Ambivalence ー敵は、どちらだー

私を殺したいか

 戦意喪失した兵たちは、殺処分場を目前にしても、相変わらず視線に生気はなかった。

 ノロノロと定位置につき、鉦が打ち鳴らされたら走れとだけ言われ、槍だけを握りしめる。

 この戦争で、一方的に利益を享受しているのは、ヘリスだった。彼が相手陣営に高級な武器を売りさばいたお陰で、多神教徒からは多額のお金が手に入り、ミスナ教団は教団にとって目障りな人間を殺せる。このシステムに、多くの者が気づいているのだろう。自分の身を守ってもくれない安っぽい槍を抱きしめるだけで、それを敵に向けることさえすることがない。

 そんななか、俺とサシャだけが目的をもって戦場に相対する。この戦場を生き抜くか、気づかれぬように離脱して、なんとかリオに会わなければならない。

 誰もしゃべらないから、静かだった。死刑執行人となった軍人が冷酷に眼下に広がる人間たちを見下ろす。切り崩された崖の下に俺たちはいる。死刑執行人は、命大事さに崖を登ろうとした者には、岩を蹴り落とし制裁を加えるつもりらしい。

 大きな岩も、この崖も、俺たちが切り出した者だった。つるはしを手に昼夜問わず岩盤を打ち続け、やっと取り出した岩は敵に投じられるものでもないと、告げられたときの俺たちの落胆たるや、言葉にできないほどだった。

 戦争捕虜に、レンガをうずたかく積ませ、それをわざわざ解体しまた積ませるという実験を行った国がかつてあった。ずっと、意味のない行為を繰り返すよう命令を受け、それを実行した人間の精神は、驚くほどに脆くなる。その実験の被験者の自殺率はあまりにも高い。――いまでは禁忌とされている社会実験である。

 ミスナ教団の思惑もそこにあったのだろう。ただでさえ戦う意思を無くし、敵の矢に射貫かれて終わりの俺たちさえ、用意周到に死への鎖を結びつけるさまは、理不尽を通り越して滑稽なほどだった。

 恐らく、戦場で死を命ずるよりも、自殺してくれた方が望ましいのだろう。その方が、確実に対象者の死を確認できる。

 ――それでも、俺たちは死ぬわけにはいかない。

 カンカンカンカン……

 鉦が、大きく戦場に鳴り響いた。

 オオオオオオオ……

 敵陣から雄たけびが聞こえた。


 グシャ

 人の肉片が断たれる音が聞こえた。その音は、俺の背後から聞こえた。俺は目を見開いた。

「進め、進まぬか! 進まねばこの者のようになるぞ」

 俺たちは反射的に走り出した。一応、戦争状態にあった、という記録は作りたいのだろう。ミスナ教徒は積極的に闘わずに死んでいったと、万一噂でも流れるのは怖いらしい。

「どこまでも、外聞に囚われた愚者なんだな、教団め……」

「舌噛むよ、ロド!」


 俺はザン、と弓の弦が震える音を聞いた。

 靄の塊のようなものが、敵陣から浮き上がり、こちらに近づいてくる。

「来るぞ! みな槍を頭上で振れ!」

 それでなにかが変わるわけではないかもしれない。だが、俺が運よく一本の矢を折ると、死者の行進と化していた人間の形をした廃棄物たちも理解しだした。そしてその矢の受け方が、俺を中心にして同心円状に広まっていく。矢に打たれ死ぬ者の一方的な増加は、幾分か和らいだ……それでも、まったく太刀打ちはできない。俺たちはなにせ、匍匐前進と対人武術のはしりしか習ってはいないのだ。そのどちらもがほぼ無意味な……少なくても、有意義になるまでに死んでしまう戦場で。

