第二章 薔薇色ならざる新婚生活2
★★★
「よしよし、よく眠ってくれてるわね」
小机に突っ伏す侍女を前に、ハンカチで鼻と口元を覆ったシルヴィアは呟いた。
侍女はつぶやきに反応することもなく、小さく寝息を立てるだけ。念のため、鼻の間近で睡眠香を嗅がせ、顔や腕に触っても目を覚まさないことを確認する。
シルヴィアは侍女の背中に手を這わせると、白い前掛けの結びひもをほどきはじめた。
「少しだけ、この侍女服を借りるわね」
体を大きく動かさないよう注意しつつ、白黒のお仕着せを脱がせていく。侍女が風邪をひかないよう毛布をかけ、脱がした侍女服へと着替えた。
今日部屋にやってきた侍女は、シルヴィアと同じ金髪で、背格好も似ていた。皮肉なことにアシュナードに軟禁されていたおかげで、城内にシルヴィアの顔を直接知る人間は少ない。蝋燭の灯りが揺れるだけの夜間なら、簡単に正体がばれることは無いと思いたかった。
金髪をシニョンにまとめ、白い布で包む。小さく扉をあけ、周囲に人の気配がないことを確認すると、音も無く外へと滑り出た。
この城は政治中枢として機能する一帯と、皇帝であるアシュナードの居住部分とに分かれている。今いるのは居住区にあたる部分で、アシュナードと使用人しかいないはずだ。警備兵の掲げるランプから遠ざかるように歩けば、見とがめられることなく城内を進むことができた。
(こうして変装して抜け出してると、昔を思い出すわね)
足音を立てないよう気を付けつつ、懐かしい気分になる。
教国では聖女として崇められていたシルヴィアだったが、時には誰にも注目されず、気軽に振る舞いたくなる日があった。そういう時はこっそりと平の女神官の服を着こみ、かつらを被り眼鏡をかけ、お忍びで外を出歩いたものだ。
人目を避けて歩くのも、変装するのも慣れたもの。
周囲を警戒しつつ歩いていたシルヴィアは、ふと壁にかけられた絵画に目を留めた。
繊細な色彩で描かれた花々。その中の一輪のラナンキュラスが、記憶の呼び水となった。
(そういえば、変装中に会っていたあの子、ラナン君、今はどうしているのかしら?)
思い出すのは、金髪の小さな少年の姿だ。かわいらしく聡明で、心優しい子だった。
健やかに成長していれば、今頃は結婚し子供もいておかしくない年齢のはずだ。
(落ち着いて外に出られるようになったら、彼のその後を調べてみるといいかも―――っ!!)
淀んだ水に足を浸したような、微かな違和感を肌に感じる。
産毛の逆立つような感覚は、右手に曲がる廊下を進むにつれ強くなっていった。
(瘴魔の気配、こっちの方からね)
己の感覚に従い足を進めると、月光に照らされた中庭に出た。
蒼い月明かりが降り注ぎ、静寂の中で草木が枝葉を揺らしている。穏やかな、夜の帳に包まれた風景だったが、隅に植えられた低木の陰に、凝ったような瘴魔の残滓がある。
(この強さなら、つい先ほどまでこのあたりにいたはず。私の気配を感じて逃げ出したのね)
祝片の子が瘴魔の出現に敏いように、瘴魔もまた祝片の子らの存在を察知する。
シルヴィアには敵わないと察した瘴魔が、姿を隠した可能性が高かった。
(でも、これだけ残り香が強いなら、聖水が反応を示すはず)
祝片の子が自らの血をたらし、力を込めた水は、瘴魔と反応し光を発する聖水となる。
聖水は、微弱な瘴魔の気配に対してでは、反応を示さない。だからこそ、ある程度濃い気配の残る場所を突き止める必要があった。この庭に聖水をまけば、確実に変化が出るはずだ。
(あとは部屋に戻って、服を戻して、明日侍女に聖水の散布を頼めばいいわ。聖水の発光を見れば、さすがに瘴魔の存在を否定できな――――)
「夜歩きとは、わが妃には感心できない趣味だな」
「っ!?」
鼓膜を叩く、しんと冷えた低音。
反射的に振り向こうとするが、腕をつかまれ、庭木の幹に体を押し付けられてしまった。
(アシュナード……!! いつの間にっ……!?)
