071話 いつか異世界で再びの朝食を



 明らかに変であった。

 うっとりと流し目を送る黒髪ロング巫女に、頬赤く唇噛みしめそっぽ向く童貞勇者。

 誰もが人目で解る、何かがあったと。

 シーダが言っていた誘惑対抗試練、そんなものでは言い表せない何か


(ぜぇーーったい! 何かあったっ! 誘惑がどうのこうのじゃないわ、絶対にッ!!)


(オサム様ぁ…………うう、聞いても、いえ、そんな、でもぉ…………)


(お、お、お、お、お、俺はっ、俺はあああああああああああああああああっ!? いったい何をどうすればいいんだよぉっ!!)


 告白され、キスまでされて。

 恋人として、ディアに話すべき――なのだろうか?


(う゛ぐっ、言わないと不義理……いや、冷静に考えろ俺)


 常識的に考えても、恋人が美少女に告白とキスされた、と聞かされて傷つかない女の子が居るであろうか。


(泣く……泣く? いや、泣くよね、よしんば泣かなくても、普通に傷つく案件だよねコレ!? というかスルーされたらされたで、俺へのダメージデカいんだけど!? いや、俺のダメージはどうでもいいんだけどっ!! どうすりゃいいのさっ!?)


 修が悶々と悩むのなら、その恋人であるディアもまた。


(何があったのです? って、聞かなきゃ……、でも……聞いて、聞いて、私は……。いえ、そもそも。――――どうやって聞けばいいのでしょうか?)


 以前なら容易く聞きだせていただろうが、しかし、どうやって。

 そして、そもそも聞く権利があるのだろうかとディアは悶々。

 対し、イアはキッと小夜を睨み問いただそうと。

 しかして、機先を制したのは幼馴染み属性が発覚した少女だった。


「お二人とも、聞いてください」


 彼女は静かな口調で、決意と熱意に満ちた眼差し。

 そこにはディア達の知る鉄面皮の姿などなく、瞬間、神剣女神とエルフ王女に嫌な予感が訪れる。



「ちょっ!? まっ!? 小夜――」



「――ごめんなさい、修くんのこと……。本気になってしまいましたっ」



「小夜おおおおお!? はぁあああああッ!? アンタ何をっ!?」



「――――ぇ」



 修の制止は届かず。

 爆弾は、それはそれは美しい笑顔と共に投下されて。


「本当に何があったっていうのよ小夜ッ!?」


「うふふーー、秘密ですよっ」


「小夜、さん…………そんなっ――――」


 うがー、と詰めよるイアを、嬉し恥ずかし済まし顔で、しかしてその中に見え隠れする憂い。

 それがいっそう、イアをヒートアップさせる。

 矛先は当然、修にも降りかかり。ローズ達ははやし立て、リビングはてんわやんや。

 そして一人、騒動に加わらない者が一人。

 剣の女神、そして修の恋人であるディア。

 本来ならばイアと共に加わるべきだろう、問いつめるべきでもある。

 だから、けど、だけど、だけど、だけど。



(嗚呼……、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、アア、アア、アあ、ああ、ああ――――)



「たぶん、これがきっと、悲しいって言うこと…………」



 無自覚に涙を一筋。



 こんな感情、知りたくなかった。



 無償に今、修に触れたくて、でも触れたくなくて。

 力なく伸ばした手は、苦悶する修の視界に入らず。


(何かあったんですっ、オサム様の心を悩ませるなにかがっ!! ……言って欲しい、でも、――――何故でしょうか、聞きたく、ありません)


 女としてのカンが、敏感に察知してしまう、心に、刺すような痛みを与える。


(嫌です、嫌です、――嫌いです……、そんなこと、思っちゃいけないのに、考えちゃ、いけないのにっ……)


 胸がきゅっと締め付けられて。

 ぎゅっと強く握った右手は、爪が皮膚を破り血が。


「…………痛いです。いたいです、オサム、様ぁ…………」


 それは心か掌か、否、語るまでもなく――。


「――ディア、どうした?」


「いえ、何でもありません」


 とっさに涙を拭ってディアは笑顔で誤魔化す、右手を後ろに隠して。早く、早く治ってと。

 知られたくないと、思ってしまった。

 頬の涙も、心の痛みも、怪我をした事すらも。


(この気持ちを理解して欲しくない、そんな感情……、私、私はぁ…………)


