第一章 冬薔薇の聖女、目覚めたら花嫁2

 

★★★


(ふふっ、これで完成ね)

 姿見の前で、シルヴィアは満足げに微笑ほほえんだ。

 よくかされたかみへ、女神官が薔薇ばらしこむ。純白の薔薇とベールで飾られた髪は、月光をつむいだ糸のよう。光を帯び輝き、つややかに背中へと流れ落ちている。

 全身をおおうのは、柔らかな白のドレスだ。光沢こうたくのある薄絹うすぎぬ、淡雪のようなシフォン、薔薇 刺繍ししゆう咲くかしレース。上質な布地が幾重いくえにも重ねられ、長いすそが、花弁のように広がっている。月明かりに咲く薔薇のような、瑞々みずみずしくも華やかな、『冬薔薇の聖女』の名に恥じないよそおいだ。

 シルヴィアは鏡の正面で姿勢を正し、長いまつげに囲まれた銀青のひとみを細めた。

(どうやら、髪にも肌にもいたみはないみたいだし、体型も変わっていないようね)

 十五年間飲まず食わずだったにもかかわらず、シルヴィアの肉体は健康そのものだった。

 四肢ししはしなやかに伸び、肌はなめらか。唇の血色も良い。鏡に映る顔立ちは、封印の眠りにつく前と、いささかも変わりが無かった。十五年の月日は肉体を素通りし、十七歳で眠りについた時と同じ姿で、今のシルヴィアは存在していた。

 シルヴィアは仕上げに楚々そそとしたみを浮かべると、女神官を伴って廊下へと出た。今シルヴィアがいるのは、教国の人間以外は立ち入れない、神官用の居住棟だ。アシュナードの逗留とうりゆうする部屋まで、それなりに距離がある。向こうの訪問を待っても良かったが、教国の今の国力と力関係を考え、自らおもむくことになった。幸い体調的にも、足腰は問題なさそうだ。

 神殿内の雰囲気ふんいきを確かめるため、すれ違う神官たちと挨拶あいさつし歩いていたのだが――――

「シルヴィア様、どうかどうか、希望を捨てないでくださいませ!!」 

 赤毛の若い女神官に力説され、シルヴィアは内心でため息をついた。

(あの皇帝陛下、どれだけきらわれているの……?)

 シルヴィアは曖昧あいまいな笑みで、女神官にうなずきを返した。

 部屋から出て、歩き始めてしばらく。すれ違う神官たちは尊敬のまなざしとともに、アシュナードにとつぐことへの同情、あわれみの視線をシルヴィアへと投げかけてきた。

(『血も涙もない黒翼帝こくよくてい』に『簒奪帝さんだつてい』、三度の飯よりいくさが大好きな戦闘狂……。いくら他国の皇帝と言えど、散々な言われようじゃない)

 神官たちいわく。元々アシュナードは、伯爵家はくしやくけの出の軍人だったという。ごく薄くしか帝室の血を引いていないのだ。にもかかわらず、彼は若くして頭角をあらわした。倍数以上の敵軍を手玉に取り蹂躙じゆうりんしたりと、いくつもの目覚ましい軍功を挙げたらしい。その才覚は敵国だけではなく、帝位争いにおいても、存分に発揮はつきされたのだ。並み居る皇位継承者たちのことごとくを出し抜き、破滅はめつさせ、簒奪同然に皇帝の椅子いすをもぎとったらしい。

 一たび敵と見なせば、慈悲じひなく容赦ようしやなくたたつぶす、苛烈かれつにすぎるその在り方。

(有能なのは間違いないけど、あまりお近づきになりたくない人間なのも確かね)

 だがシルヴィアはこれから、アシュナードの妻となる。

 どれほど悪名高く気に食わない相手でも、けることはできないのだ。

(初対面では動揺して醜態しゆうたいをさらしたけど、この私に二度目はないわよ)

