胸ポケットに手を伸ばす

椎名富比路@ツクールゲーム原案コン大賞

送迎バスが来るまで、あと五分

 二〇一〇年、一〇月頃だったか。

 駅のロータリーで、大学病院行きの送迎バスを待っていた。

 行き先は、大学病院系列の気管支専門クリニックである。

 

 ぜんそくが再発したためだ。


 バスが来るまでの時間、喫煙可能なベンチに腰掛ける。

 缶コーヒーを飲みながら、オレは発症当時のことを思い出す。



 当時のオレは、一日に三十本も吸う、ヘビースモーカーだった。

 しかも、消したらすぐ付けるチェーンスモーカー。

 仕事の休憩時間の間、一本でも多く吸うために、このような習慣が身についたようである。


 吸ったのがちょうど二十歳になったとき。

 十二年近く、そんな吸い方をしていた。

 元々ノドが強くないらしく、ぜんそくを発症してしまった。


 二〇〇八年の夜、咳が止まらなくなり、呼吸ができなくなる。

 姉貴のダンナが運転する車に乗せられ、緊急入院した。


 検査をするため、研修生らしき看護師がオレの腕に針を刺す。

 何度やっても血液を採取できない。三回くらいやり直しをさせられた。


 手元がおぼつかない研修生に向かって、「いつまでやっとんねん!」と、罵声を浴びせたりした。他人を思いやれないくらい、オレは追い詰められていた。


 五日間検査を受けて、気管支ぜんそくと診断される。


 とはいえ、退院後も、オレは煙草をやめなかった。

 タバコがうまいと言うより、単に習慣から抜け出せないだけ。


 自室にある空気清浄機も、オレの吸うペースに耐えられる代物ではなかった。



 病院の送迎バスが来るまで、あと五分ある。

 タバコ一本吸うのに、約五分かかる。

 オレは、胸ポケットに手を伸ばした。

 もう十年近く、繰り返された仕草だ。

 だが、その指を止めた。


 二〇一〇年の十月は、煙草が値上がりした年だ。

 値上がり前にカートン買いしたタバコも、残りは胸ポケットにある分だけ。


 これを機会に、禁煙してみるのもいいかもしれない。


 この一本を吸ってしまえば、また同じ習慣が繰り返される。

 すると、またぜんそくになって、また医者の世話になる。


 老人が、点滴を積んだキャリーバッグを引きずって歩く。

 そんな光景を見たのは、一度や二度ではない。

 自分もああなってしまうのか。


 そう考えたら、タバコに対する執着が、消えていく感覚にとらわらた。


 送迎バスが、ロータリーに入ってきた。

 オレは内ポケットにタバコのケースをしまい、バスに乗る。

 余ったタバコは後日、同僚にあげた。ライターも処分した。


 その「最後の五分間」を耐えたことによってか、今もオレは、気管支クリニックの世話にはなっていない。

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