第14話 たっぷりチーズオムレツのスープカレーと吾妻島に漂うカレーの匂い

「ふんがっ! ふっがふがふがふんぬがぁぁぁぁああああ────────っ!」


 静かなはずの病室に、激烈な憤怒の叫びが響き渡る。言うまでもなく、クレイジージャックだった。

 豪華なベッドにフルで拘束具を使って縛り止められている。そうでないと、彼をこの場に留めておけない。


 そんな様子をモニタリングしながら、別室にいる上官とサニアは盛大にため息をついていた。


 既にどうしてこうなったのかは、サニアから報告を受けている。だからこそ、上官は思わず頭痛薬を飲んだ。

 ことん、とガラスのコップがテーブルに置かれる。

 効いてくるまでしばらく時間がかかる。


「見るに耐えん」


 呆れながら悪声を溢し、上官はモニターの電源をオフにした。


「両腕骨折、顔面裂傷、他にも打撲多数、広範囲に一から二レベルの火傷……普通なら激痛でのたうち回ると思うんですが」

「奴は規格外だからな」

「そうなんですか?」

「……クレイジージャックは、一度死んだ。そして、奇跡的に蘇った。一人の勇敢な医者を犠牲にしてな。その時の後遺症の一つとして、《侵度》の影響を受けないというものがあるが、自己治癒能力も高くなったんだ」


 上官はパイプ椅子に体重をかけて軋ませる。


「まぁ、あくまで傷の治りが早いというだけだ。毒を喰らえば死ぬし、首をはね飛ばされれば死ぬ。骨折だって、適切な処置をしなければ、歪な状態で復活する」


 色々と手振りを入れて上官は説明し、腕を組んで唸った。


「だから処置を施してるわけですものね」

「そうだ。それは奴自身も分かっているはずなのだが……全く。やられっぱなしが余程気にくわないらしい」

「……私、殺されるかしら」


 ぞくり、とサニアは背筋を凍らせる。

 状況が状況だっただけに、逃げざるをえなかったのだ。もしあのまま強引に戦闘をすれば、苦戦を強いられていただろうし、《ギャング》の連中まで出てくる恐れもあった。

 客観的に見て、間違った判断ではない。

 だが、強引に連れ帰ったのも、また事実だ。


「割りと冷たいことを云うようだが、殺されても不思議はないな」

「ですよねぇ……どうしよ」

「案ずるな。我々が何年あのバカと付き合ってると思っているんだ? こんなこと、過去に何度もあったさ」


 頬を覆い、本気で不安そうなサニアに、上官は人差し指を立てた。


「こういうことは何度もあった。だからこそ、我らはちゃんと対処法も心得ている。今回はそちらに責は一切ない。だから、我らに任せてもらおう」

「ち、ちなみに、な、何をするんですか?」


 おずおずと訊くと、ちょうどチャイムが鳴った。

 扉が開かれると、入ってきたのは自衛隊員だった。ビニール袋を手にしている。

 彼が入ってきただけで分かる。

 この複雑なスパイシーな香り。一度かげば忘れられない、スープカレーの匂いだ。サニアも思わず鼻をすんと鳴らしてしまう。


「こういう時は、ヤツの好物を与えるだけで良い」

「なんだかすごく単純ですね?」

「サンダーソニア殿。基本的なこととして覚えておいて欲しい。あのバカは単純だ」


 キッパリと言った上官は自信に満ち溢れていた。握りこぶしまで作る勢いに、サニアは反対に不安を覚えた。

 だが他に何かアイデアはない。仕方なく、サニアは従うことにした。


「これを持っていけば良いのですね」

「ああ。スープカレーカムイさんに無理を言って特別に作っていただいたものだ」


 それを聞くだけで、サニアはごくりと喉を鳴らした。


「たっぷりミックスチーズ入りのオムレツに、トマト、ピーマン、キノコ、ニンジンだ」

「……それ、私も普通に欲しいです」


 思わず零した本音に、上官は盛大に怪訝な表情を浮かべた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――騒がしい夜の町。

