Chapter31

 月明かりが差し込んで、美晴の影を長く延ばす。その影はアスファルトの地面を伝って、目の前のシャッターに少女の輪郭を映し出した。


 深夜、誰もが眠りにつく時間帯である。美晴は、芦原学園のサーキットに立っていた。


 当然のように人の気配はなく、静かなものである。何処からか虫の音が聞こえるばかりだ。


 いささか覚束ない足取りでシャッターに近寄る美晴。不用心にも、鍵はかかっていないようである。


 美晴は取手に手をかけ、シャッターを一息に引き上げた。


 外の薄暗闇にも増して、真っ暗である。灯りをつけていた形跡もない。誰が、こんなところで人が息を潜めていると思うか。


 しかし、先んじて連絡を受けていた美晴は、迷うことなくその中に踏み込んだ。


 ほのかな付の光は室内を徐々に照らし出す。舞った埃が反射して、ダイヤモンドの様に光った。


「……よう」


 と、ザラついた声が美晴に向かって投げかけられる。美晴は、そこに人のシルエットを認めた。


 片膝を抱えて地面に座り込む。身を屈め、息を潜め、ものも喋らず、まるで置物のようである。


 だが、分かってしまうのはある意味オカルトだろうか。


 この男から漂う、むせ返るような闘気。


 あるいは、殺気といってもいい。


 山県源士が、そこにいた。


 美晴は思わず苦笑した。


 痩せたというよりは、やつれていると見える。こけた頰に、落ち窪んだ眼窩。影がさした細面は、余程濃い疲労を窺わせる。そのくせ、双眸だけはギラギラと闇中に浮かび上がって、不気味に美晴を捉えているのだ。


 男子、三日会わざれば刮目して見よ。などと言う諺がある。 今、ここにいる源士は、およそ以前とは雰囲気が様変わりしていた。


 言葉は通じるはずなのに、人と話している気がしない。まるで、飢えた獣だ。


「まったく、ひっどい顔ね」


 と、源士もまた、くぐもった笑い声をもらした。


「お前も、人のことを言えた面か?」


「そうかもね。キミと一緒よ」


 ここに鏡はないが、覗きこめばさぞや落胆することだろう。無論、疲れ切って肌ツヤの悪い自分の顔にである。


 それはそうだろう。この三日間、美晴は不眠不休でマシンの調整に取り組んでいたのである。消費したエナジードリンクは数知れず、睡眠不足という女の敵を甘んじて迎合した。


 それもこれも、全ては明日という日のために。


「で、アタシのオーダーは?  ……って、聞くまでもないか」


 わずか三日ではあるが、美晴が源士に命じたトレーニングプランはかなり過酷なものだった。何しろ、練習車両がオシャカになるまで乗り回せというものだ。過度のチューニングを施したとはいえ、相当な無理をしなければ早々壊れるものではない。


 だが、源士の姿を見れば、愚問であると察した。


 やつれた顔も、ピリピリとさせた雰囲気もそう。しかも、土埃に塗れ破損著しい彼のスーツを見れば、特訓の過激さは想像するに難くない。胸にあてたプロテクタなどは、激しい擦過で塗装が剥がれ、軽金属と発泡ウレタン地肌が露わになっている。


 ただ練習用の槍が接触したくらいでは、これほど摩耗はしない。であれば、何度か振り落とされたのだと容易に気付く。


 《プロトカザン》には相当手を焼いたのだろう。それだけは、理解が出来た。


 と、そんな美晴の心情を知ってか知らずか、源士がおもむろに紙の束を投げてよこした。


 見ると、それは新聞であった。芦原の新聞部が精力的にばら撒いている校内新聞だ。今日発行されたと思しき夕刊である。一体誰にあてて発行している新聞なのか……は疑問だが。


