第13話 ライアー

 一気に《ボス》の気圧が低下していくのが声だけでも分かった。だが、クレイジージャックにそんなものが通じるはずがない。飄々と、嘲るように笑う。


「おいおい、聞こえなかったのか? しっかりしろよ。ちゃんと耳の穴掃除してるのかよ? あの《マフィア》のボスなんだから、バニースタイルなねーちゃんに膝枕してもらいながらキレイにしてもらってんじゃねぇのかよ」

『いちいち何か言わないと気に食わないのか、その口は』

「悪いな。俺の口はスイッチの壊れた自動なんだ。許せ」


 言いながら、クレイジージャックは一歩前に出る。


「仕方ねぇからもう一度言ってやるよ。お前のそのやり方、その実、俺らを破滅に追い込むための罠でしかないんだろ? もちろん《カナリア》を始末するつもりなのはガチなんだろうけど、それ以前に、お前は俺たちが邪魔だ」


 そして、もう一歩。


「受ければ、異世界の犯罪組織と手を組むだなどと、と批判が起こって、拒否すれば、現場の判断能力のないヤツが勝手にして。戦争になったら責任問題だ、と、非難がくる。簡単な図式だよな。お前はそれを利用して、貶めようとしただけ。随分とつまんねぇ罠だ。いや、みみっちぃ、マジでみみっちぃ。お前、実は小心者か」

『どう思うのかは勝手だ。さっさと答えを出せ』

「だから言っただろうが。俺は知ったことじゃねぇって」


 敢えて耳をほじくる真似をしながら、クレイジージャックは再び言い切る。

 すかさずサニアが猛烈な勢いで抗議の視線を送ってくるが、無視する。

 相手が怒りからか、意外だったからか、とにかく息を呑む。そこを突いて、クレイジージャックは腰を曲げて相手を覗き込むようにして受話器に指をつきだす。


「言い換えてやるよ。【俺たちは何も聞かされていない】だ。そもそもそんな話は聞いてないんだから、知らねぇな」

『それは事実上の否定だろう』

「いやいや、んなことはねぇぞ? 《正式な申し出》ってことなら、俺たちは然るべき部署に正しく報告し、《正式な手続き》を経て《正式な回答》をする。そういうことだ」


 大袈裟に身振り手振りを入れつつ、クレイジージャックは反論しきった。


『……なるほどな。随分と頭の回った返答だ』

「詭弁を使うなら詭弁で返す。基本だろ」

『はははっ、違いない。ならば競争だ。貴様らか我らか……──どちらが《カナリア》を見つけるのが早いか』


 携帯端末の画面の《ボス》は、深く顔に笑みを刻み込んだ。


「いいね、そそる」


 凄まじいまでの重圧が襲ってくるが、クレイジージャックは関係ないとばかりに威圧を放ち返す。それは向こうにも伝わり、《ボス》がまた一つ笑った。

 交渉決裂。

 元より強力関係など望めない。クレイジージャックにとっては損もしなければ得もしない。むしろよりカオスな状況になったことで、面白みが増した。

 ちらりと見ると、サニアは微妙な表情だ。恐らく、色々と考えを巡らせているのだろう。何せ、これで《マフィア》と《ギャング》、この異世界ニアを二分する二大勢力を敵に回したことになるのだから。


