「戦争は儲かるんだよ」
「クッ……」
体中を棍棒で打ち据えられ、奇妙な格好のまま地べたに這った俺は、意識すら遠のきそうなことを知覚しながらも、前に
彼女の名は、ついに聞けずじまいだった。彼女の親が、教団を批判する人物に接触したというだけで、彼女の家の資産はすべて没収され家族はバラバラにされた上で兵役に就かされている。ここはゴミ溜めだ。
彼女の両親も、唯一年の近い弟も、年の離れた兄も、こんな僻地で彼女が死んだことなんて知らないに違いない。
少しだけ、ほんの少しだけ、彼女は睡魔に負けたのだ。怒声と鞭の音がこだまする環境のなかで、肉体の疲労に耐えきれずまぶたが重力に、ほんの少し引きずられた。それだけで、彼女は斬首された。
死刑を執行したサーヴァを俺は見つめた。ゴロリと転がった彼女の首を見たくなかっただけではない。こんなことが許されていいのかと俺はサーヴァに、死ぬ覚悟で睨み付け、訴えかけた。
「何だ小僧」
もはや名で呼ばれることもなくなったが、そんなことを気にしてはいられない。預言者の右腕というサーヴァが高いところから死体を見下ろすその奥で、見知った影が動いた気がした。
「あ……ああ」
へなへなと体の力が抜けていくのをまざまざと、どこか他人事の風に感じた。
――なぜヘリスがいる。
妹が掘った粗悪な金を高値で売りさばき、少年を痛めつけて興奮する恐ろしい性癖の持ち主が、なぜここにいる。
――しばしの、沈黙。サーヴァは彼の後ろの気配を探るような動きをみせ、そして嘆息した。
「戦争は、儲かるのだよ」
今さら俺の訴えに応えるように、サーヴァが気だるげに言う。
「我々の資金源であった金山は枯渇した。信者からの寄付も振るわない。それに比べ、戦争は多分に儲かる。――ここなるヘリスは武器商人でもあるのだよ。こちらにもあちらにも、武器を売って儲けておられる」
サーヴァの敬語は大層もったいぶっており、ヘリスにもその言外に含まれた慇懃無礼さ、見下したような空気に気づいたはずである。しかし、ヘリスは顔色一つ変えなかった。そういう人間だ。ヘリスは金と自身の性癖に合致するものにしか興味を抱かぬ人間だ。
それはそうと、そのヘリスのことをいうのに「も」とサーヴァは言った。俺は理解した。俺は策略のもとここに連れてこられたということを。
裏で動いていたヘリスがサーヴァの右脇を通って縁側に出てきては、薄ら鈍い動作で俺の顔を窺い見た。寒気がした。
「お前さんが私の元に下るならば、ミスナ教団に多額の融資をして差し上げてもいいんですがねえ」
サーヴァが勢いよく振り返った。その目がすがるような色をしていたことを、俺は見逃さなかった。それほどに、教団の資金繰りは悪いのかと、妙に納得する。
「いますぐにでも差し上げます、ヘリスさま」
ああ、と乾いた笑いが唇に浮かび、悟られる前に静かに消す。戯れに本気になるとは、情けない。知る限り、ヘリスは執着のない人物だ。俺をわが物にする欲望は、俺に毒を飲ませたが捕らえられなかったあの時に冷めているはず。
「どうしようかねえ」
「どうか、高値で買い取ってくださいませ」
懇願し頭を擦り付ける、教団のナンバーツー。惨めだ。これを信者が見たら興ざめするだろう。武器商人を心の底では見下しておきながらも、その金の力には抗えない。正義も神もあったものではないと知った。――だけれども、俺はこれを口外できる立場にない。死ぬのが後か先か。それだけの決死の作戦に、訓練もクソもないだろうに。
「いや、やっぱりやめておこう。こんな痩せこけた醜い男など要らぬ」
「そ……そんな」
俺は組織の人間にその場から引き離され、そこを去った。いずれ死に行く人間に見せるにしても、さすがに教団の恥であったか。
去り際、肩を落とすサーヴァから、視線は俺に移された。
「お前などという棒切れのような肉体より、よく成熟した鉱山の女王のカラダの方がよく味が出ような……」
去っていくヘリスを力なく追いかけるサーヴァから、一段下がった土の上で、俺は肩を震わせていた。
鉱山の女王
俺とバナージは異なる施設に収容された。知り合いとの連絡がとれないままに、精神を疲労させ従属度を高めようという思惑らしい。それは、悔しくも成功している。俺は生きる気力をとうに無くし、死ぬために今日を生きている。サーヴァを初めとする鞭を持つ者たちの支配から離れた、自由な戦場で死ぬことが今の俺の救いだ。
味方だと信じてきた教団に、殺されたあの少女は報われないだろう。死んでもなお、ここらを彷徨っているに違いない。
それは露天掘りで、含有率の低く、本来商業規模の操業ができないはずの鉱山を、力任せにゴリゴリ掘り進め、無理矢理に売り上げを作り出していた、俺の妹のニックネームそのものだった。
やつは、妹を〝やった〟のか?
