地下世界
2-1
降りて五メートルで町にあったヒノキの香りが消えた。十メートルで人々のにぎわいが消え、十五メートルでファンファーレの音が消えた。
聞こえなくなるほどの距離ではないから恐らく演奏を止めたのだろう。二十メートルで着地したので、もう地球の反対側に着いたのかと思ったがなんてことはない、はしごが途切れただけだった。
はしごは深さ二十メートルごとにかけてあるそうで、次のはしごは前方にある地中に空いた通路の先だそうだ。サンペリオまでずっと続く最短ルートの長い長いはしごがかかっているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
長の案内で先を目指す。通路は人が二人ぎりぎり通れるくらいのせまさで一同はぞろぞろと列になる。地中は冷たい。ドンガガはあまりの寒さに身震いして妻の持たせてくれた深緑のカーディガンをリュックから引っ張り出した。ついでに奥を探り、手回し式の懐中電灯を取り出す。
シュコシュコシュコ、シュコシュコシュコ……ほんのりと優しい光が行く先を照らす。上機嫌で回しているとカッパーが不快な表情を浮かべた。
「元市長何ですか、それ?」
「いいでしょう、手回し式の懐中電灯です。これなら電池切れになる心配はありません」
シュコシュコシュコ、シュコシュコシュコ。
「ならこちらが電池切れになって予備の電池もなくなってからにしてください」
そう言って懐中電灯と予備の電池をじゃらりと渡してくる。無くなる前に地球の果てまで着いてしまいそうな量だ。すなわち二度と使ってくれるなということか。
ドンガガはそれを受け取りやや残念そうに手回し式をリュックにしまう。
しばらく歩いていると前方から勢いのある声が小さく聞こえてくる。ドンガガは耳を澄ました。
「我ら今こそ結集の時、手を取り合い人間に立ち向かうのだ!」
「人間に
「復讐を!」
「絶望を」
「絶望を!」
ドンガガは深刻な顔をする。
「何やら怖いお話ですね」
「ラ、フエンテス、ポマ……」
キャシーはかけていた眼鏡をくいっと上げて仕事モードになる。どうしてその服で来たのかと問いたくなるパンツスーツ姿だ。
「ふむ、ふむ。なるほど」
「何がなるほどなのですか?」
「今現在、政治集会が行われているのではないかとのことです」
「ほう、地下世界の方は政治に熱心なのですね」
通路を進むにつれ、土のにおいは濃くなり冷たさを増す。集会の声は反響し、わんわんとドンガガのもとにまで届く。
「ジーザス!」
「ジーザス!」
彼らの声で空間はユラユラと揺れている。
三十メートルも歩かないうちにかっぽりと開いた小さな空間に出るとそこでは確かに政治集会が行われていた。だが、ドンガガはそれを見て仰天する。
なぜならそこにいたのはドンガガのひざほどの小さなもぐらたちだったからだ。
もぐらたちは「人間たちに
「なんだ貴様らは!」
ステージに上がっていたもぐらのリーダーがマイクを通して怒声を上げる。マイクがキーンとなって、いっせいにもぐらたちがふり向く。一同はひるんだがすぐさま長が前に進み出て身振り手振りで会話を始める。集まっていたもぐらの中から一匹が進み出ておだやかにそれに応じた。
「そうか、あんたたち、地上とやらにはもう着いたのか。それにしてもずいぶんと数が増えてるようだがそっちの方たちは?」
話を聞いていたドンガガは前に出て笑顔であいさつする。
「初めまして。私、先日まで真上のリトルフォレスト市で市長を務めておりましたドンガガと申します」
「なんだと!」
ドンガガのあいさつを聞いてステージのリーダーが飛び降りてくる。飛びかからんとする勢いだ。それを先ほどのもぐらが制する。
「離せ! 八つ裂きにしてチーズ入りトマトのミネストローネにしてくれる!」
「兄さん、落ち着いて。かんしゃくを起さないって約束したばかりじゃないか」
「止めだてするな! 邪魔をするならスピリッツ、貴様でも許さんぞ!」
周りのもぐらは「やれ!」だの「制裁だ!」だのプラカードを上下させてはやし立てている。困ったドンガガは少し首をかしげ、それからしゃがみこんで「お話をうかがわせてください」と言った。
ことは半年ほど前、もぐらたちが高速通行路を開通させたときに起こったのだという。高速通行路とは人間たちのいわゆる高速道路に似たもので、ノンストップで長距離移動したい時などに非常に便利で、最近もぐらの世界でも流行っているそうだ。
その日、このもぐらたちは地中に全長三十キロにわたる高速通行路を完成させて喜んでいた。二か月を費やした大工事だった。
お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも子供も家族総出で穴を掘りに掘った。ようやく完成した通路は、隣の町のもぐらとも交流を持てる道路として期待された。しかし、いよいよというところで事件が起きた。
人間が下水工事を始めたのだ。出来上がったばかりの道路は破壊されそこに人間たちの立派な下水道が完成した。
人間たちの満面の笑みを横目に見ながらもぐらたちは誓った。我々の文明を破壊した人間どもを許すまじ、かくなる上は全面戦争、
「ふびんな話ですね」
ドンガガは心底同情している。するとスピリッツが「まあ、よくある話さ」と悲しみを帯びた表情で言う。
「よくある話じゃねえ!」
リーダーは
「ドンガガさんよお、あんた市長だろ?」
「元市長です」
「どっちでもいい。あんた責任とれるのかい?」
「さて、困りましたね」
ドンガガは考え込む。そしてぶつぶつと独り言を言い始める。
「俺たちは何としてもリトルフォレストに
「兄さん! それじゃやっぱり……」
「ああ、リトルフォレスト
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