第7話 草書体

 風俗系ビルが立ち並ぶ派手な一角。そしてそれを取り囲む住宅街。

 それが、《ススキノ》の全容だ。

 車なんてないから道は荒れて広いだけで、端々にゴミが散乱している。常に夜のせいか、それらを不気味にネオンのライトが照らし、衛生的にも雰囲気的にもあまり良いとは言えない。


 クレイジージャックはその中を闊歩し、立ち止まる。


 お世辞にも広いと言えない店構えには、古めかしいフォントでシューズショップと英字でデコボコの看板に刻まれていた。だがスペルを間違えている。ドアは半透明で、奥は青白い光に包まれている。

 見るからに怪しそうな雰囲気を醸し出しているが、この辺りはどこも同じような感じなので違和感はない。それが違和感だった。


「ここ、ですか?」


 だからこそ、サニアは戸惑ったが、クレイジージャックは物言わずに扉を開けた。

 ぎぃ、と錆びついた音が鳴る。

 中は人一人がやっと通れるくらいの通路で、様々な靴が青白い光の放つショーケースに収められていた。


「……靴」

「一応シューズショップうたってるからな、ここは。まぁ見ての通りセンスは最悪。このメーカーを全種類揃えてるなんて頭のネジぶっ飛んでやがる」


 鼻をつまむ仕草をしつつ、クレイジージャックは酷評する。

 サニアは同じデザインにしか見えない靴を見渡す。デザインがどうのこうの言えるセンスはないので分からないが、値段が違うので微妙に違うようだ。何が違うのか分からない。


「それよりも、店主だ店主。おい、おい、お――――いっ!」


 狭い店内では余りある大声。

 だが、反応はなかった。


「ここ、自動精算式なんですね」

「ああそうだ。クソ店主がサボりたいだけだ」


 吐き捨てるような悪態に、サニアは苦笑した。


「どこまでも悪口ですねぇ。よっぽど嫌いなんですか?」

「好きか嫌いかつったら、ピザより嫌いだけどお前よりは好きなんじゃねぇか」

「なんかヒドいですね?」

「扱い変えて欲しいならすぐ人様に銃を向けるクレイジーさを直せ。あ、いや直さなくて良いな。そこはお前の美点だ」

「それ、褒めてます? けなしてます?」

「そんなナンセンスなこと訊くな。俺が褒めてるってことだぞ? はっはー!」


 人差し指を立て、クレイジージャックは一度だけ振り返った。それからまた前を見る。

 察したサニアはその場でがっくりと膝をついた。

 何か色々とブツブツ言うが、クレイジージャックは気にしないでその手に稲妻を迸らせた。それは空気を切り裂く閃光となり、ショーケースを走らせた。


「おいっ! いるのは分かってんだ、さっさと出てこい! じゃないとこの店ごとぶっ飛ばすぞ、草書体! おら、カウントダウンだ! 一〇、九……めんどくせぇ、三!」

「あわわわわっ! まっす! まっすよぉー!」


 クレイジージャックのカウントダウン省略を受け、ドタドタと騒々しい音を立てて誰かが走って来る。

 姿を見せたのは、ぼさぼさの短髪を蛍光色の緑に染めた若者だった。かなり悪い目つきに加え、耳だけに収まらず、鼻や唇にもピアスがついていて、アブない雰囲気がある。

 だがその声は妙に可愛らしく、そのギャップにサニアは少し混乱したように引いた。


「って、おひっす! クレイジージャックのアニキ! どっしたっすか!」


 若者――草書体は気さくに手を挙げた。表情はかなり豊かそうだ。


「おう、相変わらず分かりにくい日本語使うな草書体」

「だっら、なっすか、その草書体って名前っ!」

「いや喋り方が草書体っぽいだろ」

「なっすか! ぜんぜっ、そっなこっなっすよ!」


 クレイジージャックのツッコミに草書体は反駁するが、サニアは理解するまで数秒間かかった。なるほど、確かに草書体だ。

 クレイジージャックがつけたのだろうあだ名に納得した。


「ちょっと本気で通訳が必要かもしれませんね……」

「ひっでっす!」

