Chapter32

 シグナル、赤から青へ。アクセル解放、マシンは歩くような速さで発進し、徐々にそのスピードを増していく。


 歓声の渦が一層激しさを増すのと裏腹に、試合はおだやかにほ幕を開けた。


 オーソドックスな公式戦のスタイル。つまりはオーバルコースでの戦いである。滅多に使うことのない後部カメラの映像をモニタに映し出す。隆聖の操るマシンが見える。が、その姿はすぐに小さくなっていった。どうやら、向こうは最初からマックススピードの様だ。


 背中合わせに発進したマシンは、対面のストレートで初めて向かい合う。つまり、その時が最初の接敵である。


 源士は軽い調子でアクセルを握り込んだ。加減速を繰り返し、時に車体を蛇行させる。傍から見ればふざけた曲乗りにでも見えるだろうが、源士はいたって真面目である。


「一度も乗ったことのないマシンで実戦か。正気を疑われても仕方ないな」


 ため息交じりにぼやく源士の言葉はおおよそ正しい。普通は十分な完熟走行を行うものだ。ところが、知っての通り《四式カザン》が完成したのはつい昨日の事である。源士に至っては、このサーキットに到着した今朝になって、初めてその姿を目にしたのだ。


確かに《プロトカザン》で気の遠くなるような特訓はこなした。その性質は限りなく《四式カザン》に近いものだと美晴は言っていた。


 開発者を信用しないわけではない。きっと、方向性は同じなのだろう。


 だが、源士は胸中考えていた。


(美晴に限って、それだけで済むはずがない)


 彼女もまた、放っておけば『やり過ぎる』性質の人間だ。目の前のことに没頭し、のめり込む。そんな激しさの塊のような女だ。


 稀に血迷って道を大きく逸れることもある。しかし、その灼熱する意志と優れたメカの腕前が、目指すべき方向にぴしゃりとハマったとしたら……?


 エクスペリエンス(戦闘力の仮想算出値)は、見た。故にである。源士はこの《四式カザン》を大いに警戒している。


(せめてぶつかるまでに、半分でもこいつの手ごたえを掴んでおきたい)


 マシンを傾ける。タイヤが鳴いた。正直なところ、ブラストマシンという性質を差し引いても、旋回性はないと見た。一応曲がります、程度のものだ。だが裏を返せば、直進の安定性は折り紙つき。これはそういう味付けだ。オーダー通り、望むところである。


 ならば、加速力は。


 こればかりは、さしもの源士もわずかながら躊躇する。《プロトカザン》でさえ、鋭敏かつ莫大なパワーの出方には舌を巻いた。わずか数日の特訓期間、モノに出来たのは奇跡である。練習機でそれなのだ。


美晴が有り余る気合を注ぎ込んだこいつは、おそらくは――


『なに、怖気づいてるの?』


 その時、ノイズからややあって、美晴の声がイヤホンから響いた。声は、少し苛立っている。


『速いのがお望みだったんでしょ。良いわよ、そいつは』


「そうかい……《プロト》に乗った時な、加速がきつくて危うく落車しかけた」


『そう。だったら、今すぐタオルでも投げよっか?』


 セコンドがリングにタオルを投げ込むこと。ボクシングでいえばギブアップの証か。


 源士はちらと自分の拳に目をやった。スロットルの開度はごくわずか。パッと見にニュートラルと区別がつくだろうか? いや、困難だろう。それほどの微妙な感覚である。


 だが、現にマシンは一定の速度で持ってコーナーに迫っているのだ。


 そしてどの道、一分と経たない未来には視界に敵である隆聖が姿を現す。その時、加速せざるを得ないのであれば、危険被るのが早いか遅いかの違いである。


「タオルはいらん……そうだな、絆創膏くらいはあってもいい」


『強がってんのか、ビビってんのか……ふふん、とりあえずやってみなよ。後悔はさせないから』


 言いたいことだけ言って、一方的に通信が切れた。さすがは美晴だ。少しイラっときたから、あとで思い切り締め上げてやろう。


 だがその前に、『後悔させない』という自信の所以を、しっかりと試させてもらうか。


 源士はわずかばかり力を込めていたスロットルを、強く握り込んだ。




***




「さあ、初手はなんや?」


 完璧に調整を重ねたマシン、隆聖の《センチピード》に何ら懸念はない。


 隆聖は巧みな重心移動でコーナーを駆け抜けていく。滑る後輪への負荷を上手く逃がしつつ、インコースにきれこんで行くフロントを制御。鈍重そうなマシンのシルエットからは想像できないスピードで旋回する。明瞭なモニタに映し出される視界には、ストライプの縁石が流れる様に過ぎ去っていく。


