第16話 心の随意、世界分水嶺

「おらぁぁぁぁあ!」


 豪快な威嚇を放ちつつ、まず三人が飛びかかってくる。左右と正面。クレイジージャックは嘲笑うクラウンマスクの奥で、楽しそうに目を見開いた。

 一瞬だけ止まる息、時、世界。

 それだけで全てを察したクレイジージャックは、歪むように屈み、身体を投げ打つかのような気妙な動きで前に突進した。伸びるような、蛇のような機動。


「――なっ!?」


 バールを振りかぶっていたワニ男の顔面に、クレイジージャックは後五センチ近寄ればキス出来る程の距離に詰めて止まった。

 間近で嘲笑うクラウンマスクを見せつけられ、ワニ男が怯む。


 刹那。


 勝負は決していた。

 無造作に放たれた捻りの入ったボディブローが、鳩尾を衝撃で貫通させる。

 声なき、空吐。くの字に曲がる体躯。

 クレイジージャックはそんな反射的な反応よりも更に早く動いていた。


「はっは――――っ!」


 ぐるりと一回転しながらのバックハンドブロー。

 まるで決めポーズを決めるかのような動きでワニ男は顔面を打ち抜かれ、そのまま意識を飛ばされて崩れ落ちた。


「この俺とがっつりやりあうんだろ? やりあうんだろ? 楽しもうぜぇ!」


 だらりと腕を下ろし、猫背姿勢になったクレイジージャックは、またも顔面から相手に突っ込んでいく。

 今度は反応され、金属バットが振り下ろされるが、クレイジージャックは構わずに顔面で受け止めた。へしゃげる音。そして。


「んがっ」


 上がる、ワニ男の苦痛。


「おいおい、もうちょっと殺す気で殴らねぇと、本気で痛くねぇぞ」


 クレイジージャックは自分のマスクを指でとんとんしながら言い放つ。

 そしてひん曲がった金属バットを投げ捨て、背後から襲い掛かってきていた一人を迎撃、頭をすっ飛ばして後ろ向きに倒れさせた。

 クレイジージャックは耳をほじくるような仕草をしながら、あくびを一つ。


「義憤にかられてケンカ売って来る根性までは買ってやるけどさ、だったらもうちょっと鍛えておくとか、それなりの腕立つヤツを用意しておくとか、そういうのしとけよ」


 呆れつつ、転がって来たバールを片足で止める。

 サニアもちょうど二人程制圧したところだった。


「正直に、弱いですねぇ……ちんぴらって所です」


 腕の関節を極めながら、サニアは油断しないで言う。


「チンピラどころかキンピラゴボウの焦げっカスだコイツら」


 クレイジージャックも嘲りつつ、前に出る。鼻歌まで入れられる余裕っぷりだ。

 とはいえ、相手方の戦意は削がれていない。

 驚いてはいるが、未だにその目はギラギラと敵意剥き出しだった。


 ――これは、やっぱ何かあるな。


 これだけの戦力差を見せつけられたら、単なる復讐ならあっさりと戦意を折られて逃げているだろう。捨て台詞の幾つかでも吐きながら。

 だが、それがない。

 つまり、負けても、殺されても、それでもクレイジージャックを叩かなければならない。それほどの覚悟をさせる、許されないナニかがある。

 当然クレイジージャックにそんな恨みを買った覚えはどこにもない。だからこそ手加減して、相手の命を奪っていないのである。


「おーおー。これはあれだ、俺のグレイトゥなfxxin senceがビンビン反応してるわ」


 ニヤニヤと顎を撫でながら、クレイジージャックは無防備なくらい、更に前へ出る。


「あのさ、悪いんだけど、俺、お前らにそーんな恨み買った覚えないんだわ。だから教えてくれねぇかな。ああ、タダで、とは言わねぇぜ」


 拳を鳴らしてから、ファイティングポーズを取る。

 その並々ならぬ迫力に、相手どもは一瞬だけ怯んだ。クレイジージャックはすかさず指先をちょいちょいとして「かかってこいや」と挑発する。


「俺一人でやってやる。お前ら全員でかかってこい。お前らが勝ったら、俺は素直に殺されてやるよ。拷問にでもなんにでもかけやがれ。その代わり、俺が勝ったら、なーんでここまでしたのか、吐いて貰うぞ」


 落ちたのは、沈黙と迷い。


「あ? なんだ、腰抜けか? 実は軟体動物か? だったら良く立ってられるなぁ、驚きだぜ。ちょっと記念撮影していい? 二足歩行できる軟体動物と交流! みたいな感じでインスタに載せるから」

