第15話 狂った過去と《ヨコスカ》

「……《ヨコスカ》?」


 目をぱちくりさせながらサニアがおうむ返しに問いかけると、クレイジージャックは頷く。

 サニアから切り分けられた梨を奪い、一口で半分以上齧ってから、クレイジージャックは続きを言う。


「あの《ボス》の反応からして、《シンジュク》には間違いなくいねぇ。もしかしたら既に確保されていて、カマかけのつもりで調査してる素振りを見せてたってぇだけの可能性を疑ってたんだがな」


 じゃくじゃくと瑞々しい梨を噛み砕いて飲み込み、クレイジージャックはギプスの隙間から覗く人差し指を立てた。


「あの俺への報復行動からして、本気で探してるんだと思うぜ。まぁアパッチ撃墜どころか爆破したせいもあるだろうけど」

「し、仕方ないじゃないですかぁ!」

「まぁそりゃそうだ。あんなもん持ち出してくる方が悪い。でもまぁ、あれはちょっとぶっ飛んでるけどな、俺としてはサイコーだけど」


 頬を膨らませるサニアに、クレイジージャックは一応同意してから、くっくとからかうように思い出し笑いを浮かべた。

 その様子に、サニアはがっくりと肩を落とした。

 クレイジージャックが褒める場合は大抵、ろくでもないからだ。


「褒められた気がしません……」

「なんでだよ。褒めただろ。手放しで。まぁ屋上から手放した感じはあるけど」

「それ捨ててるって言います!」

「気にすんないちいち。狂え狂え。世の中おかしくなったもんから楽しめるんだよ」


 両手を広げ、クレイジージャックは目を見開きながら舌をぺろりと出す。


「話を戻しましょうよ。《シンジュク》に《カナリア》がいない理由は分かりました。《シブヤ》にいない理由も聞きましたし。でも、まだ《アキバ》があるじゃないですか」


 むしろ《アキバ》に潜伏している可能性の方が高いのではないか、とサニアは考えている。あそこは未だに混沌としており、日々勢力図が入れ替わる。機械人形族の台頭や《ヨコスカ》の連中も多い。

 混乱しているからこそ、隠れ家となる場所も多い。

 灯台下暗し、という考え方である。

 だが、クレイジージャックは違うと頭を振る。


「いいや、いないな。理由はその爆発だよ」


 クレイジージャックは指をサニアに向けた。


「あの《シンジュク》の連中がド派手に爆発させたんだぞ。アパッチを連れても来ていたしな。どこに《カナリア》がいるか分からないのに、あんな大規模なことするか? 脳みそ魔法に浸かって紫色になっちまってるアホな《ギャング》とは違うんだぞ」

「その爆発そのものが、調べ尽くしたっていう証左ってことですか」

「そういうこった。となると、残りは《ヨコスカ》だけだ。あそこは《マフィア》の連中もそうそう手が出せないからな」


 当然、《ギャング》の連中も、とクレイジージャックは付け足した。


「《ヨコスカ》は《アキバ》の次に新しい町だ。知らないだろうけど、あそこは一回、血みどろの戦争になったことがある。その時、負けたのは《ギャング》だし《マフィア》の連中なんだ」

「あ、あの二つが……?」

「《ヨコスカ》の連中は大規模ではつるまねぇ。小さいコミュニティを作って、それぞれであまり干渉しないようにして日々生きてる。音楽とか、ちょっとファッキンなことが好きな連中なんだよ、基本的に。けど、一度土地を脅かすと、ありえないレベルで団結する。その結果、支配しきれずに撤退したってワケだ。もちろん《ヨコスカ》も滅びかけたんだけどな……」


 その時の凄惨さを思い出したのか、クレイジージャックは少しヨダレを垂らした。

 サニアは慌ててボックスティッシュを取って何枚か取って手渡した。


「だから《ヨコスカ》は未だに全容は解明されていない。自衛隊の連中も調査はしているようだが、一番情報が少ない。冗談抜きでアナーキーなんだ。少し区画が変わればルールも変わるからな」

「成る程……」

「元々音楽とも関わりが深い地域だからな。《カナリア》って名前から、歌とかを連想させるんだっけ? だったら、そこに隠れてるってぇのも不思議はねぇだろ。……いや、まさか」


