048話 黎明の女神



 それは最初、小さな染みだった。

 真白い画用紙の角に、いつの間にかついた小さな汚れ。

 だがそれは、徐々に画用紙を浸食していき――――。


(――――何故でしょう、こんなに心がざわついているのに)


 不思議と、落ち着く。

 あるべき形に収まったような、それとも初めからそうだった様にすら思える。


「皆さん、籤は引きましたね? では…………ああ、私が王様ですか。ふふっ、では次を引かせて貰います」


「ああ、引いてくれ…………」


(――――駄目じゃ、駄目じゃ駄目じゃ。それは駄目なのじゃママっ!?)


 ディアの黒い気配に皆が気圧され、普段なら気付く筈の修も股間を物理的に押さえられていては、それどころでは無く。

 ただ一人、次元皇帝竜たるローズだけが気付いていた。


(何故、何故こんな事にっ!? たかが嫉妬だけで? …………っ! いや、嫉妬、嫉妬が原因かっ?)


 無垢な少女が新しい感情を発露させたと見るべきか。

 それとも、眠っていた本性が呼び覚まされたのか。

 主立った実害が修だけに止まっているので、どう対処すれば良いか判らず、ハラハラとローズは見守る。

 だが――――。


 ぐにゃりと、運命がねじ曲がった音がした。


「――――これ、と、これ。あら、組み合わせは王様と三番、内容はキスを三十秒。とても良いのを引きました」


「…………三番は俺か」


「なッ、狡いッ!」「――――なるほど?」


「ふふっ、籤で決まった事ですから」


 きゃいきゃいと騒ぎながらキスを始めるディア達を余所に、シーヤは愕然とするローズを部屋の隅に誘導、小声で会話を始める。

 なお、ディアのキスは彼女らしからぬ濃厚なもので、修は初な少女の様に翻弄されている事を記録しておく。


「おいロリドラゴン。組み合わせの籤に王様入れたのオマエか?」


「――――入れては無い」


「では、引いてる途中ですり替えたとか?」


「余を何だと思ってるのじゃ…………。お主等、本当に気付かないのか?」


 修を蹂躙するディアを、ローズは鋭い視線で。


「あの神剣がどうかしたか? 不正をするヤツじゃないだろう」


「――――ふむ、不正を意図した訳では無い、と? では何故?」


「余にもまだ判断が付かん、だが警戒を怠るでないぞ。事と次第によっては…………」


 ローズの瞳孔が、まるで爬虫類の様に縦長になって。

 竜気と呼ぶべき気配が、ちろちろと漏れ出す。


「…………本気の様だな。何が起こってる?」


「余が見た未来は、パパとイアの組み合わせだった、次点でママとイア、少ないが小夜とイア」


「王様と書かれた紙は入っていない。だから、こんな風になるのはあり得ない。そう言う事だな? 外部からの介入は?」


「何のために、王様ゲーム用の結界を張ったと思っているのじゃ。例えこの星の主神であっても介入できぬっ!」


 不安と苛立ちで不安定になりつつあるローズに、魔王シーヤは冷静に聞いた。

 仮にも王であった身、何時いかなる時でも沈着冷静になるのは、もはや癖である。


「アタシ達の仕業じゃない、外部からの介入ではない、となるとあの四人だけだが――――」


「犯人は解っておる、ママじゃ」


「だが何の為に? ヒトになって間もないとはいえ、仮にも聖なる剣、女神の娘、不正をするとは思えない」


「だが『した』のじゃ。あの様子を見るに無意識の可能性が高い」


「故に、油断ならないか。――――中止するか?」


「…………否、杞憂かもしれん」


「甘いな竜よ、だが承知した。もしもの時は武力行使するが問題ないな?」


 シーヤの言葉にローズは頷く。

 沸き上がる不安を胸に、今はただ四人を見守る他無かった。

 一方、そんな緊迫した空気に気付かず修の受難は続く。


「ふふっ、また私が王様ですか。組み合わせは――――あら、またも私、そして一番」


「はぁっ!? 俺ぇっ!?」


「――――偶然?」「ぐぬぬぬぬッ、運は良いようねッ!」


 内容は王様が思いっきり顔を抱きしめる、当然の様にローズ達が入れた内容ではない。

 修は当然の様にディアの生乳で窒息しかけ、これまた当然の様に股間の球体を握られ続ける。

 これまでのゲームで、イアと小夜が新たな扉を開きかけた様に、修もまた男として駄目な扉の前に立っていた――――股間の巨塔と共に。


「はい、また私が王様です」「はぁっ!? 今度も俺とディア!?」


「ねぇ小夜、流石に変じゃない?」


「――――不自然、作為的です」


 二度目、三度目は偶然だと。

 だが四度、五度と同じ王様、組み合わせが続くと流石に気が付く。

 なお、修は一人で我慢大会、或いは射出管理という窮地に陥っていた。

 然もあらん。

 子孫繁栄を物理的に握られ、それでいて過剰過ぎるスキンシップをされているのだ。

 山の頂に上っていない事を、褒めるべきであろう。


(ふふっ、ふふふっ、嗚呼、嗚呼、嗚呼…………、王様ゲームってとても楽しいものなんですね)


 六回、七回、八回、もはや修の肉欲が弄ばれるだけの光景が続く。

 イアと小夜は、何回も中止を求めようとした。

 だがその度に、ディアに気圧されて何も。

 そしてそれは、ローズ達も同じ。


(もっと、もっとです。オサム様の――――悶える顔が。苦しむ顔が、見たい)


 足りない、こんな子供だましの行為では足りない。

 ディアの女としての本能が告げる。

 だが、辛うじて残った理性がそれを止めていた。


(いいえ、いいえ、駄目な筈です。セックスはオサム様が望まれていません。…………いいえ? なら――――オサム様が望まれれば?)


