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 自分の文章をあとから読むのに凄く抵抗がある。自分が正直か嘘をついていないか分からないけど今の気分は率直でいられるから文章を書き続ける。材料を型に押して作るデザートのデコレーションがある。縁の外にはみ出た材料は余計だ。

僕は表現について一番(謙虚に)良く考える。それは余りを作る型が嫌いでしょうがないからだ。だから僕は時々ある作品についてその作品の形式だけを話したいと思うときがある。

 もしこれに同調して頂ける方がいればボードレールの『巴里の憂鬱』をお薦めしたい。

 読み手を想定できない。頭の片隅にさえ入れていない。興味がないわけでもない。これから先どうなるか分からない。どうやら構成について考える時が来たらしい。

 大体こうしてはじまった文章を読む相手が何事を期待しているか僕には分からない。僕が読んでほしいと思う文章を読み取ってくれる相手がどんな人か知りたい。

左から右に進んでいて5W1Hにまとまっていて誤字脱字が無ければ僕は読んでしまう。つまらない何事かを想像する。つまるところ相手に何を与えられるのだろうか期待しない。相手にだって何を読んだのか分からない時があるわけだから。

 所詮は上辺にある澄んだ水が流れる川の川底を突いて汚くすること。

反語をぶつけて最大の効果を狙おうとすること。

僕の思考が川の底に沈んでいるからってそれで自分を下げたとは思わないし。

 僕がつい読んでしまう内容の文章は5W1Hでまとまっていて左から右に進むとわかった。それを文章のルールにする。それであれば既に機械の手で本は量産されていて、無限に広い図書館がWebの海で無料で開放されている気がする。それは誰に読んで欲しいのか分かったものじゃない。このルールでは判子になってしまうのは必然だ。

 一人で積み上げては一人でぶち壊すという気概で文章を書かなければいけないと思う。「不特定多数な誰かにこれを理解してもらいたい」と思って書くと、読まされる読者が可哀想だ。他人を通じて取り決め事を行なう方法が普通でも文章は一人で書かなければ意味が無い。

 文字はインクで書かれてから細くて黒いから毛髪によく似てると思う。

他人の毛髪が自分に生えていると想像すると僕にはとても恐ろしい感じがする。

文章もきっと同じだと思う。毛髪が伸びるのと同じく僕の文章には先が見えずにあって宙を漫然と漂う感じがする。工業製品な文章を想像する。文章を書く為のレッスンが必要な気がする。一人で書いた文章を読んだ他人が共感するのを狙いとする。そのために自分がどうあるべきか考えるというのが夏目漱石の個人主義という感じがする。

 完成しなかった文章や昔書いた文章を今読むと未熟に思える。でもそれは僕がこれまで書いた文章にも一つも作品を完成したと思うものがないものだからに違いない。

 誰にも読まれようと思わないからってコソコソと文章を書いているのは、僕が文章を書くのをあまり破廉恥な行為だと思っているに違いない。

人に文章を読まれた時に誤解されるのを恐れるから適度に文章を外気に触れさせておく行為は矛盾しているような気がしなくもないけれど言葉を扱う以上は社交的にならなければいけないと思う。じゃあ破廉恥な文章を書けとか、じゃあ社交的な文章を書けと言われたら僕はオドオドとこの文章を差し出す。

 書き残した文章にダミーを演じさせていると卑怯な感じがする。この卑怯という言葉は当たらない気がする。結果論的にある気分を抽出した形で現れた文章があったらどうだろうかと考える。それを自己本位で考えるとある気分や状態とか例えばにその人にしかない特別な気分も自分には直接結びつかずに孫やひ孫の関係として現すのが良いと思う。

 個人主義で他者との共感を狙った正確な文章を読んだり書いたりする事に興味がある。僕は文章を読むときは知識欲を優先しない。しかし自分の語彙が名前以外にも色々あると便利だと思う。インプットとアウトプットができているのか僕はそれでいつも不安で怪しいから時々は文章を書く。

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