Each one's diary ーそれぞれの日常ー

セオドア・ルイスの親子仲

 セオドア・キャリー・ルイスという本名をどこか避けつつ、軍人として生きやすくするために、あるいは仲間が動きやすくするために、完全に名を捨てることもできない。そんな臭いが彼からはしていた。赤毛の長身という人の羨む容姿を鼻に掛けることもなく、むしろそういう風に扱う人間を避けているように見えた。

 ルイス家は名のある商家である。扱う品は幅広く、セオの兄にあたるルイス家の長男は家長の命であちこちに出向き仕入れなどを行い、滅多に実家にも帰らないらしい。

 家業を継がなくてもいい次男坊であるセオは、その容姿の美しさから舞台俳優になることを目指していたとリニャから聞いた。そのとき遠くにセオがいて、こちらに背を向け誰かと話していたけど、舞台俳優のことをリニャが口にしたときに肩が揺れた気がして、それが胸のつかえとなっていた。もしかしたら、言ってほしくない過去なのかもしれない。

 ただセオを見ることのできない位置で話すリニャは俺の気後れなど気にも留めず話し続ける。あの調子じゃヴィンチ地峡いちの売れっ子俳優になっていただろうに惜しいことをしたとしきりに言ってくるのだ。

 リニャは人懐っこく、誰からも愛されている人のようだった。俺と話をしていても、代わる代わるキャラバンの連中が横を通っては遊びの約束をしていく。俺の気まずさがピークになろうとしていたときも、海女の女性がリニャを半ば強引に連れていってくれたので助かった。

 正直言って、俺は人の名前を覚えることが得意ではない。それは自分の名すら仮であって偽りのものであることと影響があるのかもしれない。ただ、それは言い訳にはならない。社会の中では名前を覚えることが交友の第一歩である。名前を覚えるのが苦手だとこのキャラバンの仲間たちには宣言してあるが、名前を忘れたことで、これまでに三回も女の子に泣かれてしまった。

 脚が動かない以上、彼らの世話になるしかないというのに、何たるざまだ。せめて全員の愛称だけでも覚えたい。

 それにしても、あの蒼い目の人々全員に名前をつけるという約束は果たせないままだ。リオと名付けたあの少年は、まだその名を使ってくれているのだろうか。相いれない宗教観の人間からつけられた名など捨てて、新たな名を名乗っているのだろうか。

「寂しそうな顔をしていますね、ロド」

 気づけばセオが俺の顔を中腰で覗き込んでいた。いつの間にと驚くとともに気まずさを引きずって目を逸らしてしまう。

「あ……いや。なかなか名前を覚えられないと思って」

 バナージと俺は、しばらくこの町に留まるというセオのキャラバンの手伝いをするという名目でこのところ養ってもらっている。バナージはすっかり集団に馴染んで、女性たちと仲良く、宿の井戸を借りて洗濯をしている。セオがあまりに美男なので忘れていたが、バナージとて黒髪黒目の美男子である。女性受けがよくなにやらもてはやされて照れている。うらやましいことだ。

 みんなずっと前からこんな雰囲気で過ごしていたと思わせる世界で、俺だけが一人過去に囚われているようで、何やら恥ずかしい。リオたち蒼い目の一族のことはもう忘れるべきなのだと、自分に言い聞かせる。

 そんな俺自身の葛藤を、セオは軽々と見抜いてしまった。

「恋煩いですか?」

「まさか!」

「そのあなたの恋の相手のリオさんですが、私たちの情報網によると、五個先の町の手芸屋などで見習いをしているようです。いつか、客として伺いましょう」

 さらりと際どいことを言ってしまうところもセオの魅力なのだろう。俺は男だしリオも男だ。同性愛をミスナ神は禁じている。

 俺が呆れて黙り込んでしまったのを尻目に、セオは俺を抜かして歩いていってしまった。キャラバンを率いる男だ、きっとあれこれ忙しいのだろう。そもそも彼は軍人だったか――いずれにしろ、忙しい合間を縫ってリオたちのことを調べてくれたことには感謝したい。

