056話 愛を叫ぶ勇者は童貞



 過去は問題ではなかった。

 大切にする、という言葉は本気であるが、理由の全てではない。

 ――――では?


 固唾を飲んで見守るローズの脳裏に、イヤな予感が起こる。

 いくらなんでも、とその可能性は真っ先に排除していた。

 おそらく、他の者も一緒だろう。


 世界を救った勇者。

 いくら純情で、童貞で、紳士的でも、性欲ある成年男子が少年に、流されてもおかしくないし、流されてもおかしくない。

 誰もが、その可能性を排除していた。

 当の、ディアでさえも。


(え、なんでこんなに緊迫してるんだ?)


(どう考えても主殿の所為だろう?)


 突き刺さる視線の鋭さに、そろそろ秋の寒さが来たのだろうか修の背筋に怖気が走る。

 ――断じて、気温の所為ではない。


「オサム様?」


 鈴がなるような涼やかで可憐な声、何故だかとても冷たい痛い。

 修は静かに深呼吸を一つ、目をつむる事一回。

 心を落ち着けて、されど燃やして口を開く。



「……だってさ、ディアって綺麗だろ?」

 


 は? と誰かが漏らした。

 この男は何を言い出すのだろうか?

 そんな視線もなんのその、覚悟を決めている修はディアに向き合い、その手を恭しく握り。


「なぁ、ディア。お前は綺麗だ。本当に、――この世の舞い降りた美の女神。――俺の、理想の女の子だ」


「あ、ありがとうございます?」


 この状況、この言葉。

 率直な想いに照れていいのか、そんな事を聞きたいと言えばいいのか、ディアは頬を赤らめながら困惑する。

 勿論、他の者も困惑である。


「勇者になる前はさ、誰かに見惚れるとか、恋なんてしたことなかったんだ」


 それの何処が、ディアを抱かない理由に繋がるのか。


「勇者になって、色んな人と出会ったよ。正直、イアに初めて会った時はこんな可愛い子がいるなんてって驚いた」


 でも、と。

 イアには悪いけど、と修は臆面もなく、そしてディアに熱烈な眼差しを送りながら言い放つ。


「ディア、お前の褐色の肌はとても魅力的で、何度むしゃぶりつきたいと考えたか」


 もしやこれは、ノロケられているのか。

 そんな疑念が皆から沸き上がる。


「ディア、お前の銀の髪。その長くて煌めく髪がとても神秘的だ。どんな芸術家だって、この美しさは描けないよ」


 修は彼女の髪を、宝物を扱うように大切に手で梳く。

 ディア以外の口の中に、砂糖が混じり始める。


「ディア、その胸はとても蠱惑的だ、その膨らみに鷲掴みしたくなる。ああ、勿論その腰のラインも常に撫でたい、お尻は顔を埋めたい」


 本当に、いったい自分達は何を聞かされているのだろうか。

 修がディアを抱かない理由を聞いているのではないのか?

 とはいえ、ディアを熱く語る修の気配は戦闘中の勇者のそれで、ディアは首筋まで赤くして口をパクパク。

 口を挟む雰囲気ではない。


「顔の輪郭だって、なんて美しい……、首筋に吸つきたい、うなじの匂いを嗅ぎたい。唇だって、何回もキスしたいし、声だっていつまでも聞いていたい」


 誰もが、何故こんな変態発言を? と死んだ目をし始めるが修は止まらない。


「ふともも、毎晩枕にしたい……、足首や足の指を舐めてふやかしたい……。ああ、ディア。お前は俺にとってどんな世界のどんな女より、最高の女だ」


 それは正しく愛の言葉だった。

 少々、偏執的ではあったが、修が初めて語ったディアへの明確な愛の言葉。

 ディアは、やっとの思いで問いかける。


「す、す、す、好きなのはっ、か、体だけで、すかっ?」


「まさか!! 自惚れかもしれないけど、何も知らないお前が、俺の為に必死に学ぶ姿がとても嬉しかった、出会ったばかりの俺を、好きになろうとしているお前の心が嬉しかった!」


