決戦前夜

 サーヴァの殺意を、俺は乗り越えた。俺はお粗末な青銅器の鎧と、持ち手が木でできた槍という、雑兵以下の扱いを受けながらも、戦場にでることを許された。

 そこは、まったくの平地だった・・・・・・・・・・。地面に起伏はなく、身を潜めることができない。

 匍匐ほふく前進したところで、矢で射られるのは楽に想像できる。隠れる場所もなく、空から矢が降り注ぎ、それに突き刺され敵陣までの十分の一の行程も進めぬまま死ぬのが目に見えている。

 人間が死ねば死ぬほど、後ろの者が足を取られる。俺は数々の足に踏まれ、この戦場で肉片となり果てるのだろう。

 死地くらいみせてやろうという心遣いなのだろうか、特攻兵は順番に、自分たちを率いてきた軍人の持つ、高価な単眼の望遠鏡を覗き込む。

 レオを初めとする多神教徒軍が籠城している国家の篝火が、遠くにポツポツとみえる。炎の揺れすらも感じられないほどの遠い敵地に、戦争が始める前から、俺たちは戦意をなくす。明朝の開戦を控え、早々に自殺する兵もいた。

 ここに集められた兵たちは、皆、教団にとって不必要と言われた者たちの親兄弟、息子や娘たちだった。戦功を挙げれば優遇すると甘言をまき散らしたが、兵の名簿すら目の前で焼かれた俺たちには、残してきた家族が日の目をみる希望すらない。それでも、期待して待ってくれている家族は確実に存在し続けるのだ。

 ここに呼ばれた以上、家族の期待を背負いながら戦功を立てられなかった期待外れとして、唯一の拠り所である血を分けた家族からも疎まれ、忘れ去られてしまう運命なのだ。

 たき火を囲みながら、サシャという女の子に聞いたことがある。

「ねえ、知ってる? 預言者って、身寄りがいないんだって」

 見回りの軍人が遠くにいることを見計らって、赤髪に青い目の小柄な女の子が耳に口を寄せてこんなことを言ってきた。その口調はどこかこの絶望的な状況を楽しんでいるようで、俺は不思議に思いながら聞き返す。

「そうなの?」

「お父さんは小さいころに亡くなって、お母さんは不倫して国外に逃げたんだって! すごいよね」

 なにがどうすごいのかわからないが、自分にまったく関係がない人の情報であるとでも言うように喜々として話す彼女に話を合わせる。

「ふ……不倫?」

 ミスナ神は確か、婚前交渉を厳格に否定してはいなかったか? 不倫して逃げた女に、教徒で構成される社会が、穏当な裁きを下したわけがない。よくて死刑、悪くても死刑だろう。

「でも、国外に逃げられたんだ……」

「うん、ミスナ教徒の組織が出来ていない時期だったし、その女ラーマ王国に逃げたらしいから」

「――なんだって」

 俺はなおざりに聞いていた彼女の話に、今更ながら食いついた。

「預言者の母親はラーマ王こく……むむむ」

 赤髪の少女に口を押さえられ、もごもごと口を動かす。軍人がちょうど、俺の後ろに立ったところだった。

「ラーマ王国がどうしたのだね」

 低く威圧的な声でそう述べる軍人は、やはり士気の高揚などには興味がないらしい。あくまで俺たちを、従順に死地に向かわせることに尽力しているように見えた。

「いんえ、なんでもないですよ! この男が弱気なこと言うからぶん殴ろうとしたところなんです~」

 へらへらと笑う彼女を、強く睨み付け、しかし何もせずに軍人は去っていく。軍人だけに許された宿舎から二三声が聞こえたのちに、さっきとは違う軍人が出てきた。見張りの交代の時間だったのだろう。

 代わりの軍人が俺の後ろを通り過ぎ、持ち場に着くまでの間も、彼女は口を覆う手をどけてくれなかった。

「むむむ……はあ」

 やっと手をどけてくれたと思ったら、赤髪の少女は不満げに頬を膨らませていた。

「もう、声なんて張り上げるから」

「ご、ごめんよ」

 気迫に気圧されながらも謝ると、そういえば俺はこの女の子の名前を知らないことを気付いた。

「俺はロドリゲスって言うんだ。君は?」

「――私?」

 まさか名前など聞かれるなんて思わなかった、という素ぶりだった。

「私に――私に名前なんてないよ。私を指す言葉だったら、あるけど……サシャ。土地の言葉で葦っていう意味。私、ただでさえ貧乏だった家で働き手にもなれず、虚弱体質でいつも痩せてたから」

「……そう」

 ――そういえば、この蒼い目はリオたちと同じだ。赤い髪は彼らとは似ても似つかないけれど。

「私はね、混血なんだ」

 聞かなくても、薄々勘付いた。この子は、敵対関係にあるクリ族の血を、どこかで引いたに違いない。それにしても、赤い髪はセオドア・キャリー・ルイスに似ているが……?