 この異世界ニアは、どこまで言っても夜の世界だ。見上げれば夜よりも暗く重い色の雨雲。奥に広がるのは、星空。

 そこを、夜の星喰らうドラゴンが泳いでいる。


 このドラゴンと、宵闇の地平線へ続く、昏い色の海が見えるのは《ヨコスカ》だけだ。


 都会じみた喧噪と違う。

 横須賀通りを中心に、ヴェルーニ公園と海岸線。そして、自衛隊や米軍の基地一帯に、街並み。そして振り返れば丘があり、自然が多い。

 この《ヨコスカ》が特殊なのは、街灯の色だ。

 一言で表せば、黄昏色。まるで陽が本当に沈む際のような濃厚で昏いオレンジの灯りで埋め尽くされているせいで、独特の雰囲気がある。やはりゴミが捨てられていたり等、お世辞にも綺麗とは言い難いが、どこからともなく陽気なラップ音楽が流れてくる。


 行き交う人々は怪物が多い。


 人と動物――主に爬虫類だ――を混ぜたような彼らは、アロハシャツだったり、B系ファッションだったり、他の町と違って独特にファッショナブルだ。


「ああ、やはり良いね、ここは」


 波の音を聞きながら、ライアーは波の音に耳を傾ける。

 彼が経っているのは、吾妻島。現実世界であれば、米軍の施設である。島まるごとがそのため、一般人は立ち入りできない。

 その慣習が残っているのか、《ヨコスカ》の連中も近寄ってこない。


 もっとも、この昏い海には得体のしれない怪物が棲息しているため、泳いで渡ることは非常に危険だということもあるが。


 黄昏色の世界で、ライアーはようやく弛緩する。


 すると、良い匂いがやってきた。

 カナリアだ。依頼料で手に入れた食材で調理してもらっているのだ。彼女を保護してからずっとそうしてくれている。助けたことへのお礼のつもりなのだろうか。


「歌を歌ってくれるだけで、構わないのだけれどね」


 ライアーは、彼女の歌声に惚れ込んでいた。

 およそ世界一と称するに値する。変幻自在、澄んだ高音、凜とハリのある低音。どこまでも伸びやかな声質は、どんな歌でさえ調教してしまう魔力があった。

 そんな彼女は、向こう側の世界への扉を開くことが出来るらしい。そのせいで、色々な勢力から狙われてしまった。ライアーはたまたま通りがかって助けたまでに過ぎない。


 ライアーはそんなもの、どうでも良いからだ。


 およそ自分より強いものを知らない彼は、世界の扉のことなど興味がない。 

 ライアーはゆっくりと海岸線に座る。湿気った海風に身を任せていると、気配がした。


「……誰かな?」


 声をかけると、その主はあっさりと姿を見せた。

 ボロボロの白衣に、すっかり汚染されて汚い灰色になった短髪。顔は窪んでいて、どんな表情をしているのかさえ分からない。身体的な様相からして男性なのだろうが、やつれ切った手足は、どうやって動けているのだろうと不思議になるくらいだ。

 もっとも、この異世界ニアでは何ら自然なことだが。


 姿を認めて、ライアーは少しだけ顔を綻ばせた。


「久しぶりだね、どうしたんだい」


 なるべく優しく声をかけると、男は何度か頷きながら近寄って来た。

 警戒は必要ない。

 ライアーがこの異世界ニアで生まれてから、ずっと傍にいる存在だからだ。親、というものは分からないが、それに近しいのかもしれない、とライアーは思っている。


『……血の、臭い』


 手を伸ばせば触れあえる距離で、男は立ち止まった。


「ああ、仕事をしていたんだ」

『外にいっていたのか』

「そういうことになるね」


 肯定すると、少しだけ寂しそうな様子を男は見せた。


『そうか、無事なら良い』

「本当にどうしたんだ? 僕が傷付けられるはずがないだろう?」

『いや……それもそうだが、ここ最近、物騒だからな。特に君は、その火種を持っている』

「ああ。カナリアのことかい。大丈夫だよ」


 励ますように両手を広げるが、男の不安そうな雰囲気は崩れない。


『ライアー。ヤツには……クレイジージャックだけには、気を付けろ。奴もここ最近、活動が活発だ』

「クレイジージャック? 良く知らないけど、分かった」


 ライアーは頷いて肝に銘じた。

 彼はあまりに強すぎるが故に、世情に詳しくない。そもそもクレイジージャックそのものがただの荒くれ者というイメージが強いせいもあるが。


 どうせ、誰も触れることさえ叶わないのだ。


 物騒、と男は言った。

 確かに、《マフィア》と《ギャング》の動きは活発になっていて、その影響でライアーの仕事も増えている。いずれ発見されるかもしれない。どちらの組織とも関わったことがあるからこそ、調査能力の高さは知っている。

