マッハラビット

6-1

 ウィイイイインとエンジンが高鳴り直線を一気に加速する。音がどんどんと近づきビュオオオオオオッと空気を切りさいて司会席の前を通り過ぎて音は穴の奥へと遠ざかっていく。一台のF1カーが通り過ぎたあと、少ししてごう音と共に数台がやって来て耳をつんざきながらギュオンギュオンギュオンと前を通り過ぎていく。


「ドンガガさん、いかがですか? F1をご覧になったのは初めてですか?」


 たずねるウサギの声が少し大きい気がする。ドンガガも負けずに大きな声で返す。


「いえ何度もあります! しかし観覧席とコースがこんなに近いのは初めてです。音がすごくて耳がキンキンします!」


 司会席の後ろの方にはカッパーたちやサンペリオの一団も座っている。ニッケルとキャシーは並んで二人で一つのポップコーンをつまみながら観戦、カッパーは二人の少し前に座りあごの下に腕をついてぶっすりと不機嫌だ。


「元市長、こんなところで油を売っている場合ではありません。先を急ぎましょう」との忠告を無視したからだ。


 彼の不機嫌をサンペリオンの一団が助長する。彼らは「パッパリヤー」と叫びながらウサギに貸してもらった旗をはためかせ激しく応援している。


 この階層にやって来たのは昨日のこと、穴の中をウサギたちがいそがしそうに走り回っており何事かと声をかけた。すると半年に一度のF1レースが開催されるらしい。ドンガガは休みの日はレース場を訪れて生でF1観戦するほど好きなのだ。


 関心を持ちあれやこれやと聞いていると「ところであんたは誰だ?」と問われ、ドンガガだと名乗るとぜひ司会席に座ってほしいと頼まれて断り切れずにここにいる。


 エンジン音、スピード感、震える空気、どれをとっても人間の世界の物と変わらない。となりで実況中継をするウサギがぱらぱらと紙の資料をめくりながらうなずいてドンガガの方を向く。


「ドンガガさん、やはりエイトは強いですね。マッハラビット参号のコーナリングに勝てるものはいない。今回も彼の優勝は間違いないですね」


 ウサギが言い終えると同時くらいに穴の奥でクラッシュする音が聞こえた。不安に襲われてみんな恐々と首を伸ばす。


 マッハラビット参号だった。あまりにスピードを出し過ぎて、小さなコーナーを曲がり切れずにクラッシュしたのだ。すぐに医療スタッフが駆け寄り、つぶれたマシンからエイトを引きずり出した。車体は大破、生きているのは奇跡だった。




 心配でたまらなかったドンガガはカッパーとニッケルを従えて病院へ行き彼を見舞うことにした。彼の病室をノックしようとしてふと手を止める。中から何やら激しく言い争う声がする。


 どうしようかと迷っていると中から女性のウサギが出てきた。


「あら、こんにちは」


 女性は赤くなった目をハンカチでぬぐう。


「あの、私はリトルフォレストのドンガガというものです。こちらはニッケルとカッパーです。エイトさんのお加減が心配でお見舞いにうかがいました」

「それはわざわざ」

「しかし今はどうやらご都合が悪いようで……」


「帰ってくれ!」


 ドアの奥から怒声がする。


「エイト、考え直してくれ!」

「考えは変わらない! 何度話しても同じだ!」


「そんな、ここまで頑張ってきたじゃないか」

「もう一度走らせたければ医者に話せ! オレだって走りたいのは山々なんだ!」


「騒がしいけどどうぞ」

 そう言って女性はドアを開けてくれた。


 部屋は花の香りがただよい、お見舞いのお菓子や果物でいっぱいで彼の人気っぷりがうかがえた。


「エイト、お客さんだよ」


 落ち着いた声からするに女性はどうやらエイトの母親らしい。

 エイトはドンガガたちの姿を見るとぷいっと壁に顔をそむけて黙りこくった。


「また来るよ」


 そう言うとエイトと話をしていた数羽のウサギは病室を後にした。

 病室にはドンガガたち三人と母親が残される。重々しい雰囲気の中エイトがふり返って口を開いた。


「あんたたち誰だい?」


 こちらをにらみつけている。全身包帯だらけで痛々しい。


「私、ドンガガと申します。しがないF1ファンです」

「ファンなら帰ってくれ。今は気分じゃないんだ」


「見ていましたよ、すごかったですね。断トツの一位でした」

「過去形だろ。優勝したのはオレじゃない」


 悔しさににぎりこぶしを震わせている。


「あとちょっと。あとちょっとだったんだ。これが決まればシリーズ五連覇だった」

「記録ならまた作ればいいじゃないの」


 母親がなだめる。


「母さんは黙っててくれっ!」


 しかられた母は寂しそうな顔をする。少しの沈黙の後、彼は口を開く。


「……母さん、ジュース買ってきてくれ」

「はいはい、分かったよ」


 母親は寂し気に病室を後にした。


 母親が部屋を出たと同時位に「かけてくれ」とうながされドンガガたちは木の丸椅子に腰かけ彼の話に耳を傾けた。


「オレは十人兄弟の上から八番目、だからエイトって言うんだ。うちは貧乏で母さんは女手一つでオレたちを育ててくれた。母さんに少しでも楽をさせてやりたくてこのF1の世界に入ったんだ」


 エイトは思い出話をしながら頭の後ろで手を組んで遠い目をする。


「このけがじゃおしまいさ。日常には戻れても再びレースなんて出来っこない」

「そんな!」

 ニッケルが声を上げる。


「医者に言われたんだ。選手生活に戻るのはもう無理だろうって」

「さっきの方々は……」


「チームスタッフさ。オレが辞めると困るからああして説得に来てたのさ」

「お辞めになるのですか?」

 ドンガガはたずねる。


「ああ」


「それでよろしいのですか?」

「よろしいも何も無理なものは無理なんだっ!」


 室内の空気がピンと張りつめる。ドンガガたちが黙っているとエイトがふっと悲しい笑みを浮かべた。 


「……あんたたちにお願いがある」


 そう言い置いてよろよろと体を起こしサイドテーブルの上にあったヘルメットを取った。事故時に着けていたものだ。


「これを、……これをナインに渡してほしい」


 涙声で自らの望みを告げた。


「ナイン?」


「一つ下の弟だ。あいつには才能がある。オレなんかよりずっといいものを持っている」


 エイトはかすれ声で言って、こぼれそうな涙をふく。


「……分かりました。必ず弟さんにお渡しします」


 心から約束すると病室を後にした。エイトによるとナインは今時分、子守りのアルバイトをしているだろうとのことだった。

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