 くつくつとディアは嗤う。

 理性が告げた理由は言い訳で誤魔化され、もはや彼女の中に止める良心は無い。


「…………はぁ。もう、いいですよねオサム様。何をどう引いたって、私とオサム様が対になる運命。それに――――ふぅ」


「くっ!? ~~~~ぁ、ああああああっ!」


 息も絶え絶えに仰向けになってる修に近づくと、ディアはしゃがみ込んで熱い吐息を天辺に吹きかける。


「次で最後です、ええ、もう私からはオサム様の股間に触りません、どうぞご自由になさってください」


「何、を――――!?」


 ディアは、ニタニタと笑いながら服を脱ぎ捨てた。

 そして修に馬乗りになると、体を倒しゆっくりと前後を始める。



「誘惑勝負です、オサム様の敗北条件は…………ねぇ、もうお分かりでしょう? ふふっ、くすくすくす」




 それは、見るからに毒婦だった。

 それは、淫蕩そのものだった。

 それは、例えるなら悪意であった。

 ――――毒婦。

 ただの毒婦では無い。


「――――邪悪」「こんなに聖なる気配がするのに――――」


 ここに至って、全員が理解した。

 ディアという少女が、邪悪を討ち滅ぼす神剣は、幼き女神は。


「力に飲まれて暴走しておるっ! しまった、何故気付かなかったのじゃ、ママは女神、神であったと云うのに――――」


 ディアの暴力的な誘惑に修が必死に耐えている中、彼女の力の一つ「伝心」も暴走を始め、その心を、過去を伝え始める。


「――――オサムと同じ力っ!?」


「…………そういう、事ですか」


 神の巫女たる小夜は、事態の収拾方法に一足早くたどり着き。

 以前、修の「伝心」の暴走に巻き込まれた事があるイアは、この先の出来事を予測し心のガードを固める。


「何だこれ、流れ込んでくるぞっ!? おい勇者、オマエの女だろうっ!? 何とかしろっ!?」


「久瀬君、何とかなりませんかっ?」


 修の精神がバチンと切り替わる、性に翻弄されていた情けない男から、人類の守護者へと――――。



「――――巻き込むぞ皆っ! 『伝心』よ繋げえええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」



 その瞬間、かつて異世界課の地下研究エリアで見せた光景が再現される。

 誰もが生まれたままの、心だけの姿に。

 それはディアの「伝心」も共鳴して、感情や過去が何一つ隠せない深みへと到達。

 故に、――――誰もが理解した。


「ディア、お前は――――」



 彼女は、夜と朝を繋ぐ払暁の、戦いを司る戦女神である、と。


「だからママは…………」


 その銀の髮は、いつか来る夜明けの象徴。

 その褐色の肌は、絶望と希望の狭間である象徴。

 そして。


「フン、女神の使命とやらも楽では無いようだな」


 彼女は剣であった。

 邪悪を倒し、世界に邪悪を残さぬ様。

 使い手である勇者が邪悪に飲まれる様、その感情を吸収する剣。


 ああ、画用紙は確かに真っ白だったのだ。

 ああ、確かに彼女は闇を受け入れる器であったのだ。

 そして、その漆黒は今も彼女の中に。


「――――ディアさんの荒ぶる神の側面、その発露」


「嫉妬がトリガーとなって暴走した。原因は把握しました、けれど…………」


 アインは険しい顔をした。

 自分達が彼女の事を知った様に、彼女も今、皆の事を知っている。

 動きが無くただ佇むのは、それが複数人分だからだろう。


「決まってる、ディアを救うんだ」


 修は即座に答えた。

