第二章 薔薇色ならざる新婚生活3


★★★★


 シルヴィアが自室に戻ると、服を拝借はいしやくした侍女じじよは、まだ眠り込んでいた。かたすって覚醒かくせいさせ、混乱する彼女をなだめ、服を取り換えさせる。

 陛下へいかと二人きりで話がしたい、と侍女を下がらせ、アシュナードを部屋へと招き入れた。

「さぁ陛下、どうぞゆっくりとおくつろぎくださいませ」

「心にも無いことを言うな。今は二人きりだ。夫婦円満だと、無駄むだ芝居しばいも必要ない。今夜の瘴魔しようまについて、手早く話を済ませるぞ」

 アシュナードは言い捨てると、ビロード張りの長椅子ながいすに、長い足を組みこしかけた。

(……無駄むだえらそうで無礼ぶれいなくせに、それで様になってるから腹立たしいわね) 

 傲然ごうぜんとした振る舞いも、並外れた美貌びぼうのせいで絵になるのがにくたらしい。

 シルヴィアは机の引き出しから手紙を取り出すと、アシュナードへと手渡した。

「これは以前陛下から届いた手紙ですが、瘴魔の気配が染みついていました」

「私には全く感じられないが、勘違かんちがいではないんだな?」

「普通の人間や力の弱い祝片しゆくへんの子ではわからないでしょうが、私の感知能力は誤魔化ごまかせません。うっすらと微弱ですが、これは瘴魔の残り香です。陛下の近くか、あるいは手紙の配達経路のどこかで、瘴魔が近くにいたと考えられます。最近、城内で不審ふしんな黒いけものを見かけたという報告はありませんでしたか?」

「あがってきていない。具体的に、どれほど瘴魔に近づくと、気配が移るものだ?」

「断言はできませんが……だいたい、声の届く範囲はんいでしょうか? ただ、間に遮蔽物しやへいぶつがあったら、直接姿は見えなかったかもしれませんが……」

「城内は衛兵を置いているが、死角となる箇所かしよもある。先ほどの瘴魔程度の大きさで、獣の俊敏しゆんびんさをそなえていれば、見逃みのがしているかもしれないな」

「そうでしたか……」

 手がかりが残されていないと知り、シルヴィアはだまり込んだ。

「……念のため確認するが、先ほどのあれは、確かに瘴魔だったのか?」

「間違いありません。祝片の子である私の力を受け消滅したのが、何よりの証拠しようこでしょう?」

「祝片の子の力で退治できたから、あれは瘴魔である、か」

 皮肉気な笑みを、アシュナードはくちびるきざんだ。

「なぜ笑っていますの? 私、何かおかしなことを言いましたか?」

「気にするな。まだ、お前の知る必要のないことだ」

 気になる。だが、これ以上アシュナードは、その点について話を掘り下げる気は無いようだ。

 シルヴィアは頭を切り替えた。

「この城での瘴魔退治は、私にとっても予想外のものですわ。十五年前、私の行った封印の儀は、確かに成功しました。教国に伝えられた古文書にもとづけば、少なくともあと五十年は、瘴魔の出現はないはずでしたもの」

「私も、そして各国の王たちも、教国からそう聞いていたな」

「だからこそ、私にもわからないのです。それに、もし瘴魔の復活が早まったとしても、この城に現れるのはおかしいのです。瘴魔の多くは、大陸に散在する『吹き溜まり』と呼ばれる、けがれの溜まりやすい場所で発生するものですから」

「城内で瘴魔が見られるのなら、各地の『吹き溜まり』の近くで、瘴魔の目撃もくげき情報が無ければおかしいからな」

「その通りです。陛下の下には、瘴魔出現の報は届いていないのでしょう? なのに瘴魔は、この城に現れた……」

 小さく目を伏せると、シルヴィアは考えをめぐらせた。

(ひょっとして、眠り続けるはずの私が目を覚ましたのと何か関係があるのかしら?)

 封印の儀は成功し瘴魔は一掃いつそうされたはずだが、シルヴィアの目覚めといい、何か不測の事態が起こっているようだ。

 封印の儀は、シルヴィアが十五年前に術を発動させた時点で、完遂かんすいされたはずだった。

 なのに、シルヴィアがこの国にとついできたのと前後して、いるはずのない瘴魔が出現した。

(原因は、私なの? 私のせいで、この国の人が、瘴魔におそわれてしまったら……)

 シルヴィアは首を振り、暗い想像を頭から追い出した。

 今の段階で、無闇むやみに推測を進めても意味が無い。

「……瘴魔出現が何を意味するのかは、私にもわかりませんわ。ですが、今夜の瘴魔の他にも、まだひそんでいる可能性もあります。瘴魔の被害を食い止め、発生原因を突き止めるためにも、私の軟禁なんきんを解いてくださいませ」

