第7話 準備がないとそうそう上手いこととか言えない

 心地よい微睡みから目覚めてみれば、そこにソファも猫もなくなっていた。

 また、あの白い空間だ。

 視界の全てが真っ白で何もない部屋。

 いるのは例の女神だけ。


「またか」

「どうも調子が悪いようで」

「これでどうやって告白とかしろと」

「困りましたね」

「こんなゲームの途中で猫がゲーム機の上歩いてリセットボタン押したみたいな状況で!」

「最近のゲーム機は猫が押せるようなリセットボタンはないらしいですが」

「そういう細かい突っ込みはいらないね」

「しかし、逆に告白するつもりはあったのか疑問を禁じ得ません」

「な、なんだよ急に」


 責められているという訳でもないけれど、そういう事を言われるとドキッとしてしまう。

 もちろんつもりがない訳じゃない。

 タイミングを見計らっていたのだ。


「タイミングを見計らうというのはわかりますが、第三者の目から見ても相手に好意を伝えやすい、返事を受けやすいタイミングはどちらにもあったかと思われます」

「そ、そうだったかな」

「具体的に挙げた方がよろしいですか」

「それはやめて」


「次はどうしますか」

「そういう所はドライというか前向きなのね」

「同じ地点に戻れない以上、次にどうするか考えなければ先に進めませんから」

「そうまでして俺に告白させたいわけなのね」

「転生先では人手不足が深刻ですので」


 進んだ所で、どっちにしろ死んでしまうと思うと、モチベーションはあまり上がらない。

 死んでしまうというか、既に死んでしまっているのだけど。


「あべし」

「なんですか?」

「何でもない」


 次に行くべき所といっても、これ以上遡っても告白という感じじゃなくなるだろう。

 幼稚園辺りだと将来結婚したい人みたいな他愛もない話をよくして、単にそのとき仲の良かった女子の名前を挙げたりしていたものだけど。

 それをもって告白を成就したとはならないだろう。

 というか、よく考えたらあいつ小一の春に引っ越してきたから幼稚園に一緒にいなかった。

 入学の直前に引っ越してきて、いきなり面倒見ろとか言われたんだった。

 後で知ったが両親がもともと知り合いだったらしい。


「中二の夏かな、思いつくのは」

「何かイベントがあったのですか」

「イベントって程じゃないけど……ペプシが死んだんだ」


 中学生に上がってからはあまり遊ぶこともなくなっていた。

 喧嘩したとか、何か理由があった訳でもないけれど、お互いの友人と遊ぶ機会が増えていくことで、相対的に家に行くことが減っていた。

 行きたいと思う事もあったし、時々莉奈の母親に言われて家に上がることも、あるにはあった。

 ただ、その頃には共通の話題もほとんどなくなっていて、飯を食ってすぐ帰っていた。

 思い返してみると、中一の冬辺りからペプシはいつも部屋の何処かで丸くなって寝ていて、一緒に遊ぶような事はほとんどなくなっていた。


 そして、夏休みを目前にした七月に、突然莉奈から電話で呼び出された時にはすでにペプシは呼吸をしていなかった。


「もっと遊んでやればよかったとか、そういう後悔じゃないけど、莉奈にはもっと気の利いた事が言ってやれたんじゃないかなって」

「じっくりと話し合うタイミングがあったという事ですか」

「そうだな、その時期では、そういうのはその日くらいだと思う」

「具体的な日付はわかりますか」

「海の日ってあるじゃん、あれの前の週の日曜だった。朝早かったな」

「二〇一四年の七月十三日ですね」


 一瞬の目眩。

 さすがに三度目ともなれば慣れたもので、自発的に目を瞑ってやる余裕までうまれてきた。

 それによるメリットはわからないけど。

 目を開けば、そこはまた莉奈の家のリビングだった。

 前の時とはテレビや観葉植物が変わっていたり、ちょっとした変化はあるものの、彼女の家であることには変わらない。


 そして、莉奈は部屋の隅で小さくかがんでいた。

 こちらからは見えないが、その影にはペプシがいるのだろう。

 タイミングとしては、電話で呼び出されて家に着いた所、という所か。

 随分とぴったりな時間に出会わせたもんだ。


「大丈夫か?」


 声をかけると、莉奈はゆっくりとこちらを向いて、また向き直った。


「どうしよう……ペプシが動かないの。どうしよう」

「見せてみろ」


 俺が来た時にはもう手遅れだったから、それを確認してやるくらいしか出来ないのだが……。

 莉奈の足下で丸くなっているでかい毛玉はまったく動こうとしない。

 しかし、よく見れば腹の辺りが若干上下しているように見える。

 口元に耳を近づければ、弱々しいが、まだ息をしている。

 また、ちょっと記憶と違う事が起きている。


「おい、まだ生きてるぞ!」

「死んだなんていってないよ!」

「そ、そうだったか。とりあえず医者に連れて行くぞ。チャリ出してくる」

「え、でも……」

「やるだけやろう。それでダメなら諦める」

「う、うん。電話しとくね」


 俺の自転車の籠にペットキャリーを無理矢理乗せて、ついでに後ろに莉奈を乗せて、いきつけの獣医の所まで走る。

 前後に重い物を搭載した自転車は、いつもと違って漕ぎにくく、バランスも取りにくい。

 早い話が、凄く疲れる。

 夏の盛りとはいえ、今日だけは雲に覆われてあまり暑くないのが助かる。

 あまり安定しない走行でも、キャリーの中でも全く暴れることもなく、大人しく入ったままでいるのが逆に不安になってしまう。

 走っている最中に死んでしまっていたらどうしよう。

 あまり揺れないように、出来るだけ平坦な場所を選びながら走る。


 獣医の先生の所についた時はまだ息をしていた。