疑心暗鬼が胸をかき乱す。
――やつなら、やりかねない。
少年を主に性の対象にしていると専らの噂だったあのヘリスも、女に食指が伸びることもあったということだろう。
そう俺は胆略的に結論付け、絶望の底に叩き落とされた。
「もう何も望むまい」
小さく呟くと、サーヴァが顔を真っ赤にしながらずかずかと歩いてきた。裸足のまま、土がむき出しになっている俺の前まで迫るや、俺の顔を握りこぶしで盛大に殴りつけた。
「お前のせいで、融資の話がなくなった」
元々彼にそんなつもりはあるまい。
「どうしてくれる」
知ったことか。
ゴロリと首が転がっているその場所で、俺は告げられた。
「それほどにお望みとあらば、お前の死期を少し早めてやろう」
なんのことかと見上げた先には、醜く歪んだサーヴァの口元があった。
「お前は、戦場での名誉の死など与えぬ。訓練中に無様に滑落して死んだ恩知らずとして、お前の知己に語ってやろうぞ」
バナージか、あるいはリニャか。俺の生活に豊かさを与えてくれた、あの人たちに言いふらすのだろうか、俺が自分の不注意で死んだとでも話を創作して。
「戦争は儲かるのだよ、ロドリゲス」
久々に名前で呼ばれたと思ったら、それは俺個人に対する特別な憎悪を、自分自身の中で駆り立てるためだった。
「お前が武器を持ち戦場で死ぬごとに、新たな武器が必要になる――お前をここで死なせることに決めた以上、それは我らの損失になりえる。そうだろう」
「……」
「フッ……お前が背負ったまま死ぬ借金は、今度は誰に背負わすべきかのう」
こいつはわかっているのだろうか。殴られた頬のしびれるような痛みも気にならない精神状態は、決して健全ではない。それでも、目の前のこの男の方が、よほど狂っていると断言できる。
武器を大量に消費させてヘリスに儲けさせようという試みはわからなくもない。だが、人を死なせる意味はあるのか?
一人に付き一つの、敵を一人斬ったら刃こぼれするような安っぽい武器を持たせて、人と武器を戦場の墓標にさせ、新たに人間と武器を戦場に投入させる。正気の沙汰じゃない。武器を作る工場は潤うかもしれないが、それがどうしたというのか。
人間は無限じゃない。戦争で消耗を避けるべきは、第一に人間であろう。
「ああ」
また乾いた笑みが口を覆った。今度は俺も、それを隠そうとはしなかった。
「俺たちは教団にとって都合の悪い存在なんですね」
「なんだ、いま気づいたのか。スパイの容疑がかかっていると言ったろう」
「違うね」
俺はサーヴァを薄ら笑いで見上げた。
「スパイを敵前にのうのうと解き放てるわけないじゃないか。あなた方は俺たちがスパイじゃないってことくらいわかっているのです。教団の、知ってはならないことを知ってしまった人々が集められ、まとめて殺される。そう、ここは処刑台だ」
サーヴァは珍しく動揺したようで、しばし黙り込んだ。しかし、すぐにいつもの冷酷な顔色を取り戻し、天に向かって中指を突き上げた。
「痛快だね! お前を殺す動機ができたぞ!」
俺は虚をつかれたように押し黙った。
むしろ、いままで死なずに済むようにされてたというのか? これほどの扱いを受けておいて?
「お前はやはり、自分の出自を知っていたのだな?」
ますます訳がわからない。バナージと出会った頃、サウード家の顔立ちに似ていると言われたことがあったような気がするが……。
「……ッ!」
今さらながら思い至る。預言者の家系がサウードであったこと、俺とバナージが馬車で連れてこられた場所の小作人が「サウード様」と口走ったこと、彼が殺されたこと、そして俺に、そのサウードの血が流れていたとしたら!
俺は……なんらかの理由でラーマ王国に移民として逃れた俺には、預言者にとって都合の悪い秘密が隠されている――?
だから、俺は預言者とやらと直々に話し合い、命運を決められる存在だったのか。
俺とバナージが、あの屋敷に呼ばれた理由。そして、俺の出自とやらを俺が知らなかったなら生かし、知っていたなら殺すという暗黙の了解。
この日以来、俺はただ死ぬために生きている。サーヴァという醜い人間の元ではなく、できることなら戦場で死ぬために。そして、願わくば、俺が殺されなければいけない理由を、戦場から無事に生き残れたならば、知りたいと思うから。
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