4-1

 木々の隙間を縫うようにして歩みを進める。

 かろうじて道と呼べるかどうかという獣道を、二人はどこか緊張感の抜けた足取りで急いだ。

 半刻ほど歩いてようやく目的のアニラ村は視界に入った。

「ここがアニラ村…」

 黒衣の乱れを直し、息を整えてから村に踏み込む。

 どうやらジシャ老士から連絡は言っていたらしい。関係者らしき老爺が村の入り口で待っていた。

「ここに急病人がいるときいて」

「あんたは?」

「私はリラ・メディカ。医術士です」

「あのメディカか?男だと聞いていたが」

「それは兄です」

 思わぬところで飛び出した兄の名に、リラの顔が曇る。

 それを察した老爺は、怪訝そうな目を向けたもののすぐさま村の中を示した。

「まあいい、とにかく早く来てくれ。大変なんだ」

 急き立てられるがまま、村の中央にある家の一室に通される。

 そこでは一人の女性が寝台に横になりうなされていた。

 年齢は三十代前後、茶髪とうっすら覗く黒の瞳から、メフェナム種と推察される。

「これを見てくれ」

 女性に寄り添っていた夫と思わしき男性が無造作にブランケットをめくる。

 布の下に隠されていたものを見て、リラは息をのんだ。

「植物の…芽?」

 ナツメが驚きに満ちた声を漏らす。

 女性の左手、脂汗をにじませてきつく握られた拳のすぐ近く、手首のあたりから小さな植物の芽が生えていた。

「三日くらい前からだ。左手が痛い痛いと言い出して、村の医者に見せても何も分からないと言われた。それで、昨日になって見てみればこうだ」

 呆然と告げる夫に小さく断りを入れ、リラは恐る恐る女性の腕に触れた。

 ゆるい熱を持った手首。それはたしかに、寄生虫が宿主を食い破るように皮膚の下から姿を現していた。

「リラ先生…」

 ナツメが不安そうにリラを仰ぎ見た。

「先生…?」

 その声が驚きに変わる。

 人に寄生する植物など聞いたことが無い。

 しかし、リラにはこの症状に心当たりがあった。

 その病名に行き着いたと同時に、リラはジシャ老士が自分をこの場所に送り出した理由に気付いた。

「“ヘルメスの木”…」

「ヘルメス…?」

 ナツメが仰ぎ見たリラの顔は血の気を失い真っ青だった。

「先生?」

「っ…!!失礼…しました」

 我に返ったリラは目をつむり、深呼吸を繰り返した。

 再び瞼を開けた時、その瞳には相変わらず迷いや不安が渦巻いていたが、視線はまっすぐと目の前の患者を診ていた。

「この女性は魔術士ですか?」

「ああ、最近この村に嫁入りしてきたばかりでな。前は、メルフェナムで占術士をやっていた」

「そうですか。やはり…」

 それは、新婚夫婦に告げるにはあまりにもつらい現実。

 しかし、ここでリラが下手に躊躇えば、さらなる不幸が彼らを襲うだけだ。

「これは“ヘルメスの木”という病。通称“枯木病”ともいわれる奇病です。魔術士のみが罹患する病で、その原因は明らかになっていません」

「原因不明って。ということは…」

「そうです。残念ながら、治療法も未だ見つかっていません」

 ユノによって多少の進展を見せたところで、奇病研究の歴史は十年にも満たない。

 分かっていることには限りがある。この病についても、ユノが未だ解明に至っていない謎の一つなのだ。

「じゃあ…じゃあ、こいつはどうなるんです!?」

「落ち着いてください」

 取り乱す夫に、リラは努めて平静に宥める。それはまるで、自分に言い聞かせるように。

「落ち着いて…。この病は魔術回路から発芽した植物が、回路に沿って全身を侵食する病です。一番の症状は侵食に伴う痛み」

 並べられる負の言葉に夫が耳を塞ごうとする。

「治療法がないと言っても、何もできないわけではありません。進行を遅らせる方法はあります」

 聞こえないふりをさせるわけにはいかない。

 無知は不要な死を生む。ちゃんと知ってもらわねば、一番の不幸を被るのは患者だ。

「まず第一に決して魔力を使わないこと。この植物は活性化した魔力を好みます。魔力を使うほどにその成長は早まります」

 夫が紙のように白い顔で、それでもちゃんと頷いているのを確認してから説明を進める。

「それから、特に気を付けなければならないのが脱水と栄養失調です。枯木病の名の通り、この植物に侵食された体の部位は、水分と栄養を根こそぎ奪われてしまいます」

「どっ、どうすれば?!」

「詳しい対処は文書にしてこの村の医士に預けます。正しい対処をすれば、進行を遅らせることは可能です」

 だから安心して。

 そう口を開こうとしたとき、鋭い視線がリラを貫いた。それは、今までずっと押し黙っていた、おそらく患者の義父に当たるであろう老爺のものだった。

「進行を遅らせて、その後どうするんだ?治らないんだろう?一生、この苦しみと生きるのか?大切な嫁が苦しんでいるのを、俺たちにずっと指をくわえて見ていろと言うのか?」

「それは…」

 鬼の形相に、言葉が詰まる。何か言わなければいけないのに、言葉は喉元に詰まって出てきてくれない。

 安心させる言葉で告げることを避けようとした事実を、やはり伝えなくてはいけないのだろうか。

「一生このままでもいいです。命は…命だけは助かるんですよね?」

 夫の悲痛な叫びに、リラは全身を打たれたような衝撃に襲われた。

 言わなくては。

 震える喉を無理矢理抑え込み、声を絞り出す。

「“ヘルメスの木”に、治療法はありません。その致死率は100%。ほぼすべての患者が、長くとも五年の内に死に至っています…」

「そんな…」

 絶句。夫は今も苦しむ妻を見遣り、悲痛に顔を歪ませた。

 その悲痛な声に、リラの胸が締め付けられる。

 何を言えばいいのか分からない。今の彼らに、きっと気休めの言葉など何の意味も持たないのだろう。

 それは、リラが一番わかっていることだ。

 その時、突然老爺が声を上げた。

「あんた、医術士なんだろう?あのユノ・メディカの妹なんだろう?」

 壁際で事態を静観していた老爺が、リラの足元で額を床につけて懇願している。

「何とかしてくれよ、頼むから。助けてくれ。どんな方法でもいい、金ならいくらでも出す、だから助けてくれよ…」

 縋るようにリラの黒衣を掴み見上げていた。

 先ほどまでに勢いはどこへやら、それは惨めさも何もかもを振り切り、ただ救いだけを求める者の顔だった。

 しかし、リラは何も答えることができない。

 そこにいたのはただ恐怖に震えることしかできない、17歳の小娘だった。

 そんなリラの様子に老爺の怒りはさらなる勢いを持って再燃する。

「あんたじゃ全く話にならん。ユノ・メディカを連れてこい!」

「兄様は…っ!」

 関係ないではないか。

 そう言いたかった。しかし、それを言ってしまえるほど、リラには自分という存在に対する自信がなかった。

「……」

 気づけばリラは、飛び出していた。

「リラ先生…!」

 ナツメが追いかける。うつ向いたその表情は、ナツメからは見えない。

「先生…」

 心配そうに伸ばされた手が、触れる寸前にリラは振り返ることなく呟いた。

「私、無力ね」

 その声に涙は含まれていない。

 しかし、そう呟いた声はどんな泣き声よりも悲しみの色をにじませていた。

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