 その一面には、人目を引く大きな見出し。


『サーキットで火災発生。事故か?』


 とあった。記事には写真も添えられている。ブラストコースと思しき路上に、鉄の塊が転がっている。


 すっかり焼け焦げてはいるが、美晴には残された部品の形状、かすかに燃え残ったカウルの色から、およその見当がついた。


 哀れ、それこそが《プロトカザン》の末路であった。


「ひどいもんだ。加速を付けた瞬間に燃え上がってきた。おかげでマシンは黒焦げ。慌てて飛び降りた俺は、このザマさ」


「そんだけ軽口が叩けるのなら、まあ大丈夫でしょ。で、怪我はないのね」


「あっても、走らせるんだろ。聞くなよ」


 違いない、と思う。アバラの一本や二本気にしない。この程度は日常茶飯事である。


 どこか痛めているのかもしれぬが、源士が行けると言うのである。今は、彼の感覚を信じるしかない。


 しかし、並みのライダーなら匙を投げるようなセッティングのマシンで限界を超えて走り続けたのだ。疲弊はすれども、決して投げ出すことなく。そして、源士の面構えを見れば……もう、美晴に言うべきことはないと思えた。


「そんな事より、お前の方はどうなんだ?」


 と、源士。


 言わずもがな、マシンの事だろうと分かる。しかし、彼の語調は、尋ねると言うよりは念を押すようなものだ。


 当然、出来ているのだろう? と、そんな言い様である。


「ふふ、誰に向かって言ってんだか」


 美晴はにやりと、悪人じみた笑みを浮かべた。


 源士の射殺すような眼光も、今の美晴は真正面から受け止めることが出来る。何を言われても引き下がる必要もないくらい、自信はある。


「スペックは申し分ないわ……それこそ、《プロトカザン》がヌルく思えるくらいには、ね」


 源士が立ち上がる。ゆらりと、まるで幽鬼のような様相だ。何処へ行こうと言うのか二、三歩踏みしめるが、途端前のめりにバランスを崩した。


 慌てて駆け寄った美晴は、源士を抱きしめる様に支えた。が、彼の体躯を支えきるには、彼女はあまりに非力だ。そのまま、二人して倒れ込んだ。


「っつぅ……藪から棒に何?!」


「いや、すまん。もう出発かと」


「まだ夜だって。起こしてあげるから、もう少し寝てなさいよ」


「そう、か……なら……悪い……」


 緊張の糸が切れたのか、源士の声が次第に小さくなっていく。ついには、大人しい寝息を漏らして、意識を失ったようだった。


「まったく子供かっての……ま、でも」


 美晴は眠る源士を抱き寄せた。こうして眠っていれば、唯の年頃の少年のはずなのに、ひとたびマシンに跨れば、彼はブラストに憑りつかれた修羅と化す。そんな彼の側面が顔を出す時は、もう間もなくやってくるのだ。


 だから、今は体を休めればよい。


 そして、彼が起き上ったその時、目の前には《あのマシン》がある。


 源士の重みを全身に受けるが、その温もりに不思議と息苦しさはなかった。代わりに、美晴にも微睡が押し寄せる。


 もういい、寝てしまえ。何かあれば駒井君も、兵吾もいるのだから。


 意識の手綱を投げ捨てた美晴は、眠りに落ちる最中、小さく呟いた。


「絶対に勝とうね、源士」




***




 明るい照明に清潔な作業エリア。彼らの根城に比べれば随分と上等な環境である。環境音にしては大きいノイズが外から聞こえてくるのはタマにキズだが、そればかりは仕方がない。


 その音こそが、ここが決戦の地であり、戦場の一歩手前であることの証拠なのだ。なればこそ、慣れねばならない試練の一つである。


「なんだこれ……すっげえ不思議」


 スペースの一角で、兵吾が円錐状の黒い塊を弄んでいる。柄があり、そこに配されたトリガーを操作するたび、先端から赤い燐光が伸びる。ついては消えるその光に手をかざしては、「へえ」とか「ほお」とか興味深げな声をあげていた。


