第三章 猫を被らば笑顔が鎧2
(……当然だけど、
視界内にあるのは、午後の陽光を浴びる、何の
(確かに、
「シルヴィア様、何かここに、気になるものでもございましたか?」
「何でもありませんわ。ただ、確かに瘴魔は消え
「はい、もちろんです。私は教会内で、引継ぎの際の資料をまとめていますので、散策がおすみになったらお声掛けください」
「お言葉に甘えて、よろしくお願いいたしますわ」
「
パリスとシルヴィアが話す間、アシュナードは二人の間を
いつもは
「私が口を開くより、おまえに任せていた方が、話が
言われてみれば、パリスは
「確かに、パリス様はなかなかの大人物かもしれませんわね」
「そしてとても
実にめんどくさい男だ、と。
吐き捨てる言葉には実感がこもっている。アシュナードは、皮肉気ながらも切なそうで。
(ひょっとして、陛下にもパリスと同じように、忘れられない女性がいるのかしら?)
訪れた直感に、日差しがかげったように感じた。
アシュナードとは政略結婚だ。愛情を期待してはいないが、目の前にいながら、心は別の人間のものだとしたら、やはり少しだけ
「まぁ、あいつのことは今はいい。過去に何があろうと、おまえが話していて、
「はい。この『吹き溜まり』におかしなところもありませんし、パリス様も今は、瘴魔退治の依頼はないと
「壁に囲まれている以外、ごくありふれた草原にしか見えないな。それに、もし瘴魔がここで発生し、外に出て行ったなら、どこか壁の一部が
「えぇ、その通りです。人里近くの『吹き溜まり』は壁で
「ならばやはり、ここから瘴魔が自然発生したとは、考えられないということか」
「同じ考えですわ。けど、せっかくここまで来たんです。もう少し『吹き溜まり』の壁の周りを見て回りたいと思いますので、付き合ってくださいませ」
シルヴィアは壁に手をあて、『吹き溜まり』の中を歩き始めた。瘴魔の気配に神経を集中させるが、どこもごく薄い
「おっ、さっきの貴族様じゃないか。用事はもう終わったんですかい?」
「えぇ、じきに終わりそうです。そちらも畑仕事ご苦労様です」
「ははっ、労ってもらうとはありがたいね。そっちの相談事も、無事に解決したのかい? 神官様に
「あの、すみません。先ほども気になったのですが、騙されるとは、どういうことでしょうか?」
「何って、決まってるじゃないか。神官様の中には、
「神官が、詐欺を……?」
「知らないのかい? お
女性は
「ですが、この教会の神官は―――――」
「あぁ、あぁ、わかっているとも。ここの教会にいらっしゃる神官様は、代々いい人ばかりさ。詐欺にまで手を出すとは思わないけど、人間、金の
「要求されたとして、それがおまえに何の関係があるんだ?」
女性は不満そうに口をすぼめ、アシュナードから目をそらし
「何って、その、もし貴族様たちがぼったくられてたら大変だろうって……」
「物は言いようだな。他人の事情に、
「そんなことは……」
「うら寂れた教会を訪れた二人の『貴族様』。確かに、明日の
「っ………」
図星なのか、女が唇を
女はもごもごと、言い訳なのか悪態なのか聞き取れない言葉を発すると、鋤を
その背中を冷めた視線で見送ると、アシュナードはシルヴィアへと向き直った。
「見苦しいものを見せてすまなかったな」
「そんな、なぜ謝るのですか?」
「いや、この国の主として謝ろう。何せ今のような人間は、この国では珍しくない」
「…………どういうことですの?」
アシュナードを見上げると、彼もまた感情の読めない瞳でシルヴィアを見つめ返してきた。
「十五年前、おまえが深い眠りにつく前は、教会の神官、瘴魔退治を行う
「えぇ、だって、瘴魔を
「そう、その通りだ。おまえたちが強く敬われていたのは、瘴魔への
「そのせいで、いもしない瘴魔の存在をでっちあげ、退治するふりをして詐欺を行う神官も出てきた、ということですのね」
「あぁ、そういうことだ。おまえの祖国である教国の
「……不安を抱えた人間を騙すのは、簡単なことですもの」
そもそも瘴魔の性質について、正確な知識を
大多数の人間にとって、瘴魔とは人を襲う、黒い毛皮と真紅の瞳を持った
――――『祝片の子の力で退治できたから、あれは瘴魔である、か』
王城で瘴魔を退治した夜、アシュナードに言われた言葉を思い出す。
(あれはきっと、詐欺師の
瘴魔が出現したと不安をあおり、祝片の子の自分たちの力で退治できたのだから、あれはやはり瘴魔だったのだと。そう、いもしない瘴魔の出現を
シルヴィアの推測を
「金策に困った、一部の神官が詐欺に手を出す。するとますます神官が
「…………
「あぁ、そうだ。だが当然、全ての神官が悪事に手を染めているわけでは無い。善良な神官が
シルヴィアから目をそらすことなく、アシュナードは静かな声で言い切った。
「先ほどの女に代わって謝罪しよう。いわれなき非難を受け、おまえも傷つい―――――」
「いえ、ちょっと待ってください。私、そんな謝られるほど、傷ついてはいませんわ」
「……なんだと? それは、強がりか?」
「違います。
「パリス様を貶めるような言葉は、聞きたくなかったです。でも、私自身は大丈夫です。だって、詐欺を働く神官が出ることは、予想していたんです。十五年前、まだ本当に瘴魔が出没していた頃から、偽の瘴魔出現を
かつて、神官は
(詐欺は許されないこと。でもお金に困ったら、その道を選んじゃう人がいるのもわかるわ)
人々の尊敬を集めるため神妙に振る舞おうと、その内心には正負様々な感情が
そのことを、常に猫を被り続けるシルヴィアは誰よりも知っていた。
(まぁさすがに、通りすがりの女性にいきなり瘴魔退治詐欺の話題をもちかけられるとまでは予想できず、後手後手に回ってしまったのも事実だけど……。ああいう
教会で働くパリスの頑張りや、かつて身を
対応に思いあぐね、女の話を
(心配、してくれたのかしら?)