 記憶の反芻。フラッシュバック。血、弾丸。怒号。

 全てが、繋がっていく。

 クレイジージャックの中で。

 光が踊り、繋がり、一つの道となる。


「──……そうか、そういうことか、だったら、調べる価値はある……」

「ちょっと、どうしたんですか?」

「閃いたんだよ。俺天才。マジで天才。あれだ、fxxkin genius!」

「それ貶めてますよ!?」


 サニアは即座にツッコミを入れるが、クレイジージャックは気にする様子などなく、天井を舐めるように睨んでから、一点に手を向けた。

 密かに設置していた、隠しカメラだ。

 かなり用意周到に設置してあったはずだが、あっさりと見抜かれたようだ。


「おい、そこから監視してんだろ!」


 クレイジージャックは一変してがなり声をあげた。

 もうその表情だけで、上官に対して言ってるのだな、とサニアは理解した。彼は本気で上官のことが嫌いなのだろう。だが、それに付き合う酔狂さもまた、自分の中で楽しんでいるはずで、ジレンマに悩んでいるのかもしれない。


 いや、ないわね。


 サニアは内心で即座に否定した。

 きっとそれさえ楽しんでいるのだろうと判断した。


「次の転移場所が決まったぞ! いいからさっさと準備しろ!」

『……まったく、相変わらず上官にきく口ではないな』

「うるせぇよ。こんなトコに閉じ込めたバツだクソヤロウ!」


 口汚く罵りながら、クレイジージャックは膝を揺らしていた。

 よほど我慢が出来ないらしい。


「それよりも転移場所だ!」

『はぁ。分かった。どこが良いんだ?』


 ため息をついて返す上官も大概ではある。


「前回と同じ場所だ!」


 沈黙が、落ちた。ややあってから、上官が明らかに怒っている息を吐いた。


『言うに事欠いて、貴様はぁぁぁっ!』

「あっはっはっはっは! 嫌がらせじゃねぇよ。バカ。言い方は嫌がらせだけどな」


 怒鳴る上官に、クレイジージャックは腹を抱えて笑ってからそう答えた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 光が、やってくる。

 水の中をどんどんと潜っていくような感覚から解放されて、クレイジージャックとサニアは着地した。

 軽い音が立ち、埃が舞い上がる。

 どうやらもう誰も出入りしていないようだ。故の汚れ具合。マスクをしていなかったら咳き込んでいたところだろう。正直に不快である。


 その中で、クレイジージャックは意識を集中させる。その身に纏うスーツは、爆破された時のまま、ボロボロである。


 意図的にカオス粒子を集結させ、クレイジージャックは淡い光に包まれる。すると、じわじわとではあるが、スーツが再生されていく。


「カオス粒子を使って強引に再生……そんな……でも」

「俺だけが可能な荒業なんだよ」


 僅かばかり苦悶の声を出しながら、クレイジージャックは語る。


「知ってるだろ。俺がどうなってこうなっちまったのか」


 内閣府の特務公安なのだから、知っていて当然である。

 この組織には、日本という闇の情報の全てが集まる。クレイジージャックという闇でさえ、である。

 サニアは、いきなり雰囲気の変わったことに戸惑いつつ、頷く。


「忘れもしねぇ。昔、まだこの世界が解明されていない頃――すすきので起こった《ファースト・ブレイク》の時。俺は禁忌の人体実験の被験者として、異世界ニアから戻ってきた瞬間、バラバラになったのを。アイツは、その時俺と同行してた医者は、その状態の俺を再び異世界ニアに放り込み、縫合手術を施すことで、俺は蘇った」


 そう。あの時、クレイジージャックの《侵度》は限界を超えていた。だからこそ変換に耐えられず、崩壊した。

 そしてそのまま絶命するより早く異世界ニアに押し戻され、強引に修復された。どうやって発見したのか分からないが、自身を経由させ、ヒトという生命力を浸透させたカオス粒子を使うことで命を繋ぎ止めながら。

 だからこそ、クレイジージャックは《侵度》を失い、様々な能力を手にした。この自分自身を経由したカオス粒子を扱うことで、スーツの再生を行うのもその一つだ。あの医者の何かが遺伝か何かしたのかもしれない。もっとも、この再生はこのスーツがカオス粒子をふんだんに吸い込んでいるからもあるが。

 クレイジージャックは、声を乾かしながら笑う。


「はっはっは。クソったれ、だよなぁ……その時、俺をたった一人で救った医者は、《侵度》をオーバーしてたから、現実世界へ帰れなくなった。そして、どっかいっちまったんだよな」


