3-3
ユノはそもそも、奇病研究で有名になったわけではない。その名声の始まりは、医術士になってわずか三年目に発表した“回路干渉術”という技術によるものが大きい。
医術士が直接患者の魔術回路に干渉し、治療を施す。
それは今まで存在していたようで、実は誰も手を出していなかった方法であった。
魔術回路の研究は魔術分野の仕事であると考えていた医術士と、回路干渉など恐ろしくてできないと腰が引けていた魔術士。双方に喝を入れるように、ユノはそこに手を出したのだ。
それどころか、その技術を並みの医術士であれば誰でもできるようなレベルにまで引き下げたのだ。
その結果、加齢による回路の老化など、いくつかの魔術士を悩ませていた病が治療可能となった。
ユノにとってその技術は奇病研究の副残物に過ぎないものだったが、世間からしてみれば患者数の少ない病の研究よりもはるかに実用性に富んだものだった。
自身を一躍時の人とした技術を、ユノは今度こそ奇病治療のために改良しようとしたのだろう。
それがこの“魔術回路封印実験”だ。
「話には聞いていましたが、恐ろしい技術です。何か、実感として変化はありましたか?」
「少しずつ魔術が使いにくくはなっている。心なしか、高炉の働きも弱まっているような気がする。なにより、他人の魔力が体の中にあるというのはどうにも、変な感じがするな」
イバラがどこか居心地悪そうに体を揺らす。
どこか艶っぽいその仕草に辟易しながらも、いたって真面目に考えた。
ユノの編み出した封印術は、発想としてはかなり単純な構造となっている。
患者の指の合間にある噴出孔から自身の魔力を流し込み、魔力回路を部分的に封鎖する。
奇病の原因が魔力回路にあると分かっているのなら、魔力回路の機能を止めてしまえばいい。
ある意味でそんな単純な思考から生まれた方法ではあるのだが、実際はユノほどの技術者でなければ実現不可能な超絶技巧である。
そもそも目に見えない魔力回路をせき止めるなど、どんなイメージを魔力に付与すればいいのかとんと見当もつかない。それを実現してしまうだけの集中力も、並の人間であれば脳が焦げ付いてしまうだろう。
「高炉の動きが弱まっている、ということはこれからまだレベルが低下する可能性がありますね」
魔術師の適性がレベル11以上、医術士が8以上であることを考えるとまだ魔力がちゃんと封印されているとは言い難い。
実感としてまだ完全な効果が表れていないようであるならば、これからも観察を継続することが必要になるだろう。
「最近では怪我の治りが遅くなってきた。といっても、普通の人間からしてみれば遥かに速いが、私としては大きな進歩だ」
そういって喜色を湛えるイバラに、リラの表情は煮え切らない。
イバラの願いがどこにあるのか、その願いを抱いてしまう理由も理解できるのに、医術士としての良心がそれを受け入れようとはしないのだ。
どんな良薬にも、副作用というものが隠れている。
ユノの生み出した技術にだって、それは存在するのだ。
回路を封印されれば、魔術士は魔術が使えなくなる。それは、病の治癒と引き換えに仕事を失うということでもある。
命を失うよりはそのほうがましかもしれない。リラが患者やその家族の立場であれば、魔術を失ってでも生きてほしいと望むだろう。
だが、イバラは話が違う。
魔力を失い、病が治れば、イバラの未来に待つものは一つしかない。
だからこそ、リラはどうしても聞きたいと思ってしまった。
「イバラさんは、死にたいのですか?」
その言葉にイバラの瞳に鋭い光が宿る。
「死にたいのとは違う。私は死を、人間に与えられた当たり前の権利を取り戻したいだけだ」
死は権利。そう言ってのけるイバラに、リラは素直に同意することができない。
「死を取り戻すために実験に協力したのですか?」
「そうだな」
「この実験は危険です。一歩間違えれば、施術した瞬間に絶命している可能性だってあった」
「そうだな。実験に危険はつきものだ。それも分かったうえで私は同意した。死を恐れているならば、こんな治療をする必要はない」
