3 Uni birth

「私は普通の人間ではありません」


  彼女の話はそう始まった。もう誰もいない教室の椅子に座って、私達は向かい合って話す。


 それは見てて分かるけども。そう返すと田中ハナコは、静かに首を横に振った。


「普通の人間ではない、というのは社会的性質についてではなく、より本質的なものです。よりわかりやすく言えば、私は霊長目ヒト上科に属するヒト科、いわゆる広義の意味での人間と呼ばれる種族ではない、という事です」


 より分かりやすくと言っているが、全然分かりやすくなんかないぞ、と私の現代文の成績表に二といつも書かれる脳が訴える。


「現在地球に接近している、あなた達人間がサンサーラ彗星と呼称している物体についての知識は?」

「あ、それなら知ってる。確か九十何日か後ぐらいに地球に一番近づくって」

「十分です。しかしあなた達人類はあの物体に対して間違った認識をしています」

  

 間違った認識?


「直径四十キロの核を内部に持って地球に来訪するあの物質は、あなた達が彗星と呼称する太陽系小天体ではありません」


 頭上に? マークを浮かべる私の顔を見た田中ハナコは、一瞬考えるように目を伏せ、そして開いた。


「あの巨大物質内部の核を構成する成分は、水、炭素、アンモニア、硫黄、フッ素に鉄と珪素、その他十数種の元素です」


 すなわち、と彼女は言葉を続けた。


「あなた達が彗星と呼称する物体は、巨大な生物の卵です。そして私はその生物の卵から生み出され、地球に派遣された、十八万九千六百七十二体の端末個体の内の一体」


 星を卵にして生まれる生物。それを聞いた私の脳内では、火を吹いて大都市を滅茶苦茶にする巨大怪獣がその星から生まれた生物に足で踏みつぶされる光景が繰り広げられていた。


  彼女は眼鏡を外した。田中ハナコは、元々それが不必要なものだったかのように変わらない視線を脳内妄想を広げる私に向ける。


「この星を滅ぼす為の前準備を任された存在。あなた達からすれば、そうですね、分かりやすいネーミングをするならば」

  宇宙人、といったところでしょうか。

「この星を侵略、すなわち領土化する気はありませんが」

 

 彼女はそう付け足した。



「桜田ヒカリ」


 彼女の凛とした声でいきなり名前を呼ばれるとドキッとする。


「あなたはこの宇宙、この星、そして人類の誕生の経緯を知っていますか?」

 言わせてもらおう。知る訳がない。普通の女子高生がそんな小難しい事を知っていると思ったら大間違いだ。


「今から百三十八億年前、宇宙誕生のきっかけとなるビッグバンと呼ばれる現象が起きました。その現象後宇宙は拡大を続け、そして約四十五億年前に地球、つまりこの星が生まれました」


  私の頭の中では沢山の数字の〇が手を繋いで踊っている。田中ハナコの話についていく為に、私も必死に彼女の話に手を伸ばす。


「しかし宇宙誕生の遥か以前から、この次元には知性と呼ばれる概念が存在していました。我々はそれを便宜上、この国の言語体系で出力するならば十高次元時空思念体と呼称しています」


 あ、駄目だ、伸ばした手が突き放された。眼鏡を外した田中ハナコは、今まで以上に無機質な瞳で私の思考停止を読み取った。


「誤解を恐れずに噛み砕いて説明する事が許されるなら、神様と呼称するのが一番定義から離れず、理解しやすいかもしれません」


 私の頭の中を一杯にしていたフワフワしていたイメージが、急に白いひげを生やして頭の上に輪っかを乗せている偉そうなおじさんに変わった。


「神様はこの次元を構成する点と紐の境目から、まだ何も、宇宙すらなかったこの世界を視ました。視る、という行為は世界を変えます。観測行為によるカオス力学的な量子干渉による事象の固定。それによりこの宇宙、並びに太陽系を含む――「ちょっと待ってストップ! あ、さっきみたいに黙らなくていいから!」了解しました」

「説明が長いし難しすぎ! 出来るだけ簡単にお願い!」


 ふむ、と彼女は顎に手を当てて珍しく思案する。うう、賢い人のレベルを馬鹿に合わせてもらうのってなんか罪悪感・・・・・・。


「シュレディンガーの猫、という逸話はご存知ですか?」

「んーー、名前くらいは」

「簡潔に説明すれば、例え自分がその箱の中にボールを入れて閉じたのだとしても、実際に箱を開けて中身を見るまではその箱の中にボールがあるかどうかは不確定である。その箱の中を開けて実際にその眼で見た瞬間、中にボールがある、またはないというどちらかの結果に確定する、という理論です」


 う~ん、まだなんとなく分かる。でもなんでその理論の名前に猫?