 先生に見てもらっている間にトイレに立ち、出てきた所で莉奈の泣き声が聞こえてきた。

 今まで聞いたことの無いような悲痛な叫びが廊下に響く。


***


 自転車を引いて歩きながら、莉奈はまだ泣いていた。

 しばらく声を出して泣いて、落ち着いたかと思えば持っているキャリーを見てまた泣き出す。

 家に向かって歩いている間、ずっとそれを繰り返している。


 夏になる前から、すでにかなり弱っていたのだという。

 その前から年相応に動きがのんびりとしてきていたが、梅雨の時期には食事の時間以外はほとんど動かなくなっていたのだそうだ。

 電話があったのは、昨晩の食事も摂らないまま、朝も同じ位置で動かなかった事で異変を感じたのだという。


 小三の頃に拾ってきて、そのときはまだ一歳にもなっていないほど小さかったが、それから五年ほど。

 飼い猫の寿命としてはかなり短い。

 元々、拾ってきた時から心臓に軽い欠陥があり、獣医の先生にも昔から何度もお世話になっていたので、これでも長く生きた方なのかもしれない。


「こんな思いするくらいなら拾わない方がよかった……」

「そういう事を言うもんじゃない」

「……うん、ごめん」


 またしばらく黙って歩き、莉奈はまた何度か嗚咽を漏らし、震えていた。

 結局、今回も大した事も言えないまま、黙って隣で歩くしか出来る事はなかった。

 時折ぽつりとこぼす思い出話に相づちを打ってやるくらいで、あとはほとんど黙っていた。

 思い出話の後はまたぼろぼろと涙をこぼすので、持っていたハンカチを渡しておいた。


「涙を拭いてさしあげれば良いのでは」

「そんな事出来るかッ!」

「片手ではペットカーゴが支えにくいようですが」

「俺は俺で自転車支えてるからね」

「そこを何とかする事で株を上げるという」

「それは、ちょっと弱みにつけ込むみたいで嫌だな」

「この時間帯に移動してきた段階でそんな事を言われましても」

「悪かったよ!」


 空気を読まない女神のアドバイスは結局使い物にならず、俺のハンカチで鼻をかむ莉奈を見ながら、ただゆっくりと歩いていた。


「こういうときって、よくペプシはずっと心の中に生きているみたいな事言う人いるよね」

「ああ、ドラマとかで聞く気がする」

「全然わかんない。だってペプシはいないのに。呼んでも返事もしてくれないのに!」


 俺もそういう言葉は綺麗事だとは思う。

 だけど、綺麗事には綺麗事としての矜持と教示がちょっとだけあると思う。


「あのさ……莉奈は、ペプシと一緒にいて、楽しかった?」

「楽しかったよ! 楽しかった! ずっと、ずっと一緒にいたから!」

「一緒に居てさ、色々あって。楽しかった事とか、学べた事とか、あったんじゃないか」

「そんなの、数え切れないくらい」


 実際、歩いていて話していたのはそんな事ばかりで、彼女の言うとおり数え切れないほど、話しきれないほどの思い出があったのは伝わってきた。

 途中で遊ばなくなった俺ですら沢山の思い出があるのだから、当たり前といえばそうなのだけど。


「これからの莉奈が暮らしていく中で、そういう……知った事とか、色々な事が活かされていけば、心の中で糧として生きていけるんじゃないかなって思う」

「それが、心の中に生きてるって事?」

「ただ忘れないってだけじゃなくて、ペプシとの時間が自分の中に溶け込んでいくっていうか……」


 自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。

 うまい事を言おうとした訳じゃないけど、もうちょっと自分の中で整理してから話すべきだったか……。

 少しの間を置いて、これ以上適切な事を思いつかなかったので、自分の経験を話して誤魔化す作戦を決行した。


「うちのかあちゃん、すげえ厳しかったじゃん。毎日ガミガミ言われてた事って忘れなくてさ、今でもなんか、無意識に守ってんだよな。別にもう、守らなくても怒られないのにさ」

「……もう五年くらいなんだね……おばさんが亡くなって」

「あの時は本当にうるせえなとしか思わなかったけど、今は感謝してる。言いたかったのは、そういうような事でさ、きっとどこかで役に立つと思うんだよな」

「そっか……そうかもね」

「もし、また猫を飼うような事があったら、今度はきっと長生きさせられるかもしれないし」

「どうしようかな……」


 少なくとも、十八までの間には新たに猫を飼う事はなかった。

 ペットロスという事もあるが、家を空ける事が増えてしまった事で世話がちゃんと出来なくなるという要因も大きかったらしい。

 また何か思い出したのか、急に黙ってから、しばらく上を向いていた。

 軽く息を吐いて視線を前に戻すと、話題を切り替えて話しかけてきた。


「しゅうちゃんは、やっぱりすごいね。いつも大人な感じがする」

「そ、そうかな」


 実際に中身は何年か大人だけど。


「すごく冷静だよね。冷めてるって意味じゃなくてね」

「まあ、慣れてるといえば、慣れてるからな」

「覚えてる? 遠足の事」

「……三年のアレか」

「そう! 二人で遭難しかけた時!」

「まあおかげでペプシ拾えたし、まあ、あれはな……」

「今日みたいに私が泣いてた時に、ずっと手を引いて皆の所に連れて行ってくれたの。あれも、すごかったよね」

「え?」

「藪の中なのに、こっちだって言って進んで、本当に道に戻ったの凄かった」

「そ、そうだっけか……」

「そうだよ! 全然泣かないで、まっすぐ引っ張ってくれたんだよ」


 彼女の思い出の内容と、俺の過去の記憶に、また食い違いが発生した。

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