 おや、と皆は感じた。

 話す風向きが、少し変わった気がする。


「ディア、お前という存在に戸惑い、深い関係になる事を躊躇する俺に、一緒に歩いてくれると言ったお前の気持ちがとても嬉しかった!」


「オサム、様――――」


「イアや小夜が現れて、嫉妬したり、積極的になったり、そんな気持ちがとても嬉しかった、俺は好かれてるんだって、すっごい実感できた!!」


「オサム、様ぁ……」


 ディアが、ぼぅっと修を見つめる。

 修もまた、ディアの両手をしっかりと包み込み、真正面から。

 ――思えば、ちゃんと言っていなかったかもしれない。


「前は家族のそれだって言った。……ごめん、それは半分本当で、半分嘘だ。…………臆病だったんだ、誰かを本気でなんて初めてで、目を反らしていたんだと思う」


「言って、言ってくださいオサム様」


 マジか、言うのか、そんな周囲の空気なんてなんのその。

 勇者・修、男・修ははっきりと言った。



「ディア、好きだ。家族だけじゃない、一人の女として、お前が好きなんだ」



 言った、言ったのだこの童貞は。

 何か素晴らしいモノをみたような気持ちが、ローズ達の中に芽生える中。

 それはそれとして、問題は解決してないよね? と一同は曖昧な視線を送る。

 おい、誰が言うんだよ、やだぞ、こんな空気の中、なんて無言のやりとりの後、家族代表としてローズがしぶしぶ投げかける。


「で、じゃパパよ。そんなに好きというなら、何故ママを抱かないのじゃ? というか何故告白してるんじゃ…………」


「そ、そうですよオサム様っ! なんで私に手を出してくれないんですか!! そりゃあ本心から私の将来を考えて、大切にしてくれてる事は分かりますけど、それだけじゃないから、今こうして話してくれているんでしょうっ!?」


 はっ、となって問いつめるディアに、修は開き直ったのか、やれやれと肩を竦めて。


「――――まだ、分からないか?」


「ええい、カッコつけて歯を光らせるでないパパッ!!」


 修はニヒルな笑みを浮かべると、空を見上げた。

 皆もつられて見るも、そこは只の夜空。

 強いて言うなら、月が綺麗。


「ディアはな、俺にとって――あの月の様な存在なんだ」


 首を傾げる一同に、修は続ける。


「分かってくれ、ディアは俺にとって最高最上、極上の女神な女の子だ」


「いや、聞いたわよさっき」


 イアの呆れた冷たい声。

 他の者もうんうんと頷く。

 すると、修はうぅと唸り、髪をぐしゃぐしゃにして。


「だぁーーーーっ!! ここまで言って分かんないの!? 悪いけどちょっとは汲んでくれよっ!!」


「修くん、――分からない、はっきり言って(あ、これきっと禄でもない理由だ、エロゲで見た)」


 小夜が無慈悲に続きを促して。

 かの童貞勇者はがっくりと項垂れた後、がばっと顔を上げる。



「だ・か・ら・さぁ!! 怖いだろう! セックスするのっ!」



「「「「はぁ?」」」」



「人生初めて好きになった子だぞ! そしてディアだぞ! もしスる時は全裸になるじゃんか! そしたら俺のアレが見えるだろう? ――――笑われたら生きていけねぇだろうがっ!!」



 それは、魂の叫びであった。

 童貞勇者にの名に恥じない、魂の叫び。

 花火の時に姿を見せた勇者隊も、いつの間にか姿を表して、あちゃー、言っちゃったかという顔。



「もし、もしもだぞ! ディアを気持ちよく出来なかったら? 痛いとか言われたり、手つきが気持ち悪いとか、実は唾液が臭いとか、マジ死ぬぞ!」



 唖然とするディア達へ修は更に叫ぶ。




「そしてだ!! 今までだって、ディアの裸みると興奮するし緊張するし、めっさ体強ばったりするし! 俺の俺が、いざその時になってご立派にならずに、しおしおしたらどーすんだっ! 俺もう死んじゃうぞ! 綺麗で可愛くてエロすぎるんだよディアは! 俺、こればっかりはまだ心の準備が出来てないんだってぇーーーーのぉっ!!」




 勇者・久瀬修は、正しく童貞であった。

 しかも、ヘタレな童貞であった。

 これが、ディアとの最後の一線を越えない理由であったのだ。


「オサムのヘタレ」「――ヘタレ」「パパの糞童貞」「見損なったぞヘタレ童貞勇者」「久瀬君、それはないですよ?」


 次々にかかる容赦ない言葉に、修はぐさぐさと刺されて瀕死、見事な失意体前屈を披露。

 だが、ディアだけは微笑んで――。


「――立ってくださいオサム様。貴男の気持ち、伝わりました」


「分かって、くれたのかディア…………!」


 修が感激の涙で、ディアの差し出したその手を取って。

 その瞬間。



「こんのぉっ! ド・ヘタレがああああああああああああああああああああああああっ!!」



「――――あべしっ!!」



 ディアは修を片手で持ち上げたかと思えば、見事な体捌きでジャーマンスープレックス。

 修の意識は、暗闇に落ちたのだった。


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