第15話 通勤

私の職場は片田舎の郊外にある。

田舎なので電車網が発達しているわけもなく移動は自家用車となる。車がないと生活が成り立たない。

(この辺、掘り下げると大変なことになりかねないのでこのぐらいにしておく)


朝5時に起き、諸々の準備をして出勤する。乗車時間は正味10分くらいで会社の駐車場に着く。これは会社の敷地の外の駐車場である。ここから職場まで少し歩かねばならぬ。

1km弱だろうか。これがまた一苦労なのだ。


『けしからんっ』

『1kmほど歩くのが億劫かっ』

『わしが国民学校に…』


と戦前生まれのおじいさんの話が長くなる前に言い訳しなければならない。


歩くのはいい。構わない。

人の相手が大変なのだ。

少し早めに出社する人間、いつもギリギリに来る人間。なんとなく皆生活リズムを持ち、おのずと駐車場に着く時間も毎日同じような時間になる。

車の中で煙草で一服してから職場に向かう者、携帯電話をひとイジりして職場に向かう者、様々だ。

そして往々にして同僚とバッティングする。

当たり前である。向かう先も出勤時間も同じなのだ。

これが問題なのだ。

早朝のこの時間に、この職場までの5分強の道を、さして仲良くもない同僚とする会話…

恐怖である。

それを毎日、適当な尺の適当な話題を振り撒くスキルは自分にはない。

しかもそれが毎日続くのだ。

軽めの地獄、と言って差し支えない。

悪夢、という言葉もある。


まず駐車して周りを見渡す。

誰かが車を降りていればステイ、誰もいなければゴーだ。


ケース①「駐車場で誰ともかぶらない」

スタートとしては最高といえる。前後を気にしながらゴーする。


ケース②「駐車場で到着時間がかぶる」

同時に来た同僚がゴーするのを待つ。

この場合は自分は煙草を吸わないので携帯をイジイジするしか方法はない。実は用事もないのだがそそくさと携帯を取り出し、『俺忙しいんだからな』『SNSやってんだからな』『充実してんだからな』と車外にアピールする。アピールしながらタイミングをはかる。

あまりゆっくりしていると次陣が来てしまう。輝ける季節は短いのだ。

とりあえずここでステイし続けると話が進まないのでゴーすることとする。

さあ、なんとか車から降りることができた。


ケース③「前方に同僚」

第一ストレートにさしかかり前方を確認。十数メートル前に同僚1を視認、現在のペースをキープせよ。

適宣前方を確認しながら間の距離を保ちつつ歩く。自分は歩くのは遅いのでこの場合は普通に歩いていても追いつくことはない。

途中信号が2ヶ所。

ここは難関といえる。

すんなりと前方の人員が信号にかからず前進した場合はいい。

せっかく距離をキープしていても前方の人間が信号にかかる場合がある。

(こっちが気をつかってんだからさっさと歩けよ)

何もない路上で急に止まるのは不自然である。逃げ場なし、進まねばならぬ。

前進あるのみ。

信号で追いつくこととなる。

ああ、無情

朝から下手な愛想笑いを浮かべ顔を緊張させなければならない。


ケース④「己が信号にかかる」

逆に自分が信号にかかることも当然ある。

この場合も後方に人がいなければ構わない。

問題は後ろの人間が追いついてくる時だ。こちらも逃げ道無し、いざ鎌倉。

投了、という言葉が頭に浮かぶ。

実は小心者の自分はかなり早い時点で後続の存在に気づいている。

気づいているが故にストレスに晒される時間も長くなる。

気づいてはいるがどのタイミングで挨拶すればいいのか分からない。

まだ遠い気がする。

この距離で挨拶をするなら大声でなければ届かない。早朝のこの時間にこれだけ離れた距離で大声で朝の挨拶は自分には不可能だ。

(信号早くかわれよ)という願いも虚しく後続がどんどん距離を詰めてくる。

今か?今か?

射程圏内に入るのを計りながらそれと反対方向をキョロキョロし、(全然気づいてませんけど何か?)という小芝居をうつ。

この小芝居もストレスとなる。 

(前髪の生え際が気になるお年頃なんだかんな)と思う。

反対をキョロキョロやってるうちに後続の人間が思わぬ距離を詰めていることがある。

はっと冷や汗かきながら『…ざいまーす』と挨拶する。

喉の準備も出来ておらず滑り出しが小さくなる。

頭の中で始業の金が鳴り、無い会話の引き出しを探し、下手な愛想笑いをうつことになる。

相手もさぞ嫌なことだろう。興味のない相手の興味のない話。俺だって嫌なのだ。


ケース⑤「前方の人間と自分、後続の人間総てが信号にかかる」

これはもうどこをどうとっても最悪…とはならない。前方の人間と後続の人間に喋らせて自分はそっと一歩引く。

逆三角形の布陣をとる。

これをかの武田信玄公は鶴翼の陣と呼んだ。(かもしれない)


ケース⑥として稀に後続の人間に全く気づかないまま並ばれ『おはようございます!』にドキッとすることがある。


と言っているうちにさっきのおじいさんを益々怒らせそうだ。

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