第8話 アパッチ

 枠ごと砕けたガラス窓の破片の中、クレイジージャックは背中を向けていた二人の若者の背中を蹴り、そのまま下敷きにして着地する。

 跳躍のエネルギーと落下のエネルギーの全てを乗せたおかげか、背骨が粉砕する音が足の裏を通じてやってきた。


 けたたましいガラスの悲鳴と、呻き声の断末魔。外の喧騒さえ忘れるような、直後の沈黙。


 周囲には、近寄るだけで危険そうな格好をした不良と呼ばれる連中。

 クレイジージャックはすかさず起き上がり、サムズアップした。


「やっほー! おはよう、こんにちは、こんばんわ? ここいつも夜だから時間の感覚わっかんねーんだよ、すまんな。ということで、みんなのクレイジージャックだよー! 今日はね、お前らに訊きたいことがあってやってきたんだ……」

「ファイアーっ!」


 クレイジージャックの努めて明るく放った声を無視して、じゃらじゃらと全身アクセサリーまみれの金髪男が腕を大きく振りかぶり、その手から炎を生み出して放つ。

 呼応して、不良どもが一斉にその手から炎を宿し、クレイジージャックに投げつける。


 炎は容赦なく着弾し、爆発を起こした。


 巻き上がる煙。

 焦げ臭い臭いが、さっきまで充満していた、湿気じみた陰鬱な臭いを上書きしていく。

 クレイジージャックは、それをたっぷりと吸い込んだ。


「あー、やっとマシな空気を吸ったって気分だ。さっきまでションベン臭くて仕方なかったんだよなぁ。お前ら、風呂入ってるか? パンツ洗ってるか? そんなんだとちゃんと相手にしてもらえねぇぞ?」


 そう軽やかに語りながら、クレイジージャックは爆煙の中、無傷で姿を見せる。

 この程度の爆発、彼の最新の科学を駆使して作られたスーツには傷一つ付かない。もちろん、相応の使い方をする必要はあるが。


 クレイジージャックにとって、そんなものは朝飯前である。


 誰もが絶句し、沈黙する中、クレイジージャックは腰のホルスターに収めていたハンドガンを抜き構える。その圧倒的な威圧に、全員が気圧された。


「っていうかさ。お前ら、人が話してる時にいきなり魔法ぶっぱとか何考えてんの? 普通の人だったら丸焦げ死体の出来上がりだぞ?」

「うるせぇ、窓ガラスぶち破ってくるヤツに言われたくねぇよ!」

「そりゃ正論だけど、仕方ないだろ。だって俺、クレイジージャックだし?」


 おどけるように肩をすかしてから、クレイジージャックはがなる一人の眉間を撃ち抜いた。それも、あっさりと。


「さて、俺、訊きたいことあるんだけどさ、答えてくれよな?」


 クレイジージャックのクラウンマスクが、嘲笑う。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――銃声が、響く。


「う、撃て、撃てえっ!」

「おいおい、こっちは銃声の雨かよ。硝煙の匂いが涙を誘うねぇ」


 銃弾の雨を受けながら、クレイジージャックはやれやれと手を広げる。


「き、効かないっ!?」


 黒服が驚愕する中、クレイジージャックは地面を蹴り、天井にはりついてからまた蹴って相手の背後へ。同時にナイフで頚椎を切り裂いていた。

 ぶしゅ、とたちまちに上がる血飛沫と、周囲に撒き散される、濃厚な血と死の臭い。

 それを背景に、クレイジージャックはナイフを指先で遊ぶ。


「さて、次」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「くらえっ! デス・ボルトォォオ!」

「あーん? 電気で俺と勝負すんの? いいぜぇ! ヴォルト・ウェイブ」


 空中で、プラズマとプラズマが交差し、反応しあい、互いに衝突していく。

 一瞬の明滅は、世界を白く染め、狭い空間に立っていたのはクレイジージャックだけだった。擦られた地下のクラブハウス、フェンスに囲まれたそこにいた連中は、全員、全身から煙を上げて倒れていた。


「はっはぁー! 俺の勝ちだな。ということで、《カナリア》について教えてくれ……ってうわきったね! ションベン漏らしてんじゃねぇよ!」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 もうもうと、煙が上がる。

