007話 こちら新宿区出入国管理局異世界課
同棲生活開始の初日は、女神の神託騒動の後も過酷であった。
疲れ果てて、シャワーを浴びる気にもなれず就寝しようとすれば。
一人で眠るのは怖いと、ディアが布団に潜り込んできたり。
慣れないパジャマが不快らしく、全裸になった彼女を説得できず、生殺しの添い寝という天国と地獄を味わった修であったが。
鉄の意志と鋼の強さをもって、グッドスリープを敢行。
目の下に隈が出来て、股間が暴発気味であるが、何も問題は無い。無いったら無い。
(幾ら許可があったって、手ぇ出せる訳が無いだろうがっ!)
そもそも、結婚とか夫婦の単語の意味すらあやふやな少女に、何かスるなどと云うことは、勇者として、誇り高き童貞男として、決して許されはしない。
(俺は大人っ! 良識ある大人っ! 体は高校生に戻ったけど大人なんだっ! 性欲に流される事なんて――――断じてっ、無いっ!)
もし仲間が隣に居たのならば、それだから非モテの童貞なんだ、据え膳なんだから食っちまえよ、という声が聞こえてきそうだが。
というか「伝心」越しに言ってきた馬鹿野郎が数人居たが、そんな意見はドブに捨ててしまえばいい。
ともあれ、ディアの戸籍と嘱託職員の話を聞きに。
二人は今、新宿の都庁――――の近くにある出入国管理局異世界課に来ていた。
なお、妻(予定)の褐色巨乳美少女が自動改札にひっかかるというお約束を見せたのは、当然の事だった。
「異世界課って言うくらいだから、もっとファンタジーしてるのかと思ったけど、案外普通なんだな」
「これが…………普通なのですかオサム様? あちらの王侯貴族の屋敷の一室の様に豪華に見えるのですが?」
言われてみれば確かに、役所としてはすこし華美な装飾に思えるが――――。
「――――ああ、ここってホテルを改装して作ったのか?」
「ご慧眼の通りさ久瀬君。元々ここは高級ホテルでね、業務に必要な部分は改築したが、後は看板を挿げ変えてそのまま使ってるんだ」
「あ、八代様っ! おはようございます!」
「挨拶が送れたね、おはようディア君、久瀬君」
「おはようございます、八代さん」
珈琲片手に、少し乱れた髪のままフロントの奥から出てきた彼に、二人は揃って頭を下げる。
「うんうん、素直に来てくれてオジサン嬉しいよ。さ、着いてきてくれ。オフィスに案内する」
そう言ってエレベータに向かう八代の後に、二人は続く。
「これって何ですかオサム様っ?」
「上の階へ行く移動装置だよ。小さな部屋を上下に動かしてるって感じかな」
「――――!? それは画期的な移動手段ですねっ!」
ほわぁ、と興奮気味のディアは、扉が閉まり上に上がり始めると、重力の感覚に目を白黒させて。
目的地は八階。修といえば、はふと気になった事を口に出した。
「…………もしかして八代さん、家に帰ってないのでは?」
「ああ、やっぱ判る? いやぁ、昨日は大変でさぁ」
若干疲れた顔で笑う壮年サラリーマンに、修はまさか…………と恐る恐る問いかける。
「その、俺達の事でご迷惑を…………」
「ああ、違う違う。それについては少し書類が増えただけでね。――――まぁ、君の仕事にも関係する事だから、また後で」
「は、はぁ。それなら良い? んですが」
厄介事の気配に顔をひきつらせる修ではあったが、チーン、という音と共に扉は開いたので降りなければならない。
ふおおお、とハシャぐディアの手を引いて、件のオフィスの中へ。
「――――ようこそ。出入局管理局異世界課へ。我々政府は、勇者久瀬修の帰還と、神剣セイレンディアーナの存在を歓迎するよ」
八代がそう大声で言うと、オフィスにいたスーツ姿の男性が二人、女性が一人集まってくる。
一見、普通の人の様な印象だが、修は見逃さなかった。
その歩き方、気配、何気ない動作の一つ一つが、熟練戦士のそれだ。
「ウチの課へようこそっ! 異世界で勇者やってたんだって? 遠慮なく頼らせてもらうぜぇっ! ――――あいたぁっ!?」
「このバカチンがっ! お前も異世界で大英雄やってただろうが! あ、ごめんね新入り君。ウチにようこそ。これから宜しくね」
「宜しく新たな勇者君。君と共に戦える事を楽しみにしているよ」
「ええっと、まだ入るかどうか解りませんが。その時には」
三人は八代と軽く会話すると、修達が乗っていたエレベータに乗り込む。
「八代さん、あの人達は?」
「ああ、その辺に座ってくれ。――――おーい、オシビラ君、いるんだろう? 久瀬ご夫婦が来たから珈琲を頼む! それからディア君の方もお願いするよ」
取りあえず、と誰かのデスクの椅子に座った直後、ライリーがお盆に珈琲二人分を乗せてやってくる。
「おはようです、勇者久瀬修」
「おはようございます、ラクルーさん」
「うむ、では始める前に、この書類を渡しておこう」