 と、延々手遊びに興じる兵吾の背中を、美晴が急かすように叩いた。


「遊んでる暇なんてないわよ! マシンの最終チェックがまだ!」


「だってさぁ、こんな時じゃないと触れないぜ。本物のレーザーランスだぞ」


 そう、これまで練習試合で使っていた槍は、軽量な発泡樹脂で形作られた簡易なものである。だが、プロの公式戦ともなれば立派な興業であり、こうしたハイテク技術の見本市の側面もある。レーザーランスもその産物の一つだ。《甲斐カザン》の様に資金面で難のあるチームでも、《協会》から支給が許される数少ない装備である。


 そういうわけで、兵吾にとってもレーザーランスは初めて見る備品なのだ。珍しがるのも無理はないが。


「それ、壊したら向こう十年はただ働きで弁償してもらうけど、勿論構わないわよね?」


「よっしゃ、もうすぐ本番だ! いっちょやったるぜ!」


 高速の手のひら返しである。黒光りするレーザーランスを丁重に置くと、一目散に作業エリアへと駆けて行った。


「何やってんだ、あいつは?」


 二人のやり取りを少し離れたところから見ていたのは源士。パイプ椅子に身体を預け、間もなくやって来る《その時》を待っていた。


「ま、もの珍しいんだろうけどさ。キミだってそうでしょ?」


「確かに触ったことはないがな。得物がなんだろうと勝手は一緒だ」


 レーザーランスを手に取ってみる。重厚な外観とは裏腹に、かなり軽い。外装も、実際には強化プラスチックの類らしい。トリガーを引いてみると、天頂部のシャッターが開いて中から淡い光が伸びた。


 源士は感触を確かめる様に、何度か振り、突き出してみた。軽いには軽いが、普段使いの練習槍と違うのは重心のバランスか。もっとも、微々たるものである上に、此方の方が手元での扱いが楽だ。源士にとっては、多分こちらの方が使いやすい。


 驚いたのは、兵吾と同じように光軸へと手をかざすと確かに触っている感触があると言うことだ。これで突かれても怪我をすることはないだろうが、高速の車上で打ち合うのである。脇腹にでも当たれば多少の痛みはあるだろう。あるいは、その痛みがライダーたちに死に迫真の攻防を演じさせるのかもしれないが。


「それ、おもしろいでしょ。ライトにスーツのセンサが反応して、擬似感覚を作るのよ。お望みなら、もっと刺激を強くするけど?」


「いや、いい。あまり痛いと、試合中でもこんなスーツ脱ぎ捨てかねないからな」


「ふふん、せっかく下し立てのスーツだもんね」


 いたずらっぽく美晴が笑う。


 そう、今源士が身に付けているのは新調したスーツとプロテクタだ。これまでのスーツは所詮廉価なマスプロダクションモデルだし、何より損傷して使い物にならなくなってしまった。


 これは兼ねてから源士のために調整された専用スーツである。黒いラバースーツの上に、真っ赤に染め上げられたプロテクタ。胸には《KAI》と読める派手なロゴのマーキングが施されていた。新品故、着心地がちとが固い。が、こればかりは我慢するしかあるまい。一、二度も全力で試合をすれば、まあまあ慣れる事だろう。


「さて、と。後は何が必要かしら。ランスはここにある。スーツも用意した。マシンも――」


 美晴が振り返る。つられて彼女の視線の先に目をやった。


「……はん。悪くは、ないな」


 目を見開く。息を呑む。ただそこにあるだけで、源士の心臓をこれだけ熱く脈動させるものが、一体どれほどあるだろう。少なくとも、今までお目にかかった試しはなかった。


 一目見れば、フレームは《三式カザン》の流用であると分かる。だがそれ以外はほとんど別物と言っても過言ではない。一回り巨大化したホイールは、元来幅太のタイヤを持つブラストマシンとしても異様な存在感を放っている。その割に、マシンを守る外装パーツはこれで良いのかと不安になるほど軽量化されていた。駆動系と操縦系統、最低限の走行能力を保障するだけのアーマー、明らかに面積が小さい。フロントに配された風防など、大柄な源士の面積をカバーできるのか怪しい程だ。わずかに接触でもしようものなら、途端に破損しかねない。


