初雪が降った日

 手近に見つけたファミレスに入る。さっきまでの暑さとは一転して冷たい風が迎えてくれた。席に案内されると同時に初雪がメニュー表を広げている。本当にころころとよく表情が変わるやつだ。


「ふーんふーんふふーん」


「それ、本当に食い切れるのか?」


「当然ですよ」


 俺はアイスコーヒーを片手に初雪の前に鎮座した金魚鉢のようなガラスボウルを見て溜息をつきたくなる。マンゴーと夏みかんの黄色が目に眩しい。練乳とマンゴーペーストのかかった夏限定のスペシャルかき氷だそうだ。


 俺の知ってるかき氷と違う。かき氷ってのはあの安っぽい紙のカップにこぼれるくらいの氷が入ってるやつだろ。


「そんなに一気に食べると頭キーンってなるぞ」


 見ているこっちの方が頭が痛くなってきそうだ。俺はホットにすればよかったか、と思いながらヤケ食いのようにかき氷を食べ進める初雪を眺めていた。今日負けたのは俺の方なんだがなぁ。


 物の数秒もしないうちに頭が痛くなってきたらしく、初雪はテーブルに突っ伏してしまった。だから言わんこっちゃない。


「あの人、去年のインハイEVOの王者なんです」


「ってことは高校生の王者か」


 初雪が全中覇者だからこの地域に大会が違うとはいえ昨年のチャンプが二人もいるのかよ。俺はどうやらずっと青コーナーがお似合いみたいだな。


「でもお前なら勝てる可能性はあるだろ?」


「あるわけないじゃないですか!」


 いきなり大声を上げてテーブルを叩く。台パンなんて筐体だったら一発で出禁になってたところだぞ。夏休みとはいえ平日のファミレスではそれほど客も多くない。一気にこちらに視線が集まったが、俺が申し訳なさそうに頭を下げるとすぐに日常に戻っていった。


「そんなに怒るなよ」


「りおんさんは思わなかったんですか? 絶対勝てないって」


 思わなかったか、と聞かれたら、無理だとは思ったな。でもそれはあくまで今日の話だ。これからも毎日練習を積み重ねていけば、どこかで糸口が見つかるかもしれない。


 今日勝てない相手にずっと勝てないかと言われると、俺ははっきりと言える。そんなことはない、と。これまでだっていくらでも強い相手はいた。同じ階級でも体格差は大きく異なる。俺よりデカいやつも速いやつもいくらでもいた。


 でも結局それは最初に与えられたものでしかない。生かさなければ宝の持ち腐れだ。そしてたいていの人間は利点とともに何かの欠点を抱えている。自分の利点と欠点。そして相手の。敵を知り己を知れば百戦危うからず。大昔から言われていることだ。


 今日の対戦ではあいつはほとんどコンボを狙ってこなかった。必要なかっただけと言われればそれまでだが、苦手かもしれない。それに一点読みっていうのは当然大きなリスクが常についてくる。体力があるといってもミツバの火力なら十分やれるはずだ。


「私、一度だけ対戦したことがあるんです」


「一回対戦しただけであんなに馴れ馴れしいのかよ」


 強いやつだっていうし、初雪の数少ない友達だと思っていた。あんな変なのが唯一の友達だなんて言われたら、さすがの俺ももうちょっとかまってやろうと思っていたところだ。


「去年の冬でした。私は全中をとって調子に乗ってて。それでゲーセンにいって結構な数を連勝してたんです」


 そりゃ調子にも乗るだろうな。初雪は浮かれるときはとことん浮かれるタイプだってことはよくわかっている。それに中学生の中のトップに立ったんだ。調子に乗ってるんじゃなくて、勢いに乗っているっていうのが正解だろう。悪いことなんてまったくない。


 そしてあるゲーセンで初雪は、当時はまだとちめん坊だったが、あのもがなと対戦することになった。結果は俺と同じだった。いや俺よりもひどかったといっていいのかもしれない。たったの一戦で最後には心を折られて、ただ画面を眺めることしかできなかった。


 その日、今までトップを走ってきたはずの初雪が初めて味わった敗北の絶望だった。


「その日はちょうど初雪が降っていたんです。あの日、私は勝負から逃げて生まれ変わることにしたんです。ただ降り積もる初雪みたいに」


 推薦を受ける予定だった花富根高校をさけて、eスポーツに疎い湖南高校を受験した。それでも結局格ゲーからは逃げられなかったらしい。勝負事ではなく楽しむものとして格ゲー部を作ったのがほんの数か月前の話だ。


「あんな化け物みたいな人がいるんですよ。私なんかじゃ」


 勝ち続けてきた人間が初めて味わう敗北感。頂からの景色を見たものだけが知ることができる無力感。それは誰しもが必ず得ることができるものではない。だが、俺はそれがどんなものかも知っている。


「そんなもん、気のせいだ」


 負けなんていくらでも経験してきたはずだ。高みに登るということは決して勝利の積み重ねの先にあるものじゃない。敗北と努力で足場を固めて初めて見えてくるものだ。一度頂点を見た、その事実がどうして自分がそこにいるのかを忘れさせてしまう。


 でも俺は格ゲーに出会って、そのことを思い出せた。初雪に会って、俺が何を使ってこの場所にいるのかを思い出せた。今の常勝とも言える状態を手にするために努力と敗北なんて考える暇もないくらいに経験してきたはずなのだ。


「なら勝てるまでやりゃいいんだよ」


「そんなの無理ですよ」


 無理なわけがない。俺が初雪に勝てたように、初雪があいつを倒すことだってできる。少なくともそう思っている間は可能性はゼロにはならない。ただ今のままじゃダメだ。うつむいて下ばかり見ている人間には頂点へと続く道なんて見えるはずもない。


「それ食い終わったら行くぞ」


「どこにですか?」


「部室だ。ゲーセンだとお前が目立つからな」


 ちょっと思い出させてやる必要がある。俺に負けてあんなに悔しそうにしていた、あのときの初雪を。どんな負け方をしたって、そのときに浮かぶのは次は勝ってやるという怒りでも決意でもないあの独特の感情のはずだ。


 少なくとも強くなるやつはみんな持っている、あの言葉にしがたい気持ちを間違いなく初雪は知っている。勢いづいたところに急に真正面から殴られて、その一瞬だけ忘れてしまっただけなのだ。


「今のお前なら俺でも余裕で勝てそうだしな」


 安っぽい挑発。それでも下ばかり向いていた初雪の視線がまっすぐに俺を射抜いた。


「言いましたね? 初心者から抜け出したくらいで私に勝てると思ってますか?」


 そうだ。俺の知っている初雪は負けるといつもそんな目をする。次は必ず勝ってやる、と闘志を前面に出して、いつものふわふわとした女の子らしさをすべて消し飛ばしてくる。それでいい。今は相手が俺だが、次はあのもがなってやつに向かってその意気で挑んでくれればいいんだ。

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