 彼が何百何千と言う修練の末に身に付けたドリフト走行だ。その技量は口で伝えられるようなものではない。故に、源士が早々にドリフトのカンを掴んできたときには、少しばかり驚きもしたが。


 とまれ、こちらのコンディションはほとんどベストと言っていい。チームマネージャーの海野恭子は、実に良い仕事をしたものだ。


『リューセーさん、調子良さそうですね。《センチピード》も喜んでます』


 無線越しに恭子の声が弾む。もっぱら隆聖のサポートを主任務とする彼女だが、そこにはマシンの調整やカスタマイズも含まれる。自分の手がけたマシンの性能を知る彼女であるから、そのパフォーマンスが限界ぎりぎりまで引き出されていることも、手に取るように分かるのだろう。


「ええ、申し分ない。ここまでは完璧やで……向こうはどうなっとる?」


「向こう? ――ああ!」


 恭子は向こうという言葉の意味にピンとこなかったようだが、すぐに声を上げて「ちょっと待ってください」と一度回線を閉じた。


「ん……この辺は、まだまだ時間がかかるのかもな……?」


 隆聖は嘆息して呟いた。別に恭子を責めているわけではないのだが、お互いの意思疎通がもう少しのところでズレているのに、隆聖は多少やきもきしているのである。


向こう、すなわち山県源士と、彼の駆るマシンの状態についての情報を求めているのだが、そのあたりのコンセンサスを恭子はまだ共有できていないのだ。それが、現状パーフェクトに近いチーム態勢において、ただ一つの弱点と言えなくもないが。


『――あっちのシグナルは……うそ、グリーン? だってあれ……』


 と、隆聖の不安を更に煽る様に、歯切れの悪い恭子の声がヘルメットに響いた。


「無線通話は明瞭に、やで。なんのこっちゃ分からん」


『ご、ごめんなさい! 《カザン》のマシンがすごく調子悪そうだったので……』


「調子悪そう……?」


 セッティングに失敗したり、マシントラブルが起こったり。想定のスペックが出ないのは稀にあることだ。


 しかし、あの完璧主義のお嬢さん――甲斐美晴がそんなミスを犯す? それが、隆聖にとってはある種の違和感となって引っかかった。


『何だろう、スタビライザの不調かな。すっごくフラフラしてます。あっ、今ウィリーしましたよ?!』


 信じられないとでも言う様な恭子の声。勿論、ネガティブな意味で信じられないのだ。その状態で試合ができるのか? ……と。


 ブラストほど危険の伴うスポーツもない。選手、マシン共に、万全を期して向かい合わねば、待ち受けるものは死かもしれないのだ。であれば、機体の不調を察した時点でチーム監督は試合不成立のシグナルを発せなければならない。


 だが、甲斐美晴はそれをしない。両者のシグナルは緑。つまりは準備よしの合図。それもまた、不可解である。


(僕も大概やけど、お嬢さんも焦っとる、か? ……まあ、それでもええ)


 延々続くかと思われたコーナーを抜ける。本来ならば、ここから更に加速をかけるところだが、隆聖は敢えてスロットルを握る手を緩めた。


 まだファーストマッチ、情報も出そろわない以上、無理に攻める必要はない。それに、元々隆聖は守勢よりのライダーだ。


 結論、ここは相手の出方を見極める。敵の挙動不審が意図的な誘いなら、隆聖にはそれを捌く自信がある。


 あるいは、本当に車体不良ならば。その時は仕方ない。肩すかしだが、ジャッジに危険走行の異議申し立てをするだけだ。


「まずは出方を見る。それでええな?」


『お、オーケーです! 初戦のセオリーですね!』


「ちなみに、そこにジジイは何て?」


『聞こえとるぞ。いい若いもんが最初から守りの構えとはのぅ』


「せやったら、カントクなりの仕事をしてほしいもんやけどな?」


 ジジイこと幸造の声が響く。そのボヤキは本気か冗談か区別がつかないが、少なくとも良い印象は覚えていないようだ。さりとて別のオーダーを寄越す気配もないので、ここは判断を任せられたと見た。放任とは違う。未だ実力の値踏みをされているような気分だ。