 強大なパワーを持ちながら、脆弱。そんなアンバランスなマシンが、戦いの時に備えて腹に抱えたバッテリに電力を蓄えていた。


 間違いない。こいつは、速い。


「これが、キミの焦がれた最速のマシン。誰にも、キミにも文句は言わせない。アタシの精一杯。その名は《四式カザン》!」


 胸を張り、誇る様に宣言する美晴。その姿が、彼女の自信の現れなのだろう。今更源士も文句は言うまい。後は乗って知るべし、である。


「アタシもできることは全部やったつもり。これで勝てなかったら……うん、勝てないわけない……絶対に」


 それでも、緊張は隠せないのだろう。隣に立つと、彼女のこめかみに一筋汗が流れたのが分かった。だが、それでいい。少なくとも、根拠のない自信に支配されていないかぎり、美晴は冷静に状況を見据えていると思える。


 その時、天井に備え付けられたスピーカーから、ジリリとけたたましい音が鳴った。


「時間らしいな」


「準備はいい? ……なんて、聞かないわよ。行きましょう」


 源士が頷くと、美晴は閉じきられたシャッターに手を掛けた。


 シャッターが音を立てて上がっていく。視界が開けていく。その瞬間、源士は分かっていても圧倒されずにはいられなかった。


 強い日差しの中、割れんばかりの歓声が源士の鼓膜に叩きつけられる。さながらコロッセオのごとく、サーキットを囲う客席は、すでに満員の観客を飲み込んでいた。その一人一人、熱を帯びた叫びが十重二十重に重なって、あらゆる音をかき消しているのだ。


 半狂乱の彼らが求めるのはただ一つ、これから始まる決闘の決着だけである。




***




 ランキングの低い連中――しかも源士などはデビューしたてでランクさえない――のマッチングとは言え、シーズン開幕初日の試合ともなれば観客の熱の入れようも理解できるというものか。


 だが、並みの人間ならばこの雰囲気に呑まれる。試合どころではなくなるだろう。では源士はどうか?


言えるのは、自分が並みのライダーだなんて、これっぽっちも思っていないということだ。


 だから、試合前の宣誓でも、源士は怯えることなくしゃんとしていた。


 眼前には数名の審判員が威厳たっぷりに立っているが、それはさほど気にしない。どうせ彼らは敵ではないのだから。


 問題は、源士の隣でニヤつく男である。


 真田隆聖。プロテクタを着込んでお互いに臨戦態勢と言ったところか。オレンジ色のスーツは、プロテストの折、タイムアタックで源士が追いかけたあのスーツ。そして、《シックスセンス》のホームで勝負を仕掛けた、あのスーツである。肩口に縫い付けられた六つ星のエムブレムも、もはや見慣れたものだ。


「よう逃げんときたな、少年」


ちょっと高めの声に、煽り調子のセリフ。隆聖のそれは明らかに挑発だ。本来ならばこの宣誓の場でライダー同士が言葉を交わすのはご法度。これから戦う相手と言葉は無用。語るなら槍で、といったところか。隆聖がそんな暗黙の了解を敢えて無視するのは、どうやらちょっとした盤外戦術らしい。


「勝てる勝負に逃げる必要はないからな。あんたこそ、負けた時のコメントくらいは考えてきたんだろう?」


「ええな、そのケンカ腰、若い若い。その調子なら、こっちも手ぇ抜く必要はなさそうや……ところで」


 隆聖が覗き込むように首を伸ばして、こちらに視線を送った。


「キミんとこ、監督は?」


「……知らねぇ」


 源士は思わずあらぬ方向へと顔を逸らした。


 そう、美晴がいないのだ。出がけに、用事を思い出したなどと姿を消したのだが、紙袋を抱えて駆けて行ったきり、まだ帰ってくる気配がない。彼らがこの場に集って既にそれなりの時間が経ったが、宣誓を始められないのは彼女のせいでもある。


