035話 キスは瞳より雄弁に語る・中



 それは、いつかの再現だった。

 ベッドに隣り合って座り、お互いに見合ったまま動かず。

 いざキスしようとしても、何処に、誰から、と考え過ぎて行動に行き着かない。


「…………あぅ」


「…………うぅ」


 時折視線を重ねては、言葉にならぬうめき声。

 事態を打開する為に修は、思い切って言いたいことを言う事にした。


「――――っ、すぅはぁ。…………ごめんディア。俺は君の事を考えてる様で、自分の事ばっかりだった。――――君との対話を、怠っていた」


「いいえ、違いますっ、私こそオサム様の気持ちを考えずに、自分のしたいことばっかりで…………」


 目と目が逢う、共に真剣な表情。

 再び言葉が途切れた二人だったが、やがてくすりと笑い、指と指を絡ませる。

 コツンと額を合わせて、そして、どちらからともなく静かに目を伏せ。


「君が、ディアが最初に現れた時、とても驚いたんだ」


「私は、オサム様と新たな旅路が始まるものだと思っていました」


「正直、君が余りにも美しくて可愛くて、舞い上がってた。でも同時に――――持て余していた」


「自分の役目が無くなった事を知り、とても不安でした。何をすればいいのか、此処に居てもいいのかも分からずに」


 出会いは急で、何もかもが未知数だった。


「だから、女神様の言葉を聞いたとき、ほっとした。困惑もあったけど、先の事が見えたから…………」


「私も、安心と喜びを得ました。この世界で新たなやるべき事が見つかったから」


「でも」「でも」


 二人の言葉か重なる。


「君と恋人になる、君と夫婦になる。それが良いことなのか、悪いことなのか、全然分からなくて」


「恋人、夫婦、子を為す。それが何を意味しているのか分からなくて」


 不安は、どちらにもあった。


「だから、多分、逃げていたんだと思う。君を大切にするという言葉で、自分自身と何より――――君という一人の女の子から」


「私は、貴方と一緒に居て、知識と温もりだけを求めて。――――オサム様の心を知ろうともしませんでした」


 口に出せなかった、それとも、口に出さなかったのか。

 だが、今の二人にはどちらでもよかった。

 確かにこの瞬間、言葉にしているのだから。


 修はゆっくりと目を開き、額を離す。

 ディアも同様に、真っ直ぐに修を見つめた。


「君と出会ってからの一ヶ月、考えていた事があるんだ」


「言ってください、オサム様」


「女神様はああいったけど。――――本当に、俺の側に居る事が、ディアにとっての幸せなのか。この先、夫婦になるのがディアにとっての幸せになるのか。…………女神様の言葉を盾に、君を俺の隣に縛り付けていいのか」


 修にとって、絶対に譲れない一線だった。

 これから先、ディアは色んな事を知るだろう。

 それに伴い、女神の言葉の意味を正しく把握する。

 その時ディアは、修の事をどう思うだろうか。

 考えたくもないが、或いは、修以外に愛する人を見つけているかもしれない。

 もしそうなったら――――。


「――――そんな顔をしないで下さい、オサム様」


 言葉の裏に意味づけられた修の心中を、ディアは正確に把握していた。

 別に「伝心」が働いた訳ではない、「伝心」は恋愛感情を伝えない。

 それは、この一ヶ月寝食を共にした結果、ディアが得た修への理解だった。


「優しい貴男が、私を想ってそう考えてくれている事は知っています。ヒトになったのだから、女神の言葉に囚われずに自由に未来を選べるようにと。――――でも」


 ディアは修の手を持ち上げ、両手で握った。


「確かに今の私は、お母様の言葉で貴男の隣に居ます、貴男を異性として好きになろうと、愛そうと考えています。――――でも、だからこそ、こう考えませんか?」


「…………ディア?」


 柔らかく微笑むディア、彼女が何を言おうとしているのか、修には皆目検討がつかなかった。



「私と貴男の間に、確かな『好き』や『愛』が産まれる様に、私がお母様の言葉を真に理解出来た時に、貴男の側に居る事を選べる様に、努力をしませんか? ――――オサム様が未来で私の隣に居てくれる様に。一緒に『好き』と『愛』を育みましょう」



 こんな時、何とと返せばいいのだろうか。


「…………ディア、ディア、ディア」


「はい、はい、はい、オサム様…………」

 

