第10話 キング

「へぇ、そこの見ないお姉さん、随分と詳しいんだね。驚いたよ」


 拍手が止まる。クレイジージャックとはまた違う、嘲笑だ。


「その通り。俺は《キング》。ここ《シブヤ》をしきってる魔法使いだよ」


 ソファを軋ませながら《キング》は立ち上がる。同時に周囲へ冷気が撒かれ、また気温が少し下がった。

 すでにクレイジージャックのスーツは危険を感知してヒーターが入っている。

 臨戦態勢のまま、クレイジージャックは嘲笑うクラウンマスクに似合う笑い声をあげた。


「はっはっは。おいおい、勝手に招いた上に冷気の歓迎とかやめてくれない? 俺、寒いの苦手なんだけど」


 腕をさすりながら訴えると、《キング》はくすりと嗤う。


「おっと、ごめんね。こう見えても手加減してたんだけど。思ったよりザコいんだね」

「は? これで手加減? アホ抜かしてんじゃねぇぞ、出力調整グッダグダじゃねぇか。なんだ、水が止まらなくなった蛇口か何かですか? 水道代バカあがりですか? 今すぐ水道管修理の業者呼んでこようか、あん?」


 舌戦ではクレイジージャックに軍配が上がるようだ。

 皮肉を皮肉で返された上に挑発され、《キング》は不快の表情を浮かべる。とたん、また冷気が強くなった。


「おっと、悪かった、落ち着け。な? 水道管の例えが悪かった。えっと、その、あれだ、あれだろ? うん、強いから、強いのはよーく分かったから!」

「まったく……噂通りのピエロだな、クレイジージャック」

「そいつぁどうも。お前、気の利いたことくらい言えるじゃねぇか。サイコー」


 幾分かましになった冷気の中で、クレイジージャックは然り気無く周囲の霜を払う。万が一が起こった時、すぐ動けるようにだ。

 クレイジーだがクレバーな頭が回転する。

 今、眼前にしている少年は、あの札付きの不良魔法使いの集団マジックバッドカンパニーを纏め上げるバケモノである。彼らは実力で一番強いものをトップにするという、野性的だがシンプルで分かりやすい方法を取っている。


 つまり、今目の前にいる少年――《キング》は魔法使いの中では最強なのだ。


 そんなヤツと真正面から戦うつもりはない。

 判明しているのは、今まさに味わっている通り、氷結系を極めた魔法使いであること。おそらくも何も、公言している通り、絶対零度まで冷やせる。


 窒素すら液体化させるようなヤツと、戦いたくないと思うのは当然だ。


「それで、そんな大物サンがわざわざ狡い真似してこんなトコに呼び出すって、何の用事なんですかねぇ?」


 最大限警戒しつつ言うと、《キング》は自分の優位を示すかのように冷気を放ちながら、口を開いた。


「君に依頼したかったんだ。クレイジージャック」

「……は?」


 意外過ぎる言葉に、クレイジージャックは間抜けた声を出した。

 すかさず《キング》が口を挟む。


「《ギャング》だろうが《マフィア》だろうが、どこに所属していたとしても、お前にケンカを売るヤツは皆殺し。たまに自分からけしかけるようだけど、そういう時は手加減して半殺し。ただの一度だって敗北したことのない、そして狂ったようにしか思えない言動。通称――最強の狂傭兵クレイジーヴァギャーグ。君のことだろう? クレイジージャック」

「おいおいお前は俺のストーカーか? それと、俺はその名前嫌いなんだ。第一にセンスがない。クレイジーは英語。ヴァギャーグはロシア語だ。言語くらい統一しろ。そういうチグハグなのは嫌いじゃねぇが、センスがないのは嫌いなんだ」


 入念に調べ上げたのだろう情報を、クレイジージャックは嫌悪で切り捨てる。

 さらに人差し指で強く《キング》を指す。


「俺はこの世界を愛してる。それだけだ。それをどうこうしようってのが嫌いってだけだ。お前らの大好きな、自由にやらせてもらうってヤツだよ。だから俺はどこにも所属するつもりはねぇし、好きに暴れる」