「おまえが動けば、瘴魔の餌食えじきになる人間はいなくなると?」

「それが、聖女である私の務めですから」

 言い切った言葉にうそは無い。

 軟禁状態を脱したいのも本当だが、シルヴィアの嫁いだこの帝国で、瘴魔の爪に倒れる人間が出たら、聖女の名が泣くというものだ。 

 アシュナードは無言でシルヴィアを見つめると、薄く唇を開いた。

「ならば、一つ条件がある。瘴魔の再出現については、無用な混乱を避けるため、広く公表することはできない。おまえが勝手に動いて、面倒ごとを引き起こすのも禁ずる。この部屋を出て瘴魔について調べるのなら、私と行動をともにしろ」

「それでは、今と大差ありませんわ。早期解決のためにも、私は自由に動きたいですわ」

「ならば尚更なおさら、おまえは私とともにいるべきだ」

「どういうことですの?」

「瘴魔のねらう対象が、私である可能性が高いからだ」

 アシュナードがひとみするどくした。

「瘴魔が、よりにもよって敵の多い私の近くで現れたことを、不自然だとは思わなかったか? それにおまえと違い、私に瘴魔の浄化じようか能力はない。瘴魔をけしかけられやすいはずだ」

「それは……」

 アシュナードの敵――――つまり瘴魔の再出現に、人間が絡んでいるということだろうか?

 シルヴィアにとって、瘴魔は害獣と同じだ。人の世の外より襲来しゆうらいする、災害のようなもの。だが、いないはずの瘴魔が姿を現した以上、何か不測の事態があるのは間違いない。例えばそれが、人為を介した瘴魔の出現である可能性も考えられる。

 シルヴィアは今や、おおやけにはアシュナードに最も近しい位置にいる人間だ。

 そんな状態で、もしアシュナードが瘴魔に襲われることがあれば、手落ちにもほどがある。

「わかりましたわ。しばらくは、陛下にお供し、一緒に動きたいと思います」

「わかればそれでいい」

「……では、帝都の南にあるレナンド教会への訪問予定を組んでもらえますか? あの教会の近くには、『吹き溜まり』がありますから、この目で確認しておきたいのです」

 瘴魔の生まれ出づる『吹き溜まり』の中には、人里近くに位置するものもある。そういった場所には、瘴魔の被害を広げないよう、祝片の子の常駐じようちゆうする教会が設置されるものだ。

 現在は瘴魔の脅威きよういは無くなっているはずだが、建物の維持管理のためにも、教会には教国から派遣された人間がいるはず。彼らに話を聞き、不審ふしんな点が無いか尋ねるつもりだ。

(本当は、もっと自由に動ければいいのだけど、教国と帝国の力関係を考えると難しいわね。ここがアシュナードの支配する帝国内である以上、あまり無茶もできないもの)

 今のところ、アシュナードにシルヴィアや、教国を直接害する気はないようだが、信用することは到底とうていできない。教国の人間と連絡の取れる、貴重な機会を逃すこともできなかった。

「できるだけ早く教会を訪問したいのですが、いつ頃になりそうですか?」

「明日明後日は外せない会談が入っているから、三日後の昼下がりだ」

「わかりましたわ。では、夜ももう遅いですし、今夜はここまでにしましょうか」

 アシュナードに退出をうながし、見送りのためにと席を立つ。しかし、アシュナードが腰を浮かせる気配はない。それどころか、長椅子の座面に足を投げ出し体を横たえてしまった。

「……そこは、陛下の寝台ではありませんよ?」

「あぁ、上質な布と綿を使っているが、寝心地は良くないな」

 不満を言いつつも、アシュナードが身を起こす気配は無かった。

「気持ちよくお休みになりたいなら、寝台に行ってくださいませ」

「なんだ、おまえ、私と同じ寝台で寝たいのか?」

「何故そうなるのですか。陛下の寝室に戻って、一人で眠ればよろしいでしょう」

「私だってそうしたいさ」

「でしたら、何故ここで?」

「考えてみろ。おまえと私は、形だけとはいえ婚姻こんいん関係にある。そして先ほど、警備兵けいびへいたちの前で、二人っきりでおまえの部屋に行くと言ったんだ。警備兵たちは当然、私たちが夫婦らしく寝台の上で夜を過ごすと思うはずだし、そう勘違かんいがいしてくれた方が都合つごうがいい。なのに、わずかな時間で私が部屋を出たら不仲を怪しまれるし、厄介やつかいだろう」

「それはまぁ、そうですけど…………」

 シルヴィアは歯切れ悪く答えた。

(夫婦って、そういうもの? 一晩中同じ部屋にいなきゃいけないってこと……?)

