第一章 冬薔薇の聖女、目覚めたら花嫁2


★★★


 眠りのうちに見る夢は、過去を映す鏡となることがある。

 まどろみの中で辿たどるのは、おさないある日、初めて「聖女」と呼ばれた日のおくだった。

「……驚いた。その力、君こそが聖女となる人間なのかもしれないね」

「聖女……?」

 目の前でかがみこみ、視線を合わせるようにのぞきこんできた男の言葉に首をかたむける。

「聖女様って、何百年かに一人現れて、瘴魔しようまを全てはらう人のこと? 私が、その、聖女様?」

「あぁ。まだ可能性の話だが、君のその瘴魔を浄化じようかする力は、僕の知る誰よりも強いからね」

 男が言う力とは、先ほど自分が黒いもや、瘴魔を消したことだろうか?

 本物の瘴魔を見たのは初めてだったが、自然と体が動いた。体の芯から熱がき上がり、光があふれだしたのを覚えている。気づいた時には、黒いもやは跡形もなく消えせていた。

「…………聖女様って、すごい人なんでしょ? 私、お母さんもお父さんもいないし、ちびだし、いつも怒られるし、お金も宝石も、なんにも持ってないよ……?」

 うつむき、小さな声で呟く。

 物心ついた時には両親はく、父方の叔母おばに育てられていた。ちっぽけな自分は叔母一家のお荷物で、毎日疎まれるばかりだ。食事はいつも残り物。畑仕事の手伝いで失敗をすれば、その食事さえお預けだった。

 日々は灰色で、涙をこらえきれない日も多かった。今日も、泣いている姿を人に見られたくなくて、村はずれを歩いていたら、偶然男が瘴魔と向かい合っているのを見かけたのだ。そんな自分が聖女だなんて、とても信じられなかった。目を伏せると、やわらかく頭をでられた。

「親がいないとか、そんなことは関係ない。君は今、僕を瘴魔から助けようと動いたんだ。その力と意志は紛れも無く君自身のもので、とても尊いものなんだ」

 違う。私は気づいたら瘴魔を消していただけ。そんな立派なこころざしなんてない。

 そう言おうとして、でも、男の手がくすぐったくて、温かくて。

 久しぶりの人のぬくもりに、くちびるから別の言葉がこぼれだした。

「…………私、本当に、聖女になれますか?」

「断言はできないが、可能性は高い。でも聖女になるということは君はいずれ――――」

「なる。なりたいです! 私、聖女になりたいですっ! どんなことでもします!」

 表情を曇らせ言いよどんだ男をさえぎり、強く叫ぶ。

 男の服にしがみつくようにしてうつたえかけると、男がこげ茶の頭髪をかきあげた。

「どんなことでも、などと簡単に言っては駄目だめだよ。聖女となれば今の暮らしも、これからの人生も、全てを聖女の任にささげることになるんだ」

 さとすように言う男だったが、少女の決意は変わらなかった。

「立派な聖女になれるよう、私頑張ります。だからどうか、お願いします!!」

「……自分の命と引き換えにしても、かい? 君は、聖女が何と引き換えに世界を救うかを知っているのかい?」

「知ってます。それでも、ううん、だからこそ聖女になりたいんです。だって聖女になってたくさん頑張れば、みなにほめてもらえるんでしょ?」

 必死に問いかけると、男が痛ましげにひとみゆがめた。

「確かに、聖女として瘴魔の全てを祓えば、大陸中の人間が君をたたえ、尊敬するだろう。だが君に、聖女としての名誉めいよ以外の全てを捨てる覚悟かくごがあるのかい?」

「覚悟があるかは、わかりません。でも、居場所があるなら、そういう未来が手に入るかもしれないなら、私は聖女になりたいんです」

 だれからも気にかけられず、冷たい目で見られる毎日が続くぐらいなら。

 いずれ命を捧げることになっても、誰かに認めてもらえる方が、目の前の男にでてもらえる方が、ずっとずっと良かった。

 そう訴えかけると、根負けしたように、困ったように男がほおをかいた。

「ならば、まずは一つ目の条件だ。聖女候補となる君が平民の出では、うるさくさわぎたてるやつがいる。君はこれから、僕の遠縁の娘として、別の名前を名乗って生きることになる。名と生まれをいつわる生活が、この先ずっと続くんだ。それでも、後悔こうかいはしないかい?」