 貧相な雑居ビルからは、最後の灯火かのように火の手が上がっていて、周囲を喧噪に包ませていた。そんな光景を、少し離れたビルの屋上でクレイジージャックは眺めていた。

 柵を乗り越え、角に座り込んで足を子供みたいにぶらぶらさせている。


 しれっと拝借した紙に同じく拝借したマジックペンで書き入れる。


 あまり綺麗とは言えない文字は、彼が《カナリア》について事情聴取して全滅させた下位組織の名称で、汚らしく線が引かれている。


「んー、これで四つ目、と」

「四つ目、じゃないですよ! 何してるんですかぁ、一体!」


 鼻歌なんて決め込む能天気なクレイジージャックに、サニアは精一杯の雷を落とす。だが、仕草が女の子のそれなので迫力は一切ない。


「あ? 隠密調査だけど?」

「隠密調査とは」


 真顔でツッコミを入れられるが、クレイジージャックは気にしない。


「っていうか、全滅させてるじゃないですか。調査も何もなくないですか?」

「あーあー、分かった分かった。調査ついでに悪人退治してたんだよ」

「ついでって……」

「俺が潰した組織の連中は、ここ最近アキバで派手にドンパチやらかしてる連中だ。さすがにこんな面白い場所、潰させるワケにはいかないからな、お仕置きッてヤツだ」


 両手を広げながら、クレイジージャックは紙をくしゃくしゃにしてどこかへ投げ捨てた。

 それから起き上がり、柵を一息に飛び越える。


「お仕置きって……」

「それに、これだけ派手にやれば、向こうも本腰を入れて調べてくる。そうなれば、より上位の組織がやってくるだろうから、色々と訊けるだろ?」


 クレイジージャックが潰した組織は、《マフィア》にとっても《ギャング》にとっても鉄砲玉的存在だ。だからこそ消されてもそんなに懐は痛まない。

 だが、そんな連中でも日々集める情報は侮れず、立て続けに潰されたとなれば看過できない。そう遠くなく、彼らの本拠地――重武装した連中がやってくるだろう。


 より詳しい情報を持った連中だ。


 他にも狙いがある。

 そんな連中が出てくるまでの時間で、組織としての本気度が図れるのだ。


「ってことだから、そろそろ中間報告かな」


 クレイジージャックの言葉に、サニアは気付いて時間を確認する。突入してから、すでに四時間は経過していた。

 ぞっと、背筋が凍る。

 体感時間と、明らかに大きな隔たりがある。サニアの感覚ではまだ二時間程度だったのだ。

 エージェントとして鍛え上げられた部分だっただけに、ショックは大きい。


「おいおい、サニア。もしかしてここに長期間滞在するのは初めてか?」

「訓練では一時間程度だったので、確かに初めて、にはなります」

「はは。だろうな。この異世界ニアは時間の感覚を狂わせる。そう出来てるんだ。そうやって、《侵度》をオーバーさせる算段なんだろうけどな」


 クレイジージャックは当然のように語る。


「特に町と町を移動したら恐ろしいくらい狂うからな。時間のチェックは逐一しとけ」

「……ご忠告、どうも」

「おいおい、もっと感謝してくれて良いんだぜ? っていうかさ、お前がもっと協力してくれたら効率良いんだけど?」


 そう言うが、サニアの態度はどこか頑なだった。


「わ、私の役目はあくまでもあなたの監視です。協力したとなれば、その立場が崩れてしまいます。それは……できません」

「あーそうかい。つまんね。じゃ、俺はカワイコちゃんとお話しよっと」


 足をぶらぶらさせて、クレイジージャックは意識からサニアを切り離す。

 役に立たないなら、意識するだけ無駄だ。


 クレイジージャックは早速通信回線をオンにする。


 《ブレイク》により、異世界でも電波のやり取りは可能になっている。あの耳に良いオペレーターの声を聞こうとクレイジージャックは胸を躍らせた。


『オハヨウゴザイマス、クレイジージャック。今日ノ天気ハ……』

「っておいこらふざけんな! なんで機械音声なんだ!」


 流れたスーツにプリインストールされた音声を即座にシャットアウトし、クレイジージャックは上官へダイレクトコールを送った。

 何度目かのコールで、やっとつながる。


『もしも』

「お前ふざけんな俺のカワイコちゃんなオペレーターはどこいったんだコラ!」


 悪声を封じ込めるように、クレイジージャックはまくしたてる。その勢いは本気だった。


『いきなりなんだ、お前は。専属オペレーターなら廃止になったぞ。お前のセクハラ発言に堪えられなくなったそうで、部署転属願いが出たんだ』

「はぁ!?」

『これで何人目だと思ってる。ウチの女子職員にだって人数に限りがあるし、もうお前の発言は噂になっている。誰もオペレーターをやりたがらんのだ。その結果だ。自業自得と知れ』