(しかし、若さが取り柄になる歳でもないんやけどな)


 愚痴であり、雑念だ。今はいい。


 既に《センチピード》は長大なストレートの入り口を抜け、愚直なまでにまっすぐと疾走している。


 であれば、時同じくスタートした山県源士もまた、そうであるはずだ。


(……はん、何や。存外に落ち着いとるやないか)


 四分の一ほどの直線を消化した頃、隆聖はその視界に、米粒ほどの移動体を認めた。


 高く上りつつある陽光に反射する機体。その色は紅。《甲斐カザン》のチームカラーである。


 それがこちらに向かって迫っている。相対速度から察するに、交差まであと二十秒ほど。このストレートのど真ん中、いや、此方が速度を抑えて走っていたので、幾分押されている。ここまでは想定の範囲だ。


 隆聖の想像と想像と異なることがあるとするならば、それは源士の走りである。


 マシンの不調かライダーの実力の問題か、源士の動きはふらふらと覚束ない、とは恭子の見立てだった


 だが、遠目でも分かる源士の挙動に不審なところは見当たらない。マシンコントロールを誤るでもなく、シャンとしたものだ。


(やっぱり、キョーコちゃんが見たのは単なる偶然か?)


 元々、妙な気はしたのだ。あの日シックスセンスに乗り込んできた源士は、苦も無くスペアの《センチピード》を乗りこなしていたようだし、美晴にしても記念すべき一戦目でポカをやらかすとも思えない。


 とすれば、せいぜいブラフか?


 隆聖はそう思うことにし、おもむろにハンドルから右手を離した。何度もこなした動作故、マシンの挙動が乱れることはない。


その手を後背に這わす。《柄》に触れるなり、隆聖は迷うことなく握り込んだ。


この競技がブラストである以上、両手が常にハンドルを握ることはあり得ない。感圧センサの反応によりハードポイントから解放されたそれは、一振りのレーザーランス。


 隆聖の操作に応じて供給されるエネルギーで、ランスは瞬時に淡い燐光を円錐状に放つ。


 交差するわずかな瞬間、この穂先を源士に突き立てる。それが勝利の条件というわけだ。


 もっとも、武器を隆聖だけが持つなどはあり得ない。眼前、更に大きさを増した源士の手からも、光の柱が伸びるのを見た。


 隆聖は考える。


 奴が甲斐カザンのライダーで、そして鎖菱を戴くものであるならば、必ずアレを出してくる。


 《デッドリー》。超高速の機上で、身体を投げ出すように敵へと突撃する、技と言うには無謀が過ぎるケンカ殺法。


 技巧を持って敵の不意を突く事が現代ブラストのトレンドであるならば、それは随分と時代遅れの必殺技だが、その破壊力は確かに侮れない。


 もっとも、当たればの話。隆聖には、手がある。


 いよいよ源士のマシンが迫る。フロントカウルに刻まれた《KAI》のチームロゴまで、容易に判別が出来る距離である。ともすれば、源士の息遣いまで聞こえてきそうだ。


 対戦相手、源士のスタンスは前傾。見るからに攻める気が強い。


 ならば予想通りと、隆聖のスタンスはやや引き気味だ。


 極限まで高められた集中力。もはや交差までわずかというところ。


(来るか)


 一瞬、源士の槍がピクリと動いた気がした。どんな巧者でも、動作を予兆を消すと言うのは難しいものだ。隆聖も、世界のトップライダーでさえそうなのだから、経験の浅い源士など言わずもがなである。


 故に、隆聖はそれを《デッドリー》の予備動作と踏んだ。


(でも、まだや)