「もちろんです」

 即答する。すると、男がどこか間の抜けたみを浮かべ、手をにぎってきた。

「そうか。ならば僕と一緒にいこう――――シルヴィア。これが君の、新しい名前だ」

「シルヴィア、シルヴィア……。覚えました。私はシルヴィア。これから精一杯せいいつぱい頑張りますから、よろしくお願いします!!」

 甘い飴玉あめだまのように、新しい名を舌先で転がす。じっくりと味わうと、男の手を握り返した。

 何も持たず愛されなかった自分が聖女として、シルヴィアとしてならば必要とされるのかもしれない。自分を認めてくれる人間のためなら、どんな苦難にも耐えられるはず。そう決意したシルヴィアは、男の下で瘴魔を祓う力を磨き、知識と教養を貪欲どんよくに吸収していった。

 その過程で負けず嫌いな性分が芽を出し、「理想の聖女像」を演じるため猫を被るようになったが、おかげで多くの人間から尊敬され、居場所を得ることができた。シルヴィアは自身に求められた役割を果たすためなら、文字通り命を投げ出す覚悟だってあったのだが―――――


 ★★★


 ――――だからといって目覚めたら結婚していて、しかも相手は顔だけは極上の性悪男だなんて、さすがに予想できないし覚悟もできていなかった。 

「うぅ……、最悪ね」

 アシュナードの前でうろたえた姿をさらしたことを思い出し、シルヴィアはうなだれた。

 今シルヴィアがいるのは、白で統一された部屋の寝台の上だ。窓の外には、大聖堂の丸屋根が見える。どうやら、聖都にある大聖堂の一室のようだ。アシュナードが呼んだ教国の人間に、ここまで運ばれていたらしい。

 自身の醜態しゆうたいに落ち込みつつ、「あの傲慢ごうまん陛下へいか、今度あったら絶対泣かしてやるわ。泣いて謝ってくるところを上から目線で許してやるのもいいわね。あぁその場面を想像するだけで快感がっ! ……でも夫がそんな情けない姿なのもいやね、というか結婚って何なの本当……」と聖女にあるまじきひとごとつぶやいていたシルヴィアだったが、ふいに人の気配を感じ唇を閉ざした。

 枕の上に上体を起こす。髪を手櫛てぐしで整えていると、部屋の扉が静かに開いた。

(神官みたいだけど、見慣れない顔ね。あの暴君ぼうくん陛下より、少し年上くらいかしら?)

 白を基調にした神官服をまとった青年だ。春の陽光を集めたような、あわきらめく金のかみ。晴れわたった空を思わせる青い瞳が、ぽっかりと見開かれている。目じりのれた瞳は優し気で、アシュナードの硬質な美貌びぼうと方向性は違えど、なかなかに美しい容貌ようぼうをしている。

 青年は柔和にゆうわな顔を驚愕きようがくに染め、シルヴィアを凝視ぎようしし、かすれた声でつぶやいた。

「な、なななななな……」

「どうしましたの? 落ち着いてくださいま――――」

「生シルヴィア様っ!?」

 叫んだ青年の姿が、残像となってかき消える。

 次に気づいた時には、寝台のかたわらにひざまずく青年の姿があった。

(ひいっ!? 何今の動き!? 速いわねビビるわよっ!!)

 動揺どうようしつつ、あくまで表面は微笑ほほえんでいると、青年がせきを切ったようにしゃべりだした。

「お声を生で聞かせていただけるなんてっ!! 夢ではありませんよね!?」

「えぇ、大丈夫ですわ。こうして触れられますもの」

 シルヴィアは青年の手を取り、初対面の相手への、挨拶あいさつの祈りの句を呟く。

 青年はしばし硬直していたが、感極まったように言葉を零した。

「この手はもう洗えませんね……」

「……お気持ちは嬉しいですが、洗ってくださいませ。風邪かぜでもひかれたら悲しいですわ」

「そんな、私などのことを心配していただけるなんて、なんとお優しい……」

 青年はうっとりと呟くと、キラキラとした目でシルヴィアを見つめた。

(ま、まぶしいっ!!)

 一切のよどみなくこちらを見上げ煌めく瞳に、思わずたじろいでしまう。

 聖女として、尊敬の眼差まなざしには慣れていたが、こうも熱心な相手は久しぶりだ。気恥ずかしさと誇らしさに襲われたシルヴィアは、頬がゆるまないよう精一杯気を付けた。

「……ところで、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「パリス・コストナーと申します!!」

「ではパリス様、今外はどうなって――――」

 シルヴィアは言葉を切ると、絨毯じゆうたんの上を見つめた。

 パリスが両手で顔をおおい、ごろんごろんと転がっている。金髪をあちこち跳ねさせつつ「シルヴィア様がパリスって!! パリスって!! 私の名を!! そのお声でっ!!」と身もだえていた。

(…………なんというか、残念な方ですわね)