 そして同時に女神セイレンディアーナが、自分を選んだ理由も理解していた。


「女神様がディアの幸せを願ったのは嘘じゃない、きっと、俺の幸せを願ったのも。――――ああ、そうだよな、何時だって女の子を助けるのは勇者の役目なんだ」


 修が勇者だから、ディアに頼らず世界を救った修だからこそ、彼女の伴侶に選ばれたのだ。

 もしディアを使って世界を救っていたら、修は彼女の闇に同調してしまっていたでだろう。


「じゃがパパよ、何か手はあるのか?」


「解らない、けど――――」


 臨機応変といえば聞こえは良いが、無謀な突撃を始めようとした勇者をエルフの姫が制止した。


「――――待って、妾に考えがある」


「イアさん、――――神を鎮められる?」


「神を鎮める方法はしらないわ小夜、だけど此処が『伝心』の中なら、一つだけ手がある」


 皆の注目がイアに集まる。


「妾は以前、オサムの『伝心』の暴走に巻き込まれた事がある」


「…………あったな、そんな事」


「どうやって解決したんじゃ?」


「心を同調させればいい、あの時は苦労したわ。オサムはホームシックだとか、自分の無力さとか、そういう負の感情でいっぱいだったから」


「う、面目ない」


「でも利点もあったのよ。妾達の勇者隊の団結は、それでお互いを分かり合った結果なんだから」


 懐かしそうに微笑むイアに、修は恐縮するしかない。


「では、皆で行こうかの」


「いえ、ここは妾に任せて欲しい」


「危険だっ! せめて俺も――――」


 エルフは首を横に振り、彼に向かって苦笑した。

 どうしても、彼女だけじゃないと駄目な理由があるのだ。


「小夜でもローズでも、シーヤでもアインでも、勿論オサムでも駄目なの。――――だって、妾とディアは同じだから」


「同じって、何がだよっ?」


 他の全員は、イアの言葉を理解した。

 解らぬのは、今なお外せぬ、勇者という鎧で心を護っている修のみ。



「ま、男の出る幕では無いという事じゃパパよ。ここはイアに任せてみないか?」


「…………ローズがそう言うなら。ディアと頼んだ」


「はいはい、アンタは後の事でも心配してなさい」


「アタシらも同行出来れば良かったのだが…………」


「もしそうだったら、事態は悪化していたわ。そもそも出会った時に殺し合いになっていたかも」


「くくっ、違いない」


 シーヤの笑い声を背に、イアは黎明の戦女神に近づく。

 一歩進む毎に、剣の鋭さを持つ威圧感が襲いかかった。


「――――っ、くっ、ははっ、アンタが相手で、『伝心』が恋愛感情を相手に伝える事が無くて、本当に幸運だった」


「…………イアさんの心、何故だか解りません。何を考えているのですか?」


「経験者だからね、防御を固めてるのよ。――――さ、分かり合いましょう?」


 同じ人を好きになった者同士、同じ嫉妬を抱える者同士。

 この場でイアだけが、ディアとい少女と解りあえる。

 そして――――。



「――――――――――――はぇ?」



 ディアはこてんと首を傾げた。

 イアというエルフの心の内側には、確かに同じ嫉妬があった、魔王と戦う中で生まれ、そして消えた闇の心も。

 だが、だが、だが。


「敢えて言おう、――――手ぬるいわディア」


「ええ、ええええ、ええええええええええっっ!? い、良いんですかこんな事して、え、そんなっ、羨ましいっ! ふわぁ、こ、こんな事まで――――アリなんですか、本当に良いんですかっ、っていうかオサム様にバレたら駄目なヤツですよねコレぇっ!?」