 そう。どこかへいってしまった。

 勝手に。身勝手に。己のエゴだけで、クレイジージャックを助けておきながら。クレイジージャックを、人間であって人間でなくしながら。


「だから俺はこの世界を愛することにしたんだ」


 人間ではないから。どちら側の存在でもないから。

 その強烈な、身を焦がすばかりの孤独を狂気に変換して抱くことで。


「そして、いつか俺をこんな姿にしたバカに会いに行く」


 そして、言ってやるのだ。


「なんで、俺をこんな姿にしたって、責めるためにな」

「クレイジージャック……」

「幸い? 俺の存在そのものが国にとって禁忌だ。俺が死ねば、政府は転覆する。だからこそ、政府は俺を守ろうとする。まぁ、ちょっと変わって来てるようだがな?」


 チクりと刺すと、サニアは顔を歪めた。

 クレイジージャックにかけられた、内通の嫌疑がそれだ。


「お偉いさんが何をどうやって裏でこそこそ蠢いてるか知らねぇけどな。っと、終わった」


 クレイジージャックはゆっくりと起き上がる。

 すっかり元通りになったスーツを纏い、身軽に飛び跳ねる。どうやら怪我も治してしまったようだ。さらに手足や首を柔軟してから、クレイジージャックは動く。


 埃の舞う部屋を出て、前回とは正反対の方向へ歩く。


 壁しかないはずのそこは、クレイジージャックがちょんと押しただけで変化した。

 まるで襖のように壁が開き、路地裏が出現したのである。


「な、ななっ……!?」


 とんでもない事象に、サニアが驚く。

 だが、クレイジージャックは何の感動もなく、ただ自分の予想が的中したことに喜びを感じ取っていた。

 どこか赤昏い、黄昏のような明かりに包まれた、路地裏。湿気った磯とシンナーの臭い。壁中に描かれた落書きが醸し出す、アナーキーな雰囲気。


 間違いない。


 ここは、《ヨコスカ》だ。

 確信をもって、クレイジージャックは足を踏み出す。恐る恐る、サニアが後をついてきた。すると、路地裏の先、ゴミ箱の上で眠っていた猫が不機嫌に鳴いた。


「なぁ、ノラネコ見てるといきなりケンカ売りたくならねぇ?」

「なりませんね」

「……はっ、お前とは気が合わねぇな」

「あなたと気が合ったら色々とズレてる気がします」

「はっはっは! その通りだ! 俺頭おかしいもん! ゲボみてぇなクソったれた言葉撒き散らして、性的衝動のまま呼吸して、狂った第六感に従って生きてるからな!」


 声を放って笑うと、野良猫は詰まらなさそうにゴミ箱から飛び降りた。


「さぁて。とっとと行こうじゃねぇの」


 腕をぶん回しながら、クレイジージャックは路地裏を抜ける。

 大きな通りに出ると、黄昏色の明りはより強く、薄暗い。時折通過する人は、誰もかれもバケモノだ。この独特の雰囲気にサニアは圧倒され、堂々と歩くクレイジージャックの従者となるしかなかった。


「さぁて、と」


 その中で、クレイジージャックは降っていた坂道の途中で足を止める。

 サニアも気が付いた。

 敵意。それも幾つも。即座にサニアは全身にスーツを纏い、その背中に機械の翼を背負う。すると、ひっきりなしに敵性反応ヴィランシグナルが鳴り響いた。


「一つ。《ヨコスカ》の仲間意識はかぁなり強い。だから、何かしらの恨みを買っていたら、こうして抱腹されるってワケだ」

「きっと身に覚えがありまくりなんでしょうけど、直近の心当たりは?」

「あぁ? 俺はそんなコトしねぇっつうの。基本的に《アキバ》とかに出向いてくるバカどもは自己責任ってヤツだし、《ヨコスカ》の連中もそれくらい弁えてる」

「じゃあなんで囲まれてるんですか……?」


 わらわらと姿を見せたのは、ワニの頭を持った人間たち。その手には、血のたっぷりと吸い込んだような色をしたバールやバットなど。その獰猛な目には、殺意しか宿っていない。


「そりゃあ、恨み買ったからだろ? お前と一番最初にここへやって来た時、連中をぶちのめした、とかな?」

「え?」


 サニアがきょとん、と首を傾げた瞬間、相手が一斉に地面を蹴った。

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