 試合前の雰囲気と言えば皆がピリピリとしているものだ。審判員やサーキットのオフィシャルも、焦れて落ち着かない様子が見え見えだ。それに、観客の目もある。


 さすがの源士も、視線を伴った無言の圧力が痛くなってきた、その時である。


 観客が一斉にざわめいた。しかし、どうも様子がおかしく、何故か黄色い声や口笛まで聞こえてくる始末。


 何かと思い振り返ると、さしもの源士でさえ開いた口が塞がらない光景が、そこにあった。


「お、お待たせ……はは、ちょっと化粧にてこずって……」


 美晴には違いない。ただ、問題はその出で立ちである。丈の短すぎるパンツに、へそ丸出しのチューブトップ。上下とも派手な紅い衣装は、ほとんど水着同然の露出度である。 


すなわち、その様相はレースクイーンそのものだ。派手なスポーツである。多くのチームがこういったショーガールを抱えているのだが、資金難の《甲斐カザン》には当然そんな存在はいないのだが。


「……その、なんだ。疲れてるのなら、向こうで休んでるか?」


「ふふん、似合わないって? そういう遠回しな気遣いは止めてくんない!?」


 と、背中に回し蹴りを食らわされるも、ダメージはほぼない。この上等なプロテクタのおかげか、はたまた美晴の羞恥が勢いを殺しているのか。


「じゃ、何だって言うんだ。試合の前にそのふざけた格好は」


「ふざけてない! ……その、さ」


 顔を赤くして前髪を弄る。やけにしおらしい美晴は、少し躊躇いながらも、呟くように言った。


「こういう格好すれば、キミのやる気ももっと上がるかなって……その……ごめん、血迷ったかも」


 恥ずかしそうに俯いた美晴の頭から、大量の湯気が噴出しているのが目に見える様だった。


 源士のモチベーションを上げるため。つまるところ、やれることは何でもやろうという美晴の気持ちの現れ、ということか。少々、ずれているような気もするが。


 これで、源士のやる気が鰻上りかと言われれば、いささか怪しいものだが、しかし無駄ではない。少なくとも彼女の意気は伝わったのだから。


 源士は、美晴の頭にぽんと手を置いた。


「采配ミスっても、その格好の所為にはするなよ? まあ、観客を味方につけるくらいはできるだろう」


「……素直じゃないの」


「お互いにな」


 くしゃくしゃと髪を撫でられるのが恥ずかしいのか、美晴が頭を遮二無二振る。と、その傍らで、低くしゃがれた笑い声が聞こえた。


「かかか、戦いを前にして女といちゃつく暇があるのか。そちらさんは随分と気楽のようじゃの」


 《海野シックスセンス》の監督、海野幸造である。痩せこけて腰の曲がった姿は枯れ木の様だが、嗤う横顔には不思議と覇気があった。これが長年にわたってチームを率いてきた人間の風格なのだろうが、源士にはいっそ不気味に見えた。


「ふふん、海野のじいさまじゃない。まだ現役でやってるとは、いい加減、そのボケかけたノーミソ休ませたら?」


 美晴はわずかに眉を引くつかせたが、すぐに気を取り直したらしく、いささか嫌味たらしく言った。源士が「知り合いか?」と尋ねると、不機嫌そうに「まあね」と応える。若いとはいえこの業界に長く身を置く美晴なら、ブラストの関係者はほとんど顔見知りなのだろう。しかし、売り言葉に買い言葉である。彼女の口調は敵意の塊だ。


「なんの、こちとら元気だけが取り柄のクソ老人よ。お前ん所のじじいとは違ってな」


「ちぇっ……相変わらず口の減らない……」


 苦々しい顔をする美晴。


 そう、元々この《カザン》は、美晴の祖父が率いたチームだったはずだ。今、かつての指導者はおらず、チームに面影もない。だがこの二人は、その過去を知っているのだ。どんな関係であったのか、源士でも想像にするに難くない。


 ……であれば、過去の《カザン》を知りつつも、仇敵となって美晴の前に立つ真田隆聖は、この光景に何を思うのか。瞑ったように細い目からは、何も窺い知れない。


(――いや、呑まれるなよ源士。こんなのどうでもいいこと事だ。少なくとも、俺には)