八代が差し出したのは、戸籍に関する書類と、履歴書だった。
中身は、ディアが帰化日本人・清連ディアであるという事。
そして、偽造された過去の生い立ちだった。
「申し訳ないが、プロフィールは覚えて帰ってくれ。戸籍の方は写しだから持ち帰ってくれて構わない」
今後、必要になる事があれば、ここまで取りに来てほしい、と八代は言った。
「つかぬ事をお聞きしますが、これって…………」
「偽造だって言いたいのかい? ははっ、心配いらないさ。これは正真正銘――――政府が作った本物だよ」
曰く、もう十年以上前から異世界に召還される事件の解決や、記憶を持って転生した人物の移住。
はたまた、追放や事故で帰れなくなった異世界人の保護等々。
異世界に関わる様々な問題を解決する機関、との事だった。
「久瀬君達のケースは、とても穏当なものなんだよ。何せ事前に女神セイレンディアーナからの連絡があったからね、その上、出発の一時間後なんだって? 戻って来たのは」
どこか疲れた様な言葉の続きは、多くのケースが穏当では無いとの事だった。
まだ「マシ」レベルの話では、十年以上経過しての帰還、死亡届けが出されており、また異世界転移の影響で遺伝子レベルで容姿が変貌。
「俺達は、幸運だった訳ですね」
「幸運もあるだろうが、それ以上に君の行いの良さの結果だろうね。そちらの女神様、とても感謝していたよ」
そして八代は珈琲を啜ると、本題に入った。
「で、だ。嘱託職員の話なんだがね。つまりは私の下で一緒に、帰還者や転移者の保護、そして各種トラブルの仲裁及び解決の補助をして欲しいんだ。――――勿論、君の前歴である救世の勇者、現在の身分である学生という事を考慮して――――」
電卓を叩いて月給を予測する八代に、修は大事な質問をする。
「――――命の危険は? 先ほどの人達は、戦いの場に行く雰囲気でしたが?」
「…………うむ、流石久瀬君だな。まぁ、本格的な命の遣り取りに発展する事は、正直に言って半年に数回って所だ。君の様に世界を救った上に円満に帰ってきた者は少なくてね。異世界で手に入れた力で悪用する者も少なからずいるんだ」
一般には公表されていないが、正式に取り締まる法律と条例があるものの、異能力に慢心し、悪事を働く者。
悪意はなくとも、世界の法則の違いで異能力が暴発、なんて事があるという。
それを聞いて、修は即決した。
例えどのような形であれ、困っている人、傷つく人がいて、自分が助けになれるならば――――。
「引き受けましょう。俺は、何処かの誰かの平和な生活の為に勇者として活動してたのですから」
その笑顔に、強い言葉に、八代は満足そうに頷いた。
だがその反面、彼の半生を想って心を痛める。
例え異世界からの帰還者とはいえ、そう直ぐにそんな言葉は、決断は出てこない。
世界を救う事とは、どれだけの重圧だったのだろうか。
十年と聞いていたが、彼の今の歳に十を加えても、今の八代より若い。
自分は同じ歳の頃に、同じ答えが出せていただろか。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思っていたよ。さ、こっちの書類に色々書いて欲しい。ああ、給料の振り込みはカードと手渡しどっちがいい? カードの場合書く書類は増えるけど即日発行だ」
八代は尊敬の念に近いそれを押し隠して、事務的な笑顔を張り付けて進行した。
常に人手不足の異世界課に、有望な新人が来るのは嬉しいが、彼の場合、役目を終わらせてやっと掴んだ平穏を、此方が壊しているようなものなのだ。
「困った事があったら何でも言ってくれ、余程の無茶が無い限り、聞き届ける事を約束する」
「ご厚意感謝します。けど、『何でも』なんて言っちゃ駄目ですよ八代さん」
「何、君の経歴と人柄を見て言ってるんだ。――――女神様のお墨付きもあるからな」
にこやかに手続きを進める二人、――――特に修は気づかなかった。
いつの間にか、ディアとラクルーが部屋の隅で話し合っており、生活に対するアドバイスと共に、色々と吹き込まれている事を。
そしてそれが、修に新たな試練を与えるという事も。
ひと欠片も、気づいていなかったのだ。
「わかりましたラクルー様っ! この『ホケンノキョウカショ』なるもの、オサム様に音読して貰いますっ!」
「お風呂の入り方や、買い物の仕方、下着の付け方も、全部久瀬君に教えて貰うんですよっ!」
「夫婦同士のお礼の仕方も、バッチリ覚えました。――――剣で居た頃、過去の勇者様達は何をしているのかと思っていましたが、彼らは皆、ご夫婦だったのですね…………」
勇者・久瀬修に、新たなる試練の時が訪れようとしていたのであったっ!
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