第37話 絶滅危惧種

つい先日スマトラサイが絶滅したというニュースを見た。残念に思っていたが見出しだけでなく本文を読むとどうやらマレーシアに住むスマトラサイは絶滅したが、インドネシアにはわずか80頭だが生き残っている、という文のようだ。

この絶滅界隈の話はいつも感慨深い。遡って行くと地球上に単細胞生物が現れてからピカイアのような脊椎動物→魚→両生類→爬虫類→ネズミのような哺乳類を経てスマトラサイが誕生し今に至るまで、遺伝子という部分に関してはずっと繋がっているはずである。

どこかでスマトラサイの先祖になる生き物がポッと空間に突然現れるのは可能性がゼロではないかもしれないが、考えにくい話ではないか。


地球上に生命が誕生して約38億年経つと言われている。その38億年も途切れることなく繋がり、形を変え、生き永らえてきた、ある意味人類の兄弟のような生物が絶滅しようとしている。

38億年も途切れることなく、というのは奇跡のように思える。宝くじどころの確率ではないだろう、本当に細い細い糸だと思うのだ。

80頭というのがどういう数字なのか分からないが生物学的に多くはないことは想像に容易い。

おそらく

そのうち何頭かは子供で生殖機能がまだない。

何頭かは年老いている。

また数が減ると血が濃くなり、生物として弱くなっていく。

生物学的にその数より減ると繁殖・繁栄に立ち直れない、というラインがあるはずだ。

一方でWikipediaの絶滅危惧種という項目を見てみると一度絶滅したと思われたが、再び生存が確認された生き物も多少はいる。

記憶に新しいのはクニマスだ。

確かさかな君が発見に関わったのではなかったか。


そしてここにも絶滅危惧種がいる。

カレー鍋である。

何年か前にその名を耳にした。

wikiでpediってみるに

「また、2007年からは食品メーカー各社から、主婦の意見を取り入れ家庭向けにマイルドな味に仕上げた濃縮鍋つゆも市販されている。いずれの場合もだしのうまみとスパイスが重要となる。」

とある。

2007年、今から13年前。

その頃鍋ブームというか、種々様々な鍋が降って湧いたように現れたように記憶している。

その中の一つ、カレー鍋。

聞かなくなりましたねカレー鍋。というかすっかり絶滅したとものだと思っていた。

思っていたらちゃっかり生きていたんですね。生き残っていた。

ヤフーショッピングで検索しても数えるほどだがカレー鍋の素が出てきます。


その昔、我が家も「何だべ何だべ?」と、カレー鍋に手を出した。

メーカーは分からねぇがカレー鍋の素を使って嫁っこがカレー鍋さこさえただ。

鍋の素であるじょう、具材は自由で幾分か作り手のセンスというか、そういうもののご厄介というか何と言うか、そういうことに左右されると思う。


まず日本の鍋というものを漠然と思い浮かべてみると色々種類はあるがベースは驚くほど似ていることに気付く。白菜、エノキ、しめじ、葱、この辺りはすき焼き、しゃぶしゃぶ、水炊き、鶏、海鮮鍋に大体絡んでくる。


そこに春菊とか人参とか大根辺りが「うちは入れる」「うちは入れない」ということになっていく。


嫁っこは考えた。

カレー鍋の具とは何か。

白菜?と思った。

春菊?とも思った。

カレー鍋はおおいに嫁っこを苦しめた。

で、たどり着いたのが人参、玉葱、ジャガイモ。

ブロッコリー。

鶏肉、ウィンナー。

そうなんです。

ほぼカレーなんですね。

普通のジャパニーズカレーとかわらない。

明らかな違いと言えばブロッコリーくらい。

でも僕は嫁の気持ち、分かります。

カレー味の白菜食いたいか?

カレー味のエノキ食いたいか?