「元々の例えは、猫を箱の中に入れてその箱の内部を毒ガスで満たした後、その箱を開けるまで猫が生きているか死んでいるか分からない、というものだからです」

 なるほど、馬鹿な私でも実際にそんな実験する奴がいたら頭がおかしいって事くらいは見なくても分かるぞ。


「この理論と同じ事がかつてこの世界で起こりました。何もないこの世界が先ほどの例えでの箱です。しかし何もないゆえに誰もいない為、この世界に何もないと証明できない。そんな曖昧な状態の時、神様がこの世界を見て、そしてこの世界には何か、すなわち現時点で宇宙と呼称されるものが“ある”という結果が観測されたのです」


「え? でもおかしくない、何もないからあるって矛盾してるんじゃ・・・・・・」


 そう言うと田中ハナコは静かに首を振った。その小さな動作にはしかし、「本当は説明できるけどあなたがあまりに馬鹿すぎるので、あなたでも理解できるレベルにまで話を簡単にするのは困難です」という慈悲と憐みに満ちた意思が垣間見えたので、私はそっと口を閉ざす。


「その観測効果によって生まれた宇宙で、続いて神様は星が生まれるか生まれないかという状態を観測し、“星が生まれる”という結果に収束させたのです。そうやってこの宇宙には太陽系、そしてその内の一つでる地球が作られました」


 私は向かいあって座って理路整然と話す田中ハナコの唇をじっと見つめる。

「・・・・・・どうかしましたか?」

「ううん、なんかすっごい難しい話してるのに、様付けするの可愛いな、って思っただけ」


 そう言うと田中ハナコは静かに指を伸ばし、今は付けていない眼鏡のブリッジを上げようとして額を突いた。あれ、もしかして照れてる?


  田中ハナコは何事も無かったように居住まいを正して、話しを再開した。


「そうして現在の宇宙の原型を作った神さ、いえ、神は、ついで各主要な惑星に代理管理者を配置しました」

 言い換えるのも可愛いと思ったけど、言うのはやめておいてあげた。


「代理管理者?」

「神様が校長と呼ばれる役職に値するとすれば、代理管理者は各クラス担任、というイメージで結構です」

 おお、今までで一番ちゃんと理解できた。


「そしてこの惑星、地球にも代理管理者は置かれました。代理管理者は誕生直後の高熱の地球を整地し、海や大陸、後に生物が生息する環境を作り、連鎖的に微生物が生まれ、そして――」

「・・・・・・そして?」

 私は続きを促す。


「地球誕生から約四十五億年が経った時、代理管理者は夢を見ました」


「・・・・・・へ?」

 夢? 何か急に見知った単語が出てきて一瞬思考がフリーズした。


「夢、と呼称しているだけです。実際は世界を構成する点と紐の狭間か、別次元の可能性を見たか。しかし代理管理者が、当時の宇宙にはない光景を見たのは確かです」

「その時の宇宙には、なかった光景・・・・・・」


「代理管理者は、自分が他者と笑いあう光景を見たのです」


  人と人が笑いあっている光景。

 それは、今となってはなんら特別なんかじゃない光景。

 

 けれど私達が生きるこの星は、ずっとその光景がない世界にいたんだ。四十五億年間も、ずっと一人で。


「この星の代理管理者は、その光景に当時では名状し難き概念、それから数万年経ってあなた達人間が“愛”と名付けた感情と、多幸感を抱きました。そしてその事を代理管理者は宇宙全体の管理者である神に知らせました。自分が見たもの、感じたものの素晴らしさを。そしてその愛という感情を持った存在を新たに生み出そうと進言したのです。愛を知る種族でこの星が満たされれば、この宇宙はより良い世界になると考えて」


 それはきっと、あてもなく歩く砂漠の中でオアシスを見つけた時のような、この地球がようやく四十五億年の孤独から抜け出せる希望だったんだろう。


 砂漠、行った事ないから分からないけれど。


「そして神はそれを許可しました。孤独だったのは他のどの惑星もでしたから、それを抜け出せるこの星の管理代理者の案は全ての星にとって歓迎されるものでした。神はまず、試験的に発案者である地球で愛を持った種族を作らせたのです。地球で上手くいけば、他の星でも同じようにする為に」


 そこまで言って、田中ハナコは一度口を閉じた。心なしか、彼女がスカートの上に置いている手が強く握り直されたような気がした。



「そうやってこの星に人類が生まれたのです。言葉を喋り、歌を歌い、踊り、絵を描き、詩を紡ぐ唯一の種族が」


 


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