 なまじ容姿が整っている分、より残念さが増す。敬意を向けられ悪い気はしないが、パリスに合わせていると話が進まなそうだった。

「パリス様、そろそろ落ち着かれましたか?」

「は、はいっ!! 申し訳ありませんでした!!」 

 パリスは勢いよく身を起こすと、かしこまり居住まいを正した。

「お見苦しいところをお見せしてすみません。それよりシルヴィア様、どこかお体にご異状などございませんか?」

「特にありませんわ。でも私、十五年以上眠り続けていたのですよね?」

「はい。まさに奇跡です」

「私が目覚めた時、傍らにはアシュナード陛下がいらっしゃいました。陛下は今どこに?」

「アシュナード陛下なら、来賓棟らいひんとうの一室にいらっしゃるはずです。陛下から知らせを受け大神官様たちが駆け付けた時から、すでに一日がすぎています。一向に目を覚ます気配のないシルヴィア様の姿に、大神官様たちもアシュナード陛下の狂言を疑ったほどです」

「私、丸一日も眠っていたの? もしかしてパリス様はその間ずっと、私が目を覚ましているか、時々この部屋をのぞいて確認してくれたのかしら?」

「いえ、私がこちらの部屋に来たのは今が初めてです。先ほどまでは―――――」

 パリスの言葉にかぶさるように、扉を叩く音が鳴る。

 シルヴィアが入室を許可すると、こげ茶の髪を緩く撫でつけた男性があらわれた。

「ハーヴェイ様!!」

「やぁ、おはようシルヴィア。ぐっすりと眠れたかい?」

 穏やかでのんびりとした声に、どこかとぼけた物言い。片眼鏡モノクルごしに深緑の瞳をなごませるハーヴェイは、幼いシルヴィアを拾い育てた恩人だ。

(ハーヴェイ様、口元の笑いじわが深くなったかしら?)

 封印の儀から十五年が過ぎたということは、ハーヴェイは今四十八歳。初老にさしかかる年齢だ。しかし外見に大きなおとろえややまいの影は見られず、シルヴィアはほっと安堵あんどした。

「えぇ、おはようございます。もう眠気はありませんわ」

 答えると、ハーヴェイが深く息をついた。

 以前より少しだけ小さくなった体に、流れた時間と、目覚めないシルヴィアを見ていたハーヴェイの心労が思いやられ、胸が痛んだ。

 聖女と養父、二人の再会を邪魔じやましないよう、そっとパリスが扉へと手をかけた。

「シルヴィア様が再びお目覚めになったと、大神官様たちに伝えてまいりますね」

「よろしくお願いいたしますわ」

 パリスが一礼して去ると、ハーヴェイはシルヴィアのベッドへと腰かけた。

「シルヴィア、本当に体は大丈夫かい?」

「えぇ、大丈夫よ」

 気心の知れた養父と二人きりになり、くだけた口調で語りかける。

 そんなくつろいだシルヴィアを、ハーヴェイはじっと見つめ、頭へと手を置いた。

「なんですか、ハーヴェイ様? 寝癖ねぐせでもついてるの?」

「いいや、ただ、確認したかったんだ。君が確かに目覚め、ここにいるってね」

 片眼鏡の奥で、深い緑の瞳が緩む。つむじのあたりがこそばゆい。

 幼い少女にするような仕草だが、しばらく成すがままに撫でられていた。

 それでも、さすがに気恥ずかしくなってくる。手からのがれると、こほんと咳払せきばらいをした。

「パリス様をこの部屋に呼んだのは、ハーヴェイ様だったの?」

 ハーヴェイは名残惜なごりおしそうにしつつも、ゆったりと語りだした。

「少し用事ができて、外に出なければならなくなってね。かわりに彼に、君の様子を確認してくれるよう頼んだんだ」

「その、彼、悪い人じゃないみたいだけど、なかなかに斜め上の行動をする人ね……」

「彼はああ見えて神官としては優秀でね。それに君への敬意も本物だ。何といったって、帝国に君がとつぐと聞いて、帝国勤務の神官の任へ立候補したくらいなんだ」

「…………私がアシュナード陛下と結婚するということは、すでに決定事項なの?」

 シルヴィアは思いっきり顔をしかめた。

「そんなに嫌なのかい?」

「嫌よ!! あの男、やたらと口が達者で生意気で、上から目線すぎるわよ!」

「あぁなるほど、つまり同族嫌悪というやつだね」

「どこをどう見ればその結論に!? その眼鏡くもってるわよ拭かせてくれない!?」

 全力で否定ひていしなじるも、ハーヴェイはどこ吹く風といった様子で笑った。

「もうっ!! なんで笑ってるの!?」

「ははは、君のその威勢のいい暴言が、もう一度聞けるなんて思ってもいなかったからね」

「………」

 そう言われては、これ以上反論する気も無くなってしまう。 

 ハーヴェイは飄々とした振る舞いだが、茶化したその言葉には、思いのほか深い響きがある。

 シルヴィアの感覚では、一晩寝て起きたようなものだったが、実際には十五年が過ぎているのだ。そもそも、シルヴィアは一度も目を覚ますことは無いはずだった。どんな思いでハーヴェイが十五年間過ごしていたか想像すると、黙り込むほかなかった。