射すくめるような金の瞳が、間近からシルヴィアをのぞきこむ。腕をつかむ手は固く、獲物を捕らえた猛禽の爪のように、突き立てるよう強く食い込んでいる。
「痛いですわ、放してください」
「部屋から出るなと言ったはずだ。言葉が通じぬなら、体で覚えさせるしかないだろう?」
「言葉による対話を拒んだのは、陛下が先ですわ。私は何度も、外出したいと訴えました」
「まだ外に出る時期ではないと、そう答えたはずだ」
「相応しい時とはいつですか? 一年後ですか? 十年後ですか?」
「それはおまえの振る舞い次第だ。少なくとも私は夜陰に紛れ、侍女に扮して夜歩きをするような妃を、自由にさせるつもりはない。それに、少しはおかしいと思わなかったのか? 妃であるおまえに、一人の侍女しか見張りについていないことを。そして、その侍女が偶然おまえと似た背格好で、無防備に寝姿を晒したことを、不自然だと思わなかったのか?」
「…………そういったことでしたのね」
つまり、全てお見通し。最初からシルヴィアの計画に気づいて、泳がせていただけだ。
「……随分と、疑り深い方ですわね」
「疑う予兆はあった。おまえはドレスや宝飾品に執着する性質には見えなかったし、そこにあのブノワ染めのドレスを連想させる注文が来たからな。おおかた、ブノワ染めを用いて睡眠香を作ろうとしたんだろう? 試しに望み通り与えてみたら、見事釣れたというわけだ」
「ブノワ染めの睡眠香のこと、よくご存じでしたわね。陛下は博識ですのね」
「おほめに与り光栄だ」
くくっと、アシュナードは喉の奥で笑うと、シルヴィアの顎先を持ち上げた。
「ではそろそろ、そちらの言い訳を聞こうか。いもしない瘴魔の出現を騙ってまで、抜け出したのは何のためだ? 教国の人間と密会するためか? それとも、一人寝の夜の寂しさに耐えられず、密通相手でも探すつもりだったのか?」
「違います。私の目的はただ一つ、瘴魔を探し、滅することだけですわ」
「その繰り言は聞き飽きた。もう少しましな言い逃れをしろ」
「嘘ではありませんわ。それを証明するため、陛下に一つお願いがあります」
シルヴィアは銀青の瞳を煌めかせ、わずかに体に力を入れた。
するとアシュナードも警戒心を強めた。シルヴィアの体を幹へと押し付ける力が強くなる。
「何を願う? 言ってみろ」
「簡単なことですわ。――――私を、押し倒してください」
言葉と共に、シルヴィアは重心を右にずらし、幹に背をこすりつつ体を倒した。
アシュナードは、シルヴィアが拘束から逃れることは警戒していたようだが、まさかシルヴィアが更に不自由な体勢になるよう動くとは、予想できなかったらしい。
シルヴィアの腕をつかんだまま、押し倒すような形で、アシュナードも共に倒れこんだ。
白いエプロンドレスが芝生の上に広がり、その上にアシュナードの影がかかる。
ほの蒼い月明かりに照らされ、しばらくの間、シルヴィアとアシュナードは見つめ合った。
「……おまえは一体、何を考えているんだ?」
「あら、この姿勢を見てわかりませんか?」
冴え冴えとした月光より、なお冷めた金の瞳に射られ、シルヴィアはゆったりと微笑んだ。
対するアシュナードは唇を歪めると、嘲笑を口の端に乗せた。
「なんだ、色仕掛けで誤魔化すつもりか。そこまで陳腐な女だとは、見込み違いだったな」
「まさか。私と陛下は夫婦ですもの。色仕掛けなんてしませんわ」
「ならばおまえは、何がしたい?」
「わかりませんの? そんなことも理解できないなんて、こちらの方こそ見込み違いですわ」
シルヴィアの挑発に、アシュナードの金の瞳が、刃のように鋭さを増した。
(よしよし、少しはそのすかした顔が崩れてきたわね)
