An untouchable child ー出会いが、運命を別つー

夜空はいつだって残酷なまでに平等だ

 蒼き目の一族は、北から流れてきた民族らしい。


 彼らの一族に子が生まれるたびに、その魂は誰かを身代わりにして生を受けたのだと生まれたばかりの幼児は同じ村の人間に罵られ、死には死を、と刑死した者の横に留め置かれる。そんな風習があったらしい。腐敗が始まり朽ちゆく死体の横で、生まれて間もない子どもが捨て置かれる。乳を求める泣き声が段々弱っていくさまが瞼の裏に浮かび、思わず身震いする。


 幼い子どもほど、目の色は鮮やかで、それは悪魔の力が強くその身に流れていると解された。誰かの命を奪い生き永らえるモノならば、生き返っては困る死人のもとに置いておけばいい。そんな悪意に晒された子どもは、多くが衰弱して生後数日で死に至る。そして、その洗礼を無事に通り抜けたとして、その子は二度と親には会えない。

 北方にあったという小さな王国は、政府直属の独自の部署が、蒼い目の一族――クリ族死の民と呼ばれた――の個人識別番号を保有し、それを彼らの皮膚に印字した。

 リオは床に木の板を並べて俺たちと会話している。二十六個の表音文字を指先で並べ替えるさまは素早くも華麗で、相当にこのやり方に慣れていることを想起させた。例えていうならば、瓦を葺く職人が華麗に家に上るような、左官屋が左手に持った板に土を乗せそれを壁に一様に塗り付ける一連の動作のような。

 一族の歴史を知り、いま一族を押さえつけている存在を知ってなお、俺たちを憎まないのはなぜだろうと思った。俺たちは直に彼らを支配している純国民ではない。しかし、俺は蒼い目の一族のことなど妹から聞いていたにも関わらず強いて思い出すことはなかったし、バナージも多少の知識があるとはいえ彼らに関しては無知に等しいというのに。

 無知は罪だと、誰かが言った。誰だったかは、思い出せないけれど。

 そんな俺の思考を知ってか知らずか、リオは木の板から視線を外し右手を左肩と衣服の布の間に滑らせた。

 グイと肩の布が下ろされ、華奢な彼の左半身があらわになる。そこには忌まわしい入れ墨があった。


 00723-0


 明らかにそれは、家畜の〝個体〟を識別する類いのもの。痕がつくまで丁寧に焼かれたのだろう、傷痕は青黒く、数字の箇所だけ肌は盛り上がり、染料で印字された類いのものではないことがうかがえる。見せられて、息が詰まる。そして疑問がわき上がる。


「なぜ?」

 それが俺の第一声だった。北の国でクリ族がされていたことが、なぜ今になって現実として在るのだろうと思った。俺は俺自身も酷い目にあっていながら、俺たちの国はそれほど酷くなかろうと思っていたのかもしれない。

 だって俺はこの国で生まれたんだ。苦しい境遇の移民だったが、それでも両親は苦労して兄妹を育て、お金を貯め、純国民しか持てないとまで揶揄された一軒家を手に入れた。例えそれが賃貸であっても、狭い集合住宅ではない家が、二階のある家が自分の家だと知ったときは、どれだけ嬉しかったか。

 そんな我が母国が、まさか、かつての北の国の非道なやり口を踏襲していたなんて。


『けがれある わたしたち かちくも どうぜん』


「そんなッ……」

「そんなわけありません」

 俺の激高をバナージが遮った。

「例えあなた方が、この土地を荒らし土地の者らを迫害した一族の末裔だったとしたって、こんな真似――」

 その声をかき消したのは、意外にも第三者の声だった。


「五月蠅いわねこんな時間に」

「同情で私たちの罪は消えないわ」

「あなた方は私たちの決心を揺るがせ、贖罪の機会を奪おうとするつもりか」


 強い悪意とともに壁を叩く音がする。それは拒絶だった。さすがのバナージも、彼らの意図を測りかねているようだった。恵まれている人が自分を卑下するのに似て、この人たちは好意を拒絶することで更なる同情を求めている。俺だって初めはそう思った。でも、彼らの拒絶は激しかった。

「私たちは穢れた民族だ、なぜわからない!」

 それはまるで、自分たちが一方的に悪いと自分たちで決めつけているような、

 自分たちが穢れた民族であると認め、それを自分の子どもにも正しいとして教えているような、

 ただただ理解しがたい違和だった。それは良心による義憤さえ打ち砕く。

 

