第一章 冬薔薇の聖女、目覚めたら花嫁2
★★★
(ふふっ、これで完成ね)
姿見の前で、シルヴィアは満足げに
よく
全身を
シルヴィアは鏡の正面で姿勢を正し、長いまつげに囲まれた銀青の
(どうやら、髪にも肌にも
十五年間飲まず食わずだったにもかかわらず、シルヴィアの肉体は健康そのものだった。
シルヴィアは仕上げに
神殿内の
「シルヴィア様、どうかどうか、希望を捨てないでくださいませ!!」
赤毛の若い女神官に力説され、シルヴィアは内心でため息をついた。
(あの皇帝陛下、どれだけ
シルヴィアは
部屋から出て、歩き始めてしばらく。すれ違う神官たちは尊敬のまなざしとともに、アシュナードに
(『血も涙もない
神官たちいわく。元々アシュナードは、
一たび敵と見なせば、
(有能なのは間違いないけど、あまりお近づきになりたくない人間なのも確かね)
だがシルヴィアはこれから、アシュナードの妻となる。
どれほど悪名高く気に食わない相手でも、
(初対面では動揺して
シルヴィアは覚悟を決めると、足を速めアシュナードのもとへと急いだ。
来賓棟の三階最奥、一番上等な一室。
「こんにちは、アシュナード陛下。先日は意識を失った私を受け止めていただき、どうもありがとうございました」
「礼を言う必要などない。地面に倒れて顔に傷でもつけば、その分価値が下がるからな」
淡々と、武器の
「価値が下がる」などと、完全にこちらを物扱いした発言だ。わざわざ突き放した言い回しを選んだということは、夫婦という関係性であっても、感情的な結びつきは求めるな、という意思表示なのだろう。政略結婚である以上、それも一つの夫婦の在り方だが、一方的に物扱いされるのはごめんだった。
「えぇ確かに、価値が下がってしまいますわね。妻一人守れないようでは、夫であるアシュナード様の価値も地に落ちてしまいますもの」
「あぁ、その通りだ。よくわかっているじゃないか。私の妻となった以上、その体には傷一つつけさせないと約束するさ」
「あら、それは頼もしい限りですわね」
シルヴィアは笑顔で心にもない言葉を吐いた。
(『体には傷一つつけさせない』――裏を返せば肉体以外、こちらの意思や人格を尊重する気はないってことよね)
相手をけん制しあうだけの、夫婦と呼ぶには冷え切ったやり取りだ。
空々しい会話を続ける気にはなれず、シルヴィアは本題に切り込むことにした。
「アシュナード陛下の結婚に対するお考え、十分に理解できましたわ。ですので、今回私と面会を希望した本題について、そろそろ教えてもらえませんか?」
「妻であるおまえが目を覚ましたと聞いたんだ。直接会ってその姿を見たいと思うのは、夫として当然だろう?」
「茶化さないでくださいませ」
「いや、本気さ。私の目的は、こうしておまえにここに来てもらうことそのものなのだから」
「…………どういうことですの?」
「おまえは、神官の居住棟からここまで歩いてきた。それなりの距離があったが、大きく
「そうですが、それがどうしたんですの?」
「つまり今のおまえの体調なら、明日にも馬車に乗って帝国に
「明日出発を?」
わざとらしく、シルヴィアは眉をひそめてみせた。
結婚した以上、教国を離れ帝国におもむくことは覚悟していたが、さすがに急すぎる話だ。
「お待ちください、陛下。いくらなんでも早すぎますわ」
「むしろ遅いくらいだ。私は元々、おまえと初めて会ったその日のうちに、眠るおまえを連れ、帝国への帰途に
「ですが……」
「体力的な心配はないと、おまえ自らが言ったんだ。
(大ありよ!!)
シルヴィアは心の中で盛大に突っ込みを入れた。
本格的に目覚めてから、まだ半日ほど。アシュナードや帝国について、最低限の知識さえ
(この陛下、こちらに十分な時間を与えず、自分のペースで話を進めるつもりね)
夫婦といえど対等ではなく、アシュナードの方が上だと、そう決定づけるつもりなのだ。
その手には乗るまいと思うものの、先ほどアシュナードに会話を誘導され、体調に問題は無いと
どうすれば帝国への出発日を延ばせるか考えていると、アシュナードが唇を
「なるほど、おまえ、怖いんだな?」
「怖がる? 私が何を怖がるのですか?」
「おまえにとって、この結婚は不意打ちそのものだ。突然現れた夫の存在に戸惑い、結婚生活に不安を
「私は、あなたを怖がってなどいませ――、ひゃっ!?」
首筋に触れた感触に、思わず息が引きつれる。
のど元から耳の付け根へと、白手袋に包まれた指が
撫でるように柔らかく、しかし決して離れず吸い付くように。
突然触れてきた意図を測り損ねていると、アシュナードが小さく笑った。
「やはり、私を怖がっているじゃないか」
「驚いただけですわ。いきなり何がしたいんですの?」
「顔色が悪く見えたから、もしかしたら熱でもあるのかと思ってな」
「先ほど言った通り、私は健康です。熱なんてありませんわ」
「強がることはない。病は気からと言うだろう?」
「ご心配どうもありがとうございます。でも違いま――――」
「聞け。おまえは迫りくる異国での結婚生活に
「っ!!」
眉が吊り上がらないよう、顔面の筋肉を全力で制御する。
(帝国への出発日を延ばしたいなら、私が結婚にしり込みしたという形にしろってこと?)
そんな情けない話、受け入れられるはずがない。
(……この皇帝陛下、こちらが泥を被る形じゃない限り、出発日延長を許す気はさらさら無いわね。なら押し問答をするより、さっさと話を切り上げて、準備に急がなくちゃ)
シルヴィアは今度こそアシュナードの腕からのがれると、背筋を伸ばし笑みを浮かべた。
「私は聖女です。そのようなご心配は不要ですわ。明日の朝には荷をまとめお待ちしておりますので、どうぞ馬車をよこしてくださいませ」
怒りを笑顔の下に押し隠し言い切ると、アシュナードが金の瞳を
★★★
結婚相手である彼女が目覚めたのは、アシュナードにとっても不測の事態だった。
彼女をどう利用するか。考えていたが、歯ごたえのある相手なのは望ましかった。
「珍しいですね。女性相手に、陛下がやる気をだすなんて」
部屋の
「シルヴィア様は、お美しく気丈な方です。陛下はもしかして、彼女の
「美しいだけの女に、興味も価値も無い」
アシュナードは切り捨てると、唇を歪めた。
「お飾りの
「彼女は陛下の臣下でも、敵対者でもありません」
「だからどうした? 目指す先が違い志を異とするなら、何も変わりはしないさ」
アシュナードは窓の外を見つめた。薄く雲の流れる東方、臣下の待つ母国の方角を眺める。
「十五年の時を超え、奇跡的に目覚めた聖女様、だ。せいぜい精一杯、役に立ってもらうことにするさ」
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次回は【2018年8月10日(金)更新予定】
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