 待てよ。俺は思考を立ち止まらせる。教団にとって都合の悪い者たちが集められるのなら、お家騒動の末とはいえ殺人を犯し教団傘下のキャラバンから追われる立場になったセオもここにいる資格があるのかもしれない。

「まさか、君のお父さんがセオドアっていう名前だったりしないよね?」

「セオドア? 知らない人だなー」

 世界は狭いといえども、さすがにそこまでの奇跡は起きないか。そう思い変な話を振ったことを詫びた。

「そっか。ごめんね。ところで、苗字は?」

 酷なことを聞いてしまったと思う。この世界には、苗字すら持たない人たちもいるのに。

「ルイス。サシャが名前だとすると、サシャ・ルイスってことになるね」

 ニッと唇をみせて笑ってみせるサシャに、どこかを撃ち抜かれたように俺は固まる。

「ルイス……?」

「あ、そっち? サシャって呼んでくれてもいいんだよ? 慣れてるし」

 固有名詞ではない名前を呼ぶことを俺が躊躇したと彼女は思い、気づかわしげにこちらを横目でみる。その目が、徐々に見開かれながらこちらを向く。

「どうしたの?」

「サシャ、君は、君の神は誰」

「……ミスナ神」

「多神教徒じゃないんだ」

「クリ族の血は引いてるけど、家族でミスナに帰依してるよ」

「ならどうして、ここにいるの? 殺処分場みたいなこの森に」

 彼女は押し黙った。それを聞くのかと、澄んだ蒼い目が俺を見つめた。

「ルイス家を乗っ取ることができなかったから」


 多神教徒の家系であるルイス家は、商人あがりの預言者の家系ーサウード家ーとは競合関係にある。

 その家系において、一神教に帰依した人間が二人いた。一人は、自発的に帰依した次男坊のセオドア。そして、ルイス家の系譜から消された長女のフォックス。

 長男のルーシーよりも早く生まれた彼女は、女が家系を継げない慣習に辟易し、なにかと反発的な態度を当主に取ることが多かったという。

 そんな長女を、サウード家が懐柔した。彼女をそそのかし、当主の暗殺を謀らせた。こちらなら、お前を当主にできる、と。

 ルイス家にとって、フォックスは当主の命を狙った裏切り者であり、その彼女と同じ宗教を信ずるセオドアもまた敵に近いものだった。

 以来、ルイス家はセオドアに棄教を迫り、セオドアがそれを拒絶するという堂々巡りのただ中で、憎しみを募らせた。

 競合関係にあるサウード家に悟られないよう、長男はールイス家中興の祖の名を授けられた待望の男児はー当主の命で各地を回っているとされてきた。けれど、彼は病床に臥せっていた。そしてルイス家の当主は殺された。

 聞けばルイス家の当主の座は、いまも空白のままだという。セオドアが当主を殺した理由は、いまもまだ、はっきりとはわからない。ただ、サウード家がルイス家の後継問題を燃え上がらせ、結果的に弱体化に成功したことは確かなようだった。


 セオドアはミスナ神の教えに背き、殺人という罪を犯した。しかし、サウード家の利益にはなる殺人だった。

 サシャの母親であるフォックスは、サウード家からは口封じのために、生家からは敵視され、長らく逃げ続け子までなしたものの、ついにサウード家に見つかってしまった・・・・・・・・・。だから、こうして殺される。

「……そっか」

 サシャの独白を、俺はただ聞き流した。俺たちを温めるたき火の炎が揺れた。サシャの顔に影が往来する。

「ごめんね。セオドアっていう人を知らないって言ったのは嘘」

 真夜中だったはずの、木を切り開いて作った基地の森の、木々の梢がほのかに光を孕む。それほどに、二人は話し込んでいた。

 決戦の時が迫っている。教団の闇を垣間見てもなお、俺は戦うべきなのか? 心が自分に問う。それでも俺は槍を手に取った。

「サシャ……行こうか」

 互いの境遇と、教団の体質について知りうる限りのことを共有し、話し合って決めた事がある。それを、戦いに紛れて実行する。例え自分の存在が忘れ去られようとも、信じたものを信じ続けたいがために――。


 そのために、俺たちは、敵の指導者ーリオーと共謀する必要があった。

 眠りこけていたらしい軍人が、俺たちを起こしにきた。すでに目が覚めている俺たち二人を見て、彼は訝しげに目をこすった。

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