「それなら…」
「はっきりとものを言え。お前が言いたいのはこうだろう?『何故、ユノはそんなことをしたのか』と。兄貴が何でこんなことをしたのか、信じられないのだろうな」
本心を言当てられ、リラは言葉に詰まる。
「ユノにとって、死なんてどうでもいいんだよ。あいつにとって重要なのは、それが病であるかどうか。そして、治せるのか治せないのかだけ。人が望む答えを模索し続けるのが、ユノという男だと私は思うよ」
「そのためには、医術士が人を殺すことも許されると?」
「許されるかどうかは分からない。ユノはそんなところで生きていないと思うが」
イバラの言葉の意味が、リラは理解できなかった。
ユノはリラの理想だ。ずっと目の前にあったはずのその姿が、突然靄が買ったように見えなくなる。
ユノが何を考えているのか分からない。
「分からない、という顔だな。ま、分かれというほうが、無理がある。あいつは本当に変なやつだからな」
だが、とイバラが言葉を区切った。
「私だって誰でも同じことを許したわけじゃない。もしも、同じことをあんたが言ったらわたしゃ、即追い出していただろうね」
「ならなんで…」
リラの戸惑いに、イバラは真っすぐな言葉と視線で返した。
「ユノは私を“治療”してくれると言った。それが叶うかなんて、この際どうでもいい。ただ、そう言ってくれたという事実だけで、この実験に手を貸すだけの価値はある」
断言。それは、紛れもないユノに対する絶大な信頼そのものだった。
「今まで長い時を生きていて、何人もの医術士に出会った。奴らはみんな、不老不死の原因を探ろうとしてきたさ。自分たちの興味のために。そんな中でただ一人、ユノだけが治すと言ってくれた。ユノだけが、自分の足で道を拓いてここまでやってきてくれた」
ユノは奇病研究の第一人者だ。
それは、リラとはまるで違う立場。誰も踏み込まなかった場所に一人で踏み入った。並大抵の勇気では起こせない行動。
それをイバラは讃えた。
「私はこの病の原因を知っている。あんたの兄にも、それは話した」
「分かっているのですか…!?」
「ああ。だが、それをあんたに話すかは別だ。あんたの兄の事はもう何年も知っているが、あんたと私は今日であったばかり。そんな相手に、身の内側をさらすことはできても、心の内側までは許しはしない」
ユノを持ち上げると同時に、イバラはリラを打ちのめす。
リラがどれだけユノを尊敬しその背を追おうと、その間にある差は埋められないのだと、はっきりと突きつける。
「医術士なんざ、今でも信じちゃいない。それでも話してほしいと思うのなら
「誠意…?」
「ああそうだ。死を悲しめることは、誠実とは違う。本当の誠実さは、とても冷たくて、人には理解されがたい。お前がユノの真意に気付けないようにな」
「兄様の真意って…」
何だ?
そんなリラの疑問を、イバラは受け付けなかった。
「ユノと同じ場所を目指すなら、すこしは理解したほうが良い。同じになる必要はないが、私たちを納得させるには、必要なことだ」
そうしてイバラは数百年を生きたものの笑みでリラに言う。
「それは、誰も教えちゃくれないよ。自分で気づかなきゃ意味はない」
イバラに言葉に、リラは何も返せない。ただ、胸の中で渦巻く感情は、握った拳の震えとなって漏れ出ていく。
何と返したらいいのか分からない。
だからこそリラは、素直に白旗を揚げることにした。
「私には、時間がないんです」
「そのためならカンニングでもなんでもしていいと?」
「それは…」
「患者の方が、お前の何倍も焦っているかもしれない。時間がないのは、彼らの方だ」
イバラはそれすらも華麗に受け流し、あまつさえ微笑んでまでみせた。
リラの顔が羞恥に染まる。それを見て、多少は同情したのだろうか。仕方なさげにイバラは口を開いた。
「しょうがない、一つだけヒントをやろう」
「ヒント?」
「私の考える誠実についてだ」
今更恥も外聞もない。リラはただ、与えられるものを与えられるがままに受け取ろうとした。