 どこまで欺けるか。

 否、それもまた、関係がない。


「そう暗い雰囲気を出さないでくれ」


 その気になれば、時間はかかるであろうが、組織の一つや二つ、潰すことは出来る。

 ライアーには、それが許される力を持っていた。

 カナリアもそれを悟っている。だから、彼から離れない。打算的ではあるが、ライアーには関係がなかった。彼女の美しい歌声がたまに聞こえてこれば、それで良い。


「そうだ、もうすぐカナリアの作ったご飯が出来上がるんだ。一緒にどうだい?」

『ああ、それは良い。反吐みたいな飯ばかりで、飽きて来ていたんだ』

「ははは。食べるものは選べよ」


 ライアーはすん、と鼻を鳴らす。

 今日はどうやら、カレーのようだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ず、ずずずず。――ぷはぁ。

 最後の一滴まですすって、クレイジージャックはトレイをゴミ箱にダストシュートした。美しい軌道を描いて、すっかり空になった白いプラスチック器はゴミ箱に吸い込まれる。そこにスプーンも追随した。

 固定こそされていないが、ギプスをはめられた腕で良くここまでコントロールできるものだ。

 サニアは少し感心する。


「あー、美味かった。マジでサイッコーだな」


 口を豪快に拭い、クレイジージャックは上機嫌で言った。

 あれだけガチガチに固められていた拘束も外され、ベッドの上で大人しくあぐらをかいでいる。さっきまで、殺意をばら撒いていたとはとても思えない。


 ――本気で、単純なのね。


 サニアは呆れつつも、自分の命が保証されたらしいことに胸を撫でおろした。

 デザートにリンゴをついばみつつ、クレイジージャックは自分の怪我を確かめる。骨折しているというのに手を動かし、激痛に呻いた。


「……まぁ、向こうに行けば数時間で治るな」

「何意味の分からないことを言ってるんですか、あなたは」


 今度は梨を切り分けながら、サニアはツッコミを入れた。


「あの世界の特徴だ。スーツもそこでなら簡単に修理できるしな」

「まさか、カオス粒子?」

「そのとーり。ちょっと頭良くなったか? カオス粒子を使えば、簡単なんだよ」


 クレイジージャックはリンゴを一切れ咀嚼し、小さく頷く。


「……それにしても、随分と面白いことをしてくれたもんだぜ、《マフィア》の連中は。交渉が上手くいかなかったからって、舞台ごとぶっ飛ばすか? 最初っから殺す気ゲージが振り切れまくってんじゃねぇか。ぶっ飛び過ぎだろ」

「それに関しては同意ですぅ」


 まさか爆破されるとは思いもしなかった。

 サニアは、クレイジージャックからやや離れていたおかげで、スーツの硬度がまだ間に合った。だからこそ、ボロボロにはなったが軽傷で済んでいる。

 それでも生きた心地はしなかった。


「まぁ、次あったら飛びっきりの愛を返してやらないとな。それこそ痺れに痺れて思わず昇天しちまうくらいに」


 クレイジージャックの背中に黒いオーラが出る。

 これは相当恨んでいるな、と、サニアは思いつつ、触れないようにした。もし飛び火してサニアへの怒りが再燃したらシャレにならない。


「でも、これからどうするんですか?」

「あ? もう分かったも同然だろうが、何を寝言口にしてんだよ」


 細い眉を吊り上げて、クレイジージャックはサニアに毒づく。

 もし両手が自由に動かせるようだったら、デコピンの一撃でも入れていただろう。


「《カナリア》の居場所は大体わかった。奴は今、《ヨコスカ》にいる」


 そして自信たっぷりに、クレイジージャックは下卑た笑みを浮かべた。





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