「上等だコラァァアァァアア――――っ!」


 すかさず入れた挑発に反応し、一人が飛び出す。呼応されるように、全員が叫びながら飛びかかってきた。

 背後でサニアが臨戦態勢を取ったが、クレイジージャックはさっと片手を伸ばして制する。


 ふりをした。


 直後、その伸ばした手から稲妻が迸った。

 空気が悲鳴を上げ、黄昏色の世界が一瞬だけ、青白く照らされた。耳障りな振動音にも近い炸裂音。

 後は、ぷすぷすと香ばしく煙を上げて倒れるワニ男の連中だ。


「え、ちょ、さっきまで格闘でやってやるって感じだったのに……」

「は? バカか。俺がいつそんなことを言ったよ?」


 背中を反らしてサニアの方を向き、逆さまに映る彼女へ舌を出す。


「そんなメンドクセーこと俺がするはずねぇだろ。電撃で一発ぼーん! だ」

「身も蓋もない!」

「うるせぇな、勝負方法まで綿密に決めてねぇんだから構わねぇだろ。俺は卑怯なことはしていない。正々堂々っていうのはな、自分の得意を押し付け合うってことなんだよ」

「真理ですけど、それは真理ですけどっ……くぅ」


 言い返す言葉が見つからず、サニアはがっくりと膝を折った。

 そんな彼女を無視し、クレイジージャックは近くで倒れている一人の男の前に腰を落とした。一応呼吸を確認するが、ちゃんと無事だった。

 クレイジージャックはデコピンを一発入れて意識をしっかり覚醒させる。


 びくっ、と男は驚きながらも、痛みに身体を震わせた。


 どうやら動けるダメージではなさそうだ。

 クレイジージャックは少しだけ気まずそうに頬を指でかいた。


「あー悪い。ちょっと強すぎたかもしれねぇ。思ったよりも弱かったんだな、お前ら」

「テメェ……!」

「ナチュラルに煽ってどうするんですかぁ……」

「仕方ないだろ。俺の個性だもん。何、俺の個性奪うの? 奪っちゃうの? やだなぁそういうの。時代に合ってないよ?」


 悪びれる様子なくクレイジージャックは反論する。


「話がそれていくだけですから、戻しましょう」

「それもそうだな。ということで、オイ、おっさん、起きろ」


 頬をぺちぺち叩いてから、クレイジージャックは訊ねる。

 ぞんざいな扱いにワニ男は不快に顔を歪めるが、クレイジージャックに気にする様子はない。


「ぐっ……!」

「約束は約束だ。守ってもらうぞ。なーんで俺を襲ってくれたりしたワケ?」


 膝に肘を置き、頬を突いてクレイジージャックは気怠そうにした。


「……すこしで……後少しで、《カナリア》を、助けられる、とこだった……んだ!」


 そう吐き捨てた言葉からして、衝撃的だった。

 恐ろしいまでの情報がクレイジージャックとサニアにもたらされる。まず、《カナリア》の存在の肯定と、《ヨコスカ》にいるという確信。そして保護されているという事実。


 どういう目的かは知らないが、あの機械を使った何かが切り札だったのだろう。


 それを無下にしたワケだが、クレイジージャックは何も思わない。

 どうであろうと、人為的に《ブレイク》を引き起こしたのは事実だし、連中の方から攻撃を仕掛けてきたのだから。


「どういうことだ?」

「《カナリア》を守るため、必死に隠しに隠して、汚いことまでして、《マフィア》の連中から、資金を手に入れて、俺たちは、あの機械を手に入れた」


 あの機械、とは言うまでもなく人為的に《ブレイク》を引き起こす例のものだろう。


「なんでそんなことしたんだよ」

「東京駅だ。東京駅をコピーして、それを鳥籠にしようとしてたんだよ」

「……なるほど、東京ダンジョンか」


 東京駅とその地下は迷宮だ。

 それを利用して、《カナリア》を保護しようとしたのだろう。理屈としては理解できるが、やはりぶっ飛んでいると言わざるを得ない考え方だ。


「またとんでもないことを……」


 だがそれは脆くも失敗した。

 クレイジージャックは納得していた。だからこそ、あの時、あの機械を《マフィア》の連中が探っていたのか、と。

 つまり、色々な意味で《マフィア》は情報を掴んでいる。クレイジージャックが当初予想していたよりも、はるかに。

 確信を持った。


「それで、俺を狙ってたってワケか」

「テメェのせいでこっちはかなり弱くなったからな……本当はもっと力を蓄えてからって思ってたんだよ……このボケが!」

「それで? その《カナリア》は今どこにいるんだ? その口ぶりじゃあ、《カナリア》を保護出来なかったって口惜しがってるからな。お前らんとこにはいないんだろ?」


 ずばり見抜くと、ワニ男は驚きに目を見開いた。

 クレイジージャックの洞察力を舐めてはいけない。こと、心理を見抜く力に関しては。