「ひでぇのはどっちかと言うとお前の話か方だ。そんなんだと一生童貞だぞ」

「ひっのひっみっを言わなっでっくだっす!」

「秘密もクソもねぇだろうが。それよりも、情報を買いに来たんだ」


 涙目の草書体の訴えを一蹴してから、クレイジージャックはショーケースにもたれかかった。瞬間、草書体の顔が変わる。

 ちょっとふざけたような、チャラくて軽い笑顔から、猛禽を思わせるそれに。


「――珍しっすね、なっがほしっすか?」


 声まで低くなるが、話し方は変わらない。


「あ、でもあっすか! アキバっすか! 今いっちゃんホットっすね! 今の情勢すっげっすよ! 《シンジュク》の《マフィア》がこっとこっを占領して《シブヤ》の《ギャング》はこっらこっまでっ勢力のっしてっでたがっぶんなぐっ間に機械人族が勢いつぅっててもうすっげことになっす!」

「あーはいはい、落ち着け、草書体。早口でんなこと言われたら行書体みたいになって余計聞きづらいっつうの、少しは考えろ。後、俺の欲しい情報じゃねぇから」


 言いながらクレイジージャックは草書体にヘッドロックをかけて黙らせる。

 かなり綺麗に入ったので、即座に草書体は悲鳴を上げながら腕をタップして降参を報せる。随分と乱暴ではあるが、効果的でもあるようだ。

 解放された草書体は咳き込みながらも静かになった。


「げほ、げほっ……! しっかっおもっすよ!」

「殺すつもりならもうとっくに首の骨折って引き千切ってるよ」

「しれっと恐ろしいこと言わないでください」


 さすがに物騒な発言を、サニアが咎める。

 だが、クレイジージャックがその程度を気にするはずがなく、鼻で笑い飛ばされた。


「それよりも知りたい情報があんだよ。――《カナリア》について、だ」


 やや勿体ぶって言うと、草書体の咳が止んだ。


「ホント、兄貴はどこでそんな情報手に入れてくるんすかね。今、そいつぁサイコーにクールな情報っすよ?」

「く、口調が滑らかになった!?」

「なっすか! そん驚っこっすか!」

「また口調が元に戻った! やだ気持ち悪い!」

「ひでぇ!」


 口元を押さえつつ、サニアは本気で驚いていた。

 草書体が漏れなく抗議するが、クレイジージャックは腹を抱えて笑う。それに対しても草書体はクレームを入れたが、当然取り合うはずもなく、クレイジージャックは一頻り声を上げて笑った。

 それこそ、横隔膜が二回ほど引きつるくらいに。


「あー、もう本当にサイコー。どんな化学反応だよ、科学者もびっくりして禿げて爆発するんじゃねぇの? あー、それよりも驚くだろ? こいつ」

「ええ、まともに話せるなんて」

「コイツは最高の情報を口にする時だけ、ゴシップになるんだよ」


 そう解説してから、クレイジージャックは落ち込みまくって床に《の》の字を書き出した草書体の背中を軽く蹴った。


「ほら、良いから情報を話せ」

「本当に兄貴は容赦ないっすね。まぁ良いっす。どこでその情報を耳にしたか知りませんけど、《カナリア》は今、静かに感染していくかのように広がっている噂なんす」

「噂?」


 おうむ返しに問うと、草書体は強く頷く。


「いわく、金糸雀カナリアのような歌声を持っていて、その力は、たった一曲口にするだけで異世界への扉が開かれるっていうものっす」

「異世界への扉……まさか《ブレイク》か?」

「そっす。今までは、最新の装置を使っても数週間はかけて《ブレイク》を起こす以外には、突発的に起こる侵食しか扉は開かれなかったっす。けど」

「その《カナリア》は僅か数分で開けることが出来るってか。まるで魔法みたいだな」

「噂では、そう言われてるっすね」


 となると、眉唾ものの可能性が高い、か。

 クレイジージャックは顎を親指で撫でながら考える。

 ここ異世界ニアは、常にフラストレーションが飽和している。だからこそ、こういった鬱屈を晴らすような噂話がしばしば流れる。大抵は嘘八百となって、自然と消えていく。

 

