第7話 キャンプ地

 昨晩の伊奈の食欲には目をみはるものがあった。

 その小さな体のどこにそれだけ入っているのか不思議になる程、次々と料理

を平らげていく。

 神の使いであるので人とは違った構造をしているのだろうがそれにしてもで

ある。


「わらわも久方振りのまともな食事でほんに満足でありなんす」


 自分の分だけでは足りず姫と薫子のものにまで手を出す始末であった。


「今朝は何を食べるかのう」

「伊奈ちゃんは油揚げ好きなんじゃないのか?」


 稲荷神の使い、お狐様に油揚げというのは俗に有名な話だ。

 この話には色々な諸説が入り混じっている。

 修行僧が食べていたとか、野生の狐が油揚げを盗み食いしてただとか、昔話

に由来するとか。


「遥か昔には、よう食べたものじゃ。今はそれよりも旨い物が多いゆえ」

「こんな時代になっても食に関して強い拘りがあるのがわたし達の国ですから」


 悲しい事ではあるが、神島京の食料自給率はかなり高い。これは他国もそう

である。

 海に面した土地に不浄な土地が出現しない事で、大半の土地が海に面してい

る神島京では結界がなくとも比較的安全な場所が多い。

 水産物の漁獲量は充分確保できている。

 その理由は……。姫と薫子の表情が暗くなるのを見て伊奈が言う。


「湿っぽい話は止めじゃ止めじゃ。さっさと京へ向け早く出立するのじゃ」


 伊奈は宿の浴衣から巫女服を改造した様な不思議な服へササッと着替え準備

を済ませていた。

 姫と薫子は顔を見合わせその気遣いに苦笑する。


「伊奈ちゃん。朝ご飯は食べなくていいの?」

「それは食べるに決まっておろう!忘れてなどおらんかったのだぞ?」


 本当だぞ!と繰り返す伊奈に、はいはいと返事をしながらも沈みかけた気持

ちを切り替えてくれてありがとうと薫子は心の中で呟く。



 朝食を済ませた後、専用端末で神仏本庁から指示されたのは山越えの直線ル

ートであった。直線とはいっても旧道をグネグネと登っていくルートではある

が、結界で確保できている場所を優先的に通らせてもらえるようだ。

 連絡を受けた当の薫子は他の巫女や護衛騎士に感謝してもしきれない思いで

気を引き締めた。

 初任務から自分達が与えられた任務も重要度の高いものになってしまったの

で致し方ない事ではあるが。


 姫に伊奈はとても懐いている。まるで親子のように見えるのだが、あれでは

完全に父と娘だ。

 姫が伊奈を肩車している。


「姫は力持ちであるな。わーいわーい」

「伊奈ちゃんはあれだけ食べてる割に軽過ぎだ」


 これは自分が母のポジションに入って姫にアピールするチャンス!などと考

えていた。


「ふっふっふ……」


 伊奈を子供に見立てて自分も混ざる姿を想像して不敵に笑っている。

 周囲から見れば不気味な事この上ない。

 見た目は美少女だったりするので余計にタチが悪い。


「か、薫子。神仏本庁から情報は得られたのか?」


 若干引きながら姫が本題を聞く。


「ゴホンッ。えぇ、既に結界を張られたルートを指定されたから安全に目的地

 に向かえるはずよ」

「それはなによりじゃ。今度こそ出発しようぞ」


 3人は昨日とは違う道を通り山越えをする事になった。

 1日では無理なので山の中間付近に結界を張られたキャンプ地ができあがっ

ているので、まずはそこを目指す。

 何十年と放置されたガタガタのアスファルトの道をぐねぐねうねうねと上っ

ていく。


「外界は随分と住みづらい世になったでありんすなぁ」


 その何十年と放置される前の世界情勢を知っている伊奈はしみじみと言った。

 結界に閉じこもっている間の空白があるために余計そう感じてしまうという

のもあるだろう。

 姫と薫子からしてみれば結界を張られた街や集落以外の場所は生まれた時か

らこんなものだ。

 幼い頃は結界から出る事を禁じられていたし今でこそ多少の力を手に入れ動

けているが、ほとんどの人が結界内から出る事なく生活を送っている。


「俺達はこうなってからの世界しか知らないからな」

「そうだね。伊奈ちゃん、今度昔の話聞かせてよ」


 過去の時代について実際に体験した神の使いに聞く機会などそうそうあるも

のではない。

 2人が興味津々なのを見て伊奈は得意気に言った。