 ディアが新たな感情に戸惑っている中、ぱんぱんと拍手の音が。


「はい、そこまで! 色々言いたいことがあるでしょうが、全てが終わってからにしなさいっ!」


「――次は妾の番だわ、……終わったら色々話してもらうわよ小夜」


「多分、その言葉は…………いえ、試練頑張ってください」


「本当に大丈夫かディア? 気分が悪いなら――」


「大丈夫ですオサム様、私のことはいいので、試練の相手役、頑張ってください……」


「では、試練開始っ!」


 途端、修が棒立ちになり、イアの姿が消える。

 シーダが試練の空間に転移させたのだ。

 ディアの気持ちを置き去りのまま、イアの試練開始された。


「…………オサム様」


 小さく、聞き逃してしまいそうなか細い声。

 震えて、悲しみに染まって。


(ごめんなさいディアさん、貴女を悲しませるつもりは無かった……とは言わないわ。貴女には悲しみという感情を知ってもらう必要があった)


 シーダ、彼女はただ異世界を渡る旅人ではない。

 その本質は、タイムトラベラー。

 時間を、操る者。


(私は見てきた、――魔王カナシが復活してしまった『未来』を。それを回避する為にも、…………ごめんなさいディアさん。私は、私の為に、貴女を利用している)


 でも。


(きっと、貴方達を幸せに導くから、だから)


 四角関係があやふやなまま、破綻した結婚生活に至るのではなく。

 痛みを伴った決着を迎えるとしても、ディアという少女が例え選ばれない結果になったとしても。


(こんなのだから、後三十八回繰り返さないと、ハッピーエンドにたどり着けなかったのよ、私の本体さん)


 シーダは遠い大本の自分と、修達の幸福を願った。





 空間転移に伴う酩酊するような感覚。

 それと共に、修の脳が感情がもう一人の修の。

 イアという存在を愛する、修。

 小夜の時とも違う、もう一つ可能性が修の思考を浸す。


(思えば、友情という言葉で蓋をしていたのかもしれない)


 大切な欠けた何かが満たされるような、どこかで落としてきたパズルのピースがぴったりと嵌まる感覚。


(帰りたいって、無理だろうって言われてきた。何度も、何度も、だから俺は、でも、俺は……)


 魔王カナシの事を気にしなかったといえば、それは確実に嘘になる。

 故にせめて性欲だけでもと、何度か春を売る女性達を頼ろうとした経緯もある。

 でもそれも無駄で、いっそう望郷の念が募って。


(多分、イアにも伝わっていたんだろうな……)


 もし彼女に告白されていたら、あちらに居たときから向き合っていれば。

 あり得なかった過去、あったかもしれない可能性。

 きっと、彼女との未来が。


(それが今の俺、イアを愛した俺)


「――――向き合わないとな」


 この期を逃してはいけない。

 ここで逃げてしまえば、恐らくまた平穏な日々が。

 きっと苦しまなくて済むだろう、悩まなくても済むだろう。

 でもそれは、――違うと、修は確信した。


「オサム?」


 二人っきりで修の部屋、外からは見えない世界。

 怪訝そうに同時にぷりぷり怒るイアに笑いかけると、天を向いてシーダへ叫んだ。


「シーダ、聞いてるんだろ? キリのいい所まで時間伸ばしておいてくれっ!」


 オサム? と困惑のイア。

 彼がシーダを師匠と呼ばない時は、真面目な話の時。

 今この場で、何の話が。小夜の事か、彼女が思考を巡らせる前に勇者は口を開いた。


「イア君と話がしたい、きっと今なら素直に話せるから」


「…………いいわ、聞いて上げる」


「ありがとう――」


 男の向けるまっすぐな瞳に、女は頷いた。

 愛する者の真剣な言葉を、遮る術をイアは持ち合わせていない。

 修は、彼女の手を握り。


「俺は、お前に憧れていたよ。初めて見たイアは、あの世界の誰よりも美しくて、お姫様で。でも俺なんかよりずっと強くて、きっと、あの世界を守ろうって思ったのはお前に出会ったからだ」