主導権を取り返しつつある感触に、シルヴィアは心の中でにやりと笑った。
「陛下は軍人でしたわよね? ならば、気づきませんか?」
「それはどういうこ―――――」
アシュナードは口をつぐむと、わずかに背中を強張らせた。
(歴戦の軍人だけあって、敵の気配には敏感なのね)
静かに臨戦態勢へと移行したアシュナードの視線の先には、黒くぼやけた獣―――瘴魔の姿があった。瘴魔は庭園の彫像から真紅の瞳をのぞかせ、音も無くこちらをうかがっている。
距離はまだ遠かったが、シルヴィアの探知能力は誤魔化せなかった。
「―――――瘴魔か。まさか、本当に出現していたとはな」
「納得いただけました?」
さすがのアシュナードも、いるはずのない瘴魔に、驚きを隠しきれないようだった。
「おまえが押し倒されたのは、瘴魔を油断させ、おびき寄せるためか」
「ご明察です」
瘴魔に気づかれないよう、小さく声を潜め会話する。
瘴魔は獣の姿をとるが、人の姿を観察し、隙をうかがう程度の知性は存在する。今宵の瘴魔も、シルヴィアの気配を察して一旦は隠れつつ、こちらの様子をうかがっていたのだろう。
「瘴魔には、陛下が私を襲い、自由を奪っているように見えるはずです。瘴魔は私たち祝片の子を恐れますが、同時に憎い敵である私たちを殺す機会を探しています」
「おまえが窮地に陥ったと見て、姿を現したというわけか」
「話が早くて助かりますわ」
アシュナードの声に動揺はない。油断なく瘴魔と、シルヴィアの動向をうかがっていた。
(戦場で軍功をあげ帝位に上り詰めただけあって、こういう時でもうろたえないのね)
封印の儀によって、この十五年間は、瘴魔の出現が見られなかったはずだ。現在二十四歳のアシュナードは、十五年前はまだ幼く、まともに瘴魔と対峙したことも無かったはず。にもかかわらず、その瞳に恐れや怯えは見られない。眼光を研ぎ澄まし、不敵な笑みを浮かべていた。
「瘴魔の釣りだしには成功したようだが、あれを退治する算段はあるか?」
「もちろんですわ。あの程度の小物でしたら、すぐに浄化できます」
自信をもって、シルヴィアは断言した。
(百聞は一見にしかず、ってね。聖女としての力、たっぷりと見せてやろうじゃないの)
アシュナードの乱入のおかげで、結果的に瘴魔をおびき出すことができたのだ。
ならば早急に瘴魔を浄化し、アシュナードに聖女としての力を誇示するのが望ましい。
(瘴魔の出現が証明された以上、私の浄化能力は、交渉道具になるもの)
城に現れた瘴魔は、この一体だけとは限らないのだ。シルヴィアの浄化能力は、軟禁状態を脱する、糸口になるのは間違いなかった。
瘴魔を滅することができるのは、祝片の子だけだ。瘴魔出現は忌むべき事態だが、どうせなら精一杯利用し、自由を得る足掛かりにすることにする。
「陛下、しばらくそのままの体勢でお願いしますわ。もう少し瘴魔に近づいてもらわないと、浄化の力を使おうとした途端、逃げられてしまうかもしれませんから」
「このまま、おまえを拘束していればいいのか?」
「えぇ、浄化の力は、この姿勢でも使えますか―――――ひゃうっ!?」
悲鳴をあげ、子ウサギのように肩を跳ね上げる。
首筋にあたる、熱く湿った感触。
白の襟元からのぞく素肌に、アシュナードが唇を押し当てていた。
「な、何をするんですのっ!?」
「あの瘴魔に、おまえが身動きできず、もがく様を見せつける必要があるんだろう? それらしく見えるよう、協力してやろうと思ってな」
「だからといって、なんで私の肌に触れ、っつ!?」
アシュナードの吐息が耳朶をかすめ、思わず身をすくめてしまう。
(くっ……!! こっちが余裕を見せたらすぐさま崩しにくるなんて、本当性格悪いわね!!)