 シルヴィアは覚悟を決めると、足を速めアシュナードのもとへと急いだ。

 来賓棟の三階最奥、一番上等な一室。黒檀こくだんの扉を前にひとつ、深呼吸をする。お付きの女神官が、来訪を告げた。扉が内側へと開かれ、アシュナードの金の瞳と目が合う。

「こんにちは、アシュナード陛下。先日は意識を失った私を受け止めていただき、どうもありがとうございました」

「礼を言う必要などない。地面に倒れて顔に傷でもつけば、その分価値が下がるからな」

 淡々と、武器の瑕疵かしを確認するような口調で、アシュナードが言い放った。

「価値が下がる」などと、完全にこちらを物扱いした発言だ。わざわざ突き放した言い回しを選んだということは、夫婦という関係性であっても、感情的な結びつきは求めるな、という意思表示なのだろう。政略結婚である以上、それも一つの夫婦の在り方だが、一方的に物扱いされるのはごめんだった。

「えぇ確かに、価値が下がってしまいますわね。妻一人守れないようでは、夫であるアシュナード様の価値も地に落ちてしまいますもの」

「あぁ、その通りだ。よくわかっているじゃないか。私の妻となった以上、その体には傷一つつけさせないと約束するさ」

「あら、それは頼もしい限りですわね」

 シルヴィアは笑顔で心にもない言葉を吐いた。

(『体には傷一つつけさせない』――裏を返せば肉体以外、こちらの意思や人格を尊重する気はないってことよね)

 相手をけん制しあうだけの、夫婦と呼ぶには冷え切ったやり取りだ。

 空々しい会話を続ける気にはなれず、シルヴィアは本題に切り込むことにした。

「アシュナード陛下の結婚に対するお考え、十分に理解できましたわ。ですので、今回私と面会を希望した本題について、そろそろ教えてもらえませんか?」

「妻であるおまえが目を覚ましたと聞いたんだ。直接会ってその姿を見たいと思うのは、夫として当然だろう?」

「茶化さないでくださいませ」

「いや、本気さ。私の目的は、こうしておまえにここに来てもらうことそのものなのだから」

「…………どういうことですの?」

「おまえは、神官の居住棟からここまで歩いてきた。それなりの距離があったが、大きく消耗しようもうしていないようだし、体調に問題は無いんだろう?」

「そうですが、それがどうしたんですの?」

「つまり今のおまえの体調なら、明日にも馬車に乗って帝国にてるということだ」 

「明日出発を?」

 わざとらしく、シルヴィアは眉をひそめてみせた。

 結婚した以上、教国を離れ帝国におもむくことは覚悟していたが、さすがに急すぎる話だ。

「お待ちください、陛下。いくらなんでも早すぎますわ」

「むしろ遅いくらいだ。私は元々、おまえと初めて会ったその日のうちに、眠るおまえを連れ、帝国への帰途にく予定だったんだ」

「ですが……」

「体力的な心配はないと、おまえ自らが言ったんだ。すでに帝都の城には、おまえ用の部屋も準備させてある。服や身の回りの品も揃えてあるから、不便なことは一つもない。随行ずいこうする神官の選抜も終わっている。他に何か問題でもあるのか?」

(大ありよ!!)

 シルヴィアは心の中で盛大に突っ込みを入れた。

 本格的に目覚めてから、まだ半日ほど。アシュナードや帝国について、最低限の知識さえ覚束おぼつかないのだ。そんな状態で帝国に嫁ぐなど、準備不足にもほどがある。嫁ぐことは受け入れたとはいえ、教国を去る前に、ハーヴェイらともしっかりと話をしておきたかった。

(この陛下、こちらに十分な時間を与えず、自分のペースで話を進めるつもりね)

