激高

 セオの父親はリニャと仲良く甘味処で甘い蜜をふんだんにかけた果実の盛り合わせを食すうちに機嫌が直り、他の宿を予約してほしいというリニャからの申し出も快く受けたらしい。

 リニャがなぜ、自分の雇い主の父親に気軽に接することができるのか俺にはわからなかったが、あの喧嘩以降誰もが無口になり、夕飯も静かに終えるほどだったので誰かに聞ける雰囲気ではない。

 これではせっかくのご馳走がまずくなってしまうではないか。そう言いながら、俺は鶏肉をこんがりと焼いて香草で味付けしたシンプルな料理を口に運ぶ。こんなに旨いのに、皆の食の進み具合は悪い。

 手違いのお詫びだと宿の主人が差し出した、日雇いの仕事を半月してやっと稼げるほどの値がはる高級な菓子を、セオは不愛想なまま手づかみ・・・・で食べた。余計なもてなしを迷惑に感じている節もあったセオがこんなことをするということは、静かに怒っており、謝罪は当然だと言う考えがあるのだろう。

 今夜ばかりはセオの近くに行く気にはなれず、バナージの横で寝ることにした。布団を敷かれても、心なしかセオの両隣に陣取ろうとする人が少ない。俺と同じく、心が冷え冷えとする怖れを感じているのかもしれない。

 それを知ってか知らずか、セオの横には今日はリニャがついた。彼はセオとセオの父の橋渡しをする存在なのだと納得する。


 セオの父親とセオの確執には理由があった。

 その理由とは、セオの兄であるルーシー・ケニア・ルイスにあった。ルーシーはルイス家にとって待望の男児だったため、ルイス家の中興の祖の名をミドルネームにつけられるほどに期待されていた。

 しかし彼は、何らかの理由で家を継ぐことを拒否した――。

 ポツリポツリと噂に聞く経緯はこの通りであったが、それだけであれほどの大喧嘩が起こるとは俺には思えないでいた。

「……バナージ」

「なんですロドさん」

「家族ってそんなものなのか」

 ものすごく漠然とした質問をしてしまったことを悔いるが、バナージは俺の言わんとすることをわかってくれたようだ。

「血が繋がった存在だからこそ、譲れないものは譲れないってことはありますからね……」

 しみじみとバナージは言う。バナージは家族と仲はいいのだろうか。

「ちなみに、ロドさんにご家族は? 初めて会ったときからお互いに一人なので、今更ではありますが」

 続け様にバナージに質問をしようと思っていたところに話をされたので、俺は口ごもってしまう。

「俺の……家族……?」

 二の句が継げない俺を見て、バナージが焦ってしまった。

「すみません、聞いてはいけないことでしたか?」

 いや、いい。バナージは何も悪くない。だが、俺の両親はいまどこで何をしているかわからないし、唯一の兄妹である妹のことを語ろうものなら、うっかり自分がミスナという神に値しない人間であると勘付かれかねない。

 俺は曖昧に頷いて、奥歯を噛みしめたまま不格好な笑みを作った。そうして布団に、感覚のない脚を滑り込ませる。俺の脚には棒の添え木がついていた。そういえば、セオの知り合いという医師が俺の脚を見に来てくれるのは明後日だったか。

 俺は自分の脚のことは諦めつつ、それでもセオの好意を無下に断ることもできずに、ゆっくりと眠りについた。


 翌朝、起きてみればセオはいつもの調子に戻っていた。気さくに宿の従業員たちに挨拶を交わし、あちこちから来るという手紙に目を通している。

「こんばんはー」

 早くも夜になり、宿に訪ねてきた人がいた。間延びした声だった。

「申し訳ありませんが、今夜は予約でいっぱいでございます」

「いんや、セオドアさんの指示で来たんですよ。私は医者のマライアという者」

 応対に出た女将はたちまち非礼を詫び、マライアと名乗った人に玄関での待機をお願いしてセオの元に急いだ。

 頭に引っかかることがあった。有名な商家の息子だというセオの交友関係を、よりによってセオが上客であるこの宿の女将が知らないということがあるのだろうか。父親と鉢合わせにしてしまった宿の者が咎めを受けるくらいだというのに。待たせてセオの元に行ったということは、女将が知らない人だったということ。

 それよりもおかしいのは、そもそも今日は俺が医師に診てもらう日ではないということ。

 仮眠をとっていたセオが、隣の部屋で女将に起こされ、女将からの報告を聞いていた。

 セオは立ち上がり、玄関に急ぐ。なにやら物々しい。

「何の真似だ」

 開口一番セオが言ったのは、喧嘩を売ったに等しい語彙だった。マライアは答えない。セオはさらに続ける。

「誰に頼まれた」

「……あなたの知っている方ですよ」

 マライアの口調が冷たくなった。俺はあの喧嘩の再来かと思ってしまい身構える。しかし、それ以降言葉は聞こえない。宿の喧噪のなかに紛れるほどの声しか交わしていないのか、それとも二人ともが黙っているのかはわからない。

 ――――!

 俺の頭が突き刺すような痛みを感じる。それはやがて俺の記憶にも干渉を始め、俺は違和感に行きついた。

「あの声――聞いたことがある」

 俺は相変わらず部屋の壁にもたれていたが、添え木を当ててある脚を何とか動かして立とうとした。空気の入れ替えもかねて、同じ客のとった部屋の引き戸は開け放たれている。もしかしたら、背伸びすればここから玄関が見えるかもしれない。

 杖だけで二足歩行することが難しいように、感覚のない脚を突っ張って立ち上がるのも難しい。しかし、俺は上手く体重を背中で支えながら徐々に高さを引き上げていく。

「うっ」

 一瞬ののち、俺はバランスを崩して左に倒れ込んだ。添え木は折れ、音に驚いたバナージが飛んできた。――俺は、きっと青ざめていただろう。

「どうしました? お手洗いですか」

「あいつ……」

 俺は声を震わせていた。呼吸すら苦しく、上手く言葉がでない。それでも、バナージにこのことを伝えなくはならない。

「あいつ……玄関でセオと話している人……」


「俺に毒を盛ったって自分で……」

 俺がヘリスの囚われの身になったとき、契約は果たしたのだから金を払えとヘリスに詰め寄った――万事屋よろずやを名乗る人物。今でこそ姿形を医師のそれ白装束にしているが、その顔を忘れはしない。

 俺の告白を聞いたバナージは、血相を変えて部屋を飛び出していった。そして、セオドア・キャリー・ルイスが殺人を犯し、一族から正式に追放されることになるのは、その直後のことだった。

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