確かにこれなら、より一層、シルヴィアが困り追い込まれているように見えるかもしれない。
だが、それにしたってやりすぎだ。
甘く睦言のように囁きながら、アシュナードの瞳は、こちらを見下すように笑っている。月光に濡れた髪が艶を放ち、酷薄な笑みが美しい容貌を引き立てていた。
「なんだ、もうやめた方がいいのか? 聖女とは、こうして触れられただけで、何もできなくなってしまう程度のものなのか?」
「……みくびらないでください」
乱れた息を整え、シルヴィアは言い放った。
(犬! これは駄犬に噛まれたようなもの!! 何も恥ずかしくないし動揺しないっ!!)
全力で自分に言い聞かせ、表情筋を駆使し平静を保つ。
アシュナードの存在を頭から締め出しつつ、そっと瘴魔の様子をうかがった。
(こちらの演技に騙されて、近づいてきているようね)
身を潜めていた彫像の裏から出、低木の陰から真紅の瞳を光らせている。
しゃくなことだが、アシュナードの接触に動揺したことで、隙ありと見られたらしい。
シルヴィアは一度大きく瞬きすると、すぅと息を吸った。
体内へと吸い込んだ夜気を追うように、体の内側、臓腑の奥へと意識を傾ける。
呼吸するごとに、体の芯から四肢へと、清冽な流れが満ちていくのがわかる。
「ほぅ、これは……」
シルヴィアの変化に気づき、アシュナードが興味深そうに囁く。
密着したアシュナードの体も、恥ずかしさも、瘴魔浄化へと集中した今はささいなものだ。
瘴魔に気づかれないよう、シルヴィアの内側だけで、強く強く力を高めていく。
それはまるで、ふちまで水を注がれた器を捧げ持つように。
静かに深く、感覚を研ぎ澄ましていると、瘴魔の気配が揺らいだ。
(きたっ!!)
漆黒の四肢を躍らせ、瘴魔が勢いよく飛び掛かってくる。
爛々と輝く真紅の瞳を見据え、シルヴィアは力を解放した。
「――――――光よ!!」
凛とした声音に導かれるように、シルヴィアの全身から光が立ち上った。
白光は四方へとあふれ出し、瘴魔の体を中空へと貼り付けた。
『~~~~~~~~~!!』
濁った咆哮をあげ、瘴魔が激しく全身をばたつかせる。
シルヴィアはアシュナードの体を押しのけると、すいと姿勢よく立ち上がった。
解けた髪が月光に躍り、黄金の帳のごとく背へと流れ落ちる。
苦しみもがく瘴魔を憐れむように、シルヴィアはそっと呟いた。
「―――――眠りなさい」
宣告と共に、渦巻く光が瘴魔へと集中する。光に呑まれた瘴魔の輪郭が溶け、薔薇の花弁のように散ってゆく。眩い花弁が嵐のように舞い散ると、そこに瘴魔の体は一かけらも無かった。
後に残るのは天上の月と、浄化の光の名残を受け、淡く輝くシルヴィアの横顔だけだ。
「………なるほど、これが聖女の力というわけか」
「あら、驚かれましたか?」
「あぁ、驚いた。――――美しいな」
小さく笑うと、アシュナードはシルヴィアの髪を一房手に取った。その手つきが存外優しく、花を捧げ持つようであったため、シルヴィアはとまどいを覚えた。
「いきなりなんですの? 浄化の光に対する賛辞なら、聞き飽きておりますわ」
「心外だな。私が称えたのは、おまえ自身だぞ? おまえは美しい。そして美しいものは、手の内に閉じ込めたくなる性分でな」
言葉だけをとれば、愛を囁く恋人のようだ。
だが、シルヴィアの髪を撫でていた手は、今やその肩の上に置かれていた。肩にかかる力は強い。万が一にも、シルヴィアがこの場から逃げ出さないよう、留めるためのものだった。
(やっぱり、油断ならないわね)
甘い言葉も、触れる指も、全てはこちらを動揺させるためのもの。
腹立たしい一方、そう考えた方が楽だと、何故かそう思った。
