036話 キスは瞳より雄弁に語る・後
服を脱ぐときは、お互いに背を向けて。
衣擦れの音が聞こえる。
Tシャツとハーフパンツが肩を出したサマーニットとミニスカートが、さして時間もかからずに床に落ちた。
振り向くとチョコレート色の裸体を銀髪で彩ったディアの裸体、その後ろ姿。
事前の予想通り、彼女は下着は一つとして付けておらず、銀の糸がオーロラのカーテンの様に臀部まで延び、その様は完成された芸術の様に思えた。
己の美しさのみを纏う女性に、修もまた最後の一枚であるトランクスを脱ぎ捨てる。
「――――綺麗だ」
ディアが振り返る、有名な裸婦画の様に銀房によって乳房が隠される様は、以前と違って情欲を呼び覚まさなかった。
ただひたすらに、美しいと思う。
「オサム様は、逞しいですね…………」
女神によって十七の姿に戻されたとはいえ、鍛えた筋肉。そして傷跡はそのまま。
大小様々な醜い亀裂は、彼の辿った道筋の過酷さを示していた。
神の剣、戦の神の側面も持つディアは、修に近づくと指先で胸板の傷痕をなぞった。
「伝わってきます、一つ一つがオサム様の」
鋭い何かで切られた痕があった。
ギザギザとした何かで抉られた痕があった。
燃えて爛れたまま治ってしまった痕があった。
あちらの世界には治癒の魔法がある、当然、修の仲間にも使い手が。
だからこれだけの傷跡が残る事こそ、戦いの過酷さを証明して。
「見ていて、気分がいいものじゃないと思けど」
「いいえ、いいえオサム様。私は大変好ましく思います」
ともすれば幼子であるローズに向けるそれより、慈しむ様な視線で、ディアは確かめる様に一つ一つを。
腹部から胸、そして右腕、肘、手の甲、そして手の平に来たとき、桃色の唇を近づけて強く押し当てて吸った。
――――八つ目。
「意味は懇願。どうかオサム様、私に貴男の隣で戦う許可を、この体で貴男と共に戦う術を教えて下さい。この身は剣、この身は伴侶、何時如何なる時も、貴男のお側に居たいのです」
もし最初から剣として彼の側に居れば、今の様な平和な暮らしは無かったかもしれないが。
この体の傷跡はもっと少なく、その苦労は少なくなっていかかもしれない。
だが、それはあくまで有り得なかった「もしも」だ。
口に出すのは、今を否定する事に繋がる。
だから、だからせめて。
「…………ディアの気持ちは嬉しい。平和な日本だ、必要無いって言いたい。けど先日の様な件もあると思う」
修はディアの頬を、銀髪の上から触れる。
戦って欲しくない、けれど、そう言って貰えるのは嬉しい。
日本に帰ってきて理解した、平和なこの国でも、平和な暮らしを過ごす為にも、この二人が誰かと戦う事があると。
だから、だからせめて。
「戦いに出る以上傷つくなとは言わないよ。でも――――死なないで欲しい。どんな姿でも、生きて隣に帰ってきてくれ。…………出来るなら傷跡なんて残さないで欲しい」
「はい、オサム様。お約束致します…………、だから貴男も傷つかないでください。貴男の傷は私の傷、貴男の死は私の死。――――生もまた同様に」
「ああ、約束だ」
小指を差し出す修に、ディアは首を傾げた。
「それは、何かのおまじないですか?」
「小指を小指を絡めて約束を交わす、この国のおまじないさ」
「なるほど、では――――」
小さな傷跡が残る、ゴツゴツとした修の小指が、ディアの傷一つ無い、たおやかで柔らかな小指と絡まる。
そして三回上下に振られ、名残惜しそうに離れた。
「約束だ」
「約束です」
微笑み合う二人は、そして修はディアの頬にそっと顔を寄せると軽くキスを。
お返しとディアも同じ行為をした。
――――九つ。
「意味は親愛・厚意・満足。今、俺はディアに一番親しみを、心が近づいてるって感じてる」
「私もですオサム様。…………でも、それだけじゃありません」
口元を綻ばせるディアは、再びベッドの上に修を誘導すると、しゃがみその腰へ吸い付いた。
そしてそのまま、腹筋で堅い腹部に強く痕を残す。
――――これで十、十一。
「意味は束縛、そして回帰。オサム様と心の距離が近づいたのは嬉しく思います、けれど何故でしょう…………、ずっとこのまま、私だけと触れ合って欲しい、ローズちゃんにも触れて欲しくありません。――――ああ、オサム様がもし女性でしたら、このお腹で産まれたい、そうすれば親子という確かな関係でしたのに」
