第10話 宇宙論(2)
第3案として人類が身体を抜け出すというのはどうか。
可能なのか分からないが、意識だけがあるような状態。重力や熱などにも影響を受けない。
繁殖することも死ぬこともない。
もはや生き物ではないか。
これを宗教的な話ではなく、科学的に行う。
他にもたくさん案があるのだろうが、とにかく人類が生き続けようと思うならこの辺の難事業をこなさなければならないのではないか。
宇宙が開いていれば、宇宙は膨張し続け、いずれ冷たく暗い宇宙になる。
空間の広さに対し物質の密度は低くなり、摩擦のような物質同士の影響も無くなるのではないか。
また宇宙が閉じていれば自身の質量(重力?)のため膨張は収縮に転じていずれ特異点に達する。こちらの論は物質の密度は極限まで高くなりそうだ。分子は擦れあい、熱と静電気(雷)の世界かもしれない。
どちらにしても人が生きていける環境では無さそうだ。
人類が滅びる確率はかなりある、というか永遠に滅びない可能性はほぼゼロだろう。
そして冷静に考えてほしい。
滅びたから何だというのか。遠い未来に人類が滅びたからといってあなたはとうの昔に死んでいて痛くも痒くもない。
なんなら人類が滅びたことに気づきもしない。
滅びたとしても滅びなかったとしても何の意味もない。そもそもこの宇宙に意味はないのだ。
恐竜が絶滅しようが、誰かが100mを何秒台で走ろうが何の意味もない。
ホームランを何本打とうが
ホットドッグを何本食べようが
宇宙的に見ればなんの意味もない。
もし地球がダメになって(なると分かって)数人を宇宙船に乗せて生き残らせるとするなら宝くじを当てた人間を選ぶか?史上最高のテニスプレーヤーを選ぶか?
万里の長城がいくら大きくてもそれが形を成していれる時間はたかが知れている。
ただ何かを残したい、というならデータ化できるような物の方がまだ長く残る確率があるかもしれない。
音楽、とか絵、映像。未来では味や匂いも再現できるかもしれない。
宇宙船の中で、次の星の上でそれらは再生され、人がいる限り残るかもしれない。
また、何か偉業を成し遂げるより工業的な発明の方が残るかもしれない。冷蔵庫や洗濯機のような当たり前の物の方が偉業なんかよりよっぽど遠い未来まで残りそうだ。オリンピックで2・3回金メダルをとろうが冷蔵庫に敵わないのだ。
と、ここまで書いたのは宇宙の中での自己の対外的な意味だ。
これはもう何をどうやっても意味はない。
宇宙の中で存在することも意味も価値もない。それどころか存在してない可能性さえある。
これに対し自分のために、というのだったら意味はあり得る。
一万本の薔薇でも満足出来ないかもしれないし、たった1本の造花で生きて行けるかもしれない。
生きていることに、生まれてきたことに意味はなくても、自分で生きる理由を設定できるし個人に委ねられる。現代社会においてそれが他の存在を脅かさないものであれば、他から自分の存在を迫害されることも徐々に減っていくだろう。
と、長々とした文になったが
全く意味はない。
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