 彼の中の興味が消えかけた。


 そうだとしたら、調べる価値などどこにもないのだ。

 あの《マフィア》が動いていたのは、別の目的の可能性が高くなった。だから連中は《カナリア》を知らなかった。そう考える方が自然だ。《ギャング》の連中が動いている、という推測は外れていることになるが。


「目撃情報では女らしいんすけどね」

「女? まぁ、《カナリア》って言われるくらいだから、そりゃそうか」

「兄貴、興味をなくすのは早いっすよ。この噂話」


 クレイジージャックのあからさまな態度の変化を、草書体は素早く指摘してから、意地悪そうにニヤりと笑った。


「実は、《マフィア》の《ボス》と《ギャング》の《キング》が密かに動いてるそうなんすよ。下位組織に直接指示を出して、調べてるそうっす」


 ぴく、と、クレイジージャックの全身が一度だけ揺れた。

 その明らかな動揺に、サニアは驚愕を覚える。いや、サニア自身、クレイジージャックのそれだけでなく、草書体の話に驚いていた。


「あ、なんだそりゃ。なんでそんな超大物がしれっと動いてんだよ」


 超大物、というより、この異世界におけるツートップである。

 まず彼らに手を出してはいけない、と言われる程の危険人物であり、サニア自身もそう教え込まれている。

 にわかには信じられない話だが、クレイジージャックは草書体の話に全幅の信頼を置いているのか、前のめりになって問い質していた。


「つまり、それだけ《カナリア》の信憑性が高いってことっす」

「動いてるのは、下位組織で間違いねぇのか?」

「ええ。おそらく連中は既に自分の支配地域は調べ尽くしたんじゃないっすかね。今は《アキバ》でしのぎを削りつつ、地味に動いてるようっすよ」


 ――《アキバ》、か。

 クレイジージャックは、嘲笑うクラウンマスクの奥で目を細めて息をひそめる。


 今、この異世界ニアで最もホットな場所で、混沌としたエリア。


 確かに、身を隠すなら絶好の場所と言えるだろう。色々な勢力が手を出してきていて、一日どころか、数時間単位で勢力図が塗り替えられるのだから。

 ざわ、ざわざわと、クレイジージャックの全身が粟立つ。


 ――サイッコーにアガるじゃねぇか。これは。


 こらえ切れなくて、ぐっと拳を握る。


「だったら、そこを調査するか」

「兄貴もそれを探ってるんすね? そこのCOSSeFの女が関係してるんすか?」


 今度は草書体が身を乗り出してくる。

 ちらりと鋭い視線をぶつけられ、サニアは戦慄を覚えた。当然だ。自分の身分は、この異世界では一切明かしていないからだ。そもそも任務として異世界へ来ることは今回が初めてだ。彼が、草書体が知るはずがない。


 もちろん、クレイジージャックが情報を漏らしていれば別だが、そのような様子はない。


 それでも疑いの眼差しを向けざるを得ないが、クレイジージャックは手首から力なくぷらぷら揺らして否定する。


「それは企業秘密だ。って言っても、無意味だろうな」

「そっとっす!」


 口調が元に戻った草書体は、ニカっと不揃いな歯を見せて笑った。


「ど、どういうことですか?」


 動揺を隠しきれずサニアは問う。これは看過できない事態である。


「コイツの特殊能力だよ」

「ちょっ、そっ、そっこそ企業秘密っすよ!」


 今度は草書体が動揺した。だが、クレイジージャックに気にする様子はない。


「黙れ。勝手にこっちの情報を収集した罰だ」

「しっらねっすよ! 勝手にはってくっすから!」

「それでも人の秘密を知ったんだろうが。二〇〇m先のビルの屋上からマンションの窓を双眼鏡で覗くような真似しやがって。それ、ガチムチ兄貴が裸エプロンで乙女ちっくな秘密の情事だったらどうするつもりなんだ」

「泣くっす」

「だったらとっとと制御できるようにするんだな」


 ぴしゃりと言い放たれた草書体は、口をすぼめながら縮こまった。


「異世界の住民は、ちょくちょく特殊能力を手にする。ほとんどが悲しいくらい大したことないんだけどな。小指の第一関節が直角に曲げられるとか、目からほんの少しだけ煙出せるとか、舌を二mmくらい伸ばせるとか」