 夫婦といえど対等ではなく、アシュナードの方が上だと、そう決定づけるつもりなのだ。

 その手には乗るまいと思うものの、先ほどアシュナードに会話を誘導され、体調に問題は無いと言質げんちを取られてしまっている。

 どうすれば帝国への出発日を延ばせるか考えていると、アシュナードが唇をゆがめ笑った。

「なるほど、おまえ、怖いんだな?」

「怖がる? 私が何を怖がるのですか?」

「おまえにとって、この結婚は不意打ちそのものだ。突然現れた夫の存在に戸惑い、結婚生活に不安をいだくのも仕方ないことだ」

「私は、あなたを怖がってなどいませ――、ひゃっ!?」

 首筋に触れた感触に、思わず息が引きつれる。

 のど元から耳の付け根へと、白手袋に包まれた指がすべる。

 撫でるように柔らかく、しかし決して離れず吸い付くように。

 突然触れてきた意図を測り損ねていると、アシュナードが小さく笑った。

「やはり、私を怖がっているじゃないか」

「驚いただけですわ。いきなり何がしたいんですの?」

「顔色が悪く見えたから、もしかしたら熱でもあるのかと思ってな」

「先ほど言った通り、私は健康です。熱なんてありませんわ」

「強がることはない。病は気からと言うだろう?」

「ご心配どうもありがとうございます。でも違いま――――」

「聞け。おまえは迫りくる異国での結婚生活におびえ、馬車旅に耐えられないほど体調を崩してしまった。こんな筋書きはどうだ?」

「っ!!」

 眉が吊り上がらないよう、顔面の筋肉を全力で制御する。

(帝国への出発日を延ばしたいなら、私が結婚にしり込みしたという形にしろってこと?)

 そんな情けない話、受け入れられるはずがない。

(……この皇帝陛下、こちらが泥を被る形じゃない限り、出発日延長を許す気はさらさら無いわね。なら押し問答をするより、さっさと話を切り上げて、準備に急がなくちゃ)

 シルヴィアは今度こそアシュナードの腕からのがれると、背筋を伸ばし笑みを浮かべた。

「私は聖女です。そのようなご心配は不要ですわ。明日の朝には荷をまとめお待ちしておりますので、どうぞ馬車をよこしてくださいませ」

 怒りを笑顔の下に押し隠し言い切ると、アシュナードが金の瞳をすがめ、どこか満足げにうなずいたのだった。


★★★


 優雅ゆうがに一礼し、部屋から退出したシルヴィアを見送り、アシュナードは唇に笑みをいた。

 結婚相手である彼女が目覚めたのは、アシュナードにとっても不測の事態だった。

 彼女をどう利用するか。考えていたが、歯ごたえのある相手なのは望ましかった。

「珍しいですね。女性相手に、陛下がやる気をだすなんて」

 部屋の片隅かたすみひかえていた、銀髪の青年が口を開いた。

 紫紺しこんの瞳を細め眉をひそめた、腹心のルドガーだ。けわしい表情だが、不機嫌ふきげんではない。主君と職務に振り回されるルドガーの額には、険しい皺が寄っているのが常態だった。

「シルヴィア様は、お美しく気丈な方です。陛下はもしかして、彼女の魅力みりよくに―――」

「美しいだけの女に、興味も価値も無い」

 アシュナードは切り捨てると、唇を歪めた。

「お飾りのきさきと言えど、あまりにも物知らずでは困るからな。その点、あの女は面白い。気丈に振る舞い、あらがってくる相手程、その鼻っ柱を折りたくなるだろう?」

「彼女は陛下の臣下でも、敵対者でもありません」

「だからどうした? 目指す先が違い志を異とするなら、何も変わりはしないさ」

 アシュナードは窓の外を見つめた。薄く雲の流れる東方、臣下の待つ母国の方角を眺める。

「十五年の時を超え、奇跡的に目覚めた聖女様、だ。せいぜい精一杯、役に立ってもらうことにするさ」 


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次回は【2018年8月10日(金)更新予定】

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