「良く喋るね、クレイジージャック」

「饒舌って言え」

「敢えて分かりやすい言葉を使ってやってるんだよ。癖になってるんだ。そうじゃないと、ついてこれないからさ」

「お前、自分の組織の低学歴っぷりを露呈させてどうすんの。弱点晒してんぞオイ」


 皮肉返しを上回る皮肉をぶつけるが、《キング》は余裕だった。

 その程度、弱点にもならないという余裕なのだろうとはすぐに察せた。つっこんで抉るべきなのだろうが、これ以上の挑発は無意味でもある。


 まだ、ヤツの真意を聞き出せていないのだ。


 サニアからの咎めの視線もあって、クレイジージャックは冷静になった。


「話を戻そう。つまり、僕は君の実力を認めてるんだ。だから依頼がしたい」

「依頼?」


 おうむ返しに訊くと、《キング》は深い笑みを浮かべた。


「《カナリア》を見つけて来て欲しい」


 まさに、爆弾だった。

 さすがに向こうから切り出してくるとは、というか、まさか逆に捜索依頼を提示されるとは本気で思っていなかった。クレイジージャックも面食らって、言葉が出せない。

 その空虚をついて、《キング》は会話のイニシアチブを掌握していく。


「僕の下位組織を潰したのは、それが原因なんだろう? 大体察しはついてるんだ。だから、逆に協力体制を取りたいんだ。悪い条件ではないだろう? 僕たちが掴んでいる情報は提供しよう。その上での調査だ。君の性能なら可能だと思うが?」


 なるほど、そういう作戦か。

 つまりまともに相対するよりも、依頼という形で駒にしてしまおうという考えだ。確かにそれなら、不利益にはならない。もちろん相応の資金は失うが、人的資源を失うよりは遥かにマシのはずだ。


 良く考えられていて、それでいてあざとい。


 この協定、結果的に《ギャング》が得する仕組みになっている。

 クレイジージャックの本拠地はあくまで異世界ニアではない。現実世界だ。ここの資金を得たところで、あまり旨味はない。

 突き詰めれば、恐らくも何も情報は《ギャング》にしか渡してはいけないといった類の誓約も結ばされることだろう。見るからに切れ者の《キング》がそんなこと、カバーしてこないはずがない。


 そこまで読み切ったところで、クレイジージャックは目を据わらせる。気付かれないよう、周囲に赤外線レーダーを放つ。


 これはゲームだ。

 割り切って、攻略に挑む。場所は相手の本拠地、そしてボス。部屋の外には、敵意まるだしの敵が何人も配置されている。条件は最悪。状況も最悪。

 だが、それでも。否。それを攻略してこそ、面白い。

 クレイジージャックはそう考える人間である。


「おいおい、勘弁しろよ。それだったら、お前自身が動けば良いんじゃねぇの?」

「考えが足りないな。それとも分かってて煽ってるの? 僕が動けば、《ボス》も動くぞ。そうなったらどうなる? かち合えば――全面戦争だ」


 両手を広げ、氷の柱を生み出しながら言い放つ《キング》は、まるでそうなっても良いような態度だった。感じるのは、狂気。

 思わず全身が興奮で粟立つが、クレイジージャックは必死に自制し、おどけるように首を傾げる。


「そりゃ勘弁。下手したら世界がぶっ壊れる」

「じゃあ、結論を出してくれ。報酬は良いものを支払える自信はあるよ」


 言いつつ、氷が走った。

 黒いソファが破れ、中からジャラジャラと金色の装飾品が出てくる。売りさばけば莫大な金にはなるだろう。クレイジージャックは一瞥、というか目を見張って、挙句ごくりと喉を大きく鳴らしてから、《キング》を見た。


 明らかに、動揺している。


 サニアはすかさず咎めの視線を送るが、クレイジージャックに届いた様子はなかった。


「ちょっと……」

「動くな。殺すよ」


 サニアが制止しようとした刹那。読んでいたように《キング》が牽制を放つ。この反射神経、尋常ではない。

 脅威的な敵意に晒され、サニアは震え上がる。クレイジージャックはすかさず怯えたサニアに溶けかかった氷塊を投げつけた。


「あたっ」


 乱暴だが、緊張解しである。


「――それで、《キング》。お前ら、《カナリア》の情報を手にしたら、どうするつもりなんだよ?」


 咎めが《キング》よりやってくるより早く、クレイジージャックが問う。

 この一言で、イニシアチブは奪った。


「それは」

「現実世界へ行くつもりか?」


 言葉を交わさなくとも、情報を共有せずとも、取れているコンセンサスを利用して、クレイジージャックは言葉を重ねた。

 即ち、《カナリア》が《異世界》へ行く方法を知っているという、情報だ。

 考え込む様に、《キング》が口を噤む。代わりに目が据わり、冷気が強くなる。威嚇のつもりなのだろうか、それとも、と、考える必要はない。


「だんまりは肯定とみなすぜ?」


 クレイジージャックは言葉を重ねる。

 《ブレイク》から現実世界へ来た場合、物質は確かに崩壊する。現実世界の物質への変換コンバートに耐えられないからだ。

 クレイジージャックをはじめとした人間が出入りできてしまうのは、《侵度》の限界を守っているからだ。その許容限界を超えると、人間であっても崩壊する。

 とはいえ、その理論で行けば彼らは《侵度》一〇〇%である。それは知っているはずで、それでも現実世界へ行けると確信している様子からして、《カナリア》の作る《ブレイク》はその法則を覆す可能性を示唆していた。

