打、投、決

「あ、えっと、やめた方が」


 対面の筐体に向かおうとしたところで、初雪がそよ風のような声でささやいた。隣にいた俺ですら聞き逃しそうだったほどだ。歩いていくもがなにはまったく聞こえていない。


「なんでだよ」


「いえ、その」


 初雪が曖昧に口を濁している間にもがなの乱入が画面に表示される。キャラセレクトは変えられないからこっちはミツバのままだ。相手の選択は、リリア。少女の外見をしていながら多数のコマンド投げを持ついわゆる投げキャラだ。


 コマンド投げは通常の投げと違って投げ抜けで抜けられない。しかも防御性能に難のあるミツバはろくな投げ無敵もないから読んで飛ぶしかない。飛んだところに対空投げが飛んできたら地面に叩きつけられるしかない。


「結構キツイ相手だな」


 コマンド投げは発生も早いから下手な固めだと割り込まれる。ダメージも高いし昇竜以上にやっかいな攻撃だ。


 とりあえず飛び込みから固めに入って連続ガード中に崩しにいく。そのつもりで開幕は低空ダッシュから入った。途端に捕まれて地面に叩きつけられる。対空投げ。警戒はしているつもりだったが、いきなり投げられた。見えていたのか? それとも読まれた?


 起き上がりにバックステップで距離をとる。それを追いかけるように移動投げで硬直をつかまれる。短いコンボの後、また起き上がり。投げ読みのジャンプに相手の打撃が刺さってそのままダメージをとられてラウンドを失った。まだヨツバは一歩も動いていない。


「おいおいおい」


 BlueMarriageはいわゆるコンボゲーだ。打撃を当ててそこからコンボを繋げてダメージをとる。そして起き攻めに移るというのが基本の流れだ。防御側はバーストやガーキャンを軸に切り返していく。


 それをこいつは一点読みのコマンド投げだけで試合を終わらせやがった。リリアはパワーキャラだし、コマンド投げは単発でもそれなりの威力はあるが、それにしたって雑なコンボだけで体力が全部奪われるなんて。


 下手な行動はいいようにやられる。意識を守りに寄せて相手の出方を見る。パワーはある代わりに機動力は高くない。コマンド投げは強力な代わりに射程は短い。中距離からの牽制を主体にして相手を近づけなくすればいいのだ。


 そう思っていたのに。


 牽制で伸びた判定をコマンド投げで吸われる。キャラ三人分はあっただろう。現実ではありえないほどの距離が一瞬でなくなり、ミツバは抵抗できないまま振り回されて地面に叩きつけられる。これだけでワンコンボ分なんだから性質たちが悪い。


 あんなところでコマンド投げを振ったって普通は当たるわけがない。こっちの牽制を完全に読んだうえでやってやがる。自称最強はホラでもなんでもないかもしれない。


 焦る。少女にも満たない画面上のリリアに威圧感すら覚える。自然とレバーもしゃがみガードに入る。こうしておけばとりあえずの技が防げるかもしれない。そういう甘い考えがよぎる。


 いや、まだだ。まだ負けてねぇ。ここで縮こまってちゃ勝ちが手のひらからこぼれ落ちていく。コーナーに追い詰められた時だってそうだ。ガードを固めたってレフェリーが止めに入ってくるだけだ。無様でもいい。一発殴り返さなきゃこの状況はいつまでも変わらない。


 ビビってる。もがなはそう思ったんだろう。今までもこうして何度も相手を恐れさせてきたという経験があったのだろう。しゃがんでいる俺のミツバに遠間から遅い移動投げをしかけてくる。


 残念だが、俺の心は折れてねぇ。しっかりと反応したミツバの中足がカウンターで刺さる。ヨツバの攻撃から拾って空中コンボに繋ぐ。今度はこっちの番だ。投げキャラだけあって体力が多い。普段より一割引きって感じのダメージだ。


「なら、その分回数を通せばいいんだろ」


 攻めに回れば、少しくらいの実力差は埋められる。ミツバはそういうキャラなのだ。


 裏周りからヨツバでめくる。単純な行動だが慣れない相手にはよく効く、はずだった。


 つかまれる。冷静なコマンド投げ。ヨツバの攻撃なんて目に入っていない。ミツバが近くにいるというだけで投げにいっていた。いや、自分の方が早くつかめる。そんな確信があるように思えた。