 修はただ、彼女の名前を呼び、強く抱きしめる事しか出来なかった。

 もしかすると、それで良いのかもしれない。

 ディアもまた修の背中に腕を回し、強く抱擁を返したからだ。


「キス…………しませんか? 私、オサム様の事がもっと知りたいです…………」


「ああ、キスをしよう。俺もディアの事がもっと知りたい」


 そして二人は、名残惜しそうに体を離した。


「…………ええと、先ずはどこからしようか?」


「では、瞼に。意味は憧憬」


「わかった」


 少し頭を屈め、修は瞼を閉じる。

 すると、柔らかな温もりが優しく押しつけられ、数秒後に離れた。

 ――――これで一つ、パネルの欄に斜線が。


「オサム様、魔王を倒し世界を救った貴男を尊敬しています。私と歴代の勇者様達では封印する事しか出来なかったから。それを為した貴男の強さ、貴男という人に憧れを」


「ありがとう。…………改めて言われると、何だか照れくさいな」


 修は頬を赤らめながらそう言うと、ディアの前髪をかき上げて唇を。

 ――――これで二つめ。


「友情の意味もあるそうだけど、これは祝福だ。君という存在が居る事への、そしてこれから先に俺達に、祝福あれ、と」


「ふふっ、一人で祝福するなんて狡いですオサム様」


 彼女はそう笑うと、修の右手の指先にキスを。

 ――――三つ目。


「貴男の心に賞賛を、勇者の素質と言えば味気ないですが、誰かを心から想うのは、万人が出来る事ではありません」


「ならディアもだな、俺との未来を考えてくれているだろう」


 修もまた、ディアの左手の指先にキスを。

 二人はくすくすと笑い合う。

 次は何処にキスをしようか、修の目がディアの体を彷徨って、視線は耳に。

 少し恥ずかしいが、これも素直な心である。

 緊張気味に、彼女の耳に唇を当て吸い痕が残りそうな所を探す。


「んン…………、ぁ…………くすぐったいです、オサム様、それに、何だかゾクゾクしてしまいます」


「――――噛み痕なら残せそうなんだけどな」


 ディアの耳が修の唾液でテカテカと濡れる。

 つい甘噛みしてしまった感触は、とても素晴らしくいつまでもそうしていたい。

 ――――これで四つ目。


「君に触れる度、触れられる度。君の下着姿や裸を見る度、いつも誘惑されている様に感じていた。感情の赴くままに触れて、そして、君も俺に誘惑されればと」


「なら、これもおあいこですね。私も貴男の匂いや体、体温が心地よくて。触れてほしいとも思っていましたから」


 ディアもまた、修の耳に口を近づけて甘噛みした。

 それは彼女と同様に、修にもゾクゾクした感覚を与える。


「なんだ、案外似たような事を思っていたんだな」


「ええ、でも私にはまだ行為の意味も先にある気持ちも分かりません、だから、オサム様の判断が正しいのだと思います」


 ディアは修の顔に己の顔を近づけると、今度はその鼻梁にキスをした。

 ――――これで五つ目。 


「意味は哀願。…………どうかオサム様。私に触れてください。たとえその行為が只の欲でも、間違っていても、きっとそれは私の喜びなのです」


 それに対し、修はディアの喉に吸い付いてキスマークを残した。

 ――――六つ目。


「――――っ、はぁ。意味は欲求。ディアは女性としてとても魅力的だ。だから俺も君を求めたいし、求めて欲しいって思ってる」


 ディアの首に、喉に残った痕はまるで彼女が修の所有物の様だと示している気がして。

 男として満たされる思いと、ディアの意志を無視してはいけない、という思いで板挟みになった。

 欲望を携えた修の目に、ディアは居ても立ってもいられずに、その首筋へ顔を埋める。

 ――――七つ目。


「…………ん、はぁ。こうして痕を付けると、まるでオサム様が私だけのモノになったみたいです。意味は執着。私はオサム様しか知りません。だから盲目的に執着しているのかも。でも、いつかきっと、叶うなら自分の意志で」


 二人の目が情欲に彩られ始める。

 だが不思議と、性急に体を求めようとは思わなかった。


「ディアからそんな言葉が出るなんて、少し不思議だな」


「私も不思議です、ヒトの女の子は皆こんな気持ちを抱くのでしょうか」


 さて次は、とパネルを見た所で二人は、キスする場所の幾つかに服で隠されている場所があるのに気づいた。


「…………脱いでしまいましょうか」


「…………こうなったら、そうだな」


 冷静に考えれば、その部分だけたくし上げるなり何なりすれば良かったのだが。

 雰囲気に流され、二人は服を脱ぎ下着姿になった。

 ――――もっとも、下着をつけていないディアは全裸であったが。


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