 何のために自分がここにいるのか、考えずとも分かることだ。因縁など源士には関係なく、ましてやこんな陳腐な前口上の争いに付き合う道理など、これっぽっちもないのだ。


「そろそろじゃれ合いは終わったか?」


 源士は速足で歩きだす。皺の刻み込まれる顔に笑みを浮かべる幸造の前に立ちはだかった。


 幸造は腰の曲がった小柄な老人である。大柄な源士が向かい合えば、その背丈は大人と子供ほどもある。その高みから見下ろすようにして、源士は口を開いた。


「ご託は要らない。俺はこいつを振るうためにここに来たはずなんだがな」


 レーザーランスの柄を掲げる。トリガーを引くと、淡い光が槍の形状を現した。その穂先が、幸造の鼻先に伸びた。


 だが、この老人の胆力とでも言うのか、幸造は一向に動揺する素振りも見せなかった。至って平生、のみならず、肩を小刻みに震わせる。笑っているのだ。


「クク、カカカ! ……なるほどな、まるで生き写しよ」


 幸造の鋭いまなざしが、値踏みするように源士を射抜いた。


 気圧されたわけではない。が、源士は思わず怪訝な顔をした。


 生き写し、とは妙な事を口走る。自分が誰かに似ていると言うのか。少なくとも、この奇怪な老人を見知る肉親はいない。


……いないが、源士の脳裏に、一人の男の名が浮かんだ。


 正面切って話したこともない。彼の性格など知る由もない。ただ、源士と同じように槍を振るったというその男の名が。


「……嘘か真か、すぐに分かるさ」


「せやったら、その槍を向ける相手は爺とちゃうな?」


 源士と幸造の間へと割って入る隆聖。薄く開かれた目に、瞳孔が開くのが見えた。


「もっともだ。今度は本気でアンタと遣り合えるからな」


「本気、か。つまり、あの《デッドリー》は手抜きやった?」


「ま、仕上がった。今はそれでいいだろう」


「……ああ少年、それで十分や。僕も本気で立ち会える」


 皮肉じみたものではない満足げな笑みを浮かべると、隆聖がレーザーランスを突き出した。天に向かって、コーン状の光が伸びる。


 彼の槍に、源士が同じように自らの槍を交えれば、それは決闘合意の合図である。


 源士は迷うことなく、レーザーランスを空に向かって突き上げた。




***




「かつてスズカのお山には、ルール無用の悪鬼あり。今またここに、鬼二人。狙うは互いの首一つ。さあ舞台は整った! 決戦の時、今来る! 全国80万のブラストファンの皆様、シーズンオープニングマッチ、《海野シックスセンス》真田隆聖VS《甲斐カザン》山県源士の一戦。実況新舘伊知子と解説高山右京で、ここ鈴霞サーキットブラストステージよりお送りいたします!」


「……ぐぅ」


「高山さーん、本番中ですよー?」


「はっ、申し訳ない。少々寝不足でして……」


「おっとー? これは世紀の一戦を前にして、セイキのスキャンダルかー?」


「止めろ! そういう雑な弄りは! 何でもありませんよ、ちょっと遅くまで練習をしてただけです」


「むむー、まあいいでしょう。さて、芦原学園での衝撃デビューから数週間。情報によりますと、山県選手はこの日のため更にパワーアップを果たしたとか?」


「そうですね、血の滲むような特訓に励み、今日の戦いに挑みます。対戦相手の真田選手はキャリア、技量共にはるか高みの選手ですが、ただでやられることはないでしょう」


「なるほど。ちなみにその特訓、昨日のサーキット炎上事件と関係が?」


「……今回は何処まで知ってるんですか(小声)」


「さぁて何のことやら。御想像にお任せします♪ ……監視カメラ撤去の事、忘れてませんからね(小声)」


「くそっ、これだからブンヤは!」


「っと、そちらも気になりますが、今はこの試合が第一です。芦原学園のファイヤボール、山県選手は善戦なるか?! 間もなく、スタートです!」


「がんばれよ、山県君……!」

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