 もう何度目かわからない叩きつけと同時にフィニッシュの文字が浮かぶ。負けが決まってしまった。


「クッソ」


 腕をおろして天井を見上げた。あれはやみくもに出したんじゃない。ちゃんと勝てるという確信のもとに出されたコマンド投げだった。ミツバのあの猛攻を知っている中でそれを冷静に判断できるのはなによりの強さの証明でもあった。


「最後のはなかなかよかったぜ。よく反撃してきたな」


「そいつはどうも」


 上から目線がムカつくが、あれだけこっぴどくやられちゃ言い返すこともできない。もがなはアーケードモードには興味がないらしく、そのままゲームを放置して別の対戦者に向かうようだった。


「あの、大丈夫でしたか?」


「別に直接殴り合ったわけでもないしな」


 あの体格相手だとさすがに厳しいかもしれないな。もちろんド素人なら一発も当たってやる気はないが。格ゲーで俺が勝てないのと同じように、たとえ体格差があったって格闘技で早々簡単に負けてやるつもりもない。


「それで、あれ誰なんだよ?」


 戦ってみて初雪と同じ超上級者だってことはわかったが、いったいあいつは何者なんだ。俺は結局高校生の格ゲーマーなんて調べてもいないから名前を聞いたところで誰かなんてわかるはずもない。


「あれが、もがなさんですよ」


「いや、それは聞いたって」


 段位も最高位の聖帝だった。プレイヤー数が多いからそれだけで即最強の証明にはならない。初雪だって同じ段位だ。それにしたって規格外に強かった。読みどころか予知に近かったぞ。


「とちめんさーん、僕と対戦しよーぜ!」


 言いあぐねてもじもじと体を揺らしている初雪の後ろからまたもがなが現れる。もう次の対戦も勝ったのか、あいつ。俺が弱いから負けたって感じじゃないな。やっぱり本物だ。


 しかしちょうどいい。こいつと初雪の対戦、見れば何かの参考になりそうだ。トッププレイヤー同士の対戦なんて見ても何をやってるかわからないとは思うが、後で初雪から説明してもらえばいくらか理解も追いつくだろう。


「いえ、私はちょっと」


 そう思ったのに、何やら嫌そうな顔をしてもがなの方を見ようともしない。


「もう帰っちゃうの?」


「えっと、その。私、今デート中なんです!」


 そう言って初雪は俺の手を取った。いつからそんなことになってたんだよ。嘘だということはわかっていた。そんなにこいつとやるのが嫌なんだろうか。強者っていうのは相手が強ければ強いほど燃えるもんじゃないのか。少なくとも俺にとってはそうだった。


 受付の店長にもらったばかりのカードを投げるように返し、初雪は俺の手を引っ張って店から飛び出した。小さな初雪の弱々しい力だ。抑えようと思えば簡単に抑えられたのに、俺はそれをしようともしなかった。


 通りを二つほど駆け抜けて後ろを確認するが、もがなは追ってきてはいなかった。当たり前っちゃ当たり前だ。むしろいきなり走り出されて何か自分が悪いことをしたとでも反省しているかもしれない。いやあの性格だとしないか。


「なんだよ、急に走り出して」


「……ごめんなさい」


 ぎゅっと握っていた俺の手を放して、初雪はうつむいたまま小さくこぼした。問い詰める、って場面じゃないな。さっきまで一撃必殺を心待ちにしていたのとは一八〇度違っている。


 じりじりと照りつける太陽が俺の焦りと初雪の自責の念を加速させるようだった。


「とりあえず、アイスでも食べに行くか?」


「え?」


「デート、なんだろ?」


 あれが嘘だということくらいはわかっている。ただこの状況で気の利いたジョークが言える頭は持ち合わせていない。今はこのくらいで勘弁してほしい。


「アイスよりかき氷がいいです」


「贅沢だな」


 言っておくがおごりじゃねぇぞ。今日はまだお前に負けてないからな。

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