 そうなったら、とんでもないことである。


「……つまり、君たちも最低限、《カナリア》がどういう存在か知っているわけだ」

「下手な時間稼ぎはやめとけ、子供の浅知恵なんか見え見えだ、タコ。こっちの見解をハッキリさせておいてやるぜ。《キング》。テメェのやろうとしていることは、日本政府にとって明確な敵対するに充分な行為だ」


 ――空気が、変わる。


 素早く読み取ったのは、クレイジージャックだけではない。エージェントとして鍛え上げられたサニアもそうだった。


「そう。じゃあ、死ね」


 宣言。

 一気に《キング》の全身から、殺意の氷が膨れ上がる。

 手加減と口にしていたのは事実らしい。周囲の気温が驚く勢いで低下し、床も、壁も、天井も凍り付いていく。それだけでなく、《キング》の周囲から巨大なクリスタルのような氷柱が次々と生まれて迫って来る!


 クレイジージャックとサニアはヒーターを最大限にするが、それでも霜が降りる。


 気温は、一気にマイナス四十五度を突破していた。

 警告音が鳴り始める中、クレイジージャックは笑っていた。楽しくて、楽しくて。


 もう仕方がない。


 そんな高揚感に従って、全身から稲妻を迸らせる。今、現状で可能な最大出力だ。それは容赦なく、ランダムに空気を切り裂き、迫りくる氷を砕いていった。


「サニアっ!」

「分かってますよっ! いっけぇ!」


 サニアは既に両手を銃口に変化させていた。アパッチが装備していた、チェーンガンだ。

 まるでスズメバチのような羽音を響かせ、毎分六二五発という連射性能を誇る三〇mm機関砲が火を噴き、あっさりと扉を破砕、更に奥に控えていた壁も蜂の巣にする。

 このおかげで、脇に控えていた敵が動けなくなる。


「おおっ、容赦なし! 素敵だねぇ!」

「仕方ありませんっ!」

「――このっ!」


 苛烈な勢いで《キング》が迫って来る。クレイジージャックは再び腕を振り払って稲妻を放つが、新しく生み出された氷の壁がそれを阻んだ。

 即座に粉砕されるが、稲妻も消える。

 そして、出来るタイムラグの分だけ《キング》が近寄って来る。


 恐らく、《キング》は絶対零度の魔法を放つつもりだ。


 周囲を容赦なく冷やしているのも、氷を大量に生み出しているのもその布石だろう。更に言えば、接近してきているのだから、その絶対零度の射程距離は短い。

 とはいえ、射程距離どれだけのものか分からない。だからこそ、これ以上近寄らせるワケにはいかなかった。


 いちいちの動作から高度に読み取り、クレイジージャックはハンドガンを抜いて放つ。


 青白い閃光が迸る。

 寸前で察したか、《キング》は舌を打ちながら分厚い氷を形成した。だが、それだけで終わるはずがない。壁にまで到達した氷の柱が成長し、左右から襲ってくる。

 その切っ先は鋭く、明らかに串刺しにするつもりだ。


 いちいち殺意が高い。


 息を吸い込む間という短い時間の攻防の中、クレイジージャックは笑う。


「攻撃と防御を同時にする。この細かい操作に、凶悪な発動範囲、攻撃力。はっ、さすが最強と言われるだけの大魔法使いだわ。けどな、まだまだおこちゃまだ」


 サニアが翼を広げて飛ぶと同時に、クレイジージャックがしがみつく。

 同時に指向性のある稲妻を放ち、そして解放して爆発させる。加速の補助だ。同時にハンドガンを連射し、《キング》を足止め。


「あぁぁらよっと!」


 その上で、クレイジージャックは反対方向にも稲妻を放って炸裂させ、ボコボコになって弱くなった壁を粉砕した。

 巻き上がる土煙を突っ切って、二人は脱出する。


 ――外へ。


 一気に視界が広がり、気温が上がる。気流が生まれ、冷たい空気が凄まじい勢いで押し出される。暴風に乗って、二人はさらに加速した。


「おっと、真下はスクランブル交差点かよ、ここってマルキューだったのか」

「みたいですね。って、言ってられませんよ!? なんですかこの敵性反応ヴィランシグナルはっ! 数が多すぎるっ!」

「そりゃ、ここは敵の本拠地だからなぁ。全員敵だ」


 加速しながらサニアは悲鳴を上げるが、クレイジージャックは面白そうに言う。

 指示が下ったのか、一斉に地上からの炎の迎撃がやってきた。それだけではない。空を飛べる魔法使いたちがこぞって追いかけてくる気配だ。


「さぁて、第二ラウンドと行きますかぁ?」


 クレイジージャックは嘲笑うクラウンマスクの下で、舌なめずりした。

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