3-2

 幼い頃からリラとユノは非常に仲の良い兄妹だった。

 そんな二人がたった一度だけ、絶交という言葉を思い浮かべるほどの大喧嘩をしたことがある。

 リラ十六歳の夏。その事件は起こった。

 当時のリラは、学院に通う学生だった。今となっては、国試に合格して医術士となってるが、実は兄妹揃って一度は学院に籍を置いていた時期がある。

 全ては遡れば十四年前、リラがまだ三歳のときに父である先代メディカ家当主が亡くなった。

 その結果、ユノは学院を一年足らずで自主退学したのだ。

 それは、父を亡くしたユノが、幼い妹と家を守るために考えた苦肉の策だった。流石のユノであっても、わずか11歳の子どもに一人で全てを守ることは不可能だった。

 だから学院を出て早く独立する必要があったのだ。

 その後、ユノは史上最年少の十四歳で国試に合格し医術士になった。その経歴からか、ユノにはリラが学院を卒業することに多少なりとも執着があったらしい。

 一年前の夏、学院を辞めると告げた妹にユノはおそらく生涯で初めて怒りをあらわにした。

「あの時は、それが一番いい方法だと思ったんです。私も、焦っていましたから」

 リラにも、ユノと同じように早く医術士になりたい理由があった。兄に守られているばかりではいられない理由が確かにあったのだ。

 だからリラは学院を退学した。ユノが仕事で家を空けている隙に黙って。

 そんなリラの思いを知ってか知らずか、イバラは面白がるように言う。

「『家にも帰ってこないくせに、私の将来をとやかく言わないで』なんて反抗期の娘みたいなことを言われたと、本当に落ち込んでいたな。あれは中々に見ものだった」

「そういえばそんなことを言った気も…」

「『兄様なんか大嫌い』が一番深い傷を作ったようだぞ」

「それは…ひどいですね」

 正直、当時の自分がどんなことを口走ったかなどまったく覚えていない。

 まさか、こんなところで思い出すことになるとは、流石のリラも予想していなかった。

「いずれにしろ、終わってしまったことです。兄様はまだ根に持っているようですが、いまさら何を言っても詮無い事」

 ユノは案外しつこい。

 激怒したと言っても、怒鳴ったりするわけではなく、とにかくネチネチ文句を言ってくるのだ。今でもたまに、嫌がらせまがいの事をしてくることがある。

 それでも、自分の師匠を紹介してくれるなど、なにかと甲斐甲斐しいところもあるからよく分からない。

 ちなみに、リラが師匠に見放されたのは、この時に「国試に合格するまで」という条件を付けられていたからでもある。

「天下のユノ・メディカ様に対してそこまで強気になれるのはお前くらいなものだよ」

 腹の底から絞り出すようにイバラは笑う。

「でもまあ、学院を退学して半年で試験合格とは中々優秀じゃないか」

「一応、これでもメディカ家の人間ですから。子どものころから医術は学んでいましたし」

「だが、学院を卒業しないということは、医術士としての道を狭めることになる。現に、宮廷医術士はに学院を出なければなれない」

「学院を出ていなくとも、力さえあれば宮廷医術士にだってなれる。そう、兄様自身が証明しています」

 そもそもリラは宮廷医術士などに興味もなければ、なる気もさらさらない。ただ、その打診が来るくらいには立派な医術士になりたいとは思っている。

 実力さえあれば認められる。それが医術士の世界だ。

「それでも、少しでも楽させてやりたいというのが親心だとは思うがね」

「兄様がいつだって私の事を思ってくれていることはわかっています。でも、私にもちゃんと目的があって…」

「ユノがお前の“考え”とやらに気付いていないとでも思っているのか?」

 イバラの鋭い視線がリラに突き刺さる。

 リラが医術士を目指した理由を知ったうえで、ユノはそれでも反対したのだ。その事を指摘されれば、リラは黙ることしかできない。

「…それでも、私はこの道を歩いていくしかないんです」

 それは、誰でもなく自分に向けた言葉だった。

 今更後戻りすることはできない。目の前にあるのは自分が選んだ道。ならば、そこを歩き続けることが、今のリラにできる唯一の事だった。

