。鈍い音を立てて、接近戦を仕掛けてきたクレイジージャックが潰される。
地面が窪む程の威力だったが、クレイジージャックはすぐに起き上がった。
「ちっ、本当に硬い!」
「ひとつ。お前の能力はチートだけど、干渉の持続時間そのものは短い。そして次を発動させるまでに、僅かだがタイムラグがある。早漏のクセに次まで時間かかるとか、お前実は結構な歳なんじゃねぇの?」
クレイジージャックは腰からまた発煙筒を取り出して投げつける。同時に一瞬だけ振り返り、サニアを睨みつけた。スモークディスチャージャーの要求だ。
サニアはほとんど反射的に動き、近くのコンクリートを穿って、それを素材に両手を変形させる。
シュー、とスプレーの噴射音を立てて、発煙筒から煙が吐き出され、あっという間にライーアの周囲を包み込む。
クレイジージャックは素早く移動し、その煙の中に飛び込んだ。
「何度も、何度もっ!」
「効果的だったら使うだろ? 殺し合いってのは、自分の得意を相手が死ぬまで押し付けることだ。理にかなってるだろうがぁっ!」
煙幕が薄くなる。が、消えるワケではない。
「ふたつ。お前の能力は、現実世界の物質にはあまり効果がない」
これはライアーの能力がカオス粒子に干渉するということの証左だ。だからこそ、現実世界の物質で構成されているクレイジージャックにほとんど効果がない。
また舌打ち。
今度は風を起こしたのか、煙幕が強引にかきけされる。その風はクレイジージャックを翻弄するが、即座にバックステップして範囲外から逃げて。
待っていたと言わんばかりにハンドガンから青い閃光を放つ。
瞬間、ライアーは超人的な反射神経を発揮して回避運動を取るが、クレイジージャックの狙いの方が鋭い。立て続けに放った弾丸は、ライアーの回避先にあった。
歪むライアーの顔。それでも、強引に身体を捻る。
弾けるような音を立て、弾丸はライアーは太ももの端を削った。
「……ぐっ!」
苦痛の顔で、ライアーはその場に膝を屈した。
削られた腿から、血が滲み出てくる。侮れない出血量だ。
「みっつ。お前はお前自身に能力を影響させることが出来ない」
クレイジージャックは再び接近を試みる。
だが、ライアーは片足とは思えない機動力で大きく後ろに下がった。
「だから、お前は傷付くことを恐れるし、短期決戦で勝負をつけたがる」
「本当に、良く分析してる……君の方こそ、僕のことが好きなんじゃないか?」
「はー? 俺はちゃんとずーっとお前への愛を語ってただろうが。それを無視してたのそっちじゃね?」
「あれを愛と語るには、いささか軽薄すぎないか?」
「ばっか! お前ばっか! だから童貞なんじゃねぇの! 愛に軽薄なんてねぇよ、総じてネチャネチャでドロッドロだよ!」
クレイジージャックは偏見を語りながら接近していく。
だが、やはりライアーに拒絶された。
「お前の《カナリア》に対する愛もそうだろ?」
「それは違うな」
「違わないね。お前は《カナリア》を自分の手元に置こうとしてる。それが理由だろ」
「僕はただ、《カナリア》が狙われていて、それから庇っただけだ」
「おいおいおいおい、ここにきてそれはねぇだろ。ムッツリスケベ通りこしてもうアレだな、なんかねちょねちょスケベだな。カビ生えて粘液まで出してそうだ」
「……失礼だな!」
その時だ。
サニアのスモークディスチャージャーが完成する。時間がかかったのは、サニアなりのアレンジを加えているからだ。カオス粒子があるからこそ、使えるものだ。
ばしゅう、と音を立てて、煙幕が発生する。
「また煙幕かっ、いい加減っ!」
「おーっと、言っとくけど、コイツも俺の煙幕と一緒だ。消せねぇぞ」
「……このっ!」
ライアーが力任せに風を起こす。
だが、煙幕は一瞬こそ薄くなったが、すぐにその濃度を取り戻した。煙の向こうで、ライアーの動揺が伝わって来た。
カオス粒子を応用して、互いに引き付け合う性質を煙幕に持たせたのだ。
もちろんこうすると、カオス粒子の配合が異様に多くなり、ライアーの打ち消しをモロに受けてしまうのだが、クレイジージャックがそれを言葉で回避させた形だ。見事なファインプレイである。
「……――っ!」
「よっつ。単純バカ」
「いい加減にっ!」
ライアーが怒りのまま、煙をかき消す。
ギリギリと歯ぎしりをした後、もう片方の腕を振って自分の周囲に暴風を発生させてクレイジージャックの接近を拒む。
「おおっと、愛の風が強すぎるんじゃねぇの?」
クレイジージャックに嘲る調子は消えない。なぜならば、悪戯に、先ほどのような罠に嵌めるためだけに単調な攻撃を繰り返していたワケではない。
煙幕は、狼煙になる。
警報を伴って、
慌ててサニアは自分たちの周囲にも煙幕を張り、両腕をライフルに作り変える。
直後だった。
凄まじい熱と、凄まじい氷が襲いかかったのは。
「「ライアーっ!!」」
重なった怒りの声は、《キング》と《ボス》のものだった。
あっさりと倒されたはずの二人が、舞い戻ってきたのである。おそらく、意識を取り戻してすぐに。
ライアーは風を解除し、腕を振ってその熱と氷をかき消した。
「はっはっはっはっは。やっぱりこうなると思ってた。単純な図式だ。《カナリア》を手に入れるためには、お前が一番の障害だ。だったら、一時的にでも共同戦線をはって倒す」
「……煙幕をずっと使ってたのは、居場所を報せるため……!」
「ひゃーっはっはっはっはっは! 分かった? やっと分かった!? 当たり前だろバカかお前はこの俺がこんなしんどい戦いをいつまでも続けるわけねぇだろうが!」
腹を抱えながらクレイジージャックは嗤って嘲る。
瞬間、《キング》と《ボス》の二人は同時にそのクレイジージャックへ攻撃を開始する!
