上を向いて昇竜を擦ろう

「ひゃっほう!」


 格ゲー部員しか知らない初雪の喜びの声が上がる。カエデの昇竜がミツバを吹き飛ばしたところだ。普段はおとなしそうにしてるくせにこういうときに急にテンションを上げてきやがる。これがあるから初雪相手はいくら慎重にやっても足りない。


「私の昇竜は無敵ですよ!」


「昇竜はたいてい無敵技だろ」


 だから上に強いのに無敵がない技はよく笑いものにされているのだ。ただこいつの場合は本当にどこから飛んでくるかわからない。対空や割り込みはもちろんのこと、ダッシュからいきなり出したり起き攻めで出したりしてきやがる。


 そのせいでいつも頭の隅にこの昇竜がよぎって手が止まる。そこに狙ったように投げが通るという寸法だ。それだけならまだしも普段の立ち回りから押されているんだからよけいにこの突発的な攻撃にペースを乱される。


 こっちは必死になって考えてやっているってのに、初雪の方は何も考えてないんじゃないかとすら思えてしまう。


「その何も考えてない昇竜はどうやったら出るんだよ」


「昇竜は考えるんじゃなくて魂で撃つんですよ」


 はいはい。俺にはまだ初雪の昇竜坂は登れないらしい。


 対戦が終わるころにはすっかり初雪の機嫌は戻っていた。俺たちはしょせん馬鹿野郎で、こうして格ゲーをやっているだけで嫌なことを簡単に忘れてしまう。十戦終わって三勝七敗。


 はっきり言って上出来だ。勝敗の要因が初雪の昇竜をガードできたか、という部分に依存するのはある程度しかたのないことだろう。向こうがそういうプレイスタイルなんだからしょうがない。なんだよ、一撃必殺の硬直後に即昇竜って。確反をとれない俺も悪いんだが。


「やっぱり現実で強い人はゲームでも強いんですかね」


「なんだよ、嫌味か?」


「だってまだ半年も経ってないんですよ、りおんさんがここに来てから」


 そういうものなんだろうか? ボクシングを半年やればジャブもストレートも見違えるほどのフォームになる。基礎体力もついてさぁこれから、というあたりだろう。ただそれは人間の肉体を育てるのに時間がかかるという話で、eスポーツにはこれがない。


 コントローラーを握れば、最低限度の動きは保障されている。ボタンを押せば同じモーションで攻撃はすべて出るし、初心者が操作するとジャンプが低いなんてこともない。下地となる部分は完成している。


 そこから半年、全力で打ち込めばリングに上がる権利くらいはもらえるはずだ。少なくとも俺はそう考えている。


「まだまだだよ」


「あなたは、どのくらい上を見てるんですか?」


 初雪は俺の顔から目を逸らして、自分に問いかけるように言った。だから俺も答えなかった。


 お前をお前に見合った最高のステージに連れていく。

 そんなこと言えるほど俺も恥知らずじゃないんだよ。


 それにしてもとにかく暑い。エアコンを早く買い替えてもらいたいところだ。次の地区大会で優勝でもすれば替えてくれないだろうか。そのくらいのご褒美があれば初雪のやる気もさらに上がってくれそうなんだが。


 とにかく今は早くどこかに逃げよう。さっきから暑くて汗が流れ続けている。なんとなくじとりとした制服が肌に張りついているようで気持ちが悪い。俺は初雪を目に入れないように自分のカバンを探す。


 さて、どこに逃げようかと思ったところに、顧問の町口が入ってきた。


「おう、こんな暑いのによくやるなぁ」


「まぁ、大会近いですからね」


「結局初雪とりべりおんで出るのか」


 なんか教師にプレイヤーネームで呼ばれるのって変な感じだな。町口の方はSTG部の顧問もしているからか全然違和感を持っていない。おかしいと感じているのは俺だけか、結構慣れたと思ったんだけどな。


「わざわざ見に来てくれたんですか?」


「職員室に部室の鍵がなかったからなぁ。これでも一応顧問なんだから」


 新入りをほったらかしの先輩たちと比べて優しいもんだ。まぁ呼びだされて格闘超人をやらされるよりは自分の好きなことに精を出していてほしいところだが。


「それで、何か言われてきたんだろ?」


「え? どうしてだ?」


「なんとなく予想はついてるんだ。早く教えてくれ」


 町口は驚いているようで、まだ俺の顔をじっと見たまま固まっている。隣のボケボケと一緒にしないでほしい。勉強は苦手だが、人間を観る方法は知っている。リングの上では相手の小さな挙動から心の中を見透かさなければ、やみくもに拳を振って疲れるだけだ。


 前に急に教頭が大会に出ろ、といった話。そのときに町口は俺の顔を見た。勝てる可能性のある初雪じゃなくて、だ。それはつまり、俺が原因で教頭が大会に出ろ、なんて言いだしたってことになる。そもそも格ゲー部はもともとあったわけだしな。


「俺がボクシング部をやめたせいなんだろ。あっちなら勝てる見込みは十分あったからな」


「いや、そこまでは知らないが。ただとにかくお前がいるなら全国大会くらい出ろ、と」


「ってことは優勝か? ずいぶんふっかけてきやがったな」


 新人戦で優勝したときも脂ぎった汗を流して喜んでいて気持ち悪かったのを覚えているが、どうやら中身も高カロリーらしい。eスポーツ部が隆盛してからもフィジカルスポーツの成績をやたらと気にする高校なことはわかっていた。だから湖南高校を選んだんだ。


「できなきゃ廃部か?」


「そこまでは言わなかったが、圧力はかけてくるかもしれない」


「勝つしかねぇってことか」


 まさかそれが仇になってくるとはな。そもそも俺はボクシングをやめたわけじゃない。面倒くさいやつらの相手をしたくないからここにいるだけだ。俺にとって必要なのはスパーの相手でも仲間でもない。こうして勝つということにまっすぐ向き合える初雪みたいなやつだ。


「でも優勝ってことは」


「あぁ。アレに勝たなきゃいけないんだよな」


 昨日までならやってやる、と息巻いていただろう。全国ならまだしも地方大会なら初雪の実力があれば余裕だと勝手に思っていたはずだ。ただ、今日嫌なものを見てしまった。俺だって負けるつもりはないが、勝てると言い張れるほどの実力はまだない。


 これからの短い期間でどれほど近づけるだろうか。だが諦めるつもりもない。せっかくこの場所が楽しいと思えるようになったんだ。今度は間違えるつもりはない。誰にも俺の居場所を奪わせたりはしない。


 グローブからレバーに持ち替えて、あの日の俺の仇をとるつもりだ。もがなには悪いが、俺の仇討に付き合ってもらおう。


「初雪、絶対に勝つぞ」


「……はい。楽しくやりましょう」


 楽しく、そうだったな。俺たちは楽しんで勝つ。それがこの格ゲー部のやり方だ。

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