第9話

「ねえ志輝。これ、どうかな?」


 汕子は、露店に並べてある簪の一つを手に取ると、髪に合わせて振り返る。


「似合います」

「じゃあこれは?」

「そちらもいいと思いますよ」

「…」

「あのね、汕子。志輝はそんなもんだよ」


 珠華と志輝、そして汕子は城下を見て回っていた。明日から会談が始まり、身動きが取れなくなるため、今のうちに汕子に付き合っているのだ。

 久しぶりに姉である珠華と並んで歩けば、いつも以上に人の視線を感じる。同じ顔が二つ並ぶのだから仕方がないが、鬱陶しくてかなわない。

 早く屋敷に帰りたいと思うが、汕子を預かっている以上仕方がない。

 汕子が嫌なわけじゃない。でも、向けられる想いには応えてやることができないから、ある程度の距離は必要で。

 きっとこれが雪花と二人で歩いているなら、気持ちはもっと違うのだろう。

 今こうして簪を見ていても、彼女なら何が似合うのだろうか、とつい考えてしまう自分がいる。大ぶりな派手な簪ではなく、例えばそう。真珠貝の花の真ん中に小さな赤瑪瑙が添えられたものとか。いや、彼女の瞳と同じ琥珀が添えられたものも似合うだろう。

 無意識に手にとって見ていると、男の店主が「さすがだねえ」と声をかけた。


「そりゃ、琥珀と鼈甲を使った数少ない品の一つさ。まあお値段ははるがね、価値はあるよ!そのお嬢さんなら簪に負けない美人だしね!」


 するとそれを側で見ていた珠華は、すぐに志輝が何を考えていたのか分かったのだろう。志輝だけに聞こえるように、小声で「馬鹿」と呟いて呆れた顔をしていた。この姉には隠し事はできない。双子の性なのか、何故か考えている事は互いに筒抜けなのだ。


「琥珀も綺麗だけど、私はもっと可愛いのが好きかなぁ…」


 幸い、汕子は気づいていないようだ。珠華が「少しは気を使いなさいよ」と目で訴えている。


「私、ちょっとあっちの方を見てくるから。見終わったら声かけて」


 珠華は別の露店を指さすと、一人で颯爽と歩いていってしまった。


「ねえ志輝」

「はい?」

「こっちの蝶と、そっちの花の簪。どっちがいいか、せめてそれだけでも選んで。お願い」


 真っすぐな目を向けられ。さすがの志輝も無下に断ることはできず、内心嘆息すると蝶の簪を選んだ。

 彼女は花、というよりも蝶だ。蛹から美しくかえった鮮やかな蝶。

 汕子にその簪を手渡していると、彼女が志輝を通して目を見開いたのが分かった。

 志輝も振り返ってその視線の先を追えば、そこにいたのは二人の男女―――羅儀と雪花であった。


(なんで、あの二人が。…いや、仕方がない。事件がどうのこうのと言っていたし…。でも、距離が近すぎやしないか。なぜ手を繋ぐ必要がある)


 知らずのうちに、目が据わっていく志輝である。


「雪花さん…。なんだか、仲良さそう。志輝、知っているの?」

「…あれは、元同僚みたいなものですよ」


 まさかいとこ同士とも言えず、志輝は言葉を濁す。言ってもいいが、彼の正体がばれた時にややこしくなる。


「でも、あの男の人。眼帯をしていて強面だけど、みんな見ているわ。かっこいいものね」

「そうですか?」


 雪花ではないが、ぶっきらぼうに志輝は答えた。何しろ面白くない。

 二人はなにやら話し込んでいたが、志輝達の視線に気づくと揃ってこちらを振り返る。

 むっと眉をしかめた志輝に、羅儀が片方の口端を持ち上げた。挑発するように。

 そして雪花に何か耳打ちをし、顔を上げた雪花に覆いかぶさった。


 その瞬間、頭の中で何かが焼き千切れる音がした。



 ◇◆◇



 昼食を食べずに移動していた雪花は城下に立ち寄っていた。熱々の炒麺で腹を満たして一息つくと、暖簾をくぐって外に出る。そして、そろそろ戻るかと歩き出したとき、後ろから声をかけられた。