「クッ……ハッ」

 歯を食いしばり、高所から地表に下りてくる重さのある矢を身体を使って払っていく。

「キャッ……」

 見返るとサシャが肩に矢を受け倒れていた。

「サシャ!」

 俺が槍を止めたその一瞬に、俺の背にも矢が突き刺さる。

「ロドリゲス! 私に構わず目的を果たせ」

 苦しげに歪むその顔に、続け様に矢が降りかかった。そしてそれは俺の背にも。

 ガクリと膝をついて、俺は思う。敵陣までの道の、半分にも来ていないというのに、ここでくたばるのか。

 グサリグサリと矢が突き刺さり過ぎて、感覚という感覚が、加速度的に削がれていく。

「……ミーシャ」

 最期の声になるかもしれない言葉は、恐ろしく情けないかすれ声の、妹を呼んだ声だった。


「……リゲス……ロドリゲス」

 俺を呼ぶ女の子の声がする。それをもっとよく聞きたい。その心が、深く沈んだ俺の魂を浮上させる。

「ウッ……!」

 魂の形と肉体の形が一致した途端、俺の感覚が一気に戻ってくる。感じているべきだった痛みが、時間差とともに襲い掛かる。

「目が覚めたか? ロド、痛むのか?」

 靄のかかった視界が、晴れていく。

「サシャ?」

「安心しろ、私たちは保護されている……粥なら食べられるか? お前、三日も寝ていたんだからな……」

 最後に返ってきたのは、嗅覚だった。

「香ばしい、匂いがするな」

「香ばしいなら香りだろう……ホントに、よかった」

 怒るように言ったそばから、彼女の声は涙声に変わった。

「サシャだって、腕を吊っているじゃないか」

 痛ましく包帯の巻かれた腕が、三角巾で首から下げられている。はにかむように微笑んで俺のために粥を取ろうとしてくれたときの動作から見て、腹か背にも傷があるに違いない。

「ほら、食いなよ」

 俺は苦笑した。そんなにぶっきらぼうに出されても、身体はまだ動きやしない。それに、香ばしいそれを香りと言えるまで食欲があるわけでもなかった。

「……食べないの?」

「食欲、ないから」

「だめだ、食べないと死んじゃう」

 また泣き声になってきた彼女が可哀想で、仕方なく上半身を浮かせようと力を入れた。そのとき……


 俺の力が、今度こそ抜けた。


「ヘリス……お前」

 俺の絶望など知る由もなく、サシャが「知り合い?」と聞いてくる。〝誰に〟保護されたのか、聞いておかなかった数分前の俺を悔いた。あの、少年を痛めつけて性的興奮を感じるという、変質者の悪徳商人……。

 そして、俺に妹から離れるようしもべを遣わして言ったのも彼だったか。

「私を殺したいか」

「……は?」

「殺したいのだろう。お前にとっては私は黒幕だろうからな」

 開口一番おかしなことを言う。〝だろう〟もくそもないだろうに。

「黒幕じゃなかったら、なんなんだ」

 俺は彼を今にでも殴りたかった。でも、身体は動かない。それを見て、しかし異常者のはずの彼は動かなかった。

「まあ、粥でも食べたまえ……異常な性癖を持ってお前をいたぶりたい人間が、いまお前を殺すはずがあるまい。……私は五体満足で生きている人間が苦しむのが好きなんだからな」

 どこか、生きる上で神から言い渡された設定を、自分に言い聞かせているような響きに戸惑う。そして、目を丸くして俺を見ているサシャが、トドメの一言を言った。

「ロド、リオって人を、この人が連れてきてくれたんだよ? なんか知らないけど、喧嘩はやめよう?」

「……へえ」

 俺は笑った。

「なんか知らないけど、とりあえずお粥、いただくわ」

 リオと会えるのなら、それは僥倖だ。この男の思惑がわからないが、リオと会うまでに、頭を働かせておきたい。

「背中支えるから」

 そう言うサシャの言葉を無視して、無理に起き上がると、案の定目まいがした。

 久々に動く腕の筋肉が痛い。

「ほら、そんなに熱くないから大丈夫」

 乱暴に差し出された椀を掴み、ほどよい焦げのついた粥を一気に飲み干した。

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