「…………バカ、初めて聞いたわよそんなこと」


 照れくさそうに頬を赤らめ、目を泳がせるエルフの姫。

 修もまた、照れくさそう。


「それでさ、恋してたんだと思う」 


「うぐ、……じゃあ、なんで何も言ってくれなかったの? 妾は、妾は……」


 言ってくれれば、言って欲しかった、勇者である修という存在が、あのままあちらの世界に居続けた場合。

 近いうちに、確実に人類同士の戦争が始まっていただろう。

 ――否、彼が帰る事を公表するまで、国家間の政治的な争いは既に始まっていたのだ。

 それが原因かとイアの脳裏によぎった時、即座に否定される。


「俺もさ、他の国と政戦が始まっていたのは知っていたさ。でも――そうじゃないんだ」


「……聞かせて? オサムの気持ち」


 貴方のことがもっと知りたいと、優しく告げるエルフの少女に。

 まるで、緑豊かな母なる大地に抱擁されている様な安心感に。

 勇者は、身をゆだねて。


「…………怖かった、うん、怖かったんだよ俺は」


「何故?」


「最初は、お前が高嶺の花の様に、手の届かない、汚してはいけない女の子だって。あの時は勇者といわれて、でも何も出来なかったから。そんな資格なんて無いって」


「次は?」


 仕方のない人、そんな若干の呆れが混じった声。

 でも、それは慈愛に満ちていて。


「戦いの中で、イアは俺の中でもっともっと身近で、大きな存在になっていた。でもだからこそ……」


「妾が死ぬかもしれない事が、怖かった?」


「ああ、只の戦友だったなら、俺はその意志を継いで戦うことが出来るって、恋をしてしまったら、何より大切な人になってしまったら、きっと折れてしまうから」


 勇者は深呼吸を一つ、泣きそうに声、震わせて。



「――だからさ、気持ちに蓋をして、忘れたんだ」



 告げられて、イアは美しい顔をくしゃっと歪めて俯いた。

 嫌になる、好きだと、愛していると言っておきながら、男の本音に気づかなかった事が。

 もし拒絶されたら、と怖がって何もしなかった自分が。

 嫌に、なる。


「バカね……、ホント、バカなんだから……」


 何でも通じあえる仲だと思っていた。

 女神にもたらされた「伝心」で、強く心が結ばれていた故に。

 でも、何時しか忘れてしまっていたのかもしれない。

 その力は――――、恋心を伝えない。


「ごめん、今更だった」


「今更よ、何で、何で今更……」


 ぽろぽろと涙落ちて、声色は弱々しく。

 そんな少女に、少年は告げた。

 罪悪感もあった、誠実に言うのが正しいという考えも何処かにあった。

 けどそれは、やはりイアを傷つける言葉でしかなくて。


「小夜にキスされたんだ、俺、拒めなくて」


「~~~~ッ!!」


 口に出すだけで、ズシリと修の心に事実が重く重くのしかかる。

 イアは俯いたまま唇を噛みしめる。


「だから、俺は…………」


 ごめん、と謝りたかった。でもそれは違う、謝罪する事は小夜の気持ちを無視する事だ。

 そしてなにより、その謝罪は誰のための、誰への謝罪なのだろうか?


(なんなのよッ、なんなのよぉッ!!)


 そんな修の気持ちが手に取る様に解ってしまって、だからこそ胸の刺々しい痛みが燗に障って。

 瞬間、パン、と修の頬が高らかに。



「――――ぁ、…………イ、ア?」



「バカッ! バカバカバカッ!! 頭を下げる相手をッ! 言う相手を間違えるんじゃないッ! それはあの子に、ディアに言うんでしょうッ!!」



 バカバカと繰り返し、修の胸を殴るイアの手を取って、修はカッとなって言い返す。

 もうどちらも、心の衝動を押さえることが出来ない。


「~~~~っ!! お前だって、俺の事好きなんだろう! だから世界の壁を越えて、俺に会いに来たんだろうがっ!」


「でもッ、アンタにはディアが! だから妾は身を引こうとしてるのに!」


「出来てないじゃないか!」


「アンタとディアのせいよッ! ちゃんと結ばれてくれないからッ! だから妾は――」


「――んだとっ!?」


 可能性から生み出された熱情の所為だろうか、それとも本来の修にも眠っていた感情が解放されたからだろうか。

 身を犯す衝動に任せ、修はイアの手首を掴み強引にベッドへ押し倒す。


 お互いの荒い息がかかる距離、二人は睨みあって。

 言葉が出てこない、出してはいけない。

 口にしてしまえば、こうして体温を感じてしまえば、愛おしさが溢れて。

 ――――でも同時に、心が悲鳴をあげる。


(小夜の事、ディアに話してないのに、イアを好きだって、心の底から思ってはいけないのにっ)


(妾は諦めるって、ディアを応援するって言ったのにッ)


 目の前の彼女への想いは、どこまでも穏やかで暖かで、ヒトが生きるのに空気が必要なくらい、修にとっては当たり前で、無くてはならないモノで。

 きっと、目の前の女の子も同じな筈で。


「俺は、俺は、俺、オレ、おれ、おれはぁ…………」


 修の心は、三人の少女への想いに千々に乱れる。

 何をどうすれば正しかったのだろう?