「…………それは困るな、俺はこうも思っているのだから」
修はディアを抱き上げてベッドに寝ころぶと、彼女を上に乗せ、その豊満な胸に顔を。
鏡を見ないと彼女では確認出来ない半球の下。
普段はブラで隠れる筈の赤道付近。
そして今日の服では見えてしまう北半球、そして胸元や鎖骨といった所まで。
数々の花弁を散らしていく。
そして、普段からは考えられない大胆さで、小麦色の肌を伝い、唇の手首にまで。
そこにしっかりと痕を残す。
肌を吸われる甘い感触に、しかして声も上げずディアは熱い吐息を漏らすのみ。
快感を感じていないと言ったら嘘になる、だが、これはとても神聖な儀式の様に思えたからだ。
何も言わず、静謐を携えた瞳を向ける神なる少女、上下の位置を入れ替えた修は、彼女の触り心地の良い太股を持ち上げ、またも沢山のキスマークを付ける。
――――十二、十三、十四。
「意味は所有、欲望、支配。…………俺は浅ましい男だ。ディアの気持ちがどうであろうと、言葉では自由を尊重しても、根っこの所では手放したくないと思ってる。ドロドロとした欲望を全部ぶつけて。――――俺以外何も考えられない様に支配したいって」
そして彼女の上半身を起こすと、背中に回り銀髪の隙間を縫うようにキスとキスマークの雨を降らす。
――――十五。
「意味は確認だ。いつ君を傷つけてしまうか分からない。こんな俺の側に居てくれますか?」
その言葉にこそ、ディアは痺れるような快感を。
ある種の快楽を感じ取った。
故に、その身を衝動に任せて、自分の意志で修を押し倒す。
手の甲に吸いつき。足の甲に吸いつき。最後につま先をしゃぶるようにキスをした。
――――十六、十七、十八。
「意味は敬愛、隷属、そして崇拝。…………出逢って一ヶ月です、まだ私はオサム様の全てを知りません。けれど私は、オサム様という一人の人間を尊敬しています。これは逃げの感情かもしれません。だけど心も体も、貴男の言いなりになっても良いと。――――貴男が尊い、そんな言葉が当てはまると思うのです」
修は無言でベッドから降りて、ディアはベッドに腰掛ける。
そして彼は跪いて彼女の脛に唇を押し当てた。
――――十九。
「ディア、君は一人の女の子で…………そしてきっと、俺の女神様だ。意味は服従、俺の方こそ、何もかも投げ出して君の言いなりになりたい」
この女の子を汚したい。
この女の子を汚してはいけない。
二つの思いは反する事無く、修の胸にストンと落ちた。
とても、晴れやかな気分だった。
穏やかな表情の修に、ディアもまた晴れ晴れとした顔で。
「立ってくださいオサム様」
「ああ、そうだな」
二人は微笑み合うと、先ず修がディアの頭に、そしてディアも修の頭に。
続けて、お互いの腕を。
――――二十、二十一。
「意味は恋慕だ」
「意味は思慕です」
「いつかきっと、他にどんな魅力的な女性が現れても、君へ確かで揺らがない恋いをしてると思う」
「いつかきっと、他にとても魅力的な男性が現れるかもしれません。でも、私はきっと貴男に恋をしてると思うます」
そして、――――二人の顔が近づく。
「これからの未来に」
「そうであって欲しいと願いを込めて」
唇と唇が触れ合った。
強くもなく弱くもなく、ただ押しつけるだけの。
切なる願いを込めたキス。
数秒か、それとも数時間か、時間の経過がわからなくなるぐらいに、ただ唇だけを感じて。
やがて同時に顔を離した。
「意味は愛情。この思いはまだ家族のそれかもしれない。けど、ディアに愛を抱いている」
「意味は愛情。私の思いも多分まだ家族のそれです、でも。オサム様に愛を抱いています」
――――二十二。
パネルの欄の最後の一つに斜線が引かれ、窓の外の光景が現実に戻る。
カチンと音がして、ドアが開くようになる。
だが、二人は気にも留めなかった。
今はただ、とにかく二人で居たくて。
服を着直す事も忘れ、夕食の事をローズが聞きに来るまで、ただ体温だけを感じていた。
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