スーパーのカゴにカレー鍋の素を入れたあと嫁は肉コーナーと野菜コーナーを23回往復したという。(気がする)

これがタイのバターカレーやココナツカレーなら違う選択肢もあった。

ひよこ豆の入ったレッドカレー、茄子や筍の入ったグリーンカレーはジャパニーズカレーとは別の次元で美味しい。

どちらの方がということではなく、どちらも美味しい。

というより、カレーと名はついているが味はかなり違う食べ物だ。

だから白菜やエノキに合うカレーもあるかもしれない。

何が言いたいかというと日本のカレーにはジャガイモ人参玉葱があっていると思う。

嫁もその真理にたどり着いたと思う。

そして我が家初のカレー鍋はほぼカレーとかわらない具材となった。

そうなると自然と出てくるのが「じゃあカレーでいんでないかい?」という意見だ。

しかしカレー鍋はカレーほど味が濃くない。

カレーほどトロッとしてない。

カレーほど味が染みるのを待ってはくれない。「カレー鍋は2日目がおいしい!」という話にはならない。

もしお母さんが「今日もカレー鍋よ」

と言おうものなら、高校生のお兄ちゃんはそそくさと家を出てコンビニへ向かい

中学生の妹のクラスのグループラインは【2日もカレー鍋!】と炎上し

お父さんは会社上司に【○○くんちは2日続けてカレー鍋らしいぞ】と言われ出世が遅れ

おばあさんは血圧が上昇しおじいさんの待つところへ向かうことになる。

故にカレー鍋に2日目は無い。

つまりカレー鍋はカレーより薄いカレー汁の中で茹でられた具を食べる鍋となり、ジャガイモに味が染みる間もないまま食べ出すこととなる。


まず注意したいのは、これはスープカレーとは別物である。

これはわたくし自身が人柱となりその経験を持って言っているものである。

わたくしはスープカレー肯定派である。

大き目な野菜に鶏もも、ゆで卵

スープはご飯と食べることを前提に作られておりほどよい塩気である。

日本のそれまでのカレーともタイやインドとも違うカレーを発明したと思う。

大き目野菜がよかった。種類が多く見て楽しい。口に頬張って楽しい。そこに一本の大きな鶏ももが映える、途中で挟むゆで卵もいいワンポイントだ。

つまり味もルックスも良い。

インスタ映え

フォトジェニック


はたしてカレー鍋はどうか。

カレー鍋はサラサラで塩気が薄い。

具もカレーとほぼかわらず(我が家は)

見た目もあまり良くない。

直径20センチほどの皿に盛られたカレーライスは美味しそうに見えるのに、なぜ大きな鍋に入ったたっぷりのカレー鍋は美味そうに見えないのか。

ご飯のオカズとして弱く、酒のあてとして弱い。


しかしカレー鍋は鍋ブームのどさくさに紛れて会議を通ってしまった。

日本人はカレー好きだからいけるんじゃね?

ということになってしまった。

担当者は慌てたに違いない。

「大変なことになった」と思ったことだろう。

数合わせでプレゼンしたが商品化するとは思っていなかったのだ。

達人が技を発明した時に、その技の弱点まで研究し、その弱点をなるべく消したあとでより洗練された技として使うものだ。

この担当者もカレー鍋の弱点は重々分かっていた。「このままではいけない」と分かっていた。

分かっていたからこそ、苦心の末に出した案がかねてよりのチーズブームに目を付けた、【締めにご飯とチーズを入れてカレーリゾットに!】であった。


「締めはリゾットに」

リゾット頼み、チーズ頼み

鍋界隈にはこの風潮が散見される。

というかトマト鍋に散見される。


チーズ入れとけばええんかっ!

リゾットにすれば許されるかっ!


昭和生まれのおじさんはその拳を握りしめ、ワナワナとふるえている。


いや、いんですけどね、リゾットも。

マズくはないし。

鍋中が物足りないからリゾット無しでは終われないし。

なんでしょうね、このやるせなさ。

リゾットありきの、鍋の味の心もとなさ。

そこでカレー鍋はさらに一計を案じた。

逆にひっそりと生きて行くことを決めた。

人目に触れると、なんだあいつは!ということになりかねない。

だからカレー鍋は宣伝を辞め、草間の陰でこっそりと生きていくことに決めた。

でないとヘタに宣伝して名が売れると

「俺はいいよ

でもYAZAWAはなんて言うかな」

ということにもなりかねない。

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