「おい、雪花」

「あれ、羅儀」


 雪花は足を止めて振り返る。そこに居たのは、外套に身を包んだ羅儀だった。


「何してんだ」

「私はほら、例の事件に駆り出されてる」

「あぁ、美月の…。何か分ったか?」

「まだなんとも言えないよ。でも、ちょっと不可解だってことは分かってきた。詳しくは説明できないけど」

「そうか…」

「それより羅儀は?」

「俺か?明日から会談が始まるからな。打ち合わせを終えたから帰ってきた。ったく、堅苦しいのは疲れるな」


 肩を回しながらため息をつく羅儀に苦笑すると、二人は揃って歩きだす。


「お疲れだね。そういや、江瑠沙の女王様も到着したんだろ?」

「ああ。ちらっと見たが美人だったな」

「へえ。ちょっとは楽しみできてよかったじゃん」

「あのなぁ、他所の国の女にうつつ抜かしてたら爺と紫雲に殺されるっての」

「はは、そりゃそうだ。…二人の体調はどうなんだ?」


 雪花にとっても祖父といとこにあたる彼らのことを尋ねた。祖父は高齢の上毒殺されかけていたし、紫雲は手術をした後だ。


「爺は大丈夫だ、確実に回復しているし。紫雲はそうだな…。まだ浮腫みが取れないし、時々熱が出ているからどうかと言われたら分からないが。本人自身は頑張ってる。おまえんとこの楼主に教えられた運動もしっかりやってるみたいだし。それに、いつになるか分からねえが、許しが出れば自分の足でおまえに会いに行くと伝言を頼まれた」


 その言葉に雪花は目をまん丸くさせると、口元を微かに綻ばせる。


「…そっか。なら、待っていると伝えて」

「ああ」

「それで、羅儀はいつまでいるつもりなんだ?」

「あー…あと五日程だな。明日から二日間は朝から晩まで会談。三日目は親交を深めるための宴だとさ。それが終われば、ちょっくら街でのんびりしてから帰るさ。爺に、少しは休んで来いと言われたし。てなわけで、会談が終わったら酒でも付き合えよ。玉兎らも会いたがってる」

「うん、いいよ。皇子様の奢りなら」


 さらりとそう言って頷くと、羅儀が横目で睨みをきかしてきた。


「…てめえ、こんな時だけ身分持ち出してんじゃねえよ」

「だって、手助けした礼をもらってない」

「良い性格してんな、おまえ」

「ちなみに保存用に古酒も欲しい」

「ざけんな」


 後頭部を軽く叩かれたので、雪花も膝裏に蹴りをお見舞いしておく。


「ってえな」

「そりゃこっちの台詞だ」

「てめえ、少しは御淑やかになれよ。紅志輝に愛想つかれるぞ」

「手遅れだね。大概愛想つかれてるよ」

「ああそうかよって…。おい、おまえ本当に愛想つかされてんじゃねえのか?」

「は?」


 羅儀は何かを見つけると突然足を止めた。そして雪花の手を引いて、止まっていた荷馬車の裏に二人そろって身を隠す。


「何なんだよ」

「噂の旦那が浮気してるぞ」

「はぁ?」


 雪花は物陰から顔を覗かせて、羅儀が指さす方へ視線を向ける。


(…あ、)


 そこには、露店で買い物をしている志輝と汕子の姿があった。二人は美男美女で、通りがかる人々がちらほらと視線を向けているのがよく分かる。


「おまえ、なに浮気されてんだよ」

「…あれは、あいつの許婚(候補)らしいよ」

「はぁ!?」

「ばっか、声がでかいよ!」


 雪花は慌てて羅儀の口を押さえつけた。いや、別に慌てる必要も、隠れる必要もないのだが。

 そしてこそこそしている雪花達にも、行きかう人々が不審そうな目で見ているのだが、当事者達は気づかない。


「なんだあいつ、二股か?」

「いや、だから。この間グレンが言ってただろ?」

「ああ、例の押しかけ女房か」

「そうそう」

「にしては、印象イメージが違うな。…おまえ、色んな意味で負けてるぞ」


 雪花の顔を。そして胸元と腰をみて、羅儀は神妙に何度も頷く。一方の雪花は拳を握り、羅儀の目の前に掲げて見せた。

 自分も人の事を言えたクチではないが、こいつも大概だ。やはり血の繋がりのせいなのだろうか。


「あのねえ。人には個性ってのがあるんだよ」

「おいっ、冗談だろっ」

「ふんっ」


 鼻を鳴らしてとりあえず拳を引っ込める。だがもう一度、ちらりと彼らを見て。雪花は、ぽつりと呟きを落とした。


「……でも、本当の事だよ」


 顔に僅かな陰りを落として顔を俯かせる。彼らは、誰が見ても似合いの二人だ。もしあそこにいるのが雪花なら、きっとそうにはいかないだろう。

 羅儀は片眉をあげると、雪花の額を指で小突いた。


「おい、らしくねえな。おまえまさか、身を引くつもりじゃねえだろうな」

「…私だって、色々あるんだよ」

「色々ってなんだよ。好きなんだろ、奴の事」

「それは…だから、その、」


 言いにくいそうに口をもごもごとどもらせる雪花に、羅儀は「はっきり言えよ」と呆れた目をよこした。


「…そりゃ、まぁあいつの事は……その…好きだよ」


 語尾が恥ずかしさで小さくなったが、羅儀には届いたようだ。


「なら問題ないだろ」

「違う、大ありだよ。…あいつは結婚を求めるけど、正直分からない。私は、私なりに生きてきたけどやっぱり身分が違うし。それに、あんなに教養のある綺麗なお嬢様でもない。あいつが私を選んでくれても、世間はそう見ない。きっと後ろ指を指される」