「本当に悲しいですねぇ」

「その中でも、稀にだが強い能力に恵まれる場合がある。コイツはその一例。見えない相棒が勝手に色んな情報――この世界に入ったすべての情報をランダムに拾ってくるってヤツだ。制御出来れば、世界一の情報屋になれるんだが」


 つまり、サニアがCOSSeFだという情報は、たまたまもたらされただけの結果だ。

 ある意味で安心しつつも、脅威は消えなかった。


「っす。じっさ、こっひっが、COSSeFってこっしっわかねっす」

「そうか、じゃあそれ以上の情報は知らない方が良いぞ」

「へぇ。っにしても、胸マジヤッすね、あっすか、もう兄貴の子、宿しっすか?」


 刹那だった。

 サニアは笑顔のまま目にも止まらぬ動きで腿に隠していたホルスターからデザートイーグルを抜き、ポイントと同時に引き金を絞って銃弾を二発撃ちこむ。

 クレイジージャックはその寸前で気付き、草書体の襟首を引っ掴んで手元に引き寄せ、その凶弾から回避させた。


「あひっ!?」

「それはセクハラです。撃ちますよぉ……?」


 涙目でサニアは抗議をする。


「いや、もう撃ってるから! 二発くらい! しかもキレーにドタマぶち抜くように狙いを定めやがって! 本気で殺す気だったろ今! マジでクレイジーだなお前はっ! そういうとこ好き!」

「兄貴が連れてっけあって、クレイジーっすね……」


 呆れたように草書体は引きつり笑いを浮かべてから、がっくりと意識を失った。相当なショックだったらしい。さもありなん。

 クレイジージャックは愛おしそうに顔面を撫でてから、あっさりと手を放した。

 草書体は膝から崩れ落ち、その場に眠るように倒れこんだ。


「ま、あらかたの情報は聞けたし良いか。行くぞ」

「すすすす、す、す、すす、すすす、すすすすすすす」

「何エラー起こしてんだお前は。さっさと行くぞオラ」


 口をすぼめながら「す」を繰り返してガタガタ揺れるサニアの頭をはたいて、クレイジージャックは呆れた。

 それでサニアは我に返った。


「……はっ! しまった!」

「おら、行くぞ」

「ちょっと、待ってくださいよぉ!」


 さっさと店を後にするクレイジージャックに、サニアは追い縋る。


「それで、これからどうするんですか?」

「アキバにいく。《マフィア》と《ギャング》の下位組織が動いてるんなら、そいつらを調べる方が早いだろ」

「それもそうですね……この《カナリア》問題は私としても看過できませんし……時間もまだあります。隠密調査ですね!」


 ぐっと握りこぶしを作ってサニアは言う。そんな声を出すべき内容ではない。

 とことん間抜けだな。

 と評しつつ、クレイジージャックは盛大にため息をついて、頷いた。


「ま、そういうこったな。本来、俺のスーツは隠密行動向けだし」


 クレイジージャックは壁に貼りつき、登ることも簡単に出来る。それだけでなく、他にも機能は幾つかあった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「と、いうことで、あそこ。《ギャング》の下位組織が借り上げた部屋な。調査するぞ」


 摩天楼とはまた違った、賑やかなネオンサインのビル群。アニメやCGキャラを主とした派手な看板の数々。アナーキーな臭い、どこかからする、銃声。

 その中で、クレイジージャックは時代に取り残されたかのように、古ぼけて見えるビルの屋上から、助走を付けて跳躍した。


 高く、高く。そして、遠く。


 空中でぐっと姿勢を整え、蹴り足を揃える。

 狙いは、数十メートル先、雑居ビルの窓。


「隠密活動と行きますか! いっけぇ! シィィィィジェエエエエエエエエイ……」


 カオス粒子が蠢き、スーツが淡く光る。

「キィィィィイイイイイック!!!!」


 凄まじい勢いをつけてのダイビングキックは、あっさりと窓のガラスを粉砕した。


「どこが隠密ですかぁぁぁっ!」


 という遠くからのサニアのツッコミは、全力で聞こえないふりである。


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