 しかし、また一人だ。俺は中庭が望める部屋で壁に背をもたれかけさせてぼんやりとあたりを見回す。セオ曰くヘリスはこの町を出たらしく、当分は戻らないだろうとのことだ。

 井戸の場所で賑やかに語らっていたバナージたちも、洗濯物を干しにいったのか俺の視界からは消えていた。

 シン、と空気が鳴った気がした。喧噪の合間のこの静寂が、苦手だ。ヘリスの手のかかった者に攫われたときも、俺は一人だったらしい。そのとき俺は意識がなかったが、ヘリスの嘗め回すような視線を思い出すと背筋に脂汗が伝った。途端に視界が靄がかり、頭に鈍痛が湧いてくる。

「ロドさん?」

 汽笛のように遠くで、バナージの声がした気がした。意識の消え行くさまはそれに抗おうとする努力を上回り、俺は意識を手放した。


 何やら言い争う声が聞こえて、俺の意識は浮上しだした。それにしても、大掛かりな口喧嘩とみえる。というのも、言い争っている二人の声以外の物音がしない。宿にいる全ての人に気を使わせてしまう大喧嘩であると俺は推測した。

「ルイス家……関係ない、俺の……」

「お前は……を辞める気はないのか!」

「俺の何が……父上は……」

(ルイス家?)

 言い争いの片方はセオなのだろうか? あのいかにも温厚そうな言動のセオが?

 バアン、と響く破裂音が聞こえて俺の身体は強張った。その音に付随して、いくつかの足音が右往左往したのが感じられた。それでも、宿の者は騒がない。

 俺が目を開けていたことに気づいたのは、先ほどの音に反応して玄関の方を見ていたバナージだった。

「セオさんとそのお父上が、鉢合わせしてしまったらしくて……すみません」

「いや、なんでバナージが謝るんだよ……それで、結構長時間荒れているの?」

「はい……かれこれ三時間」

 三時間ン? と大声を出しそうになって、俺はバナージに口をふさがれた。バナージの勢いに押され俺は倒れそうになる。

「こうなっちゃった二人は、よほどのことがないと止まれないらしくて」

 バナージが小さな声で説明してくれた。「止まらない」ではなく「止まれない」と言ったところである程度は察した。因縁が深すぎて、生半可なことでは互いのプライドが許さないのだろう。

「しかし、これではこの宿の営業妨害なんじゃ?」

「それが……その。あっまたセオさんが怒鳴った」

 バナージの、怒鳴り声に怯えながらの要領のえない説明を要約すると、セオとその父親の二人は曰く付きで有名で、絶対に二人を引き合わせてはならないという不文律が周辺の町に行き渡っているらしい。

 この宿の新人の女中が、間違って二人が接触しうる予約の入れ方をしてしまい、それは完全に宿側の過失なんだとか。今日からの泊まりのはずだった客には、宿の主人がわざわざ出向いて謝罪をし、要望があれば全額返金の上代わりの宿を工面している。

 ――それを聞いての俺の感想は、ただ「すごい」以外になかった。そんなことがあるのかと思った。家族と離別しなかったらしなかったで大変だな、と思った。

 ただ何もできない口喧嘩は、唐突に終わりを告げた。

「お? これはセオさんのおやっさんじゃないですか! お久しぶりです、リニャです。覚えておられます?」

 軽い口調でリニャが口喧嘩に割って入った。双方からの激高を受けはしまいかと心配だったが、それは杞憂で、セオの父親は気さくにリニャに挨拶をする。その隙に、セオ自身はその場を離れたようだった。

 宿の者全員が肩の荷を下ろす音まで聞こえるようだ。

 そうして一言二言言葉を交わして、リニャもセオの父親も宿を離れたらしい。

 喧嘩の当事者たちが、お互いに離れるきっかけを望んでいたのだろう。そして、あんなふうにそれを成し遂げられるリニャは、双方と深い縁がないといけない。リニャがこの隊商で好かれている理由の一端を見た気がした。

 俺は胸をなで下ろした。しかし、この喧嘩の余波は思いがけないところで俺に直面した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る