「…………ハーヴェイ様、この十五年間で何があったか、どうしてあの陛下と結婚することになったのか、説明してもらえませんか?」

「じゃあまず、念のため聞くが、封印の儀を行うまでの記憶は問題ないんだね?」

「しっかりと覚えているわ」

 十五年の昔も、シルヴィアにとっては昨日の出来事のようなもの。目を閉じれば、ありありと封印の儀を思い出すことができる。

 ――――大陸を覆う不可視の流れの集まるところ。大聖堂の裏手の薔薇園ばらえんに一人立ち、聖水のしずくで神聖文字を描く。聖別された鈴を鳴らし儀式を進めるうち、自身と世界との境界があいまいになり、温かな腕にかれるように、意識を手放したのを覚えている。

「瘴魔の浄化は、とどこおりなく完了したのよね?」

「あぁ、封印の儀は成し遂げられた。瘴魔は大陸から駆逐くちくされ、異常気象も消えうせたよ」

「よかった…………」

 シルヴィアは大きく息を吐いた。

 失敗するとは思っていなかったが、命をかけた術だったのだ。安堵で体の力が抜けそうになり、慌てて姿勢を正す。

「まぁ、成功して当然よね!! この私が行った術なんだもの!! ……でも、儀式が完了したならどうして、私は生きているのかしら? 眠ったまま息を引き取るはずでしょう?」

「君が目を覚ましたのはうれしい誤算だが、さっぱり心当たりがないんだ。これから本格的に調査させる予定だが、今のところは奇跡としか言いようが無いね」

 ハーヴェイは首をふると、お手上げだと呟いた。

「まぁ、一旦そちらは置いておいて、先にこの国を取り巻く状況について解説しよう。以前僕が語った、封印後の世界情勢の予想推移については覚えているね?」

「えぇ、大丈夫よ」 

 シルヴィアは自身が眠った後世界がどうなるか、ハーヴェイの予想を聞いていた。

 瘴魔の消失は喜ばしいことだが、その影響はとても大きく、良いことだけではないはずだ。

 例えば、瘴魔に占領されていた土地の所有権を巡って争いが置き、人間同士で血が流れる。

(……そして教国の場合は、大陸における発言権の低下が予想されたのよね)

 教国は、山間の小国だ。これといった特産品もなかったが、特殊な力―――瘴魔を浄化する能力を持った人間が多かった。彼らは『祝片しゆくへんの子』と呼ばれ、多くの祝片の子を産む家系は貴族となり、国を統治していた。シルヴィアが生まれつき強い祝片の子の力を持っていたのも、おそらくどこかで貴族の血が混ざっていたためだ。

 祝片の子は、教国のかなめ。彼ら彼女らを各国に派遣はけんすることで、教国は政治的な地位を得ていた。瘴魔がいなくなれば祝片の子の価値も下がり、教国の存在感も小さくなるはずだった。

「ハーヴェイ様の予想は、どれほど当たっていたの?」

「この国に関しては、八割がたは予想通り。残り二割は、残念ながらより悪い方だね」

「どういうことですか?」

「封印の儀の直後は、とてもうまく行っていたんだ。教国と、そして君への崇拝すうはいが大陸中で高まり、多くの巡礼者や寄付金が集まってきた」

「いいことずくめじゃない」

「あぁ、だが、うまく行き過ぎてしまったんだ。教国は流れ込んできた大量の金と人にあぐらをかき、神官の中にも高慢に振る舞う人間が増えた。当然、他国からの評判は悪くなるし、寄付金も目減りしていった。それでも封印の儀から数年はなんとかなっていたんだが……」

 遠い目をし、ハーヴェイは乾いた笑いを浮かべた。

「今ではもう、金庫もすっからかんになってしまった、ということさ」

 笑うしかないといったハーヴェイに、シルヴィアはガックリと肩を落とした。

 封印の儀を行えば全てが上手くいき万事解決、とまでは楽観視していなかったが、教国の窮状きゆうじようには、やはり苦いものがある。

「幸い、まだえるほど困窮こんきゆうしてはいないが、元々この国の収入は、祝片の子の働きでもたらされたものだ。彼らの需要じゆようが無くなった今、政治力の低下はどうしようもなかったんだ」