「そうかい」

 幼子を見る様な目でイバラは見ている。

 その視線の意味を考えたくなくて、リラは逃げるように施療院から持参した医療記録カルテに目を落とした。

「…本題に入りましょう。診療を始めてもよろしいでしょうか?」

「ああ、好きにしてくれ」

「では」

 患者の許可を得、リラは診察を始める。

 イバラに与えられた病名は“賢者の涙”。その症状は一言でいうなれば不老不死そのものだ。

 魔力回路の異常により、自己修復力が桁外れに強化される病。罹患した者は、どんな怪我や病も即座に癒え、かつ、体の老化までもが止まってしまう。

 医療記録カルテに記載されたイバラの年齢は「不明」。本人すらも忘れてしまうほどの長い時を、無限の回復力によって生かされてきたのだろう。

 リラの五感が患者の中の違和感を見つけようと働き出す。心音、呼吸音、肌つやから体温まで型通りすべてを調べ上げる。

 採取した血液は、施療院に帰ってから検査にかけることになるが、現状いたって健康そのものの検査結果に、リラは素直な感想を零した。

「イバラさんは、この病を治したいのですよね」

「ああそうだ。私はこの病を治したい」

「……」

 病を治す。医術士にとって当たり前の言葉を発するのに、リラはわずかに躊躇を覚えた。

 治すべき病の在り処が分からない。数値上は完璧な健康体のどこに、病の種を見出せばよいのだろう。

 イバラにとっては健康であることこそが病なのだとは、分かっている。

 だからこそ、ユノはその症状を病と考え、名を与えた。

 しかし、病というにはその症状が規格外すぎるのだ。

 ユノはこの病の治療のために神話なども学ぶようになったという。神話に現れる不老不死の存在、それが何かの糸口になるのではないか。かつて存在したと言われる同じ病の人間がどうなったのか。

 それらを紐解くことが、この病の治療に繋がるとユノは考えていた。

「“賢者の涙”とはユノも面白い名づけをしたものだ。かつて賢者はこぞって不老不死の術を求めたが、自らが求めたものの結果がコレだとは思いもせんだろうな」

 どこか懐かしそうな目で、イバラは遠くを見ていた。その言葉の中に、どこか自虐にも似た音が孕まれていることにリラは気づかない。

「それでは、次に魔力量の検査をします。お手を失礼しますね」

 魔力量の測定は、対魔術師限定で医術士にしか行えない検査だ。

 回路を流れる魔力は、心臓の拍動と同じように魔力波という独特のリズムをもっている。

 心拍とは違い、魔力波のリズムは基本的に一定に保たれており、魔力が高い人ほど拍動は強く早くなる。それは20段階にレベル分けされており、その変動の有無で異常を確認するのだ。

 通常の魔術師は魔力を見ることはできなくても、なんとなく知覚することができる。医術士は訓練によって磨き上げられた感覚で、自分自身を計測器として利用するのだ。 

 自身の拍動との比較で数値を出す手法は、どれだけ技術が進歩しても代替となる手段はいまだ無い。

 リラはリファンでジシャ老師に指摘された通り、一般の医術士に比べてはるかに魔力保持量が多く数値は最高レベル20を余裕で叩きだしている。

 通常であれば、比較しての数値化は難しい。

 しかし、幸いにもリラは魔力に対してかなり高度な感知能力を持っていた。

「始めます」

 イバラの利き手である右手に、自身の左手を絡める。しっかりと指と指を交差させ、合間にある魔力の噴出孔を密着させた。

 空いている左手は、鎖骨の少し下。胸のふくらみの上部に当て、魔力高炉の様子を探る。

 かつてのイバラの魔力はレベル18。それに対し、リラの計測による現在の魔力はレベル9まで低下していた。

「かなり…下がっていますね」

「ほう、それでは“実験”は成功か」

 通常魔力レベルは一生涯変化することはない。時々、加齢による魔力回路の老化でレベルが落ちることもあるが、これほどまでに急激な低下はあり得ない。

「魔術回路の封印実験…」

 それが、約半年前にユノがイバラに施した実験だった。

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