「ほんに聞きたいかえ?しかたないのう。今度、語りましたし」


 恐らく、文脈からとらえると話してくれるという事だろうとなんとなくわか

った。

 この純粋な神の使いがあまりにちょろいので悪い不浄なる災厄に着いて行か

ないか心配にもなった。


「食べ物を与えられても知らない人に着いて行っちゃダメだぞ」

「ほんだんすかえ?食べ物をくれるならそれ即ち眷属でありんすえ?」

「伊奈ちゃん。知らない人には着いて行っちゃダメ。眷属であるわたしの言う

 事が聞けないの?」

「よ、ようす。わらわは知らない人に着いて行かないのじゃ」

「よろしい!それじゃ早くキャンプ地まで行こー」


 神の使いが眷属(仮)に叱られるというなんとも言えない光景だが伊奈は素直

に受け入れているのでそれもまたありなのだ。

 薫子が全く巫女らしくないというのは置いておいて。



 そんな風に和気藹々としながら戦闘もなくキャンプ地まで進む事ができた。

 ここは火山のカルデラ内にある大きな湖。

 海と同様に大きな湖の付近もあまり不浄な土地が発生する事はなかった。

 そのためここまでの道を浄化し結界を張った後、この湖を中心として大規模

な結界を形成しキャンプ地として利用する事になったのだ。

 さすがに昔作られた施設等は年数が経ち過ぎているのでそのまま使えなかっ

たが、付近は不浄なる災厄にそこまで荒らされる事もなく残っていたのが功を

奏した。


「本当に結界で清浄化されたルートだったな。少しぐらい災厄が出てきてもい

 いものを」

「ダメだよ姫ちゃん。伊奈ちゃんみたいに神の力を直接行使して言霊を放つの

 とは違って、普通の人が口に出しただけの事でも実際に起きてしまう事もよ

 くあるんだから」

「それならわらわもよく知ってるでありんす。昔はフラグだとかなんとか言わ

 れてたのじゃ」

「そんなまさか。剣以外何もない俺の言葉一つで左右されるわけが」


 姫がそう思うのも無理はない。

 山道ならまだしもここは大規模結界が既に張られている。

 こんな場所に不浄なる災厄が現れたらそれは結界を張られた街中でも現れる

事になってしまう。


「そんな事よりも薫子は報告を頼む」

「あっ!そうだった。キャンプ地に到着したと神仏本庁に報告してくるわっ」


 少し離れた場所で専用端末を起動し報告の順番待ちをしている。

 緊急の報告以外はこういった待ち時間が発生するのも人手不足なので仕方が

ない。


「この辺りはわらわが見知った景色とあまり変わらないのじゃ」

「そうなのか?俺達は初めて来た場所だが、キャンプ地という名前の割には随

 分と綺麗な場所だ」


 姫は湖やキャンプ地内を見渡しながら答える。

 古ぼけた大きな建物が取り壊されずいくつか残っているが、巫女と護衛騎士

用の宿泊施設が新たに建てられていたりして申し分ない場所だった。


「ほんにそうであろう。わらわも自由に動けていた頃は、友人とここから湖を

 よく眺めていたでありんすよ」

「確かにいつまでも眺めていられるな」


 姫と伊奈は近くにあったベンチに腰掛け湖と山々と流れゆく雲を見ていた。


「お待たせー。それじゃ今日泊まるとこに行くわよ」


 報告の済んだ薫子が戻ってきた。


「1番良い部屋らしいから部屋からも見えるわよ」


 そう言いながらウィンクする。


「それは僥倖。はよう行かんす」


 伊奈はすぐに立ち上がり姫の服の裾を引っ張る。


「わかったわかった」


 伊奈は立ち上がった姫と手を繋いだ後、おずおずと薫子の手も握った。

 内心「母親ポジション!よっしゃー!」となっている薫子はその心の内をお

くびにも出さずに言った。


「それじゃ行きましょ。あそこが今日泊まる宿泊施設よ」


 目の前にある新しく建てられた施設の一番良い部屋からの眺めはきっと最高

だろう。

 なぜならば、結界のド真ん中に作られているため湖を一望できる場所だから。

 2人と手を繋いだ伊奈はぴょんぴょんと軽く飛び跳ねながら最高の眺めを見な

がらまともなご飯を食べられる喜びで一杯だった。





「グルルゥ。見ーつけた。神の匂い。神力の匂い。うまそう。ごちそう。早く

 食べたい」

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