「ご冗談を。私を軟禁したいのは、私を孤立させ、味方を作らせないためでしょう?」
「人をつき動かす理由は、一つだけとは限らないさ」
「そうかもしれませんわね。でもどちらにしろ、その願いは叶いませんわ」
シルヴィアが自信をもって笑うと、中庭の入口から、いくつもの足音が聞こえてきた。
「おい、そこのおまえたち、何者だ!? 賊が閃光弾でも使って――――陛下っ!?」
駆け寄ってきたのは、黒のマントを被り槍とカンテラを手にした、城の警備兵たちだ。
警備兵はアシュナードの姿を認めると、今にも気絶しそうなほど顔を青くした。
「す、すみませんっ!! 陛下とはつゆ知らず、ご無礼をっ!!」
「気にするな。お前たちは、さきほどの光を見て駆け付けたんだろう?」
「はっ、その通りであります!!」
警備兵たちは一列に並び敬礼すると、今度はシルヴィアへと目を向けた。
月光に金の髪をたなびかせ、皇帝であるアシュナードの隣に臆することなく立つその姿。
衣服こそ地味な侍女服だが、可憐ながらも悠然としたたたずまいに、警備兵たちは気圧されたようだった。シルヴィアは彼らに微笑みかけると、胸の前で手を組み、澄んだ声で呟いた。
「――――――光よ」
「なっ、この光は!!」
「さきほどの光、侍女、おまえの仕業だったのか!?」
あふれ出した光に照らされ、警備兵たちは身構えた。
表情を硬くした警備兵たちを前に、シルヴィアは白鳥のように両腕を広げ、名乗りを上げた。
「えぇ、この光を生み出したのは私―――聖女シルヴィアです」
立ち上る光が白い肌を際立たせ、シルヴィアを夜気に浮かび上がらせる。神秘的なその立ち姿に、警備兵たちが呆けたように唾を呑み込んだ。
「あなたが、我が国に嫁いできた聖女様? ですがでしたらなぜ、侍女の服などを着て?」
「秘密裏に城内を調査するため、変装していました」
「城内の調査を? 不審者の対処のためでしたら、私たちにお任せください」
「皆様のお力は心強いのですが、今回の件では私自らが動く必要がありました。なぜなら相手は人ならぬもの、瘴魔だったのですから」
「瘴魔、ですか……? 瘴魔は聖女様のおかげで、十五年前に滅んだはずでは……?」
信じられないといった様子で、警備兵たちが顔を見合わせる。
シルヴィアは惑う彼らを導くため、鈴を振るような声で言葉を続けた。
「先ほどの光は、瘴魔を浄化するためのものですわ。ご年配のかたなら、瘴魔を祓う浄化の光を、かつてご覧になったことがありますよね?」
警備兵の中でも年かさの、いかつい髭の男に視線を向けると、男は首を縦に振った。
「はい。私は昔、祝片の子が浄化の光を放つ姿を見たことがあります。ですが、その時の光は今よりずと弱々しく、遠くから見えるほどの光量はなかったはずです。あれほど強い光を放つということは、あなた様はやはり……」
「えぇ、信じてもらえましたでしょうか? 今宵、瘴魔が出現しましたので、退治させてもらいました。お騒がせし、申し訳ありませんわ」
「はっ、こちらの方こそ聖女様を疑い、すみませんでした!!」
優雅に一礼すると、警備兵たちは慌てて敬礼を返してきた。
彼らのシルヴィアを見る目は、貴人を見上げるものだ。警備兵たちの姿を満足げに眺めていると、傍らにアシュナードが寄り添ってきた。
「なるほど、これを狙っていたのか」
「あら、なんのことでしょうか?」
警備兵たちの手前、シルヴィアは笑顔でしらを切った。
――――いつまでもアシュナード一人を相手にしていては、こちらの自由を握られたままだ。
ならば他の人間を巻き込み、瘴魔の出現と、シルヴィアの価値を認めさせるほかない。