硬直はほんの僅かで、慌ててクレイジージャックはアクロバットに飛び跳ねながら攻撃を回避した。
そのド派手な攻撃は、ド派手な轟音を呼び起こす。
悲鳴を上げながらクレイジージャックはなんとかその攻撃をやり過ごすが、爆風に煽られる。その風に乗りながら側転を決めて着地するが、勢いを殺しきれず地面を滑った。
「バッカ、何考えてんの、アホなの!?」
「黙れこのクソカスが。貴様に踊らされるつもりはないということだ」
「そういうこと。僕は君の玩具じゃないんだからね?」
おどろおどろしい殺気を纏いながら、二人は着地する。もちろん間髪入れず氷と熱の攻撃をライアーにけしかける。
その容赦のなさは寒気がする程だったが、ライアーは腕の一振りでまた消し去った。
「ちょっと情けをかけて生かしておけば……ふざけた真似を!」
「そっちも死にかけてるくせに、良く言えたもんだね!」
「始末してくれる」
吐き捨てるように言い、二人は猛烈な攻撃を仕掛ける。
凄まじい炸裂音が響く中、ボートのエンジン音がした。クレイジージャックはほくそ笑む。自分たちの任務は《カナリア》を逃がすことだ。それさえ完了すれば、もう用事はない。退却するだけだ。
一切の容赦のない攻撃が、次々と地面を塗り替えていく。
ライアーは後ろにじりじりと下がらせられながらも攻撃を無力化していく。だが、二人の波状攻撃の方が素早く、捌き切れないでいた。
彼が全快の状態であれば、恐らく問題はなかった。
だが、少なからずクレイジージャックに疲弊させられ、肩と足に大ダメージを背負い、精神的にも追い詰められている今、それだけのキレは無かった。
地面に霜柱を作りながら氷が迫り、片足を捉える。逃さず、凄まじいばかりの熱がライアーの上から襲う。咄嗟に腕で庇うが、嫌な音を立てて腕の皮膚が蒸発する。
「っつぅ……っ!」
ライアーがその場に膝をつく。
それでも矜持か、腕を振って更に迫って来る氷と熱をかき消した。
「そうなったら最強も形無しだね?」
立ち込める煙の中、堂々と立っているのは、《キング》だった。
やや離れて、《ボス》も両腕に熱を宿らせながら鼻を鳴らす。
「今ここで貴様を終わらせておけば、《ヨコスカ》での行動もやりやすくなる。恨みも腐るほどあるからな、自分の罪を数えて――死ね」
ゆっくりと《ボス》が間合いを詰める。
「あのさ、いかにも自分らの手柄っぽく言ってるけど、そいつ弱らせたの俺だからな?」
「うるせぇ。コイツが終わったらテメェだ」
「そういうこと。終わったら君。そして《カナリア》は僕が手に入れる」
「あ? ここで俺が始末するんだよ。勘違いすんなクズ」
「……どうやら、この二人を殺したら、君を殺さないといけないようだね?」
「デカい口叩くんだったら、デカイ口を叩けるだけのナリになってから言えや? な?」
バチバチと二人が火花を散らすのを見て、クレイジージャックは肩をすくめた。
本当に犬猿の仲である。
「……そうか……そうやって……僕を無視するのか……」
ぱきん。
――氷が、否。周囲が弾けた。
ライアーはゆっくりと立ち上がる。
「この程度で、僕を追い詰めたつもりになったのだとしたら、あまりに愚か」
地面が、剥離していく。
空気が、融解していく。
閃光が、屈折していく。
暗闇が、侵食していく。
――世界が、戦慄していく。
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