 瞬間、闇に落ち掛けたディアの心は、新たなる闇を得、一周回って正常な精神に戻った。


(まさか、オサム様が童貞である理由がイアさんにあったなんて…………)


 ともすれば、魔王よりドロドロとした執念とも言える偏執的な何か。

 修の周囲に常に付きまとい、排泄の時も着替えの時も入浴の時も。

 遠くに居たならば、盗聴盗撮する魔法を仕掛け。

 下着のすり替えは当たり前、勿論手に入れたら洗濯などしない、思う存分楽しんでから宝箱へ。


(ありがとう、と言うべきなのでしょうか?)


 勇者として活動していた時、本人の認識は兎も角、修はとても異性にモテて居た。

 だが、エルフの姫である事を持ち出し、貴族の女性ならば政治的な理由で。

 それが権力を持たない市民であるならば、言葉を交わす隙さえ与えず、彼と恋仲だと錯覚させ諦めさせ。

 仲間で、戦う者であったなら、――――力を以て。


「…………ここまで、するべきなのでしょうか?」


「ええ、ここまでする必要があったのよ、少なくとも彼方の世界ではね」


 イアもまた、ディアから学んでいた。

 異世界では把握しきれなかった修の性癖、どこが性感帯なのか、効果的な迫り方等々。


「ですが――――」


「ええ――――」


 やがて二人は、堅い握手を交わした。

 もう二度と二人は争う事は無い、例えそれが修に関した事だったとしても。


「もう大丈夫ね」


「はい、ご迷惑をおかけしました」


 ディアの、女神としての暴走が治まり始める。

 徐々に心が離れていく感覚、「伝心」のオーバーロードも落ち着きを見せて。

 そろそろ、現実への帰還が始まるのだ。

 だがその前に、ディアには彼女に聞かなければならない事があった。


「良いんですか、その体は、魂は――――」


「まぁね、最初から駄目で元々だったから。まだ先だけど、そう遠くない内に。オサムだって結論を出さない男じゃない、そうでしょう?」


「…………イアさん」


 ディアが心配そうに涙ぐんだその時、皆も含めて現実へと戻る。


「おおっ、何とかなったのか! 大丈夫かイアよ、ママよ!」


 途端、真っ先にローズがディアに駆け寄った。


「私達は大丈夫です、迷惑と心配をかけてごめんなさいローズちゃん…………」


「余達は何もしておらん。それより――――」


 幼き紅竜は母の下を見る。


「…………? あ! はわわっ、お、オサム様っ!? ご、ごめんなさい、今退きますからっ」


「あ、今パパに触ると――――」


「――――あふんっ!?」


「………………遅かったか」


 ローズは涙を湛え、父から顔を背けた。

 また、ディア以外の全員が同じ行動を、武士の情けである。

 ――――然もあらん。「伝心」の邂逅は時間にして一瞬、現実の体はそのままだ。

 では、現実の状態はどうだったであろうか。

 高ぶりに高ぶって敏感になった修の全身に、暴力とも言えるエロボディが合体寸前の状態で。

 ギリギリまで耐えていたのを、不意打ちで動かしたらどうなるか。


「――――初めててみました(うわぁ、うわぁうわぁ~~~~~~、イカ臭いって本当なんですね)」


「…………頭の痛くなるオチね(ううっ、保存したいっ、レア中のレア、レジェンドレアじゃないっ!)」


 危機は去った、取りあえず。

 だが、何とも締まらない終わりであった。

 なお、この日からイアと小夜が久瀬家の住人になった事を追記しておく。


「――――メール、八代おじさまから? ……………………どうしよう」


 今日も世界は平和であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る