俺と母と、幸せの秋刀魚。

@mk1116

俺と母と、幸せの秋刀魚。

「今日の夕飯は秋刀魚の塩焼きだからね!早く帰ってきなさいよ!」


出掛けざまに母からかけられた言葉を思い出して頬が緩むのを止められず、家へと道のりは俄然早足になった。




先週から夏休みが始まったばかりだというのに、受験生だからと無理やり入れられた塾で早速夏期講習を受講する事になってしまった。

今年が最後の夏だからと気合を入れて挑んだ大会も、初戦敗退であっという間に終わり引退することに。

そうすると残ったのは、暇を持て余し元気の有り余った思春期真っ盛りのただの俺。

「どうせ暇でしょ」という言葉に反論の余地もなく従わざるを得なかったのだ。

とは言え今日の夕飯は大好物の秋刀魚である。

本日分のノルマも消化し、るんたるんたと帰り道を急ぐ。


「もうすぐ会えるぅー愛しのサ・ン・マ、ちゃん!」


ホップステップジャンプと華麗なステップを鮮やかに決め、我が家の門の前に着地。


「おぉっ、これはこれは、素敵な秋刀魚のにおいですなぁ〜!」


うひひとニヤつきながら門を開き、匂いのする方へ足を向ける。

どうやら本日の晩餐は縁側でとるらしい。


「母さんただいまー」

「ん、おかえり。もうご飯できてるけど、先お風呂入る?それともここでご飯食べちゃう?」

「やだもう奥さんったら!秋刀魚の焼きたてが目の前にあるのに、あたしがその誘惑から逃れられるとでも!?」

「はいはい、いいからとっとと食べなさい」


あまりの嬉しさに変なテンションになってしまい、オネエ言葉で母に絡むが、あえなく撃沈。

まぁそんなことは気にしない。

なんと言っても、今、俺の目の前には愛しの秋刀魚ちゃんがいるのだから!


「なぁなぁ食べていい?もう食べていい?」


七輪の上で脂がたっぷりのった秋刀魚が踊っているのを見て、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。

しかしそんな俺に母はあくまでもマイペースを貫くつもりらしく、話を逸らされる。


「蚊取り線香ここら辺に置いとくから、食べ終わったらしっかり後始末して頂戴ね」

「今年は蚊が少ないって聞くし大丈夫だって…」

「蚊に刺されて後で泣きついてきても知らないよ」

「分かった、分かったからはやく!」


ジジッ…と燃えゆく蚊取り線香を横目に、待てをされた犬のように母からGOの声がかかるのをうずうずと待機する。

俺の期待の篭もった目に耐えられなかったのか、母はやっとクスクスと笑いながら「よし、食べるがよい」と言ってくれた。


「っしゃ、いただきまーす!」


渡された箸で出来るだけ美しく綺麗に身をほぐす。

きっと秋刀魚だって、綺麗に美味しく食されれば本望だろう。

脂ののった秋刀魚に舌鼓をうっていた俺の耳に、どこか遠くで打ち上げられた花火の音が聞こえてきた。


「ふふっ、たーまやー」


秋刀魚と一緒に白米を頬張る俺を優しい目で見つめながら定番の掛け声を口にした母の表情は、とても幸せそうだった。



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