「あいつにとっちゃ、そんなことは些細な問題だろう」

「…でも、紅家の名に泥を塗らせたくない。それをあいつは分かってくれない。付き合う事はできても結婚は違うよ。それに、私は誰かと一緒になる未来なんて考えたことがなかったし。…一人だけ生き残って、そんなことは許されるのかなって」


 俯いてしまった雪花に、羅儀は特大のため息をついた。


「…とりあえず、分かった」

「へ?」

「おまえが何も分かってないことが分かった。自分のことには、てんで阿呆で馬鹿だな」

「はぁ!?」


 羅儀はずけずけとそう言うと、雪花の手を引っ張って通りに出る。


「おまえ、自分で紫雲に説教したことを忘れたか?」

「何だよ、どういう意味だよ。何が言いたい」

「…やっぱり馬鹿で阿呆だな」

「二度も言う!?」

「あぁ、言ってやる」


 羅儀は腰を屈めて雪花に視線を合わせると、叱咤するような強い眼差しをぶつけてきた。


「てめえは一人で勝手に理由つけて逃げてるだけだろ。戦うこともせずに卑屈になりやがって」

「!」


 琥珀色の目を見開いた雪花に、羅儀は言葉を続ける。


「いいか、色事だって戦いなんだよ。戦う前から勝手に諦めてんじゃねえよ。紅志輝だって、おまえを娶る危険性リスクだってわかっているさ。賢い奴だからな。でもな、あいつはそれ以外もちゃんと見てるんだよ。それだけじゃないって分かってる。だから覚悟を決めて、正面切っておまえに手ぇ伸ばしてんじゃねえのか。でなけりゃ、一族が集まる場で公言なんてしないだろ」

「…なんで羅儀が知ってるの」

「ここの宮廷内を駆け巡っているからな、あいつの噂が。春までにおまえを周りに認めさせなけりゃ、あの女を娶らないといけないらしい」

「な…。そんなこと、あいつは一言も———」

「そりゃ、言えばおまえが要らん気を使って逃げるからだろ。同じ男として言わせてもらうなら、この噂関係なしに、おまえの意思で手を取ってもらいたいと思うけどな」

「で、でも。周りに認めてもらうなんて無理だ。あいつの足枷にはなりたくない」

「…ほんっとうに頭でっかちだな。いや、弱気なのか?なら、試してみるか?」


 羅儀は不遜な笑みを浮かべると、ちらりと志輝達の方を見た。二人もこちらに気づいていて、それぞれの視線が交わる。


「あの男が、おまえをどう想ってんのか」

「は?」

「それにこの間の借りは返さないとな。俺はやられたままってのは、昔から性に合わないんだよ。なあ、いとこ殿」

「だから、何言って———っんん!?」


 そういうと、羅儀は雪花の腰をぐっと引き寄せた。そして、上から覆いかぶさってくる羅儀の顔。

 あっ、と思った時には、唇は彼に捉われていた。


(し、仕返しってこのことかよ…!)


 舌を押し返しながら、雪花は羅儀の目を睨むが、彼は怯まないどころかどこか楽しげだ。

 人々がざわめき、口笛を吹くものもいる。

 さっさと離れろよ、と羅儀の顔を両手で掴むが、彼もなかなかしつこい。

 だが彼の頬に爪を立てたら、危険を感じたのかようやく身体を離した。


「っな、何すんだよ!」


 唾液で濡れる唇を乱雑に袖で拭いながら、雪花は声を上げる。羅儀は自身の唇を舐めると、楽しげに雪花をみやった。


「何って、このあいだのお返しだ。自分から奪った事、忘れたか?」

「あれは仕方が———っ!?」


 あれは、仕方がないだろ。

 そう言おうとしたが、突然身体が宙に浮いて雪花は言葉を飲んだ。

 振り返るまでもない、慣れてしまった白檀の香りで誰だか分かる。


「…志輝、さ———」


 荷物よろしく肩に担がれたが、その瞬間、彼の目が殺気立っている事に気付いて雪花は言葉を止めた。

 それは、相手を射殺しかねない程に厳しいものだ。それに普段の彼とは似つかわしくない程に、全身から冷たい怒りが迸っている。野次も黙り、皆動けずに固まっている。


「…彼女は返してもらいます」


 だが羅儀は全く気にしていないようで、むしろ楽しそうな表情のまま片手で志輝をあしらう。


「ああ、持って行けよ。俺はそいつに借りを返しただけだ。女に唇を奪われたままなんざ男が廃るからな」


 志輝は何かを言いかけたが、途中でやめ、代わりに息を吐き出した。そして雪花を担ぎ上げる手に力を込めると、それは以上は何も言わずに、強い足どりでどこかへ向かって歩きだしたのであった。

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