 もう予め予測していたかのような矢継ぎ早に返答に、クレイジージャックは歯ぎしりする。握りしめた拳を叩きつけ、コンクリートの壁を壊した。


「ふっざけんな!」

『それよりも、定期報告の時間だろう』

「うるせぇ、死ね!」

『お前は本当に……それでは、隣にいるだろう、エージェントサンダーソニア。頼む。どうせ盗聴しているのだろう?』

「ふぇっ! 良く分かりましたね……えっと、それでは簡単に」


 驚いたサニアは、言われた通りに通信へ入り込み、報告を済ませる。

 前回も思ったことだが、エージェントらしく鍛えられているのか、実にコンパクトで分かりやすいものだった。というか、クレイジージャックが暴れて組織を四つほど潰しただけなのだが。


 そんな報告を聞いた上官は、盛大にため息を漏らした。


 想像だけで分かる。頭を抱えているはずだ。

 だが、クレイジージャックはそんなことどうでも良くて、ただ拗ねていた。


『まったく、隠密調査を皮肉ってるとしか思えない行動だな。それではエージェントサンダーソニア。あなたが見本を見せてくれないか?』


 その発言は、サニアはもちろん、クレイジージャックにとっても意外なものだった。

 あぐらをかいで肘をついて拗ねていたクレイジージャックが、少しだけ耳を立てる。


「え、え? それはどういう……」

『捜査に協力してくれと申している』

「何を! わ、私は、クレイジージャックの監視者です、その任務が……」


 サニアは明らかな動揺を見せ、おどおどし始めた。

 ここに来てからはエージェントであろうとしているためか、なりを潜めていたが、ここに来て溢れてきている。


 ――まだまだ青いな。


 と評しつつ、サニアが動揺する度にぷるるんと揺れる世界一の果実を見つめる。


『そこは理解するがね、内閣府としてはそれで良いのか、という問いですよ。もしかしたら非常に重大な事件なのかもしれない。それなのに、内閣府の秘密組織は、ただ単に見つめるだけで終わるのか、ということです』

「そ、それはぁ……!」

『それでは、いささか無責任ではないか、という話ですな。そしてもちろん、エージェントである貴方は上層部の指示に従わないといけない上に、逸脱は許されない。それは公安だからこそ、より厳しい。存じております、存じておりますとも。だからこそ』


 ピピ、とサニアの方で電子音が鳴った。

 慌ててサニアが懐をまさぐって小さい端末を取り出し、愕然とする。おそらくも何も、COSSeFからの指令だろう。


 クレイジージャックはその様子を、冷徹に見守っていた。


 COSSeFは少しばかり、上官のことを舐めすぎだ。

 ススキノ事件――《ゼロ・ブレイク》事件以降、発言力と必要性という国民の需要に答える形で再編された、総合防衛相。その中でも、異世界ニアに特化した対策期間、特殊防衛庁。その実質的司令官である上官が、ただのボンクラなはずがない。

 狡猾で冷静。必要とあらば、どんな手段をも取る胆力を持ち、その手段を取れるだけの人脈を持つ怪物なのである。


 だからこそ、クレイジージャックも彼の依頼を受け付ける。


「――COSSeFを、動かすなんて……」

『そういうことだ。エージェントサンダーソニア。君はたった今から、そこにいるバカ、クレイジージャックの相棒だ』

「し、しかしっ……私には」

『言わない方が賢明だな? 私が何も知らないと思ったのかな?』


 ――こりゃ無理だな。

 クレイジージャックはそう判断する。

 あのやり手の上官にイニシアチブを取られてしまっている状態では、何を言っても無意味でしかない。素早く、より深く切り返されて終わりだ。

 畳みかけられて、サニアは黙り込んだ。


「……分かりました……」

『それでは、よろしく頼むぞ』


 そこで通信は終わりを告げる。

 クレイジージャックは呆れつつも、サニアを見る。これで正式に協力してくれるワケだが、戦力としてはアテに出来ない。エージェントとしての能力には期待するが。


 どう頑張ってもらおうか、と思案していたその時だ。


 クレイジージャックはあるモノに気付き、反射的に起き上がる。凄まじい速度で、サニアの肩に貼りついていたそれを剥ぎ取った。


「な、なんですかぁ?」

「虫だ」


 驚いて怯えるサニアに、クレイジージャックは指先でつまんだ小さい虫を見せつける。ただの虫ではない。強い力をこめて圧し潰すと、電気が走った。


「こいつぁ……」


 まさにその時だ。

 バリバリバリバリ、とけたたましい空気を弾く音がして、それは姿を見せた。

 この異世界でも異様に映る、明らかに戦闘用に特化した美しいシルエットのヘリ。


「あ、AH-64D……っ!? な、なんでそんな軍用機がここにっ!?」


 驚愕する気持ちは、クレイジージャックも分かる。

 映画でしか見たことのないようなものが、目の前にいるのだから。しかも。明らかに標的はこちらになっている。


「虫に気付くのが遅れたツケってか……!」


 唸った直後、アパッチはウェポンラックからロケット弾を解放した。


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