だからこそ、
「お
「…………だからといって、おまえはあの女の物言いや、教国や神官に対する
アシュナードはシルヴィアを見据えると、
「おまえは本来十五年前の封印の儀のあと、死ぬまで眠り続けるはずだった。人生全てを差し出す
問いかけるアシュナードは、
「理不尽を、全く感じないわけではありません。ですが、瘴魔なき世界で教国の立場が弱くなることも、私たち祝片の子の成したことが忘れられゆくことも、予想し覚悟していましたわ」
「予想していたなら、何故おまえは封印の儀に
「十五年前は増えすぎた瘴魔のせいで、異常気象が続いていました。封印の儀を行わねば、教国を含む大陸全土が危機に
「……………顔も知らない人間の命を救う。そのためだけに、おまえは封印の儀を行ったというのか? たったそれだけの理由で、なぜ命を
「それは、私が聖女だからです」
澄んだ
シルヴィアの瞳を、その奥にある思いを見定めるように、アシュナードが金の瞳を
(怖いくらい、まっすぐで強い視線ね……)
いつもの人を食ったような雰囲気が消えたアシュナードは、抜き身の
「聖女として大陸を救うことを、私はみなから求められていました。その期待に、
「人に望まれたというだけで、命を投げ出す理由になると?」
「えぇ、その通りです、私にとっては、それだけで十分でした」
揺らぐことのない答えを、シルヴィアは
(私が聖女として求められたのも、教国に居場所を与えられたのも、全ては封印の儀を行うためだったんだもの)
物心つく前に親を
周囲の期待を裏切り、居場所を無くす
「…………どうやらその答え、嘘では無いようだな」
「納得していただけましたか?」
「あぁ、納得した。おまえの瞳と言葉に、偽りの気配は感じなかった」
言いつつも、アシュナードの瞳は
「――――だからこそ、わからない」
「わからない? 何がですか?」
「おまえが封印の儀を行う覚悟を決められたのは、儀式を行えば全てが好転し、明るい世界が訪れると信じているからだと思っていたのだが、違うのだろう?」
「……私はそこまで、
「そうだろうな。おまえは楚々とした聖女のようで、口は回るし頭も回る。封印の儀の及ぼす影響、その負の側面について理解していたのも本当だろう」
アシュナードは確認するように告げると、そっとシルヴィアのおとがいへと
「にもかかわらず、おまえは役割を果たすためにと、命を差し出す選択をした。何がおまえを、それほど役目に駆り立てた? その細い体のどこに、
アシュナードの瞳は、先ほどまでの鋭くも
瞳は強く、でもわずかだけ、シルヴィアから
(これ、私を通して、別の誰かを見てる……?)
その生い立ち上、シルヴィアは人の視線に
「っ……!!」
思わず喉を震わす。アシュナードがわずかに瞳を見開き、その指先を止めた。
「……怖がらせて悪かったな」
アシュナードは指を引くと、そのままシルヴィアから身を離し、背を向けた。
「そろそろ、パリスに頼んでいた引継ぎ資料もまとめ終わった頃だろう。資料を受け取って、さっさと城へと帰るぞ」
「……わかりましたわ」
アシュナードの背に答えを返し、歩き出す。
心を気遣われ、少しは打ち解けられるかもと思った。
(でも、アシュナードの心の中には、大切な誰かが―――たぶん、女の人、忘れられない人がいる。気まぐれに私に優しいのも、私を通して、その人を見ているにすぎないんだわ)
ある意味アシュナードは、パリスと似たもの同士なのだ。
軽い
------------------------------------------------------------------------------
次回は【2018年8月28日(火)更新予定】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます