第51話 息子の中学校の入学式
2021年4月12日この文章を書いている。
4月13日は長男の中学校の入学式だ。
半おっさん化した長男ははたして入学式を明日に控えた今日も懲りずに母親に小学一年生の頃と同じことで叱られている。
片付けれられず、言われなければ歯も磨かない。そんな孫の成長をあの世の親父はどんなふうに見つめているのだろうか。
親父が死んだのは5年前の夏だ。
自分の父母の葬式をあげ、やれやれという間もなく自分も病に倒れ、亡くなってしまったのだ。
父は真面目な性格で、面白味には欠けたかもしれないが家族にひもじい思いをさせるような男では決してなかった。
生前我々父子は特に仲が良くも悪くもなかったが、父が亡くなり、自分もそれなりの歳になってはじめて父の優しさや強さをそれまでよりも深く感じるようになった。
その誠実さ、真面目さゆえに、父に怖さも感じていたが、実はずっと強く優しかったのだ。
社会人になる頃か、父にネクタイの括り方を習った。
僕の就職先はネクタイをしめるような仕事ではなかったが、それでも入社式などのために、と親父が教えてくれたのだったと思う。
ネクタイの括り方はいくつか種類があり、親父が教えてくれたのはセミウィンザーノットという括り方だと知ったのはずっと後の話だ。
逆三角形の両サイドに一度ずつネクタイを通して結び目がやや大きく、三角の形がキレイな括り方だ。
1番かんたんな結び方より少し工程の多い、ここぞ、という時の結び方らしいなだが、この結び方を選んだのが実に父らしい、と思う。
蝶々結びを覚えるのも遅く、職場で使うロープワークもやらないとすぐ忘れてしまう僕だが、なぜかこのセミウィンザーノットは1度習っただけで不思議と忘れない。
そんな父に驚いたことがある。
仕事のストレスもあったのか、僕が何を言ってもやめなかったタバコを、孫が出来たら「タバコやめたで〜」とドヤ顔でやめてしまったのだ。
はたしてそれ以来本当に父はついぞタバコを吸わなかった。晩年は角がとれ、丸くなった父が孫を見る目はやはり優しかった。
怖かった父
真面目だった父
実は優しかった父
そもそもうちは裕福な家系ではないが、金はあっても一代でなくなる、という。金よりも家族を守った父の魂を息子に伝えたい。
13日、親父のセミウィンザーノットで息子の入学式に行く。
そう本当はもう少し結び目を小さく括りたいのだが、セミウィンザーノットのしか出来ないのだ。
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