「そこに、あの皇帝陛下が私との結婚話を手に押しかけてきた、ということなのね?」

「情けない話だが、そういうことだ。今や教国に残されているのは、十五年前世界を救ったという事実と、そのあかしの君の存在だけ。帝国はここ数年で急速に国力を伸ばしてきた国で、まだ若い皇帝陛下は、自身と自国を良く見せる箔付はくづけを欲していたということさ」

「でも、あの陛下も、私が目覚めるとは予想していなかったはずよね? 眠り続ける私を妻として迎えたって、結婚の意味が無いんじゃないの?」

「数年後に第二王妃をめとって、跡継ぎはそちらに生ませるつもりなんだろう。君を求めたのは妻としてではなく、人の形をした宝物としてだ。ここ十五年で教国の威信は落ちたが、世界を救った君本人は今でも敬われているし、各国の庶民の間にも人気があるんだ」

「文字通り、『お飾りの妻』としてはピッタリだったということね」

「そういうことだ。陛下は君との結婚と引き換えに、教国への巨額の支援しえんをちらつかせた。今の教国に、それを跳ねのけるだけの余力は無かったということさ」

 世の中、先立つものはお金だからねぇと、無くハーヴェイがぼやいた。

 ハーヴェイとてきっと、シルヴィアを物同然に扱う結婚話には反対したに違いない。

 だがハーヴェイは弱小貴族出身で、祝片の子としての能力も平均どまりだ。聖女であるシルヴィアの育ての親として、教国内ではそれなりに影響力を持っていたが、結婚話をるには遠く及ばなかったのだろう。

「……そういうことだったのね」

「あぁ、君には本当に申し訳なく思っているよ」

 珍しく沈んだ様子のハーヴェイに、いたたまれなさを感じた。

「そんなに落ち込まないでよ。相手があの暴君皇帝なのは腹立たしいけど、私、結婚の申し出自体は嫌ではないわ」

 アシュナードのことは嫌いだが、それはそれ。

 瘴魔がいなくなった今、シルヴィアの瘴魔浄化能力は、価値がなくなってしまったのだ。

 ならば今度は、「世界を救った聖女」という肩書を生かし、教国の役に立ちたかった。

「どんとこい政略結婚、やってやろう新婚生活よ!!」

 胸を張って宣言すると ハーヴェイがどこかすねたように、小さく唇を曲げた。

「やる気は十分、か。いっそ君が嫌がってくれた方が、まだ気が楽なんだけどねぇ」

「どういうことですの?」

「君の善意に頼りきりの、僕たち大人が情けなくなるということさ」

 ハーヴェイは一つため息をつくと、壁際の書棚から、何冊かの本を抜き出してきた。

 シルヴィアのために、あらかじめ準備してあったようだ。

「せめてものおびの印だ。受け取ってくれ」

 差し出された本は、『プレストリア帝国百年史』といった、帝国に関係するものばかりだ。

「えっとつまり、これを私に読め、と?」

「結婚がけられない以上、僕にできるのは帝国や陛下の予備知識を与えることだけだからね」

「…………それはその通りだけど、お詫びというのとは、その、違うと思うの……」

 言いつつも、満更でも無い顔でシルヴィアは書物を受け取った。

(……助かるのは本当だけど。切り替えが早いというか、ハーヴェイ様らしいというか)

 ぼんやりしているようで抜け目がないし、神官のくせに俗っぽく現実主義者だ。シルヴィアが聖女としてそつなく振る舞えるよう成長したのも、彼の影響によるところが大きかった。

 早速書物の目録をながめていると、視線を感じた。

 何かまだ言うべきことがあるのかと、ハーヴェイへと視線をあげたが――――

「それとシルヴィア、もし君が――――」

「すみません、シルヴィア様。今お時間よろしいでしょうか?」

 ハーヴェイの言葉に、室外からの女性の声が重なった。

 女性を優先するようハーヴェイが合図したため、扉の外へと答えることにする。

「えぇ、大丈夫ですわ。何かありましたの?」

「アシュナード陛下が、面会を希望されております。お会いになりますか?」

「…………わかりましたわ。正装に着替えますので、お手伝いをお願いしますわ」

 アシュナードはさっそく、シルヴィアの目覚めを知ったのだろう。彼にとっては異国の地であるはずなのに、随分と耳ざといことだった。



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次回は【2018年8月7日(火)更新予定】

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