「リラ、あんたは患者が死んだとき、きっと涙を流すだろう。同情して、きっと涙を流してくれる。でも、ユノは違う。ユノは自分の患者は必ず自分の手で送る。それがユノの責任の取り方だ。そして、ユノは泣かない」
リラの纏う鎮魂香の薫りを指さして、イバラは言う。
「ユノは表情一つ変えずに、すぐさま他の患者の元へ向かうんだ。彼は『死んだ人間は救えない』ということをよく分かっているから。非情だと思うかい?」
「……分かりません」
「そうかい。じゃあ考えてみればいい、答えを今すぐ出す必要は無いよ。あんたの態度とユノの態度、どちらが患者やその家族にとって救われると思う?どっちの方が、覚悟が必要な行動だと思う?」
「覚悟…」
「これが私の考えるユノの誠実さだ。そして、私がユノを許す理由の一つだ」
許す。イバラはそう言った。
「私はユノを許す。ユノの目的が他にあることは分かっているんだ。あいつは自分の事を責めているかもしれないけど、それでも私たちは許すよ。私たちを踏みつぶして先に進めばいい。バッサリと切り捨てられて、踏み台にされて、それでも前に向かれるほうが、まだ救いがある」
「それは…」
どういうことだろう。
イバラのその言葉は既にリラに向けられたものではなかった。
リラの訝しげな視線を受けて、イバラが我に返る。小さく咳払いをして、再びご高説に戻った。
「逃げ続けるのもいいが、一度立ち止まって頭を冷やすといい。焦れば、必ず何かを見落とし、失うことになる」
失う、その言葉に無意識のうちにリラは息をつめた。
「ユノには感謝してるんだ。だから、あいつの望みを叶えてやったし、あんたの話も聞いてやった。だが、私にできるのはここまでだ。ここからは、あんたが自分で見つけなきゃ意味がないんだよ」
イバラは再びリラを突き放した。今度はもう、二度と手を差し伸べられないところまで深く。
「私の話は終わりだ。これ以上、ユノの思い通りに動いてやるのも少々癪だからな」
そう言って話を締めくくると、今までの患者と同じように数冊のノートを取り出し、リラに差し出した。
診察も面談も、もうとうに終わっていた。
「そういえば、あいつの誕生日はもうすぐではなかったか?ならば、この結果をあいつへの贈り物にするとしよう」
「すごく…それはもうすごく喜ぶと思いますよ」
「分かりやすい奴よな」
そう笑うと、イバラは思い出したかのように
「それからもう一つ、お前さんに持って帰ってもらいたいものがある」
イバラが家の奥に向かって手招きをした。
「ナツメ、こちらへ」
「はい、イバラ様」
とたとたと床を軋ませながら、先ほどリラを迎え入れてくれた少女が再び姿を現す。
「この子を連れて行ってくれないか。ユノにはちゃんと“約束を守る”ということを教えてやらんとの」
「約束?」
リラの疑問に、今度はナツメと呼ばれた少女が答えた。
「半年前、ユノ先生と約束したんです。『次、この村に来たら君に師を紹介しよう』と」
「あなた、医術士を目指しているの?」
「はい!」
「家が貧しくて、学院にも行けないからあきらめようとしていたらの、ユノが約束などとのたまいおった」
飽きられたように言うイバラに、リラは表情を渋くする。
「兄様…」
「『君には才能がある。やる気があるのなら、私が良い師を紹介しよう』とな。次来た時に皇都へ連れ帰ると約束して以降、はったりとユノの巡診が途絶えての」
イバラが妙に演技掛かった口調で説明を付け加える。
そう言っているユノの姿を想像して、リラは小さくため息を吐いた。
「それは…なんとも無責任ですね」
「ああ。だからとりあえず、ユノの元にナツメを連れて行ってやってくれ。責任はあいつがとるじゃろう」
「責任…。でも、今の兄様には弟子をとる余裕は」
「紹介する、と言ったんだ。あてもなく言っていたわけがあるまい」
今のリラに、イバラの申し出を断るだけの気力も体力も残っていなかった。
「…分かりました。とりあえず、ナツメさんをお預かりします」
圧力に押されるがまま、リラは了承してしまった。
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