(本当はあの程度の瘴魔、もっとひっそり浄化できたものね)
あえて強力な浄化の力を使い、光を発生させ、警備兵たちを呼び寄せたのだ。
「久しぶりの瘴魔退治でしたが、陛下のお力添えのおかげで、無事浄化することができました。用意していただいた侍女服、城内を歩き瘴魔を探すのにとても役立ちましたわ」
「あぁ、お前の方こそよくやってくれた。あれほど見事に浄化してくれるとは、私も予想していなかったがな」
シルヴィアにしか伝わらない皮肉を織り交ぜながらも、アシュナードが芝居に乗ってきた。
(よし、計画通り。軟禁していた妻が、自分で侍女服を調達して部屋を抜け出してました、なんて言ったら、自分の城内で、妻の行動すら御せない無能ということになってしまうものね)
最悪の場合、アシュナードが瘴魔の存在を否定し、全てを部屋から抜け出したシルヴィアの狂言扱いする可能性もあった。だが、警備兵たちはシルヴィアの言葉を信じていたため、強引な手を取ることも難しいと考えたのだろう。
さすがのアシュナードも瘴魔の存在を認めないわけにはいかず、シルヴィアの持ち掛けた嘘に合わせるしかなかったのだ。
これで軟禁状態を脱するための、一つ目の山場は乗り越えた。
手ごたえを感じ、ほんの少しだけ気を緩めると、ふいにその視界がかげった。
(あれ、何これ、すごく眠い―――――?)
四肢を搦め捕る眠気に、足がふらつき体がかしぐ。
深い淵に引きずり込まれるような感覚。まるで、封印の儀の時に感じた睡魔のようで――
「おい、大丈夫か?」
訝しげな声と背中に当たる衝撃。水底から浮上するように、意識が引き戻される。
背に添えられた骨ばった手に、目の前にある厚い胸板。
アシュナードに抱き留められたのだと理解した途端、慌ててシルヴィアは身を離した。
「え、えぇ、もう大丈夫です。慣れない夜歩きに、立ち眩みをおこしただけですわ」
眠気は未だ残っていたが、アシュナードの前で隙を見せるわけにはいかない。
シルヴィアが笑顔の仮面を被ると、それ以上はアシュナードも深く追及することもなく、警備兵たちに指示を与え始めた。
「ご苦労だった。今夜の瘴魔の出現については、こちらの指示があるまで口外禁止だ。持ち場に戻り、職務に励め」
「了解いたしました。ですが念のため、聖女様に何人か護衛を残した方がよろしいのでは?」
「護衛に人員を割く必要は無い。彼女のことは、私が寝室まで送り届けよう。お前たちには悪いが、二人で話したいことがあるからな」
「はっ。差し出がましい申し出をしてしまい、申し訳ありませんでした!!」
アシュナードがシルヴィアの腰に手を添え抱き寄せると、警備兵は納得したように返答した。
夫婦二人きりの時間を邪魔するのは無粋で、不敬であると察したのだろう。
(実際は、まともにしゃべったことも無いけどね)
だからといって、不仲を公にしては、面倒ごとが多くなる。シルヴィアは警備兵の勘違いを訂正することなく、アシュナードの言葉に合わせることにした。
「陛下、夜はまだ長いですわ。今夜は寝室で、たっぷりとお話ししましょうね? 私、とても楽しみです」
にこやかに言うシルヴィアから、気まずそうに警備兵らが視線を外した。
夫婦二人きりで、寝室で、楽しみ――――
――――その言葉と、警備兵らの視線の意味に思い当たり、シルヴィアが悶絶することになるのは、また別の日の話である。
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次回は【2018年8月17日(金)更新予定】
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