 今をカタチ作る選択肢は無数にあって、でもどれを選択したら、誰も傷つけずに、苦しまずに済んだのだろう。

 ――ぽた、ぽた、ぽた、イアの頬に熱い滴が落ちる。


「何で、何でアンタが泣いてるのよぉ」


「~~~~っ、お前達の、せいだっ、お前達の~~~~っ、ぁ、ぃ~~~~~!!


 静かに降る雨はイアの頬を伝い、ベッドに落ちて。

 エルフのお姫様は、一人の男の姿に胸を打たれた。

 駄目だ、もう駄目なのだ、こんな姿を見せられては。

 知っていたから、隣でずっと見ていたから、魔王を倒す旅路の中、強大な敵と期待という重圧に押しつぶされそうになり、一人で泣いていた所を。

 だからこそ側に居て、支えたいと思ったのだ。


「……………ホント、オサムはバカなんだから。妾がついていないと駄目、何だから。ね、泣いていいの。昔は言えなかったけど、今なら言えるわ。――オサム、貴男はもう泣いていいの。勇者だから、なんて意地張らずに、素直に泣いていいのよ」


「――――~~~~ぁ、あ、あ、うあああああああああああああああああああああああ~~~~~~!!」


 修はイアの右手を両手で祈るように掴み、子供の様に大声で泣いて。


「よしよし、よしよし」


 イアは彼の頭を、自分の胸へ誘導して片手で抱擁する。

 それはまるで、子を慰める母のそれで。

 修の心の弱いところを、いっそう刺激して。


(バカは妾よ、放っておける訳ないじゃない……、諦めきれる訳がないじゃない。小夜の事、責められないじゃない…………ごめん、ディア)


 泣きじゃくる修が落ち着くまで、イアは彼の頭を撫で続け。

 その嗚咽が小さくなった頃、彼に問いかけた。


「――――ねえ、あっちの世界に戻らない?」


「イア?」


 本来ならば、一緒に帰ってから言おうと思っていた事。

 この恋が叶わぬのなら、一生言わないと思っていた事。


「今の妾はね、存在を半分向こうに残してるの。――オサムと一緒に帰れるように」


「~~~~っ!? それはっ!!」


 様々な想いが一気にあふれ出して、修は言葉を詰まらせた。

 存在を半分残す、その意味する所は正確に把握出来ないが。

 どう考えても、命に関わる危険な行為。


(イア、お前は俺をそれほど――――!?)


 そして。


(また戻れるのか、皆に会えるのか? 平和を掴んだあの世界で、また――――)


 喜び頷きそうになって、修は愕然となった。

 こちらの世界に居る家族はどうなる? ディアは一緒に行けるのか? ローズは? 告白してくれた小夜はどうなる? 多数の疑問と共に、そしてなにより。


(俺はやっぱり、あっちの世界に未練があるのか)


 その事実に、歯を食いしばった。

 十年、十年だ、人生の三分の一を過ごした場所だ。 第二の故郷といってもいい。

 ――大切な仲間がいるその場所へ、戻れるのだ。

 でも。


「俺は、俺は………」


 今この地に戻ってきてこれたのは、姉と生きて再会できたのは。

 ディアと出会えたのは、ローズ達と出会えたのは。

 その大切な仲間達が、修の事を思って送り出してくれた結果なのだ。

 どうして軽々しく頷けよう、例えこの身がイアを愛する修であっても、それだけは、それだけは出来ない。


(やっぱり、……ね。ホントバカだわ妾は)


 苦悩する修に、イアは悲しそうで嬉しそうな眼差しを向け、そっとため息を一つ。

 今の修は彼女に恋するもしもの修、それでも彼は即答しなかった。

 その意味を正確に理解して、少女は決意をあらためる。


(ディア、小夜。正々堂々と……負けないわよ)


 敵は、銀髪褐色の剣の女神。

 敵は、黒髪の人間の巫女。

 修の、彼女達への想いに決着が着かない限り。


「ねぇ、オサム。――覚悟しなさい、いつかアンタの意思で、妾と結婚してあっちで暮らしたいって言わせてみせるから」


「お前、それって――――っ!?」



 そうしてイアは、シーダに己の負けだと伝えた。


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