 理解したくなくて、俺は聞く。

「本当に、自分に番号の入れ墨が入っているのを疑問に思わないのですか」

 何を聞いているのか、といった空気が支配する。そして誰ともなく、「当たり前だ」と声が返る。

「どうして?」

「我々は穢れていたから弑された。そのままのことだ」

「そんな……例え慣習により獣に触れたあなた方が穢れたとみなされたとして、それは鶏と卵の順番が逆だろう!」

「いいや、私たちが穢れているから、穢れた仕事しかできなかったのだ」

「あなた方にその仕事を宛がい、従事させたのは政府です。あなた方は本来穢れてなどいません!」

「なら聞くが、君は五百年前、私たちの一族が始まったとされるその日を目にしたのか? 本当に私たちが穢れていないと確証をもって言えるのか? 鶏が卵を産み落とすその瞬間を、君はその目で目にしたのか?」

 俺はそこで思い至る。この国の政府は本当に用意周到だったのだと。

 対外的には差別の解消を謳い、対内的には奴隷使役を示唆し、彼ら自身には、身を裂いても掻き毟っても消えない自虐を植え付けた。拭い去ろうとしても刻印され、這い上がろうものならより深い場所に落とされるのなら、段々と彼らは反抗心を削がれていく。 

 そして代替わりのとき、完全に彼ら自身の感情は彼らの記憶から消える。たとい自分たちが穢れているとしてもこれは理不尽だと、声に上げることすらできなくなる。生まれたときからそういう環境で、そういう思考の者しか周りにいなければ、それに対して疑問を持つことは難しい。

 集団洗脳か、相互監視による言論統制かは知らないが、ともかくも国のあちこちに散らばる蒼い目の一族を集め、彼ら自身に降りかかる不条理を彼ら自身が当然と思う環境を作り出した。手段と目的の正当性はともかくとして、この国のやり口はとてもこなれており、見事だった。

 得をするのは、この国の純国民と支配層しかいない。重要な産業になった観光の一翼を担う商品を、人件費を抑えて大量に生産できる。それを喜々として交わされている諸外国からの旅人も哀れだ。旅人も母国に帰れば、この国の未だ根絶できていない差別構造に憤る一人であろうに。

 それよりも、旅人が行き来している以上、周辺諸国もこのクソったれな国と国交はあるのだという事実が、改めて俺を驚かせ、絶望させた。国民を生まれながらにして階級に据え、滅多なことでは下層民はよりよい暮らしを手に入れられない制度のあるこの国も、やはりよい農地の少ない国柄である以上財源はほしいのだろう、外国の観光客や旅人は喜々として迎え入れるらしい。もっとも、この国の恥部を金の生る木に見られては困るから、政府直々の案内役が観光客や旅人にはつけられるらしいが。

「どうなっているんだ……」

 周到に用意された鳥籠のなかで、囚われてることも知らずに生き続ける彼らの前で、俺の声は小さくならざるをえなかった。俺が諦めたのを確認したのか、何事もなかったかのように布団に入る音が四方八方から聞こえる。それほどに薄い壁。

 自分たちの足に鎖を巻き付けて、ただ灼熱の地獄に歩いていく。そして感情もなく帰ってくる。そんな毎日を、この人たちは送っているのか……。そして、そのことに疑問すら抱かない。

 救わなければいけない、と思った。

 天上にいる神は全ての人間にすべからく光を注ぐ。その愛を、人間が遮ってはいけない。その光を遮り、特権階級である純国民だけが浴びているこの国は、おかしい。生きている人間皆が、一様に降り注ぐ光を受けられるべきなのだ。

 喉元に出かかった言葉を、飲み込む。いま言うべきではないとバナージが表情で伝えてきた。そして、そろそろ自分たちも床につこうと身振り手振りで伝えてくる。

 確かにいま言っても反感を買うだけだ。

 夜が更けてきた。俺たちはどうなるのか、追手は来ないとはいえ自分たちがここにいることは薄々知られているだろう。誰かこの地区専用の担当者が、俺たちを連れ戻しに来るのだろうか、それとも俺たちが地区から逃げ出してくるのを待っているのだろうか。はたまた俺たちが自らここを出るまで何事もなく居座れるのか、と様々に考えを巡らしてみるが、一向に答えはでない。

 明日がわからぬなら、明日が早く来るのを待つしかないか。俺はため息をついて身体を横にした。翌日、なんとかこの子――リオだけでも連れて逃げたいと、俺は心のなかでそれだけを反芻した。


 ――朝日が、目を刺した。

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