「良いんですか、相当やりにくくなりますよ?」

「さぁ、それはどうかな」


 小声で探るように訊いてくるサニアに、クレイジージャックは軽く返した。どこまでも楽観的だ。否、違う。楽しむだけの、快楽主義だ。

 ギリギリの命のやり取り、ひたすらに暴れられる環境、自分というたった一人に振り回される数を揃えた連中。皮膚がヒリついて、精神がチリついて、たまらない。

 あまりに嬉しすぎて、ぞくぞくと身震いするほどだ。


「それよりも」


 クレイジージャックはしかし、油断はしない。

 既に気付いている。交渉と言う名の脅迫が上手くいかなくなってから、黒服と武装した連中が密かに動いて配置についていることを。

 何か仕掛けてくる。全身で感じ取りながら、敢えて声を大きくする。


「ここから抜け出す方が先だろ」


 クレイジージャックはゆっくりと腰を少し落として身構える。サニアはそれでようやく気付いたのか、周囲を見渡して慌てて構えた。


「本当に聡いな、クレイジージャック。なるほど、確かにクレイジーと呼ばれる名乗るだけはある」


 臨戦態勢を取られたにも関わらず、携帯端末を持つ黒服は余裕だった。


「そりゃどうも。俺、今日は良く褒められるなぁ」

「そうかそうか。だったらプレゼントをやるよ。《ボス》からの手土産だ。喜べ」


 ぱちぱちと拍手をした、瞬間だった。

 スーツが悲鳴を上げる。真下に、熱源を感知したからだ。

 何だ、と考える暇はない。


 地面がごぼり、と、盛り上がり、走った亀裂から光と、熱。


 有無を言わさず、爆発が起こった。

 凄まじい熱風と衝撃に巻き込まれ、瞬間的に自動でスーツの硬度が上昇する。


 ――コイツら、真下に爆薬しかけてやがったのか!?


 熱に焼かれ、破片に叩かれ、爆風でめちゃくちゃにされながらも、クレイジージャックは連中のしたことを察する。

 味方の犠牲をも厭わぬ、爆発攻撃。

 規模からして、屋上と起爆した階層は消し飛んだだろう。


『クレイジージャック。スーツに損傷。これ以上の戦闘継続は危険と警告します』

「奇遇だな、俺もちょうどそう思ってたところだ! けどなぁ!」


 明滅を繰り返し、めちゃくちゃになる視界の中、クレイジージャックは咄嗟にクロスさせて盾にしてた腕の装甲が砕けていることを知って、叫んだ。

 それだけではなく、硬化が間に合わなかった部分は軒並みダメージを受けていた。嘲笑うクラウンマスクも砕け、顔が半分露出している。そこに熱を纏った破片に襲われ、皮膚が焼かれて頭が切れる。


 だが、それがどうした。


 クレイジージャックの戦意は上昇する。だらりと流れる血の感触を楽しみながら、空中で姿勢を整える。

 やってやる。徹底的にやってやる。


「回収、しますっ!」


 頭が高揚で沸騰する中、サニアがクレイジージャックの背中を掴んだ。彼女もまた、全身をボロボロにさせているが、背中に翼を展開して上手く爆風に乗って加速する。

 クレイジージャックは即座に暴れる。


「おいこらふざけんな! 俺は戦うぞ!」

「何を言ってるんですか、そのままじゃあ殺されるだけですよ!」

「うるせぇ、俺は死なねぇよ! つか放せ、俺は俺のやりたいようにやるんだよ! こんなサイコーなプレゼントくれた連中だぞ、サイコーな返礼をするのが筋ってもんだろうがっ!」


 クレイジージャックは喉を潰す勢いでがなりたてる。だが、サニアはそれを無視して更に高度をあげる。

 周囲は既にざわついていて、機能が弱くなっているが敵性反応ヴィランシグナルも幾つか出ていた。恐らく《ギャング》の連中だろう。


「こらクソでか乳女! 俺の《男の象徴的なピー》で《卑猥なピー》まくるメスにしてやろうか!?」


 余裕のない現れか、クレイジージャックは直接的な汚い言葉で罵る。


「いくらなんでもヒドいです! 絞め落としますよぉ!」

「え、あ、ちょ、そういうパターンもあるんだ? これは予想外っていうか、いた、いだだだだ、これガチ極ってる……ごはっ」


 サニアは恥ずかしさに叫びつつ思いっきりクレイジージャックを絞めあげ、意識を奪い取った。

 ぐったりとしたクレイジージャックを抱え、サニアはそのまま飛び去った。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……なるほど。実に醜い争いだ」


 上がる爆発の炎と黒煙。よくよく目を凝らすと、飛び散った肉の破片が、周囲のビルに張り付いている。

 だがあれは、クレイジージャックに殺された連中のものだ。

 黒服連中は、しっかりと防御武装を展開して逃げおおせている。あの《マフィア》の《ボス》が自爆行為など強要するはずがない。部下が助かる算段もなく、無茶なことはしない。