 シルヴィアには、誰かに恋をしたことも、その先の段階へ進んだ経験も無かった。

 聖女として、封印の儀にのぞむと決めて生きていたから、まさか結婚することになるなど想像していなかった。夫婦の在り方についての知識もとぼしかったが、それを表面に出して、アシュナードに弱みをさらすわけにもいかない。

「陛下のお考えはわかりました。ですが、長椅子で寝て体を痛められたりしたら、そちらの方が厄介です。寝台をゆずりますので、そちらでお休みくださいませ」

「それならば、おまえはどこで眠るのだ?」

「陛下が起きるまで、この部屋で書物でも読んでおりますわ」

 皮肉にして幸いなことに、アシュナードと違って、時間だけは有り余っているのだ。睡眠時間の不足は、日中の仮眠でおぎなえばいい。そう思い、徹夜てつやのお供の書物を手に取ろうとしたところ、アシュナードに引き留められてしまった。

「やめておけ。書物を読んでいるうちに居眠りし、体を冷やすのがオチだろう」

「ご心配なく。私は眠りこんだりしませんわ」

「うたたね聖女様に言われても、説得力が無いな」

「誰がうたたね聖女ですか。変な呼び名を、勝手に人につけないでくださいませ」

「なんだ知らないのか? 寝台から離れられず部屋から出ないおまえの姿を見て、民たちはうたたね聖女と呼んでいるぞ?」

「……それは、陛下が私を部屋に閉じ込めていたせいでしょう。事実無根ですわ」

 ずいぶんと情けないあだ名を、知らない間に付けられていたものだ。

 よりにもよって元凶げんきようであるアシュナードに、その名で呼ばれたくは無かった。

「おまえは、うたたね聖女という名を訂正ていせいして欲しいんだろう? ならば、しっかりと睡眠をとるべきだ。一度昼夜が逆転すると、しばらくは日中も眠気に襲われるもの。三日後の教会訪問で眠たげな眼をしていたら、よりうたたね聖女の名が強固になるだけだ」

「たとえ眠気があろうとも、聖女の名にかけて、人前でうたたねなんてしませんわ」

「現に先ほど、人前で意識を失いかけていたのに、か? いくらおまえが立ちくらみだと主張しようと、うたたね聖女と言う呼び名を知る人間が見れば、どう思うかわかっているだろう」

「…………」

 黙り込む。アシュナードは目をつむり、シルヴィアを見ることも無く唇を開いた。

「私なら軍隊経験のおかげで、寝台以外で眠ることにもなれている。だから、寝台はおまえが使って問題ない」

 適材適所と言うやつだとつぶやくと、それきり会話を打ち切ってしまった。

「…………お休みなさいませ、陛下」

 睡眠態勢になるアシュナードの姿に、シルヴィアも仕方なくあきらめた。寝室から毛布を運び、アシュナードにかけ、燭台しよくだいを吹き消し寝室に入る。扉を閉めると、柔らかな寝台へと勢いよく身を投げ出した。

(うぅ……お布団気持ちいい。でも、気持ちいいからこそ、悔しいわね……)

 なかば言い負かされるように寝室に追いやられ、敗北感でいっぱいだ。

 肌触はだざわりのいいシーツの感触かんしよくが、今は少しだけうらめしかった。

(あの陛下、本当に性格が悪いわ。そんなに私を寝台で眠らせたいのなら、あんなあだ名なんて持ち出さず、素直にそう言えばいいのに――――って、うん?) 

 自分の思考にふと引っ掛かりを覚え、首をかしげる。

(ひょっとして陛下、私の体調を心配していたのかしら?)

 うたたね聖女と、人を馬鹿ばかにしたような物言いだったが、結果的にシルヴィアは、寝心地ねごこちのいい寝台を使うことになったのだ。

(血も涙も無い人間かと思っていたけど……)

 意外といい人―――とまでは思わないが、情ややさしさ、思いやりといったものの持ち合わせが、皆無では無いのかもしれなかった。

(人を気遣きづかう気があるなら、もっとわかりやすくしてくれればいいのに……。なんでああも高圧的なのかしら…………)

 とめどなく考えていると、シーツに体が沈み込むようで、睡魔すいましのび寄ってきた。

(…………そういえば、さっき急激な眠気を感じたのは何だったのかしら?)

 祝片の子が限界近くまで力を使うと体力を消耗しようもうし、身動きできなくなることはある。

 だが聖女であるシルヴィアにとって、先ほど瘴魔に使った力は全力には程遠かった。

(十五年間眠っていたせいで、まだ本調子ではないのかしら……?)

 一抹の不安が、まどろみの中で浮かび上がってくる。

 原因不明の強烈きようれつな眠気。目覚めないはずが、なぜか意識を取り戻した自分。いるはずのない瘴魔の出現。思惑の読めないアシュナード。

 わからないことだらけで心もとないが――――――

(でも今は、眠らなきゃ。せっかくあの陛下が寝台を譲ってくれたんだもの、しっかり眠らなきゃもったいないわ)

 あれこれと考えるのは、睡眠をとって頭をすっきりとさせた後だ。

 眠気に身を任せ、思考の手綱たづなを手放す。沈みゆく意識の中で、アシュナードの姿がよぎった。

(陛下の方も、よく眠れているといいのだけど――――)

 さきほど、長椅子でひとみを閉じたアシュナードは高慢こうまん雰囲気ふんいきが消え、少しだけおさなく見えた。

 その姿にどこかなつかしさを感じつつ、シルヴィアは寝息を立て始めたのだった。



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次回は【2018年8月21日(火)更新予定】

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