「……ああ、今、《カナリア》は一番安全な場所にいる……」

「ほう?」

「空使いのところだ」

「……なんだと?」


 今度驚愕したのは、クレイジージャックの方だった。


「あの最強が、保護してやがるってのか」

「そら、つかい?」


 どうやらピンと来ていないらしいサニアに、クレイジージャックはさすがに若干苛立ちを覚えた。まさか知らないとは。

 クレイジージャックはゆっくりと起き上がる。


「――この異世界ニアにおいて、最強の個体がいる。それは《マフィア》の《ボス》でも、《ギャング》の《キング》でもねぇ」


 自然と声が低くなる。喉がひくつく。

 あのクレイジージャックでさえ戦慄する。それだけの相手という意味だ。


「《空使い》のライアー。全てを《嘘》にする最悪の能力者だ」


 沈黙が落ちる。

 サニアも思い至ったからだろう、顔を青ざめさせていた。当然である。政府も最大警戒対象としてマークしているはずだ。

 だが、本人はまさに神出鬼没。

 にも拘わらず有名なのは、特殊な方法で依頼を行えば、必ず依頼を完遂する暗殺者だからだ。その現場は常に、このクレイジーでアナーキーな異世界ニアにおいても異常で知られ、畏怖に拍車をかけている。


「だったら、任せておけばいいんじゃねぇのか?」

「……ざっけんな……《カナリア》は……あの子は……俺たちの《歌姫》だ……」


 短絡的な思考を口にすると、ワニ男は強い否定を口にした。


「あんな、あんな血の臭いしかしねぇヤツに、囚われて、いていいワケねぇんだ……!」

「けど、あの《カナリア》は、世界を変える力があるんだろ?」

「んなワケねぇよ」


 敢えて大仰にクレイジージャックは言うが、ワニ男は即座に否定した。


「あの《カナリア》にそんな力はねぇ」

「けど《マフィア》も《ギャング》も動いてるぞ」


 事実を突き付けると、ワニ男は苦々しい表情を浮かべた。

 仮にその《ブレイク》が発生させる力が無いとしても、そう思わせるだけの何かはあるはずだ。クレイジージャックはそこを指摘する。

 しばらく躊躇するようにワニ男はクレイジージャックを睨むが、何一つとして動じる様子を見せないでいると、ワニ男は勝手に折れた。


「……《カナリア》の歌声だ。彼女の声は、混沌カオス粒子を集める力がある」

「おい、おいおいおい」

「もちろんそれは、ちょっと連中のテンションを上げるくらいのモノでしかねぇよ。ほとんど意味なんてねぇ。ただ、周囲をちょっと気持ち良くする。そんな能力だ」


 だが、それを鍛えに鍛えたら。

 もちろんいずれは、《ブレイク》さえ発生させられるような能力になるかもしれない。


「叶えられるかもしれない程度の可能性が尾ひれをひいて広がった結果、ってヤツか」


 ならば、尚更に《マフィア》や《ギャング》に連れ去られてはいけないだろう。

 連中なら、死んでも良いから、という程の覚悟を持って《カナリア》の能力を強化していくだろうから。本人の意思に関係なく。


 そうなると、もしかしたら、があり得る。


 しかもそこにあの《空使い》ライアーが関わってこれば、冗談抜きでこの異世界ニアが崩壊しかねる事態になりかねない。

 おそらく《マフィア》も《カナリア》が《ヨコスカ》にいることを突き止めているはずだ。それにも関わらず、否、だからこそクレイジージャックに暗殺依頼を仕掛けた。あのライアーをどうにかさせるために。

 それが失敗している以上、連中も遠慮はもうしてこないだろう。《ギャング》もすぐに嗅ぎ付けてくる。そうなれば、全面戦争の気配しかしない。


 今、世界命運の分水嶺。


 クレイジージャックはそこまで計算して、大きくため息をついた。

 しばらく逡巡するように、がじがじと頭をかきむしった。そして怒りを吐き出すように一度だけ声を放ってから、クレイジージャックは倒れたままのワニ男の胸倉を強引に掴んで起き上がらせた。


「本当はこういうことすんの、死ぬほど嫌いなんだけどなァ。ああでもそれをする俺好き」

「何をするつもりですか、クレイジージャック!」

「うるせぇ黙ってろ」


 クレイジージャックは鋭い声でサニアを沈黙させる。


「良いか、この俺が協力してやる。《カナリア》を救出して、そんな力はないんだってことを証明させろ。そうだな、作戦がある」

「なんだと……?」

「あ、けど見返りがないってワケでもねぇぜ。俺さ、音楽って実はそんなに好きじゃねぇんだよ。けど、気持ち良くしてくれるんだろ、そいつの歌ってのは」

「それは保証してやる」

「だったら聞かせろや。その歌ってやつ。それが条件だ」



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