 数の損失はそのまま戦力の損失。

 あの《ボス》はそういう思考だ。


「だから殺しきれないんだよ。本当に中途半端な奴だ」


 断罪するように冷たく切り捨てて、漂ってくる風に蛍光色なピンクがメッシュ的に入る藍色の髪を揺らす。

 両目を覆う黒いバンドの奥で、真っ白な瞳だけが浮かび上がる。


 ぽた、と、滴の落ちる音。


 小さな雑居ビルの屋上。

 広告さえ立たない、むしろ屋上へ至る階段もないような、そんな剥き出しのコンクリートの地面だけがある場所。

 そこは、血の海が出来ていた。


 腕、足、胴体、首。


 ヒトだったパーツが転がっている。

 数にして、およそ十人。返り血を大量に浴びているが、漆黒の服を纏う彼では目立たない。だが、噎せ返るような血腥さが、それを証明していた。


「出てきて良いよ、カナリア」


 静かな湖畔のような、穏やかな声。仄かに浮かべる笑顔は儚げでもある。

 すると、何もないはずの空間が《剥がれ》て、一人の少女が姿を見せる。癖毛なボブカットに強気そうな凛とした顔は、強張っていた。

 これだけの凄惨さを見せつけられれば、当然の反応だった。


「悪かったね、仕事に付き合わせて」


 血の滴る繊細で細い指を拭き取りつつ、彼は気遣う。カナリアと呼ばれた少女は静かに頭を振った。

 動こうとしない様子を見て、彼は初めて思い至った。血の海のせいで動けないのだということに。


「ああ、悪かった」


 申し訳なさそうに苦笑して、彼は腕を振る。穏やかに、まるでピアノでも弾くかのように。

 颶風。

 たったそれだけで起こった風は、血の海を綺麗に拭い去った。ついでに返り血も取り払っておく。

 完璧な漆黒の美しさを取り戻した彼に、ようやくカナリアが歩み寄る。

 いつからか、その能力から狙われ始めたカナリアは、ただひたすらに逃げる日々で、疲弊していた。彼と出会ったのは、そんな極限状態だった。


 自分にふりかかる、全ての敵意を《嘘》にしてしまう。そんな彼の名はライアー。


 カナリアは彼に救われ、彼と行動を共にすることで、雲隠れ出来ていた。

 ライアーの能力、《空使い》によって。


 ──この異世界ニアにおいて、クレイジージャックが有名にならない理由。

 誰一人として彼に手が届かない。それほどの孤高の存在である彼、ライアーがいるからである。

 時として暗殺者。時として正義の味方。そして時として、殺戮者。文字通り、最強の名を冠する存在だ。


「さて、行こうか」


 ライアーは静かに促す。

 死体は敢えて残す。そうでなければ、依頼を完遂した証拠にならない。


「──っと」


 一歩進んだところで、地面が盛り上がる。

 姿を見せたのは、憤怒の表情に包まれた機械人形だった。歯車と鉄骨、無数のコードで組まれた素体のようなボディに張り付く、無駄にリアルな顔。


 ここ最近、《アキバ》で勢力を伸ばしつつある機械人形族だ。


 運動性能は個体にもよるが、人間と大差がない。ただ、驚異的な自己再生能力と、必殺の武器を保有している。


『死ね!』


 リアルな顔の顎が割れ、レンズが出てくる。既に光は収束していて、膨大なエネルギーを内包していた。

 レーザー光線。

 直撃を受ければ、人間など骨も残らずに溶ける。それを前に、ライアーはただ、指揮棒を揺らすように指を滑らかに踊らせる。


 空気が撫でられ、時が止まる。


 ふわり、と、穏やかな風。

 それだけで、機械人形のレンズは薄く砕け

、光を拡散させた。それだけにあらず、機械人形の全身がバラバラに切断された。


『がっ!』


 意味もわからず、機械人形は地面に崩れ落ちて転がった。即座に再生能力を発揮するが、ぴくりとも動かなかった。

 予期せぬ深刻なエラーでも起こしたかのように、機械人形は困惑する。


「僕は《空使い》」


 ライアーは静かに、歌うように言う。


「君のレーザー光線も、再生能力も、嘘だよ。君が繋がっているのも、嘘だ」

『なっ……ぐっ……!』

「僕が始末していた組織に、なんの感情があったか知らないけれど、僕に逆らうのは頂けないんだ。だから、僕は君を生かそう。そう。ただ僕という恐怖を怯えながら叫び続ける、ただの泣叫人形バンシーとして。ああ、カナリアのことは忘れてもらうけどね」


 薄く、薄く。酷薄に。

 ライアーは息を吐く。


「さぁ、今度こそいこう、カナリア。ここは君にとって良くない」

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