 焦り気を抑えて、隆聖は源士を惹きつける。


 源士の《デッドリー》は攻撃において先の先を取る超速攻。それにつられては、彼の思うツボだ。


 故に、隆聖はじっくりと待つ。


 焦らずともよい。どの道源士の槍撃は、隆聖に届かんとする。であれば、隆聖はその軌跡のどこかに、自らの槍でもって割り込めばよいのである。レーザー光によるランスでも、最新技術とは不思議なもので斥力が働く。それで、敵の槍を逸らすことが出来る。


 隆聖の考える《デッドリー崩し》は、敵の攻撃をギリギリで捌く。究極の受け身であった。


 源士の上体が、更に大きく躍動した。


 来る。隆聖はそれを認識しつつも、やはり脊髄反射的に動こうとする身体を抑え込む。極限の集中力がもたらす隆聖の理性的思考。それが告げるのだ。


少なくとも、あと一秒。今はまだ、源士のランスが描くであろう軌跡が無数にある。胴を狙える。頭も、四肢も狙える。そのあらゆる軌跡から、たった一筋を導き出すのは不可能だ。


だが、あと一秒あれば、槍筋の選択肢は大きく絞れるはず。隆聖にも、見定められる自信がある。


 あと、一秒。


(まだ……まだ……ま――)


 まだ、そう思っていた。


 呪詛のごとく脳裏で呟く言葉が、途切れた。


 隆聖は息を呑んだ。


 何故、と思う暇もなかった。故にその時の彼の思考はまったくの空白であったが、それでも何をか思う時間があったならば、彼はこう叫んだことだろう。


「何故、『既に』そこにいる……?!」


 源士のマシンが、《カザン》が僅かに視界でぶれたかと思った。次の瞬間、源士の大柄がもう懐に飛び込まんと突出していたのである。


 それに気づいたときにには手遅れ。源士の槍は、隆聖の胸元にあった。


 隆聖が槍を動かす間もない。先の先の、その更に先を取られたかのような感覚。プロテクタに少しばかりの圧を感じたかと思ったときには、交差の瞬間はとうに過ぎ、《カザン》が隆聖のはるか背後。


 メット内に映し出されるモニタ、その片隅には人の姿を模したアイコンが表示されている。スーツの内部に埋め込まれた感圧センサの反応を読み取って、ライダーに知らせるためのものだ。胸のあたりにしっかりと赤いマーキングがなされており、源士の苛烈な一撃が現実であることを物語っている。


 コース全周の観客席を埋め尽くす人々の歓声がヘルメット越しにも聞こえてくる。《デッドリー》は派手な技だ。その光景は、余程観る者には刺激的だったに違いない。


 しかも、あろうことか隆聖は反応すらできなかった。


 速い。まるで瞬間移動の様に、気が付いたときには対応できない位置に源士はいた。隆聖は細心の注意で彼の一挙手一投足を見極めていたはずだ。それでも、見えなかったのである。


(僕が寝ぼけとったんやないとすれば、少年はあの距離を一瞬で詰めてきたことになる……わずか一メートル。されど一メートル、か)


 口にすれば容易い。が、隆聖にとってはちょっとした衝撃だった。腐ってもプロライダー。その動体視力もってしても捉えられない挙動をするマシンと、それを操ることのできるライダー?


(……ひょっとすると、本当に化物かもしれんな)


 ――と、観客たちの力強い歓声が、不意と戸惑いを含んだざわめきに変化した。何か不穏な雰囲気さえする。


 多少気落ちする感情をどうにか振り払って、隆聖はある場所を見やった。


 コースの中央にはタワーが立つ。そこには試合の状況を示す巨大な液晶モニタや、シグナルが掲げられており、観客、ライダー共に情報を把握する重要な手段となっていた。


 当然、そこには勝敗を示す表示灯もある。確か、信号の様に三食のシグナルが横並びになっており、試合の結果に応じて点灯するはずだった。


 一本を取ったのが隆聖ならば青、源士ならば赤。であれば、今は源士の赤が点灯するしているはずだ。


 が、そこには煌々と、赤でも青でもない、黄色のシグナルが光っていた。




 ***




「ああ、惜しいぜ! くそっ」


 《カザン》陣営のピットは湧いていたが、タワーに黄色のシグナルが点灯すると、兵吾が悔しそうな叫び声をあげた。


 美晴も顔には出さないが、歯噛みする思いには違いない。


 何しろ、ほぼ完璧な《デッドリー》だったのだ。


 あの隆聖が手も足も出ず、ただ打たれるに任せるだけだったなど、およそ信じがたい結果である。


 が、その完璧な一撃は、つい先ほど幻と化した。


 黄色のシグナル。それは勝敗無効の合図である。


 どちらかがルール違反を犯したか、あるいは何かしら試合条件を満たさなくなった際、このシグナルが表示される。源士の一本は、無効となった。


 今回は、源士のミスである。もっとも、ひどく紙一重であるが。


 美晴はインカムに手を当て、コンソールの通話コマンドをオンにした。無線は自動的に源士へとつながる様になっている。


「悪くはなかったけど、見積もりが甘かったわね」


『そうかもな……もう少しでいい。フロントの出力比を上げてくれ』


「やってみる。けど、どうかな、キミの方が追い付くか」


『……プロトカザンがおもちゃに思えるな』


 余程制御に苦労しているのだろう。珍しく源士が苦しい声をだす。


 《四式カザン》、作り上げた美晴が言うのもなんだが、それほど扱いに困るマシンと言うわけだ。限界まで絞り出した出力の代償としての、ピーキーな機体特性。


 何とか源士に慣れさせようと《プロトカザン》など用意はしてみたが、やはり、それで足りるようなものではなかった。


 タワーの巨大ディスプレイには、先ほどの試合映像が映し出されている。それはこちらのピット内でも受信可能で、コンソールで再生することもできた。


 傍らでは雅丈が、戦況分析のためにその映像を食い入るように見つめている。それを、背後から美晴も覗き込んだ。


 スロー映像による、源士の一撃が隆聖へと突き刺さるその瞬間。


 雅丈は無言で映像を拡大させる。その先は、しかし槍の穂先や隆聖の体勢などではなかった。《四式カザン》のフロントタイヤである。


 ほんのわずか。それこそ、手元の小さなモニターでは髪の毛一本程の隙間にしか見えないが……フロントタイヤと路面の間に隙間があった。


「こんな、微妙な判定で……」


 雅丈の絞り出すような声はほとんど絶句のそれである。それほど絶妙な判定だったということだ。


 ブラストもスポーツである。何でもあり、と言う訳ではなく、厳然としたルールが存在するのだ。


 その内の一つ、マシン同士が交差する瞬間、前後輪が路面に接地していること。源士は今回、このファウルを犯してしまった。マシンがウィリーしたのだ。


 いくら本物の槍ではないとはいえ、インパクトの瞬間には多少なりとも衝撃が加わる。その際に不安定な態勢では危険が伴うために設けられたルールだが、今だけは鬱陶しいことこの上ない。


 もしも成功していたら、この勝負を決定づける会心の一撃だったのだが。


「しかし、本当にそれだけ済むのでしょうか」


 深刻な表情で雅丈が呟く。


「意味深な言い方ね、雅丈君」


「今の《デッドリー》が我々の限界を超えた攻撃だと、彼らにも知れたでしょう。ということは――」


「……うん、あれ以上の攻撃はない。当然、真田君も分かってると思う」


 失敗してしまった《デッドリー》は隆聖にとってある種の指標となるだろう。脅威ではあるが、決して成功はしなかった攻撃である。その上、たった一発であっても手の内を見せたのだ。目は馴れる。馴れれば、技を見極めることは容易い。まして、《スキルブック》の異名をとる隆聖ならば。


 ひょっとすると、この勝負は一気に苦しいものになったかも知れぬ。美晴のこめかみに、一筋汗が流れた。


『もう負けた気になっているのか?』


 ノイズに乗って、源士の声がした。たった一度の交差にしては、随分と疲弊している事に違いない。


 だが、折れてはいない。彼の闘志は、いっそ更に強く――


 源士はくぐもった笑いを漏らした。


『悪くないマシンだ。次は決めるぞ、《デッドリー》』

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